おもいだせないもの。
待っていてくださった方がいらっしゃるならば暫く間が空いてすみません。
さてさてここいらで折り返し。
ここからは少し駆け足で参りましょう。
ふわふわと、ふらふらと。
柔らかくてぬるまで温かくて優しい、けれど何処か突き放すような寂しさを伴った暗闇の中でセロの意識は漂っていた。
どこに行く当てがあるわけでもないけれど、ゆらゆらと水面を目指すかのようにたゆう。
ひとりぼっちで、取り残されたようにふわり、ふわり。
手を伸ばそうにも伸ばす手すらない。
ふと、セロは少し前までの出来事を思い出していた。
目の前でもう一度繰り返された景色を。
伸ばしても届かなかった手を。
ちょっとだけ、言葉を交わした自分によく似たシエロの言葉を。
そして、自分の本当の名前を。
セロでもマルグリットでもない大切な大切なもの。
一番好きだったはずの人にさえ教えなかったもの。
どれだけ時間が経とうとも忘れられない程に刻みつけられたもの。
セロがセロであるための願い。
「ーーーーー」
小さく、言葉を紡ごうとしてけれどその言葉が零れることはなく。小さな泡となってこぽりと昇る。
セロはぼんやりとそれを見ていた。
なんだかそれだけは妙にくっきりと見えて。
伸ばす手なんて無い筈なのに手を伸ばそうとしてみる。
ーーー届かないなぁ
けれど確かに手は其処ににあって。
何かに追いすがるように手をゆるく握りしめたその瞬間。
セロに重たく纏わり付いていた暗い水はその色を澄んだものに変えて軽やかに光を踊らせた。
そして急に開けた視界のその向こう。
誰かの、人影。
「まって!」
セロが思わず叫んで、そしてそれに応えるようにゆっくりと振り返ろうとする人影。
そして、それが振り返って、顔が見えるその時。
ぱんっ、と何かが弾けるような音がしてあまりにも呆気なくセロの意識は飛ばされた。
はっとして、目が覚める。目の前には端から淡く橙に染まり始めたような空。
セロは緩慢な動作で起き上がる。
胸に空いていた穴はもう無い。
また死ねなかった、と、少し寂しく、けれど何処か嬉しく思う。
そして、ふと手がいつもの自分の平熱より熱いことに気づく。まるで、誰かが握っていたかのよう。
『あ、嬢さん。気付いたんですか。具合は?大丈夫ですか?』
少し、目を横に向けるとそこには見慣れた自分の傘が転がっていた。
「たぶん、へいき。……ねぇ、おねぇちゃんは?」
セロは傘を掴むとぐい、と引き寄せる。
『あー、そのことなんですけどね。これから、俺らの行く先についてヒントくれましたよ?』
「ひんと?」
『そうです。この先の森。そこに嬢さんの探してる奴はいる?らしいです』
「え?」
ヴィオラは少しだけ、嘘を吐いた。
本当は生きてないし。
そこにいるだなんて一言も言っていなかったし。
けれど、あながち嘘でもない。
『ま、そういうわけです。それじゃ、行きましょうか』
ヴィオラはそう言った。
セロは傘をじぃ、とみつめる。
「おまえ、なにかいそいでる?」
『……いいえ。そんなんじゃありませんよ』
一瞬、ヴィオラは自分が傘であったことを感謝した。きっと人のままだったら顔に出ていた。
少し、寂しさも覚えるけれど。
「そう。ならいいの。ねぇヴィオラきいてほしいはなしがあるんだ」
セロはちょっと俯いて言った。
「あのね、おもいだせないの」
ヴィオラは、なにが?とは聞かない。セロがこういう時は後からきちんと説明することを知っているから。
セロは躊躇うようにヴィオラから視線をそらした。
そして、もう一度目を向けると、
「ヴェルのね、かおが、おもいだせないの」
そう言った。




