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第十二話:もふもふたちの楽園と豊かな食卓 ~伝説の魔獣、猫じゃらしと羽虫の前に理性を失う~

 外から聞こえてくる賑やかな鳴き声で、私はゆっくりと目を覚ました。

 まぶたの裏に朝の光を感じて体を起こすと、隣にいたはずのハクの姿はない。足元で丸くなっていたクロも、すでに起きてどこかへ行ったようだ。

 私は冷たい床に足をつき、素早く着替えを済ませた。

 顔を水で洗い、髪を後ろで一つにまとめる。

 鳴き声は、裏庭の方から聞こえてくる。


 急いで一階に降り、裏口の重い木の扉を開けると、そこにはたくさんの山猫たちが集まっていた。

 一番大きな茶色い縞模様の山猫が、前足で何かを器用に押さえ込んでいる。


『人間の姉ちゃん、おはようさん! 頼まれていたやつを捕まえてきたぞ!』

「みんな、おはよう。それは……」


 山猫の足元にいたのは、茶色や黒の羽に覆われた丸々とした鳥だった。

 森に住む野生の鶏だ。

 全部で五羽ほどの鶏が、山猫たちに囲まれて「コッコッ」と小さな声を上げている。


「怪我はないかしら?」

『ああ、大丈夫だ! 俺たち、牙や爪を立てないようにすごく気をつけたんだぞ』

「本当にありがとう、みんな。この子たちがこれから、私たちに美味しい卵を分けてくれるのよ」


 私はガラスと土でできた立派な鶏舎の扉を開け、山猫たちに鶏を中に入れてもらった。

 小屋の中に放たれた鶏たちは、最初は戸惑ったように首をかしげていたけれど、すぐに広々とした運動場を歩き回り、地面をつついたりし始めた。

 太陽の光がたっぷりと入る明るい環境が気に入ったようだ。


「これで新鮮な卵が手に入るようになるわね。みんな、お疲れ様。これはお礼よ」


 私は倉庫から干し肉や燻製を持ってきて、山猫たちに振る舞った。

 彼らは嬉しそうにしっぽを振って、美味しそうに食べている。

 その様子を、少し離れた場所からクロが満足そうに見守っていた。


『これで、離宮での食料確保の計画がさらに前進しましたね。カトリーナ様』

「ええ、クロのおかげよ。この立派な鶏舎があるから、鶏たちも安心して暮らせるわ」


 私たちは鶏舎の扉をしっかりと閉め、彼らが落ち着けるように静かにその場を離れた。



 それから、さらに数週間の時間が過ぎた。

 北の風は日に日に冷たさを増し、外の景色はすっかり冬の装いへと変わりつつある。

 朝晩の冷え込みは厳しく、庭の木々は葉を落として寒さに耐えているようだ。


 しかし、裏庭にそびえ立つガラスの温室の中は、まるで別世界のように暖かかった。

 外の冷気を完全に遮断し、太陽の光だけを取り込むその空間は、ぽかぽかとした春のような空気に満ちている。


「すごいわ……。こんなに大きくなるなんて」


 私は温室の畝の間に立ち、青々と育った野菜たちを見渡して感嘆の声を上げた。

 大根や人参の葉が元気よく伸び、キャベツは丸く結球し始めている。

 そして、野菜の隣の畝には、王都からは持ってきていなかった様々な植物が育っていた。


「クロ、このハーブたち、すごく良い香りがするわね」

『はい。お肉の臭みを消したり、料理の風味を引き立てたりするのに役立つはずです。他にも、冬を越すための栄養価の高い根菜類も植えてあります』


 クロが緑色の瞳を細めて説明してくれた。

 これらの珍しい植物は、クロが山猫たちと交渉して手に入れてくれたものだ。

 彼は森に詳しい山猫たちに、『美味しい干し肉や魚を差し上げる代わりに、森の奥に生えている香りの良い草や、食べられる木の根を探してきていただけませんか』と提案したのだという。

