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男を狂わせる魅了の祝福を持つ令嬢は、野獣と恐れられる辺境伯様と三か月の仮婚約をしたら溺愛されました  作者: 紳士テニス


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改稿中☆11 商会にて

※現在、改稿作業を進めています。


第1話から順番に、改稿版へ差し替えております。

差し替えが完了した話から、こちらの前書きは外していく予定です。

物語の大筋に変更はありませんが、細かな描写や内容については、改稿前と改稿後で異なる部分があります。

「きゃっ……!」


 その拍子に、身を乗り出していたリリアンナの身体が、勢いよく前へ傾く。

 ガレスはとっさに腕を伸ばした。


 目に入ったその大きな腕が、リリアンナの記憶と重なった。


 ——伸びてくる手。

 力任せに掴まれた腕は、どれだけもがいても振りほどけない。


『やだ……っ、はなして……!』


 見下ろしてくるのは、欲に濁った瞳。


(怖い、怖い——怖い!)


 強張ったまま動けないリリアンナの身体を、ガレスの腕がしっかりと抱きとめた。

 けれど、リリアンナにはそれすら分からない。呼吸は浅くなり、指先から血の気が引いていく。


「——大丈夫ですか」


 その声が、リリアンナを現在へと引き戻した。

 おそるおそる見上げると、すぐそこにガレスの顔があった。

 眉はきつく寄せられ、金色の瞳が、怪我はないかと確かめるようにこちらの顔をなぞっている。そこに浮かぶのは、ただ身を案じる色だけ。濁りなど、どこにもない。

 自分を支える腕はたくましいのに、少しも痛くなかった。抱きとめた瞬間の力はもう抜け、壊れ物でも扱うように加減されている。


(……あのときとは、違う)


 そう思った途端、強張っていた身体から力が抜けていった。

 腕の中で、リリアンナはわずかに身を離した。するとガレスの視線が、彼女の左腕へと落ちる。


「左腕を、どこかにぶつけましたか」

「え……あ」


 言われて視線を落とし、リリアンナは気づいた。右手が左腕の装飾具を固く握りしめている。無意識のうちに掴んでいたらしい。ガレスの目には、それがぶつけた腕を庇っているように見えたのだろう。

 リリアンナは装飾具から手を離し、何事もなかったように微笑んだ。


「いいえ、大丈夫です。どこもぶつけておりませんわ」


 そう言って、リリアンナは元の席へ座り直す。

 ところが、ガレスは御者台側の小窓を開け放った。


「行き先を変えてください。医者へ向かいます」

「……え?」


 冗談だろうか。リリアンナはガレスの顔をうかがったが、そこにあるのはどこまでも真剣な表情だった。


 つい先ほど、馬車へ乗せたときの一件から、ガレスの中でリリアンナはすっかり『軽くて、か弱い生き物』になっていた。


(あれほど細い腕だ。今の揺れでぶつけたなら、折れていてもおかしくない)


