第20話 蝕むものの正体(1)
「……見つからないな」
ノアが低くつぶやいた。
机の上には、
今日見終えた記録がまた一冊増えている。
事故。
急死。
病死。
残っているのは、
いつもそれだけだった。
それ以上がない。
死因の詳細も、
その場にいた者の記録も、
肝心なところだけが抜け落ちている。
ノアは閉じた本の表紙に
指先を置いたまま、
小さく息をついた。
「表に出ていない記録があるなら、
棚の奥か、箱の中だろうな」
静かな声だった。
視線は、
棚の奥へ向いている。
リリアナも同じ方を見た。
棚に並べられているものだけでは足りない。
それはもう、
ずっと前から分かっていた。
だから二人は、
床に積まれた箱まで
少しずつ当たってきたのだ。
リリアナは、
手元の箱を閉じる。
違う。
これも、
探しているものではなかった。
小さく息を吐いて、
次の箱へ手を伸ばす。
棚の一番奥でしゃがみ込む。
手前の箱を少しずらす。
その陰に、
もうひとつ箱があった。
古びてはいる。
けれど、
他のものより傷みが浅い。
妙に奥へ押し込まれていて、
今まで気づかなかったのも無理はなかった。
指先で埃を払う。
側面に、
かすれた札が残っている。
――第二十七代関係記録
移送未整理
息が止まる。
「……ノア」
呼ぶと、
ノアはすぐにこちらへ来た。
「どうした」
「ノアのお祖父様の代です」
その一言で、
空気が変わる。
二人で箱を引き出す。
重い。
その場で蓋を開ける。
乾いた匂いが立ち上った。
中には、
同じ年代の記録がまとめて詰め込まれていた。
整理されていない。
だが、
逆にそれで分かる。
まとめて移されて、
そのまま放置されたのだと。
一冊ずつ、
確かめる。
違う。
これも違う。
また違う。
紙をめくる音だけが続く。
その中で。
指先に、
ざらついた古い表紙が触れた。
リリアナの手が止まる。
深い色の表紙。
角に小さな刻印。
その印に、
見覚えがあった。
「……これ」
声が、
思ったより小さく出た。
ノアが隣にしゃがみ込む。
「見せて」
差し出すと、
ノアはすぐに受け取り、
そのまま二人で帳簿を開いた。
最初の頁。
そこに、はっきりと書かれていた。
――王太子期事故報告
空気が変わる。
ノアの目が、
わずかに細くなった。
ページをめくる。
第二十七代。
王太子。
その後、
王に即位。
事故記録はない。
だが。
その頁の下に、
別の記録があった。
側近死亡記録。
三名。
短期間で
続いている。
一人目。
近衛騎士。
狩猟中。
王太子の馬が崖際で暴れ、
押さえに入った騎士が落馬。
死亡。
二人目。
侍従。
毒味役。
王太子に出されるはずだった杯を
毒見し、
急性中毒で死亡。
三人目。
護衛騎士。
城壁視察中。
崩落した石材から
王太子を庇い、
転落死。
ノアは
黙ったまま
その記録を見ていた。
静かな声で言う。
「……祖父の側近だ」
リリアナは
その頁から目を離せなかった。
三人。
全員が、
王太子を守る形で死んでいる。
守られた側には、
何も起きていない。
そしてその王太子は、
後に王となって長く生きた。
その並びが、
ひどく歪んで見えた。
頁の端には、
小さな追記があった。
――王太子本人に異常なし
リリアナの指が
そこで止まる。
異常なし。
異常がなかったのは、
王太子だけ。
胸の奥が、
ゆっくり冷えていく。
ノアもその文字を見ていた。
しばらく、
何も言わない。
研究棟の奥は、
息を止めたように静まり返っていた。
リリアナは
もう一度、
表紙の角へ目を落とす。
――やはり
小さな刻印。
あの時、
薬師の家で見せてもらった控えの端にあった印と、
同じだった。
「……この印」
ノアが顔を上げる。
「何か分かるのか」
リリアナは
刻印を指でなぞった。
「以前、
怪我をした時に診てもらった薬師の家で
見せてもらった記録と
同じ印です」
ノアの目が
わずかに細くなる。
「……薬師か」
リリアナは頷いた。
「あの方は、
お祖父様の代まで
王宮にいたと聞いています」
「最近はなかなかお会いできていませんが、
この記録についてなら
何か知っているかもしれません」
短い沈黙。
「信頼できるか」
「少なくとも、
私は信頼しています」
ノアはわずかに考え、
やがて頷いた。
「……ならいい」
帳簿を閉じる。
決めた声だった。
「会いに行こう」
リリアナが顔を上げる。
ノアは続けた。
「次の休みに出る」
「案内してくれ」
「……はい」
返事をしたあとも、
胸の奥の冷たさは消えなかった。
けれど。
違う。
さっきまでとは違う冷たさだった。
ただの不安ではない。
形のない恐れでもない。
触れたのだ。
ようやく。
机の上に置かれた帳簿を見ながら、
リリアナはそっと指を握る。
見つけた。
その意味がすべて分からなくてもいい。
ここから先へ、
進める。
棚の奥に差し込む光の中で、
埃が静かに舞っていた。




