第25話 想いを胸に(5)
爆破事件のあと、南部鉄路の工事は一時中断された。
学院へ持ち込まれた火薬はどこから流れたのか。男が訴えていた父親の事故は、本当に隠されていたのか。その二つは、どこかでつながっているのか。
確かめなければならないことは、まだ多く残されていた。
怪我が落ち着き、学院へ戻るようになってから数日後。リリアナは商会へ向かう馬車の中で、屋敷へ運ばれた日のことを思い返していた。
火の熱で髪は縮れ、傷んだ部分を切ることになった。左手には厚く包帯が巻かれ、頬の腫れもしばらく引かなかった。
その姿を見たレオンは、目に涙を浮かべたまま何度もリリアナを抱きしめた。無事でよかったと声を詰まらせ、顔を見るたびに、もうこんなことはしないでくれと言った。
髪を切っている間も、部屋の前から離れなかったらしい。中へ入ることもできず、遠くへ行くこともできないまま、扉の前を何度も行き来していたと、あとで侍女から聞いた。
アルマンも、普段の冷静さを失っていた。医師へ同じことを何度も尋ね、使用人への指示を途中で言い直し、最後には何も言わずにリリアナを抱きしめた。
息苦しいほど強い腕だった。
前の世界では得られなかった家族の温もりを、失いたくないと心から思う。
それでも、エリオスを助けるためなら、自分はまた迷わず飛び出すだろう。二人を悲しませると分かっていても、その気持ちは変えられない。
そう思ってしまうことが、申し訳なかった。
馬車が止まり、窓の外に見慣れた商会の玄関が現れた。
帳場では、レオンとアルマンが南部鉄路の帳簿や納品書を広げていた。
「二人に、調べてほしいことがあります」
向かいの席へ座ったリリアナは、以前、自分が止めた二度目の火薬の依頼について話した。
最初に納められた火薬の使用量と残量。二度目の依頼を出した者。学院へ持ち込まれた火薬との関係。そして、男の父親が亡くなった事故についても、記録を確認してほしいと頼んだ。
「男の話が本当なら、報告には事実と違うことが書かれているかもしれないから」
アルマンはレオンと顔を見合わせた。
「その件なら、もう動き始めている」
「もう?」
「ああ。この前、エリオス殿下がお見舞いに来られただろう。その帰り際に頼まれた」
「エリオス殿下が?」
「王家から正式な確認が入る前に、こちらで出せる記録をそろえておいてほしいと」
火薬の納品記録や受領書、現場へ送った馬車と人夫の一覧。商会に残る資料は、すでに確認が始められていた。
「現場と事故については、工事を取り仕切るアルヴェイン家でも調べている」
レオンは、包帯の巻かれた左手を見た。
「だから、あとは任せて」
「私にも何かできることがあれば言って」
レオンの顔が曇り、リリアナはすぐに付け加えた。
「一人で何かしようとは思っていないよ」
「一人でなければいい、という意味ではないぞ」
アルマンの声は厳しかった。
「……ごめんなさい」
二人はそれ以上責めなかったが、レオンはしばらくリリアナの左手から目を離さなかった。
「殿下も、曖昧なまま終わらせるつもりはないようだ」
エリオスは、男の訴えを身勝手な逆恨みとして片づけなかった。
リリアナが傷ついたからだけではない。王家が進める事業の陰で不当に命を奪われた者がいるのなら、何があったのかを確かめることも自分の責任だと思っているのだろう。
父親の事故だけではない。訴えを聞き入れられないまま追い詰められ、最後には学院で命を落とした男のことまで、自分が背負うべきものとして受け止めているのかもしれない。
誰かの苦しみを知れば、見なかったことにはできない。自分が直接手を下したわけではなくても、王家に関わることなら、自分まで責任を負おうとする。
それが、エリオスの誠実さだった。
けれど、何もかも一人で抱えようとする彼を止めるのは、これから隣に立つ人の役目なのだろう。
それは、リリアナではない。