 ガレスは本気で、そう考えていたのだ。


「折れていないか、心配です。すぐに診てもらいましょう」

「お、折れ……!?」


 思いもよらない言葉に、リリアンナは目を丸くした。


「本当に大丈夫です。ほら、このとおり動きますから」


 リリアンナが左腕を軽く振ってみせると、ガレスはぎょっと目を見開いた。


「振らないでください……!」


 とっさに伸びた大きな手が、彼女の腕に触れる寸前で止まる。


「骨は、折れていても動くことがあるんです。ですから、どうか安静に」

「ですが、本当にどこにもぶつけていないのです。痛みだって、少しも……」

「今は痛まなくても、後から腫れることもあります。……念のためです」

「念のため、とおっしゃいましても……辺境伯様、わたくし、本当に……!」


 大真面目なガレスと、必死に首を横に振るリリアンナ。どちらも一歩も譲らない。

 小窓の向こうでは、御者が困り果てたように眉を下げていた。


「あのう……どうしますか」

「医者へ行ってください」

「商会へ行ってください」


 二人の声が、きれいに重なった。



 ◇◇◇



 それから、しばらくして。

 馬車が停まったのは、大通りに面した商会の前だった。

 医者行きはどうにか回避された。リリアンナが言葉を尽くし、ガレスを説き伏せたのだ。

 ガレスの手を借りて馬車を降りると、リリアンナは小さく息をついた。まだ商会に着いたばかりだというのに、その顔はひと仕事終えたあとのようにくたびれている。

 御者台の御者が、そんなリリアンナを見送っていた。『お疲れさまでございました』と、その目がしみじみと語っている。


 ガレスに続いて、リリアンナは重厚な石造りの商館へ足を踏み入れた。

 中にいた商人たちは、ガレスの姿を認めた途端、慌ただしく動きはじめる。

 奥から、商会の代表が足早に歩み寄ってきた。


「ヴァルグレイブ辺境伯様、ようこそお越しくださいました。本日は——」

 朗らかな挨拶が途中で途切れた。代表の視線が、ガレスの隣に立つリリアンナに吸い寄せられたまま動かない。口を半ば開いたまま、すっかり見惚れている。

 それに気づいたガレスが、すっとリリアンナの前へ割って入った。大きな背中がリリアンナの姿を覆い隠してしまう。

 代表を見下ろす金色の眼光は、刃のように鋭い。


「ヒッ」


 射すくめられた代表は、喉を鳴らして縮み上がった。


「し、失礼いたしました!」


 慌てて頭を下げ、代表は背筋を正してガレスに向き直る。


「改めまして、辺境伯様。いつもご贔屓にしていただき、誠にありがとうございます」

「こちらこそ、いつも世話になっています。今日は、彼女が物資の確認を見学します。説明しながら、ゆっくり回らせてください」

「かしこまりました」


 そう答えたあと、代表はわずかに視線を泳がせた。


「……それと、辺境伯様にひとつご報告がございまして。のちほど、ご相談させていただけますでしょうか」

「分かりました」


 それから一行は、代表の案内で倉庫へ向かった。

 重い扉の先には、天井近くまで積み上げられた木箱や樽が並んでいた。冷えた空気に、乾いた木と麻袋の匂いが混じっている。リリアンナは、その光景に目を奪われた。


「こちらが、今年お納めする燃料でございます」


 代表が示した一角には、薪の束と炭俵が小屋ほどの高さまで積み上げられていた。

 リリアンナは思わず、その頂を見上げる。


「すごい量……。これだけあれば、冬も越せそうですね」

「いえ。これだけでは冬は越せません」


 ガレスは炭俵の山に目をやり、淡々と続けた。


「領地でも冬に向けて薪を蓄えますが、それだけでは足りないんです。その不足分を、こうして買い入れています」


 そう言うと、ガレスは炭俵の口をほどいた。中から炭を一つ取り出し、指先で軽く割って断面を確かめる。


「炭はよく乾いていないと使い物になりません。湿っていると火がつきにくく、煙も多く出ます。冬は窓を閉め切りますから、煙がこもると身体に障るんです」


 説明を聞きながら、リリアンナはガレスの手元を食い入るように見つめていた。

 断面を確かめ終えたガレスが、小さく頷く。


「……いつもどおり、いい炭です」

「恐れ入ります」


 代表が、ほっとしたように頭を下げた。

 それから、ガレスと代表は帳面を突き合わせ、数と金額をひとつずつ確かめていった。


 燃料の確認が済むと、次は保存食、その次は薬と、一行は順に倉庫の中を回っていく。どの区画でも、ガレスは同じように品を手に取り、その質を確かめていった。

 リリアンナは、その後ろを興味深そうについて回った。樽の中をのぞき込み、見慣れない薬草の名を尋ね、ガレスや代表の答えに熱心に耳を傾ける。その足取りは終始軽やかだった。


