09 熊男登場
「きゃっ……!」
リリアンナの小さな肩が、びくりと跳ねた。
「閣下ァ! 魔物討伐部隊、ただいま戻りましたああ!」
食堂の空気を震わせる大声とともに、ひとりの大男が踏み込んでくる。戸口をくぐるとき、彼はひょいと首をすくめた。そうしなければ、頭が扉の上枠にぶつかってしまうのだ。
ガレスも大きいが、食堂に入ってきた男はそれよりさらにひと回り大きい。まるで森の熊が、そのまま屋敷へ迷い込んできたかのようだ。
ふわふわと好き勝手に跳ねた金色の髪に、澄んだ青い瞳。歳はガレスと同じくらいだろうか。
その視線が、まずガレスをとらえた。それから横へ流れて——リリアンナのところで、ぴたりと止まる。
ぱちり、と一度まばたきをして。
「美人だ——————!?」
グラスがびりびり震えるほどの叫び声。リリアンナは目を丸くしたまま、思わず両手で耳をふさいだ。
「バルド。声を落としてください。……驚かれています」
ガレスが眉を寄せて窘める。だが、熊男——バルドは止まらなかった。
「え!? 閣下、こちらが例の仮婚約者様ですか!? 天使!? それとも女神!? 本当に実在してます?」
「……声量を、落とせと、言っています」
「いや、だって!」
(とても元気な方ね……)
嵐のような勢いに、リリアンナはぽかんとしたままバルドを見上げた。その先で、澄んだ青い瞳と視線がぶつかる。
するとバルドは、にかっと歯を見せて笑った。丸太のような両腕を身体の脇にぴったりとつけ、勢いよく頭を下げる。
「失礼しましたッ! 俺、ヴァルグレイブ領の討伐部隊で隊長を務めております、バルドって言います!」
挨拶の声まで、やはり大きい。
リリアンナは座ったまま背筋を伸ばし、膝の上で両手を揃える。
「リリアンナ・ルベルハルトと申します。よろしくお願いします、バルド様」
「うわっ、声も可愛い!」
「……バルド」
「すんません、閣下ァ!」
バルドは頭を抱えて謝りながら、はっと何かを思い出したように顔を上げた。
「あ、そうだ閣下。報告を忘れるところでした! 東の森にでた魔物、全部やっつけてきました!」
「……ご苦労でした。怪我人は」
「ゼロです!」
「あら。王都でも魔物の討伐をなさっているのですか」
リリアンナが小首を傾げる。バルドは待ってましたとばかりに胸を張った。
「王家から要請があったんです! なんせ、うちは魔物退治の専門家みてえなもんなんで」
「まあ……。頼もしいのですね」
リリアンナが感心したように目を細めると、バルドの顔がぱあっと輝いた。
「褒められた! 閣下、俺いま褒められましたよ!」
「…………バルド」
「すみません、閣下ァ!」
ガレスとバルドのやりとりに、食堂のあちこちに控えていた使用人たちから笑い声がこぼれる。
そこへ、バンッと勢いよく食堂の扉が開いた。
入ってきたのは、つい先ほど食堂の前で別れたばかりのレオンだった。眉を吊り上げ、こめかみに青筋を浮かべていた。
「バルドッ!」
レオンはつかつかとバルドに歩み寄ると、その耳をむんずとつかんだ。それから一転して、ガレスとリリアンナへ丁寧に頭を下げる。
「このマヌケはすぐに回収いたします。お食事中に、大変失礼いたしました」
「いだだだだっ! レオン、耳! 耳がちぎれるって!」
「まったく、お前という奴は……! 今夜は食堂に立ち入るなと言っておいただろう!」
叱りつけながら、レオンは自分よりはるかに大柄なバルドを、食堂の外へ引きずっていく。
「閣下ァ〜〜……!」
情けない声だけを残して、扉がばたんと閉まった。
嵐が去った食堂に沈黙が落ちる。
ガレスは咳払いをひとつすると、リリアンナのほうへ向き直った。
「……騒がしくして、申し訳ありません。悪い奴ではないのですが」
「いいえ。とても楽しい方ですね」
リリアンナは口元に手を添えて、くすりと笑った。
その後の食事は、乱入者も現れず平和に進んだ。
皿がすべて下げられると、ガレスが席を立つ。
「部屋まで、お送りします」
夜の廊下に二人分の足音が響く。ガレスの歩調は、やはりぎこちなかった。
「今日は辺境伯様とたくさんお話ができて、本当によかったです。お料理もとても美味しくいただきました」
「……俺も、です。その……話せてよかった。料理のことは、料理長に伝えておきます。……きっと、喜びます」
ぽつりぽつりと言葉を交わすうちに、気づけば客間の前まで来ていた。
「今日は一日、気を張っていたでしょう。早めに休んでください。あとで侍女を向かわせます」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきます」
客間の扉の前で、リリアンナは振り返って膝を折った。
「おやすみなさいませ、辺境伯様」
「……おやすみなさい」
扉が閉まると、ガレスは踵を返して廊下を歩きだした。その足取りは、どこか軽い。
「旦那様」
廊下の向こうからハンスが歩いてきた。主人の顔を見るなり、皺の刻まれた目元をやわらかく細める。
「リリアンナ様は、お休みになられましたか」
「はい。……今、お送りしたところです」
「さようでございますか。いや、まことにお優しいお方でございますな。あのようなご令嬢にお越しいただけて、この老骨も胸をなでおろしております」
「……はい。俺も、そう思います」
ガレスはうなずき、少し考えてから言葉を継いだ。
「辺境のことにも、興味を持ってくれました。……好奇心が強い方なのか、どんな話も楽しそうに聞いてくれて」
「ええ、ええ。食堂で目を輝かせておられたお姿、使用人一同、しかと拝見しておりましたとも」
ハンスは満足げにうなずくと、ふと思い出したように手を打った。
「そうそう。商会から連絡がございました。辺境へ送る物資の準備が整ったそうです。確認には、いつ参られますか」
「商会……」
ガレスはそう繰り返して、顎に手を当てた。
しばらく黙り込んだあと、何かを思いついたように金色の瞳を見開いた。
「……明日、行きます」
「明日でございますか。リリアンナ様がお越しになったばかりですのに、よろしいのですか」
「はい。……だから、です」
短く答えたガレスの耳たぶが、ほんのりと赤い。
「かしこまりました。では、明日の朝に馬車を手配いたしましょう」
「お願いします」
ガレスはひとつ頷いて、また廊下を歩きだす。
その大きな背中を見送りながら、ハンスは皺の刻まれた目元をいっそうやわらかく細めた。