 山猫たちは喜んで森を駆け回り、私たちのためにたくさんの植物の苗や種を集めてきてくれた。

 真面目で有能な執事のクロがいなければ、こんなに豊かな種類の作物を育てることはできなかっただろう。


「さあ、今日もたっぷりとお水をあげるわよ」


 私は畝の前に立ち、両手を前に出した。


「『ウォータ』」


 空中の何もない場所から、極めて細かな水の霧が生み出された。

 それは柔らかな雨のように、温室の隅々まで均等に降り注いでいく。

 葉っぱの表面についた水滴が、太陽の光を反射してキラキラと輝く。

 乾いていた土が水分をたっぷりと吸い込み、黒々とした豊かな色へと変わっていく。

 温室の中は乾燥しやすいから、こうしてこまめに水をまいて湿度を保つことが大切なのだ。


『では、私は空気を循環させましょう。風よ、巡れ』


 クロが前足を振るうと、温室の中に心地よいそよ風が吹いた。

 よどんでいた空気が動き出し、植物たちが嬉しそうに葉を揺らす。

 私とクロの魔法の組み合わせは、植物を育てるのにこれ以上ないほど適していた。

 毎日の水やりと温度管理。

 手が泥で汚れ、汗をかく農作業。

 王都の屋敷にいた頃には想像もできなかった泥臭い作業だけれど、今の私にとっては、これが一番楽しい日課になっていた。

 自分の手で命を育て、その成長を間近で見守ることができる。

 こんなに満たされた気持ちになったのは、生まれて初めてのことだ。



「ふむ。今日の視察にやってきてやったぞ」


 私とクロが作業をしていると、温室の入り口から威厳たっぷりの声が聞こえてきた。

 真っ白な毛玉のようなハクが、しっぽをピンと立てて入ってくる。


「おはよう、ハク。今日も視察をご苦労様」

『うむ。我の食卓を支える野菜たちが、怠けずに育っているか監視してやらねばならんからな』


 ハクはもっともらしい理由をつけているけれど、彼の本当のお目当てが何なのか、私には痛いほどわかっていた。

 彼は畝の間をゆっくりと歩き、温室の中で一番日当たりが良く、土がふかふかになっている場所を見つけ出した。


『よし、ここから監視を続けるとしよう』


 ハクはそこでくるりと回り、ごろんと横になった。

 そして、太陽の光を全身に浴びて、ゴロゴロと喉を鳴らし始める。

 金色の瞳はすでにとろんとしていて、監視どころか夢の世界へ旅立とうとしていた。

 寒がりな猫にとって、魔法で暖かく保たれ、日当たりも抜群のこの温室は、まさに極上の楽園なのだ。


「ふふ、気持ちよさそうね」


 私が微笑ましく見ていると、どこから入り込んだのか、小さな白い羽虫がハクの鼻先をフワフワと飛んでいった。

 その瞬間、とろんとしていたハクの瞳が、カッと野生の輝きを取り戻した。

 彼は身を低くして土の上に伏せ、視線を羽虫にぴたりと固定する。

 そして、後ろ足に力を込め、お尻を小さく左右に振ってタイミングを計り始めた。

 猫の本能が刺激されている。


『にゃっ!』


 ハクは短い声とともに、勢いよく空中に飛び上がった。

 両方の前足を使って、羽虫をパチンと挟み込もうとする。

 しかし、羽虫はひらりと身をかわし、ハクの手をすり抜けて温室の奥へと飛んでいってしまった。

 空振りしたハクは、ドスッと土の上に着地した。


「あ……」


 私が思わず声を漏らすと、ハクはハッと我に返ったように周囲を見回した。

 そして、何事もなかったかのように、毛づくろいを始める。


『……コホン。我は今、大切な野菜を狙う外敵を素早く排除しようとしたのだ。決して虫と遊んでいたわけではないぞ』

「ええ、わかっているわ。さすがは偉大な王様ね。野菜を守ってくれてありがとう」

『う、うむ! 当然だ!』


 ハクは少しだけバツが悪そうに鼻を鳴らし、再び日向の定位置に戻ってごろんと寝転がった。

 彼なりに、私の農作業の邪魔にならないように気を使いつつ、温室の端っこでゴロゴロと過ごしている。

 偉大な伝説の存在でありながら、こんなにも愛らしくて素直な一面を持っている。

 そのギャップがたまらなく可愛くて、私は彼の柔らかな頭をそっとさすった。

 太陽の光をたっぷり吸い込んだ白い毛並みは、とてもいい匂いがした。



 夕方になり、太陽が少しずつ傾き始めた頃。

 私は水やりの道具を片付け、庭の片隅にある鶏舎へと向かった。

 鶏たちの一日の様子を見るためだ。


 ガラスの扉を開けて中に入ると、鶏たちが「コッコッ」と寄ってくる。

 私は彼らのために、料理を作る際に出た野菜の切れ端などを餌箱に入れた。


「たくさん食べてね。明日も元気に過ごしてちょうだい」


 鶏たちが夢中で餌をついばんでいる間に、私は小屋の奥にある、柔らかい藁を敷き詰めた産卵箱の中を覗き込んだ。

 そこには、白くて丸いものがいくつか転がっていた。


「卵だわ!」


 私は思わず嬉しそうな声を上げた。

