表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

101/114

第25話 想いを胸に(3)

エリオスが出ていくと、扉の閉まる音だけが応接室に残った。リリアナはしばらく、その扉を見つめていた。


「リリアナ」


 呼ばれて、はっと顔を上げる。向かいに残ったノアが、こちらを見ていた。


「……すみません」


 ノアは椅子へ座り直した。


「レオニードの件を話していい?」


「はい」


 リリアナも姿勢を正す。


「先に言うと、治療院へ記録を取りに来た人物は、レオニード本人じゃなかった」


「そう、ですか……」


 期待していた分、落胆が声に出てしまった。


「レオニードに頼まれて、記録を受け取りに来ただけらしい。でも、手がかりが途切れたわけじゃない。その人が、記録を届ける先を話してくれた」


 王都から少し離れた町にある古書店だったという。


「それで、そこへ行かれたのですね」


「ああ。でも、着いた時にはもういなかった」


 レオニードはその店に勤めているわけではなく、一年に二、三度、何の前触れもなく姿を見せるらしい。傷んだ古書や文書を修復し、珍しい本を持ち込むこともあれば、店に入った古い書物を買い取っていくこともある。


「店主の話では、各地を回りながら仕事をしているらしい。王家の災いと、灰色の髪を持つ者についても調べている」


 それを聞き、リリアナはわずかに身を乗り出した。


「次にいつ来るかは、分からないのですか」


「店主にも分からないらしい。数か月後かもしれないし、来年になるかもしれない」


 姿を見せたと知らせを受けてから向かっても、間に合わないかもしれない。


「だから、手紙を預けてきた」


「手紙を?」


「次にレオニードが来たら、その場で渡してもらう」


 手紙には、王太子の近くで起きる災いについて調べていることと、灰色の髪と色の薄い瞳を持つ者について、こちらも知っていると書いたという。


「君が前に、必要なら自分のことを伝えても構わないと言っていたから」


「はい」


「君の名は出していない。ただ、その人物が災いを止める鍵になり得るのか知りたいと書いた」


「ありがとうございます」


 ノアは少し言いにくそうに続けた。


「君の存在を使うようで悪いけど、そこまで書いた方が、向こうも無視できないと思った」


「構いません。そのために、お伝えしてよいと申し上げたのですから」


「レオニードが話をする気になったら、返事を同じ店へ預けてもらう。会う場所も、そこを指定した」


 王都からなら、一日で往復できる距離だという。


「レオニード様から返事があったら、その時は私も連れていってください」


 ノアがわずかに眉を動かした。


「君も行くつもりなの?」


「はい。お話を、直接聞きたいんです」


「俺は、君のことは伏せたまま、まず話を聞くつもりだった」


「ですが、レオニード様が灰色の髪を持つ者を探しているのなら、私が行った方が話は早いと思います」


 ノアはリリアナをじっと見つめた。


「君は……どうして、そこまで」


「え?」


 問い返すと、ノアは一度口を閉じた。


「いや。何でもない」


 そう言いながらも、視線はリリアナから離れなかった。


「君、爆発に巻き込まれて、本当に死ぬところだったんだぞ」


 声を抑えてはいたが、いつものような淡々とした響きではなかった。


「犯人と一緒に落ちかけたと聞いた。手まで怪我して」


「……はい」


 ノアの視線が、包帯の巻かれた左手へ落ちる。机越しにそっと手が伸びてきた。傷を確かめるように、リリアナの手へ触れようとする。


 けれど、指先が届く前に、ぴたりと止まった。


 包帯の隙間から、中指にはめられた銀色の指輪がわずかにのぞいている。ノアの視線が、そこに留まった。


 伸ばされた手は行き場を失ったまま、すぐには動かなかった。やがてノアは、リリアナに触れないまま、ゆっくりと手を引いた。


「もう、危ない目に遭わないで」


 リリアナは顔を上げた。


 ノアは心配そうにこちらを見ていた。何かを言いかけたように唇が動いたが、結局、言葉にはならなかった。


「ノア……」


「どうせ、ほかに方法がなかったと言うんだろうけど」


 言おうとしていた言葉を先に取られ、リリアナは口を閉じた。


「レオニードに会う時は、君も連れていく」


「本当ですか?」


「でも、今度は一人で危ないことをしないと約束して」


「……はい。約束します」


「本当に?」


「はい」


 ノアはしばらくリリアナを見つめていたが、指輪については何も尋ねなかった。


 短い沈黙のあと、リリアナが口を開いた。


「それから、爆発の直前のことで、気になることがあります」


