改稿中☆10 デートのお誘い
※現在、改稿作業を進めています。
第1話から順番に、改稿版へ差し替えております。
差し替えが完了した話から、こちらの前書きは外していく予定です。
物語の大筋に変更はありませんが、細かな描写や内容については、改稿前と改稿後で異なる部分があります。
リリアンナがヴァルグレイブ邸で迎える初めての朝。窓の外がまだ薄暗いうちに、彼女は目を覚ました。
誰の手も借りずに身支度を進め、ミルクティー色の髪を丁寧に編み込んでいく。
最後に左腕の銀の装飾具へ指を添えた。留め具は緩んでいないか。傷や欠けはないか。鈍く光る装飾具を少しずつ回しながら、時間をかけて確かめていく。
どこにも異常がないのを見届けて、リリアンナは小さく息をついた。
思い返すのは昨日のことだ。
夕食の席では好奇心を抑えきれず、つい質問を重ねてしまった。幸い、ヴァルグレイブの人々は誰一人として呆れた様子を見せなかった。それどころか、思っていた以上に温かく迎えてくれたことが、何より嬉しかった。
だが、安心してばかりもいられない。
仮婚約の期間は三か月。そのあいだに、自分が婚約者に相応しいと認めてもらえるよう頑張らなければいけない。
そう決意を新たにしたところで、扉を叩く音がした。
リリアンナが応じると、身支度の道具を両腕に抱えたエマが、弾んだ足取りで入ってくる。
「おはようございます、リリアンナ様! 昨夜はよく眠れましたでしょうか。さっそく朝のお支度を……し、たくを……」
勢いよく発した言葉が、力なく消えていく。エマの目の前には、すでに身支度を終えたリリアンナが立っていた。
(お支度が……終わってしまっている……)
エマは分かりやすく肩を落とした。どうやら、朝のお世話をする気満々で来たらしい。その素直な反応に、リリアンナは思わず口元を押さえた。
「おはよう、エマ。ふふ、早く目が覚めたから、自分で済ませてしまったの。驚かせてごめんなさい」
「い、いえ! 謝らないでください……! でも……リリアンナ様の綺麗な髪を編ませていただくのを、楽しみにしていたので……うぅ、出遅れました……!」
唇を尖らせて唸るエマの姿が可愛らしくて、リリアンナの目元が自然とほころぶ。
「ありがとう。その気持ちが、とても嬉しいわ。明日からはぜひ、エマの力を貸してちょうだい」
道具を抱えたエマの腕にそっと手を添えてお願いすると、その表情がぱっと明るくなった。
「もちろんです! 明日はもっと早起きしてまいりますね!」
エマは抱えていた道具を部屋の隅の台に置くと、リリアンナに向き直る。
「朝食のご用意ができております。食堂までご案内いたしますね。旦那様は、もうお席についていらっしゃいますよ」
「まあ、辺境伯様はもうお席に? お早いのね」
目を丸くするリリアンナに、エマは嬉しそうに頷いた。
「朝食も、リリアンナ様とご一緒にとっていただこうと、皆で準備したんです」
「そうだったの。それなら、お待たせしないようにしなくては。行きましょう、エマ」
◇◇◇
エマに案内されて、リリアンナは食堂へ向かった。
扉をくぐると、昨日と同じ席にガレスの姿がある。
「おはようございます、辺境伯様。お待たせいたしました」
「……おはようございます」
エマがガレスの向かいの椅子を引いた。リリアンナは礼を言って、その席に腰を下ろした。
昨日の夕食と同じく、食卓につくのは二人だけだ。壁際に控える給仕は、夕食のときより少ない二人。そこへエマも加わった。
「……昨夜はゆっくり休めましたか」
「はい、おかげさまで。寝具がとても心地よくて、ぐっすり眠れましたわ」
「それはよかったです」
短い返事だったが、昨日のように言葉に詰まる様子はない。ガレスの肩からも、いくらか力が抜けていた。
ほどなくして、給仕たちがテーブルに朝食を並べはじめた。
チーズのかかった香ばしい黒パン。具だくさんのスープ。厚切りベーコンと、ほくほくのじゃがいも。
ガレスの前には、皿からこぼれそうなほどの山盛り。リリアンナの前の皿には、黒パンが二つに、じゃがいもがいくつか。昨夜伝えたとおり、ずいぶん控えめな量にしてもらっていた。
料理を並べ終えた給仕のひとりが、リリアンナの皿に目を向けて尋ねた。
「量は、これでちょうどいいですか」
「お気遣いありがとうございます。とても助かります。ただ……これでも、まだ少し多いかもしれません」
申し訳なさそうにリリアンナが答えると、食堂の空気が揺れた。
「あれで、まだ多い……?」
「ただでさえ、あんなに華奢でいらっしゃるのに……」
「途中で倒れてしまわれたら、どうしましょう……」
聞こえてくる声はどれも、本気でリリアンナの身を案じるものだった。