ならばせめて、何が起きたのかを明らかにするために、自分にできることをしたかった。少しでも調査の役に立てるのなら、それでよかった。
◇
調査が進むにつれ、南部鉄路のずさんな管理が明らかになった。
二度目の火薬の依頼は正式な手続きを経ておらず、誰が出したものか分からなかった。最初に納められた火薬も、帳簿上の使用量と現場の残量が一致していない。
事故当時の人夫たちは、覚えていない、よく分からないと曖昧な答えを繰り返した。下手なことを言えば、自分まで責任を問われると恐れているようだった。
すでに工事を離れていた一人だけが、父親たちは崩落前から斜面の亀裂を訴えていたと証言した。
ところが報告書には、父親が勝手に持ち場を離れ、事故に巻き込まれたと記されていた。
事実が隠された可能性は高かったが、誰が報告を書き換えさせたのかまでは分からない。南部鉄路は、安全管理の確認が終わるまで再開されないことになった。
エリオスは、八年前に自分を襲った男についても調べ直した。だが残っていたのは、捕らえられたあとにひどく取り乱し、数日後に牢で命を絶ったという記録だけだった。
何を訴えていたのかは記されておらず、当時の取り調べや牢での様子を知る者も、もう王宮には残っていなかった。
爆破事件で傷んだ研究棟は閉鎖され、ノアとリリアナは学院本館の資料庫へ移された古い記録を調べることになった。
若くして亡くなった王太子、灰色の髪を持つ者、王家に災いをもたらしたとされた者、呪いや祈祷に関する記述。
どれを調べても、不吉、災い、王家へ近づけてはならないという曖昧な言葉しか見つからない。爆破事件の男に重なって聞こえた、細い女の声につながるものもなかった。
レオニードからも、返事は届かなかった。
◇
窓の外では、朝から降り続いていた雪が、資料庫の細い窓を半分ほど白く覆っていた。
暖炉の火は遠く、机に向かっているうちに指先がかじかんでくる。リリアナが頁をめくるたび、乾いた紙がかすかな音を立てた。
「また同じところを読んでる」
向かいに座るノアに言われ、リリアナは手を止めた。
目の前には、王家に災いをもたらしたとされる者たちの記録が広げられている。先ほどから何度読み返しても、書かれているのは灰色の髪、不吉な兆し、王家から遠ざけるべき存在という言葉ばかりだった。
「何か、見落としている気がして」
「見落としじゃない。書かれていないんだ」
ノアは別の記録を閉じた。
「名前も、何をしたのかも残っていない。不吉だったという結果だけだ」
「でも、これだけ何度も灰色の髪が出てくるなら、何もなかったはずはありません」
「分かってる」
ノアの机にも、若くして亡くなった王太子たちの記録が積まれていた。
病死、事故死、急死。死因は記されていても、灰色の者が関わった形跡はない。
「レオニード様からは?」
「来ていない」
「そうですか」
手紙を預けてから、すでに何か月も経っていた。返事がないのは、届けられていないからなのか。それとも、読んだうえで答えるつもりがないのか。
何も分からない。
「今日はもう帰って」
「もう少しだけ」
「リリアナの少しは長い」
「そういうノアも残るのでしょう」
「俺はいいの」
「私も同じです」
ノアはしばらくリリアナを見ていたが、結局、次の記録へ手を伸ばした。
二人とも、帰るつもりなどなかった。
エリオスとサラの結婚まで、あと半年もない。
結婚すれば、王太子としての立場はさらに固まる。呪いがいつ、どのような形で襲うのかは分からない。
何も見つけられないまま、時間だけが過ぎていく。
リリアナはかじかんだ指を握り、もう一度、最初の行から読み直した。
それからも、学院が終わるたびに資料庫へ通った。
灰色の髪と王太子たちの死を結ぶものも、男に重なった女の声の正体も、見つからなかった。
レオニードからも返事がないまま、窓の外の雪は少しずつ減っていった。