「気になること?」


「エリオス殿下と私が、父親の件を調べると約束した時、一度は話を聞こうとしていたと思うんです」


 男は迷っていた。あのままなら、火をつけずに済んだかもしれない。


「ですが、その直後、急に様子が変わりました」


「どう変わった?」


「急に目の焦点が合わなくなったように見えました。それから、嘘だと繰り返して……私を忘れるとか、ほかの女を選ぶとか、お前だけ幸せになるなんて許さない、と」


 ノアの目が細くなる。


「父親の件とは関係がないな」


「私も、そう思います」


 リリアナは迷った末、続けた。


「それと、声が少し違って聞こえました」


「違った?」


「男の人の声に、女の人の声が重なっていたような気がしたんです」


 男の口から発せられていたはずなのに、彼自身が話しているようには聞こえなかった。


「聞き間違いかもしれません。あの場は混乱していましたから」


「それでも、無視はできない」


 ノアはすぐに言った。


「王太子の近くで繰り返される災い。灰色の者を探していたレオニード。それから、兄上に向けられた、犯人自身とは関係のない恨み言」


 これまで別々だったものが、少しずつつながり始めている。


「今日、帰ったら兄上へ話す」


「エリオス殿下に?」


「ああ。今回の爆破事件もある。正体が分からなくても、何も知らないままでいるよりは、警戒しておいた方がいい」


「それがいいと思います。ですが、灰色の者のことは、まだ話さないでください」


「君のことも?」


「はい。レオニード様から話を聞くまでは、何も分かりませんから」


 今の段階で伝えれば、エリオスに余計な心配をさせるだけだ。それに、自分が彼を守ろうとしていることまで知られたくなかった。


「分かった。兄上には、身の回りで起きていることが偶然ではないかもしれないとだけ伝える」


「お願いします」


 ノアは立ち上がった。


「レオニードから返事が来たら、すぐ知らせる」


「はい」


 扉へ向かいかけたノアが、足を止めた。


「リリアナ」


 呼んだきり、続く言葉はなかった。


 振り返った目が、もう一度リリアナの左手へ向かいかける。けれど、指輪を見る前に、すっと逸らされた。


「……約束、忘れないで」


「忘れません」


 ノアは何かを言いたそうにリリアナを見たあと、そのまま応接室を出ていった。


 一人になると、部屋は急に静かになった。


 リリアナは膝の上に置いた左手を見つめる。包帯の下では、傷がまだ少し疼いていた。けれど、今、胸から離れないのは痛みではなかった。


 月の光に似ている。長くても、今の長さでも、きれいだ。


 エリオスの口にした言葉を思い返す。


 かつて、その言葉に救われた。誰もが不吉だと言った灰色の髪を、エリオスだけが美しいと言ってくれた。


 この世界の彼は、その時のことを何も覚えていない。それなのに今日、また同じように髪をきれいだと言った。懐かしさと嬉しさに胸が詰まり、こらえる前に涙がこぼれてしまった。


 これからは、リリアナと呼んでもいいだろうか。


 そう尋ねられた時も、返事をするだけで精一杯だった。


 リリーではない。二人だけの思い出を持つ、あの呼び名ではない。それでも、爆発の一件を経て、エリオスが以前よりも自分を信頼してくれるようになった。その証しのように思えた。


 嬉しかった。


 けれど、その喜びを認めた途端、胸の奥がわずかに痛んだ。


 この世界では、彼のそばにいないと決めた。二度と同じ結末を迎えないために、恋も未来も手放すと決めたはずだった。


 それなのに、名前を呼びたいと言われただけで、こんなにも嬉しい。


 指輪について尋ねられた時も、このことだけは嘘をつきたくなかった。


 大切な人にもらった。もう会うことはできない。今も、ずっと大切な人だ。


 あの指輪をくれたエリオスは、もういない。


 目の前にいるのは同じエリオスでも、この世界の彼は、リリアナを愛したことも、この指輪を渡したことも覚えていない。


 それでも、エリオスの指には今も同じ指輪があった。理由を知らないまま、外さずにいてくれた。


 リリアナはそっと、自分の指輪に触れた。


 今の自分とエリオスをつないでいるものは、もう、この指輪だけのような気がした。


 レオニードへ続く道も、ようやく見つかった。返事が来るかは分からない。会えたとしても、望む答えが得られるとは限らない。


 それでも、自分にできることがあるのなら知りたかった。


 灰色の者が、王太子の災いを止める鍵になるのか。もし、その鍵が自分の中にあるのなら。


 今度こそ、エリオスを守りたい。


 彼が何も思い出さなくても。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