第19話 君の色(7)エリオス
エリオスがその通りへ向かったのは、
南区画の視察の帰りだった。
サラの誕生日が近い。
婚約者として、
何かひとつ用意しておくのは自然なことだったし、
以前、彼女が欲しいと言っていた品もあった。
それを見ておこう。
ただ、それだけのつもりだった。
店の前には、
すでに店主が出て待っていた。
「殿下、お待ちしておりました」
深く一礼する。
「このようなところまでお運びいただき、
恐縮でございます」
「ああ。視察の帰り道だ」
エリオスはそう返し、
そのまま店へ入ろうとした。
そのときだった。
入口脇のショーケースに、
ふと光が差した。
ほんの一瞬。
けれど、
その一瞬で十分だった。
乳白色の石の奥で、
淡い色が揺れる。
白とも、
銀とも、
灰とも言い切れない光。
静かで、
目立たないはずなのに、
そこだけが妙に強く目に残った。
足が止まる。
自分でも、
なぜ止まったのか分からなかった。
ただ、
胸の奥を不意に引かれるような感覚がして、
そこから動けなくなった。
「……それは?」
店主がすぐに気づいて、
ショーケース越しに品を示した。
「レインボームーンストーンのブローチでございます。
光の加減で表情が変わる石でして」
説明は耳に入っていた。
けれど、
半分も頭には残らない。
石の奥で、
色が揺れている。
それを見ているだけで、
息の仕方が少し変わる。
「お出ししましょうか」
店主の声に、
エリオスはようやく頷いた。
白い手袋の上に載せられたブローチを受け取る。
軽い。
なのに、
指先に乗せた瞬間、
置いてしまうのが惜しいものに触れた気がした。
角度を変える。
表では静かに沈み、
少し光を拾うだけで、
内側からふいに色が起き上がる。
何度見ても、
見飽きる気がしなかった。
「……綺麗だな」
小さくこぼれる。
見つけた時から、
目を離せなかった。
なぜそこまで気になるのか、
自分でも分からない。
ただ、
どうしても置いていく気になれなかった。
店主が控えめに声をかける。
「ご婚約者様へのお品にされますか」
その問いに、
エリオスはすぐには答えなかった。
手の中の石を見下ろす。
違う、
と思った。
サラのための品を見に来たはずなのに、
これだけは違う気がした。
似合うかどうかでもない。
喜ばれるかどうかでもない。
もっと手前のところで、
これは誰かのために選ぶものではないと、
なぜか分かってしまった。
それでも、
置いていくこともできない。
「……これをいただこう」
口にしたあとで、
自分でも少し驚いた。
店主は一瞬だけ目を上げたが、
すぐに恭しく頭を下げる。
「かしこまりました」
包まれていくのを見ているあいだも、
視線はその箱から離れなかった。
本来の目的が何だったのか、
その時には半ば忘れていた。
王宮へ戻ったあとも、
箱を引き出しへしまって終わりにはできなかった。
夜。
なんとなく取り出して、
窓辺へ寄る。
月の光に近づけると、
石の奥でまた違う色が揺れた。
白の下に、
かすかな銀。
灰を溶かしたようなやわらかい色。
そのさらに奥に、
淡い青や紫。
見ていると、
胸の奥が静かに締まる。
不快ではない。
けれど、
安らぐのとも違う。
ただ、
どうしようもなく目が離せない。
こういう色が、好きなのだろうか。
――白い花を見た時の感覚に、
少しだけ似ていた。
「……なんなんだ」
小さく呟いて、
また角度を変える。
光が触れるたび、
石は違う顔を見せた。
しばらくそうして眺めてから、
ようやく箱を閉じる。
これは、
誰かに渡す気がしなかった。
なぜそんなふうに思うのか、
自分でも説明はできない。
ただ、
手放してしまうには惜しかった。
だから引き出しへしまう。
しまって、
終わるはずだったのに。
次の夜になると、
また同じように箱を開けてしまう。
光にかざす。
見つめる。
理由は分からないまま。
それでもエリオスは、
その石を何度も取り出しては、
飽きもせず眺めていた。