その様子に、リリアンナは目を瞬かせる。辺境の環境を考えると、そこで暮らす人々にとって、しっかり食べて身体をつくり、体力をつけることは、何より大切なことなのかもしれない。
「それでは、もう少しお減らしいたしましょうか」
給仕の申し出に、リリアンナはすぐには頷けなかった。
もしこの先、辺境で暮らすことになるのなら、自分もしっかり食べられるようになるべきなのだろうか。けれど無理をして具合を悪くすれば、かえって皆に迷惑をかけてしまう。膝の上で指を絡めたまま、リリアンナは答えを探しあぐねていた。
「無理はしないでください」
向かいから届いた声に、リリアンナは顔を上げた。ガレスがまっすぐこちらを見ている。
「どのくらいなら食べられそうですか」
「……黒パンを二つから一つに。じゃがいもも、一つにしていただけると助かります」
「では、それは俺が食べましょう」
あっさりそう言うと、ガレスは給仕に目配せした。パンとじゃがいもが移され、山盛りの皿がさらに高くなる。
「だ、だいじょうぶですか」
「余裕です」
その言葉どおり、ガレスの皿は見る間に減っていった。大きな手につかまれると、黒パンがまるで小さな焼き菓子のように見える。
リリアンナも、スープを一匙ずつ口に運んだ。野菜の甘みが溶け込んだスープは、朝の冷えた身体にじんわりと染みていく。
皿の上があらかた片づいたころ、ガレスがフォークを置いた。
「……今日、用があって街へ出ます」
「はい」
「それで……その」
ガレスはテーブルの上で大きな手を握ったり開いたりした。
「……もしよければ、貴女も一緒に来ませんか」
その瞬間、食堂の空気が一変した。
壁際に控えていた給仕たちが、思わず顔を見合わせる。
(デ、デート……!?)
(旦那様から、お誘いになった……!?)
給仕のひとりが盆を抱えたまま身を翻し、廊下へ飛び出していく。この一大事を、屋敷じゅうに知らせに行った。
リリアンナは突然のお誘いに胸をどきりとさせ、向かいのガレスを見上げた。
男性から、こうして二人で出かけようと誘われるのは初めてだ。こういうお誘いには、何か特別な意味があるものなのだろうか。
(……でも、辺境伯様は街にご用事があるとおっしゃっていたし……)
考えてみても、恋愛ごとに縁のなかったリリアンナには、さっぱり分からない。
ただ、自分を誘ってくださったことが嬉しくて、頬がほんのり熱くなった。
「わたくしが、ご一緒してもよろしいのですか」
「ぜひ」
迷いのない返事に、リリアンナの胸が弾んだ。
そっと両手を胸の前で重ね、はにかむように微笑んだ。
「……では、喜んでご一緒いたします」
二人目の給仕が無言で食堂を出て、廊下を駆け出した。残されたエマは興奮して声を上げないよう口を押さえている。
「では、朝食が済んだら、支度をして出かけましょう」
ガレスの言葉に、エマは胸の内で拳を握りしめた。
(旦那様、がんばってください……!)
◇◇◇
朝食を終えて、しばらくのち。
先に支度を済ませたガレスが玄関ホールで待っていると、どこからともなく屋敷の人たちが集まってきた。使用人に兵士、文官まで顔をそろえ、あっという間に人だかりができる。
「旦那様、リリアンナ様とお話しするときは少し屈んでくださいね。見上げてばかりじゃ、首が疲れてしまいますから」
「人混みでは、はぐれないように気をつけて」
「話題を準備しておきましょう」
「がんばってください、旦那様!」
口々に飛んでくるのは、注意と励ましばかりだ。
ガレスは眉を寄せ、集まった面々を見回した。
「……皆、何の話をしているんですか」
すると兵士のひとりがにやりと笑い、ガレスの脇腹を肘で小突いた。
「とぼけないでくださいよ。朝からいきなりデートに誘うなんて、閣下もやりますね」
「デ……っ」
ガレスの動きが止まった。
「ち、違います。俺はただ、街に用があって……彼女も喜ぶかもと思って……それで、一緒に……」
「二人で街へお出かけ、ですよね」
「旦那様から、お誘いになったんですよね」
「それはどう考えても、デートです」
次々に畳みかけられ、ガレスは口を開いたまま固まった。
ガレスにしてみれば、ただの用事のつもりだった。どんな品が辺境へ運ばれていくのかを見れば、向こうの暮らしぶりも少しは伝わるはずだ。昨夜、目を輝かせて辺境のことを尋ねてきたリリアンナなら、喜んでくれるかもしれない。そう思って誘っただけで、デートのつもりなど少しもなかったのだ。
それなのに、傷の走る頬から耳の先まで、みるみる赤く染まっていく。
二メートル近い大男が、玄関の真ん中で立ち尽くしていた。
そこへ、軽やかな足音が近づいてくる。
「お待たせいたしました、辺境伯様」
姿を見せたリリアンナは、玄関ホールに集まった人の多さに目を丸くした。
「まあ……皆さま、おそろいで。何かございましたか」
