↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄昏の残響 ― 記憶を読む司書と、忘れていく男 ―  作者: ハルカ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/20

第11話 終点のないロープウェイ

北海道から戻った翌週の月曜日。

大学図書館のカウンターに座った澪は、開館前の静かな館内を眺めていた。


窓の外には、いつもの街がある。

通勤する人、自転車で走る学生、信号が変わるのを待つ車。


白銀のホテルで見た吹雪も、夜の廊下も、夢のように遠い。

けれど、机の引き出しにしまった真鍮の鍵だけは、あの夜が現実だったことを教えていた。


鍵には、ひとつ目の紋章――「居場所」が戻っている。


そして、もう一つ。

あのホテルで黎が見せた、ほんの一瞬の表情。


「お前がいると、昔のことを思い出せそうな気がする」


あの言葉が、ずっと残っていた。


昼休み、澪は祖父の資料を開いた。

北海道のページの次に、手書きの索引がある。


《東北・山岳観光施設》


その下に、赤鉛筆で一行。


《最終便に注意》


「最終便……」


小さく呟いたとき、スマートフォンが震えた。

黎からだった。


《今日、仕事が終わったら、いつもの喫茶店で少し時間をもらえるか》


珍しい誘い方だった。


《大丈夫》


返信すると、すぐに既読がついた。


夕方、大学の駐車場から車を走らせて、だんだん打ち合わせ会場として定番になりつつある近くの喫茶店前に黎は立っていた。


「待たせた?」


「今来たところだ」


「……嘘」


「何がだ」


「絶対、もっと前からいたでしょう」


黎は答えず、澪の手にある紙袋へ視線を落とした。


「資料か」


「うん。祖父の記録に、東北の山岳ロープウェイについて書かれてた」


黎の目が細くなる。


「見せてくれ」


二人は店内へ入った。

資料をテーブルに広げると、黎は古い地図の一点を指した。


「ここだ」


「知ってるの?」


「……昔、行ったことがある」


その言葉に、澪は顔を上げた。


「いつ?」


「覚えていない」


即答だった。

けれど、その声にはいつもの平静さがなかった。


澪はそれ以上聞かなかった。


地図に記された施設は、かつて山間の観光地として開発されたロープウェイだった。

バブル期には団体客を乗せて山頂へ運び、展望台やホテルと一体になったリゾートを形成していたらしい。


しかし観光客の減少と設備の老朽化によって閉鎖。

現在は駅舎だけが残っている。


「これ、閉鎖されたのに、時刻表が残ってる」


澪が古い資料を指差す。


最終便。

二十一時四十分。


「祖父は、この時間に何かを見たのかもしれない」


黎は紙面を見つめた。


「行くか」


澪は少しだけ迷った。

北海道から帰ってきたばかりだ。仕事もある。けれど、今度の土日は連休だった。


「……行きたい」


黎が頷く。


「なら、無理のない日程にしよう。土曜の朝に出て、一泊。日曜の夕方には戻る」


「ちゃんと仕事のことまで考えてくれるんだね」


「お前が倒れたら困る」


「それ、心配してる?」


「している」


あまりにも自然に言われて、澪は返事に困った。


その夜、自宅で荷物をまとめていると、真鍮の鍵が小さく震えた。

澪は手を止めた。


机の上には、祖父の資料のコピー、ロープウェイの旧時刻表、現地までの交通案内が並んでいる

仕事を休んで長く滞在するわけにはいかない。

今回も土曜日の朝に出て、日曜日の夕方には戻る予定だ。

月曜日には、いつもどおり図書館のカウンターに座る。


「怪異を追うために旅をする」と決めたからといって、日常まで捨てるつもりはなかった。

むしろ、日常があるからこそ、戻ってこられる場所があるのだと思う。


そう考えたとき、鍵の震えが止まった。


「……帰る場所、か」


まだ二つ目の紋章を知らない澪には、その言葉が妙に引っかかった。


土曜日。


二人は朝早くの列車に乗った。

乗り換えの駅で買ったコーヒーを澪が両手で包んでいると、黎が隣から小さな紙袋を差し出した。


「朝食」


「さっきパン食べてたじゃん」


「あれは俺の分だ」


「じゃあ、この袋は?」


「お前の分」


開けてみると、サンドイッチと小さな焼き菓子が入っていた。


「……いつの間に買ったの?」


「乗り換えの間だ」


「私、全然気づかなかった」


「調査に集中していたからな」


澪は焼き菓子を一つ口に入れた。

甘さが広がる。


「おいしい」


「そうか」


黎はそれだけ言ったが、横顔が少しだけ満足そうに見えた。


車窓の景色は、都市から郊外へ、やがて山間へ変わっていった。


澪は祖父の資料をもう一度開く。

最後のページに、別の走り書きがあった。


《道は、人を目的地へ運ぶ。だが、目的地を失った人間は、道そのものに残る》


その下には、日付も署名もない。


「これ……今回のことを知ってたのかな」


「かもしれない」


黎が答える。


「ただし、祖父が何を見たのかまでは、まだ分からない」


「うん」


澪は紙を閉じた。


分からないことは多い。

けれど、だからこそ、自分の目で確かめたいと思うようになっていた。


それは、ホテルへ行く前の自分とは少し違うところだった。


二人は目的地の近くにある、山あいの駅からバスに乗り換えた。

窓の外には、まだ雪が残っている。

終点に近づくにつれて人家が減り、杉林が増えていく。


鍵の先端が、東北の方角を示すように傾いている。

そして、わずかに光った。


「静かだね」


「観光地だった頃は、もっと人がいたはずだ」


黎の言葉に、澪は古い写真を思い出した。


笑顔の家族。

スキー板を抱えた若者。

土産物を手にした団体客。


誰もいなくなった場所には、それだけの時間が残っている。


やがて、古びたロープウェイ駅が見えた。


運行休止から十年以上。

なのに、駅舎の時計だけは動いていた。


二十一時三十五分。最終便まであと五分。


「……時計、時間は狂ってるけど動いてる」


黎が周囲を見る。


「まだ乗るな」


「え?」


「残響の気配が濃い」


その瞬間。

駅舎の奥から、古い機械が動き出す音がした。


ガタン。


ガタン。


止まっていたはずのゴンドラが、山の向こうからゆっくり戻ってくる。


そして、扉が開いた。

中には誰もいない。

ただ、座席に一枚の切符が置かれている。


澪が近づく。


切符には、こう印字されていた。


《終点 山頂駅》


その下に、手書きの文字。


《帰りの切符は、いりません》


「澪」


黎の声が低くなる。


「これは、誘っている」


「……誰を?」


ゴンドラの奥から、かすかな声がした。


「まだ、待っています」


女の声だった。


澪は思わず一歩踏み出した。


その瞬間、真鍮の鍵が熱を持った。

そして、遠くの山頂で、何かが一度だけ光った。


まるで、誰かがこちらを待っているように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。