 そっと両手で拾い上げると、ずっしりとした重みと、かすかな温もりが手のひらに伝わってくる。

 命の温かさだ。

 一つ、二つ、三つ……全部で四つの卵を収穫することができた。

 王都にいた頃は、卵というものはお皿の上に綺麗に調理されて出てくるものだとしか思っていなかった。

 こうして自分の手で鶏の世話をして、温かい卵を直接受け取る日が来るなんて、想像もしていなかった。


「これで、今日の夕食は特別なご馳走を作れるわね」


 私は大事に卵をカゴに入れ、足取りも軽く屋敷の厨房へと戻った。



 かまどに薪をくべ、火打ち石で火を起こす。

 パチパチと木が燃える心地よい音が、厨房に響き渡った。

 今日の夕食は、温室で採れたばかりの新鮮な野菜と、鶏たちが産んでくれた初めての卵を使った料理だ。


 私は大きめのボウルに卵を四つ割り入れた。

 黄身は濃いオレンジ色で、とても新鮮な証拠だ。

 そこへ、クロが見つけてきてくれた香りの良いハーブを細かく刻んでたっぷりと混ぜ合わせる。

 フライパンを火にかけ、王都から持ってきた貴重なバターを少しだけ溶かす。

 ジュワッという音とともに、バターの甘い香りが広がった。

 そこへ卵液を一気に流し込む。

 木のヘラを使って素早くかき混ぜ、ふんわりとした形に整えていく。

 ハーブの爽やかな香りと、卵の焼ける香ばしい匂いが混ざり合い、それだけでお腹が鳴りそうになる。


 隣の鍋では、大根や人参を細かく切って煮込んだ、野菜たっぷりの温かいスープがグツグツと音を立てていた。

 味付けは塩と、少しの香辛料だけ。野菜本来の甘みを引き出すためのシンプルな調理法だ。


「よし、できたわ」


 私は出来上がったハーブ入りのオムレツを大きなお皿に乗せ、野菜スープと一緒に食堂のテーブルに運んだ。

 食堂には、すでにハクとクロが行儀よく座って待っていた。


「お待たせ。今日は、私たちが育てた野菜と、初めての卵を使ったお料理よ」

『おお! これが卵か! すさまじく良い匂いがするぞ!』


 ハクはテーブルに飛び乗り、さっそくオムレツに顔を近づけた。

 そして、大きな口を開けて黄色い塊に噛み付く。


『むぐ……う、美味い! これは美味いぞ!』


 ハクの金色の瞳がキラリと輝いた。


『口の中でとろけるような柔らかさだ! それに、この草の香りが卵の味をさらに引き立てている! 肉が入っていないというのに、こんなに満足できる食べ物があるとは驚きだ!』

「喜んでもらえてよかったわ。あのハーブがとても良い仕事をしてくれているのよ」

『ハク様に喜んでいただけて、執事としてこれ以上の喜びはありません』


 クロも自分の取り皿に分けられたオムレツを、とても上品に食べている。

 彼は食べる姿も美しい。


「私もいただこうっと。……ん、本当に美味しい!」


 私は自分が作ったオムレツを一口食べて、自然と笑顔になった。

 ふんわりとした食感の中に、ハーブの香りがフワッと抜けていく。

 野菜スープも、大根や人参がとても甘くて、体が芯から温まる優しい味だ。


「自分たちの手で育てたものを食べるって、本当に素晴らしいことね」

『うむ。我の領地で採れたものは、すべて最高なものしかないはずだからな!』

『ええ。これなら、厳しい冬が来ても食料に困ることはありませんね』


 温かいスープを飲みながら、私はクロの言葉に深くうなずいた。

 外では、ピューピューと冷たい北風が吹く音が聞こえている。

 けれど、この屋敷の中には、美味しい食事と、私を信じてくれる大切な仲間たちがいる。

 王都での冷たくて息苦しい日々を思い出すと、今のこの生活が信じられないほど幸せに思えた。

 アレクセイ様やマリアの顔色を伺い、愛されるために無理をして取り繕っていたあの頃の私は、もうどこにもいない。

 私は私の力で、この辺境の地に豊かで温かい居場所を作り上げたのだ。

 冬が近づいてきているけれど、私たちには立派な温室と鶏舎、そしてたくさんの食料がある。

 もう何も怖いものはない。


 食事を終え、綺麗なお湯でお風呂に入った後、私たちは二階の寝室へと向かった。

 広いベッドに入り、分厚い毛布を首まで引き上げる。

 私の左腕のすぐそばには、お腹いっぱいになって満足したハクが丸くなり、すでにゴロゴロと気持ちよさそうな音を立てている。

 足元には、クロが私の足先を包み込むように座ってくれている。

 二匹の体から伝わってくる温かさが心地よくて、私はそっと目を閉じた。


「おやすみなさい、ハク、クロ」


 私が小声で言うと、二匹の耳がぴくりと動いた。

 北の離宮での、豊かで満たされた夜。

 これからの厳しい冬への不安は微塵もなく、確かな安心と幸せを噛み締めながら、私は深く、穏やかな眠りへと落ちていった。


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