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第2話 白い装束の神殿(6)

夜は、ひっそりとやって来た。


屋敷の中から、

人の気配が、ひとつずつ消えていく。

扉の音も、

足音も、

言葉もない。


残るのは、

冷えた空気だけだった。


リリーは、

部屋の隅に座っていた。

椅子ではなく、床に。

背を壁に預け、

膝を抱えて。


名を授かった日だというのに、

胸の中は、

昼間よりも静かだった。


何かが終わった、という感覚だけが、

遅れて、沈んでくる。


——ここが、

帰る場所なのだと。


それを、

もう一度、教えられただけ。


部屋には、

相変わらず何もない。

花も、

祝いの品も、

新しいものも。


あるのは、

いつもと同じ光景と、

いつもと同じ静けさだった。


リリーは、

視線を下げる。


指先に触れる、

擦り切れた背表紙。


この家で、

「自分のもの」と呼べるものは、

それだけだった。


——この本をもらった日のことを、

ふと思い出す。


まだ字を覚えたばかりの頃。

部屋に置かれていたその本を、

メイドが指さして言った。


「……この絵の人、

 お嬢様に、少し似てますね」


それだけだった。

褒めるでもなく、

慰めるでもなく。


ただ、

確認するような声だった。


リリーは、

その挿絵を見て、

自分の髪と目を思い出した。


光を失った、

灰色の髪。

灯りの下では、

ただ重たく、

生気のない色に見えるそれ。


色の抜けた、 何も映さない灰色の瞳。


——見ないほうがいいもの。


そう扱われてきた色。


その日から、

この本は、

逃げ場所になった。


同時に、

答えでもあり、

呪いみたいなものにもなった。


リリーは、

ゆっくりと本を開く。


灯りは、

小さな蝋燭一本だけ。


紙の音が、

静かな部屋に落ちる。


――むかしむかし、

 ひとりの王と、

 ひとりの聖女がいました。


何度も、何度も、なぞった物語。

結末も、分かっている。


それでも、

目は、挿絵を追ってしまう。


金の髪の王。

柔らかな光に包まれた聖女。

同じ指に描かれた、

同じ形の指輪。


それから。


少し離れた場所に描かれた、

ひとりの女。


自分とよく似た色の髪。

自分とよく似た色の瞳。


恐ろしい顔をした、

魔女。


リリーは、

そこでページを止めた。


胸の奥で、

何かが、

静かに落ちる。


思い出した、というより、

ずっと知っていたことを、

確かめ直しただけだった。


自分は、

王の隣に立つ物語じゃない。


光の中に入る役でもない。


だから——


近づいてはいけない。


それだけが、

ゆっくりと、

胸の底に沈んでいく。


リリーは、

本を閉じた。


ぱた、と。

紙の重なる音が、

やけに大きく響く。


蝋燭の火が、

小さく揺れた。


それでも。


——生きていた。


今日、

あの場所で、

確かに見た。


生きている。


それだけで、

胸の奥が、

きつくなる。


嬉しかった。

だからこそ、 胸の奥に、そっとしまった。


ただ、

守らなければならないと、

思ってしまった。


リリーは、

本を胸に抱いたまま、

しばらく動かなかった。


夜は、

何も答えなかった。


ただ、

静かに続いていた。

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