 そうして一行は倉庫の奥の一角に差しかかった。壁際の棚には、鎧や盾、槍が整然と並べられている。

 そこで代表が足を止めた。


「……辺境伯様。先ほど申し上げた、ご報告の件なのですが」


 代表は言いにくそうに一度口を閉ざし、それから意を決したように頭を下げた。


「実は、剣の納品数が……ご注文いただいた数の、半分ほどしかご用意できておりません」

「半分」


 ガレスが繰り返す。


「仕入れ先からの納品が、大幅に遅れておりまして。ほかの商会にもあたってはみたのですが、どこも剣の在庫が少なく……申し訳ございません。まだ集めきれておりません」


 代表の額には、うっすらと汗がにじんでいた。

 ガレスは黙ったまま、剣が並ぶはずだった棚の空きを見つめた。


 今は戦の気配こそないものの、武具が足りなければ、兵たちは満足な装備もないまま魔物の前に立つことになる。それは、そのまま領地の人間の命に関わることだ。

 けれど、目の前の男が手を抜いたわけではないことも、ガレスにはよく分かっていた。

 毎年、一度も期待を裏切らなかった商会だ。その代表がこれほど頭を下げているのなら、打てる手はすべて打ったのだろう。

 ガレスは腕を組み、眉間に深い皺を刻んだまま、しばらく口を開かなかった。


 重い沈黙のなか、リリアンナの視線が動いた。その目が、代表の抱えた管理表へ向けられる。


「あの……」


 張りつめた空気をほどくような、柔らかな声だった。


「剣を仕入れている工房と、それぞれの納品数を見せていただけますか」

「は、はい。どうぞ」


 代表が慌てて差し出した管理表を、リリアンナは両手で受け取った。細い指が紙をめくり、並んだ工房の名を一つずつ追っていく。

 工房は、どれも王都の西にある同じ領地のものだった。


 以前、父から聞いたことがある。あの地の工房は、どれも川に面して建てられていて、寒い年には川風で炉の温度が安定しないのだと。

 今年は、例年にない冷え込みだった。納品が大きく遅れるほど、炉の火に苦労したのだろう。

 リリアンナは管理表を閉じると、代表に向き直った。


「恐れ入りますが、王都周辺の地図をお借りできますか」


 すぐに運ばれてきた地図が、木箱の上に広げられる。そこには、王都周辺に点在する工房の名と所在地も細かく記されていた。


「先ほどの工房は、どれも川沿いにあります。今年の冷え込みでは、炉の温度を保つのは難しかったはずです」


 そう言って、指先を川から離れた場所へ移していく。


「ですが、こちらと、こちら……それから、こちらの工房。どれも個人の工房で、川風の当たらない場所にありますから、炉の温度も安定しているかと思います。この量でしたら、これらの工房にお願いすれば、不足分を補える可能性があるのではないでしょうか」


 控えめに、けれどはっきりと、リリアンナはそう告げた。


 代表が身を乗り出し、地図の上の工房を一つずつ確かめていく。


「たしかに……個人の工房なら、交渉次第ですぐに動いてもらえるかもしれません」


 その横で、ガレスは言葉もなく立ち尽くしていた。

 地図に置かれた細い指先と、穏やかなリリアンナの横顔とを何度も見比べる。迷いなく代わりの手を示してみせたその姿には、頼もしささえあった。

 ガレスの中の『小さくて、か弱い生き物』とは、まるでかけ離れている。


「これなら、荷馬車の出立までに数を揃えられるかもしれません。——おい、すぐにこの工房へ使いを出してくれ!」


 代表の声に、控えていた商人たちが慌ただしく駆け出していく。


「急な手配を、ありがとうございます」


 ガレスが代表へ深く頭を下げると、代表はとんでもないと両手を振った。


「お礼を申し上げるのは、こちらのほうでございます」


 張りつめていた空気が、ようやくほどけていく。

 そこでリリアンナは、二人の視線が自分に集まっていることに気がついた。はっと我に返り、慌てて地図から手を引っ込める。


「も、申し訳ございません。出過ぎた真似をいたしました……」

「まさか! そんなことはございません。実に見事なご提案でした」


 代表が勢いよく首を横に振る。ガレスも、リリアンナに向き直った。


「辺境を代表して、礼を言わせてください。……貴女がいてくれて、本当によかったです」


 二人から続けざまに褒められて、リリアンナの頬がみるみる赤く染まっていく。


「そんな……わたくしは、ただ……」


 小さな身体をさらに縮こまらせるリリアンナに、代表がにこやかに目を細めた。


「いやはや、奥ゆかしいうえに、これほど優秀でいらっしゃるとは。辺境伯様は素晴らしい奥方様をお迎えになりましたな」


 ガレスとリリアンナは、同時に固まった。

 仮の婚約者だとは言えない。けれど、そうですと頷くこともできない。


「……ええ、まあ」

「は、はい……その……」


 二人の曖昧な返事が、倉庫の高い天井へ気まずく吸い込まれていった。

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