何人かが、待ってましたとばかりに口を開きかける。それを見たガレスは、誰よりも早く動いた。
「……ただの見送りです。行きましょう」
そのまま大股で扉へ向かいかけたところで、背後から「旦那様、歩幅!」と声が飛ぶ。
振り返ると、リリアンナが小走りでついてこようとしていた。
「……すみません」
ガレスは歩幅をぐっと縮め、リリアンナの隣に並んで扉をくぐった。その背中を、「いってらっしゃいませ!」という揃った声が追いかけてくる。
扉が閉まると、玄関の賑やかさが遠のいた。冬の朝の空気がひやりと頬に触れる。
隣を歩くリリアンナは、閉まった扉を一度振り返った。
「皆さま、仲がよろしいのですね」
「……騒がしくて、すみません」
「いいえ。とても温かくて、素敵だと思います」
ガレスは少し間を置いてから、前を向いたまま答えた。
「……家族のようなもの、ですから」
その横顔は穏やかで、屋敷の皆をどれほど大切にしているのか、言葉にしなくても伝わってくる。
そこへ、冷たい風が吹き抜けた。リリアンナの細い肩が、小さく震える。
「……寒いですね」
それを見たガレスは、すぐに待たせていた馬車へとリリアンナを促した。先回りして扉を開け、大きな手を差し出す。
「乗ってください」
傷だらけのごつごつした手のひら。その上に、リリアンナの白くなめらかな手が、ためらいがちに重なった。
(……小さい)
ガレスの手のひらにすっぽりと収まってしまう。驚くほど細くて、小さな手だった。
その手を壊れ物にでも触れるように、そっと包んだ。
もう片方の手をリリアンナの肘へ添える。
リリアンナがステップに足をかけたところで、ガレスはそっと支える手に力を込めた。
——その瞬間。
ふわり、と。
思いのほか軽い力で、リリアンナの身体が持ち上がった。そのまま、羽毛のように軽々と馬車へ乗り込んでしまう。
(小さすぎるし、軽すぎる……!)
ガレスは大剣を振るい、重い武具を担ぎ、屈強な兵士たちと渡り合ってきた。そんな彼にとって、これほど小さく、これほど軽い身体に触れるのは、初めてのことだった。
(こんなに華奢では……。少しの無理でも、倒れてしまいそうだ)
何があってもすぐに対応できるよう、できるだけ近くにいよう。
ガレスはそう心に決めると、自分の手のひらを一度握りしめ、リリアンナに続いて馬車へ乗り込んだ。
一方のリリアンナは、馬車に入った瞬間、中の暖かさに驚いた。
床には熱した石を入れた暖房具。ふかふかの座席には厚手の毛布がいくつも重ねられている。用意してもらった客間と同じように、この馬車にもガレスの気遣いがあふれていた。
ガレスが馬車へ乗り込むと、大きな身体の重みで馬車がわずかに沈んだ。
「とても暖かいです」
声を弾ませるリリアンナに、向かいの席へ腰を下ろしたガレスが答えた。
「外は冷えますので、用意させました」
「ありがとうございます」
膝に毛布を引き寄せて、リリアンナが微笑む。
それを見届けて、ガレスが御者台側の壁を軽く叩く。合図に応えるように、馬車がゆっくりと動き出した。
窓の向こうを、冬の王都の景色が流れていく。石畳の通りでは、厚い外套に身を包んだ人々が足早に行き交っていた。
しばらくそれを眺めてから、リリアンナはガレスに向き直った。
「辺境伯様。今日は、どちらへ向かうのですか」
その問いに、ガレスの脳裏で玄関での一幕がよみがえる。『どう考えても、デートです』という、あの声だ。
ガレスは小さく咳払いをすると、誤解のないよう、すぐに用件を口にした。
「商会です。辺境へ送る物資を確認しに行きます。……辺境のことを知っていただくのに、ちょうどいいかと思いまして」
「辺境へ送る、物資……!」
リリアンナは毛布を膝に乗せたまま、思わず身を乗り出した。瑠璃色の瞳が、好奇心できらきらと輝く。
その様子に、ガレスは気づかれないよう小さく息を吐いた。どうやら、連れてきたのは間違いではなかったらしい。
「辺境の冬は、とにかく物資の消耗が激しいんです。燃料に保存食、武器や防具、それに薬も。王都でまとめて買い付けて、領地へ送っています。……足りなければ、冬を越せませんので」
辺境の話になると、ガレスの言葉はよどみなかった。
「だから辺境へ送る前に、物資の量も質も必ず確かめます。普段は王都にいる部下に任せていますが、今年は俺がこちらにいるので。世話になっている商会への挨拶がてら、自分で見に行こうかと」
リリアンナは、ガレスの言葉を一つひとつ噛みしめるように聞いていた。
「商会では、俺も分かる範囲で説明します。……ですから、気になることがあれば、何でも聞いてください」
リリアンナはぱっと顔をほころばせ、お礼を言おうと口を開いた。
そのときだった。
ガタンッ!
急に馬車が大きく揺れた。




