第26話 王太子と灰色の女の伝承(2)
短い休暇が終わり、王立学院に新しい年度が始まった。リリアナは二年生になった。新入生が加わり、廊下を歩く顔ぶれも変わる。生徒会にも新しい役員が入り、昨年使っていた書類は棚の奥へ移されていった。
仕事そのものは大きく変わらない。けれど、生徒会室の扉が開くと、リリアナは今でも考えるより先に顔を上げてしまうことがある。入ってくるのは生徒会の役員か、書類を届けに来た教師だ。エリオスが来るはずはない。卒業したことも、今は王宮で公務に就いていることも分かっている。それでも扉が開けば、そこに彼の姿を探してしまう。昨年まで繰り返してきた癖だけが、まだ身体に残っていた。
新年度が始まってしばらくすると、リリアナは十七歳の誕生日を迎えた。同じ頃、夏に予定されていたエリオスとサラの婚礼が、南部鉄路の調査が終わるまで見合わせになったという知らせも、リリアナの耳に届いた。
婚礼がなくなったわけではない。夏という予定だけが外れたのだ。調査が終われば、いずれ再び話は進むのだろう。エリオスは王宮で、王太子としての日々を送っている。
生きていてくれる。
今は、それでよかった。
リリアナはノアとともに、呪いについての調査を続けていた。研究棟は、爆発から数か月が過ぎても閉鎖されたままだ。爆発は建物の外側で起きたため、保管されていた資料に大きな被害はない。ただ、建物の修復と安全確認には時間がかかっており、調査に必要なものだけが学院本館へ移されている。
本館の資料庫には閲覧用の机が並び、壁際には研究棟から運ばれた木箱がいくつも積まれていた。王家の正史や歴代の王太子について残された主要な記録、宮廷医師の記録には、すでに一通り目を通している。そこで今は、侍従や女官の覚書、礼拝堂や離宮の記録、地方の民話や言い伝えを書き集めた写本まで範囲を広げ、王太子の死や病と、灰色の髪や色の薄い瞳を持つ者についての記録、古い呪いにまつわる伝承を照らし合わせていた。
そうした特徴を持つ者についての記録は少なく、中でも灰色の髪にまつわる話は、不吉なものが圧倒的に多かった。災いを招く。そばにいる者を不幸にする。死に近い色だと忌む。
けれど、その中には、ごくわずかに反対の話も混じっていた。灰色の髪を持つ女が誰かを災いから守ったというものや、その女が現れたあと、病に伏していた者が回復したというものだ。
ただ、どれも年代すら定かではなく、王家との関わりまで確かめられるものはない。
「これも決め手にはならないようだ」
向かいに座るノアが、地方の伝承を集めた古い写本を閉じる。
「三か月ほど原因の分からない熱を繰り返していた王子が、ある日を境に回復したって話だ」
「灰色の髪の者が出てくるのですか」
「ああ。王子が回復する少し前に、灰色の髪の女が離宮を訪れたとある」
「その女性が何をしたのかは?」
「何も。王子の名前も、いつの時代の話なのかも書かれてない」
「これでは分かりませんね」
「そうだな。次を見るか」
ノアは記録簿を、調べ終えた資料の上へ重ねた。
春からの調査は、手がかりらしいものを見つけても、肝心なところで記録が途切れることの繰り返しだった。ノアが資料庫へ来るたび、リリアナが最初に尋ねることは決まっている。
「エリオス殿下は、お変わりありませんか」
「うん。変わりないよ」
春から夏まで、その答えは変わらなかった。南部鉄路の問題で公務が夜まで続く日も増えているらしいが、体調を崩した様子はないという。前の世界の記憶をたどっても、この時期にエリオスが大きな事故や病に見舞われた覚えはなかった。
それでも、二十歳までの時間は確実に減っていく。
そうして春が過ぎ、夏も終わりに近づいた。朝夕の風に秋の気配が混じり始めた頃、その日のノアは本も記録簿も持っていなかった。手にしているのは、一通の封書だけだ。
「返事が来た」
リリアナは顔を上げる。
「……レオニード様からですか」
「そう。去年の冬に預けた手紙への返事だ」
レオニードが古書店へ姿を見せるのは年に数度しかないと聞いていた。それでも春を越え、夏も終わろうという頃まで便りがなければ、もう届かないのではないかと思ったこともある。
「今朝、連絡先にしていた文官のところへ、古書店の主人から使いが来て、この封書を預けていった」
「読んで」
差し出された封書を受け取り、中から折り畳まれた紙を取り出す。書かれていたのは、わずか数行だった。
『以前いただいたお問い合わせについて、お話しできることがあります。
灰色の髪と色の薄い瞳を持つ方が、今も王太子に関わる記録を調べておられるのであれば、ぜひご一緒にお越しください。
三日後、夕刻前。
王都西門の外、古橋通りの古書店にてお待ちしております。
レオニード・ヴェルナー』
リリアナは二行目をもう一度目で追った。
「私のことを、どこまで知っているのでしょう」
「名前は知らない。俺の名前も身分も書いてない。君について伝えたのは、同じ特徴を持つ人がいるということだけだ」
「私が女性だということも?」
「書いてない」
だから返事にも、リリアナが何者なのかを知っている様子はない。ただ、その特徴を持つ人物にも会いたいと書かれている。
「エリオス殿下には……」
「まだ話さない」
「……よろしいのですか」
「まだ何を知ってるのかも分からない。会って、話を聞いてからでいい」
そこでノアは、リリアナへ目を向けた。
「それに、兄上からは君をこの調査から外してほしいと頼まれてる。君も直接、手を引いてほしいって言われたんだろ?」
「はい」
「でも、それで君がやめるとは思わなかった」
リリアナには返す言葉がなかった。
「俺までやめろと言えば、君は一人で続ける。それなら、俺が一緒にいた方がいい」
思いがけない言葉に、リリアナはノアを見た。
「護衛は連れていく。店の外で待たせるつもりだ」
「はい」
「俺の身分も最初は伏せておく。必要になったら、その場で明かす」
三日後、リリアナとノアはレオニード・ヴェルナーに会うことになった。




