07 止まらない好奇心
向かいの席でガレスの手が止まっていることにも気づかず、リリアンナは別のことで頭を悩ませていた。
料理はどれも美味しい。ただ、とにかく量が多いのだ。いくら口へ運んでも、皿の上の料理は一向に減った気がしない。
丁寧に作られたことが伝わってくる味だからこそ、残すのはどうにも申し訳ない。
(でも、この量……)
ふと、以前に本で読んだことを思い出す。
土地によっては、出された料理をわずかに残すのが礼儀とされるらしい。皿を空にすると、もてなしが足りなかったという意味になってしまうのだとか。
(もしかして、辺境でもそうなのかしら……?)
確かめるように、リリアンナはちらりとガレスのほうを見た。
その瞬間、こちらを見つめていた金色の瞳と目が合う。
ガレスの肩が大きく跳ねた。慌てて視線を落とし、止まっていたスプーンを動かそうとした拍子に、皿の縁にかちりと当ててしまう。
(……やっぱり、何かあるのだわ)
こちらを見ていたのに、目が合うなりあの慌てよう。
もしかしたら、自分の食事作法が間違っていて、ガレスはどう伝えたものかと戸惑っているのかもしれない。
無意識のうちに、指先が左手首の装飾具へ伸びる。
リリアンナは小さく息を吸うと、フォークを置き、姿勢を正した。
「あの、辺境伯様」
「……はい」
「もしかして、わたくしに何かおっしゃりたいことがございますか? 至らない点があれば、どうぞ遠慮なくご指摘くださいませ」
真剣な瞳に見つめ返され、ガレスは息を詰めた。
まさか料理を食べる姿が可愛くて見とれていた——などと、言えるはずがない。
「い、いえ。指摘することなど、何も……」
しどろもどろに答えながら、ガレスは必死に言葉を探した。ようやく、ひとつだけ口にできそうなことを思いついた。
「……その、料理の大きさが気になっていました」
「大きさ、ですか」
「はい。貴女には、ひと口が大きすぎるのではないかと。もしよければ小さく切り直させます」
リリアンナは目を瞬かせた。
そんなところまで見てくれていたなんて。
「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫ですわ。大きなものは、こうして自分で切り分けていただいていますから。それよりも……」
そこまで言って、リリアンナは口を閉じた。
その視線が皿へと落ちる。
「……リリアンナ嬢?」
「あ、いえ……」
「遠慮はいりません。気になることがあれば、何でも言ってください」
ガレスは急かすこともなく、言葉の続きを待っている。
リリアンナは指先を重ね合わせたまましばらく迷っていたが、やがておずおずと口を開いた。
「……実は、お料理の量が、わたくしには多くて」
「量が……」
「とても美味しいので、残してしまうのは申し訳ないのですけれど……。もしかして辺境では、少し残すのが礼儀なのかしらと思って……」
ガレスは目を見開いた。
「そういう決まりはありません。……すみません。辺境の者は、皆よく食べるので。貴女に合う量のことまで思い至りませんでした」
大きな身体を縮めるようにして、ガレスが頭を下げる。
リリアンナは慌てて首を横に振った。
「い、いえ! 謝っていただくようなことでは……」
「残して構いません。無理をして食べるほうが、作った者たちも心配します」
そう言って、ガレスはひと呼吸置いた。
「……もしよければ、どのくらいの量がちょうどいいのか教えてもらえませんか。明日から、そのように用意させます」
「ありがとうございます。そうですね……」
リリアンナは皿の上を見つめ、少し考えた。
「スープは器の半分ほど。パイはひとつで十分です。お魚とお肉は……このお皿の三分の一くらいでしょうか」
ガレスは一つひとつ、重々しく頷きながら耳を傾けている。その面持ちは、まるで斥候の報告でも受けているかのようだった。
その頃、わずかに開いた厨房の扉の向こうでは——。
「半分……三分の一……」
「おい、誰か書き留めろ!」
料理人たちが、声を殺しながら慌ただしく動き回っていた。
「……ほかに気になることはありませんか」
食卓では、ガレスの問いかけに、リリアンナの肩が小さく揺れた。
気になること。それはもう数えきれないほどある。けれど、今夜は余計なことを口にしないと決めているのだ。
「い、いえ……。その……」
リリアンナはナプキンの端を何度も整え直す。視線は行き場を探すようにさまよっていた。
(だめよ、リリアンナ。お淑やかに……お淑やかに……)
そう言い聞かせながらも、ガレスのほうをちらちらとうかがってしまう。
ガレスは変わらずこちらを見つめて待っていた。急かす気配のないその眼差しに、迷っていた気持ちがほどけていく。
「では……」と、リリアンナは小さな声で切り出した。
「このパイの中に入っているのは何ですか? これまでいただいたことのない味わいでしたので、気になってしまって」
「麦の粥です。ミルクで炊いてあります」
ガレスが短く答える。毎日のように口にしている料理だけに迷いはない。
「麦のお粥……。ミルクのやさしい甘みがあって、とても美味しいですわ。こちらのお肉は何のお肉ですか」
「……鹿です。辺境では、よく食べます」
リリアンナの瑠璃色の瞳がきらめいた。
「鹿肉……! わたくし、初めていただきました。とても食べやすいのですね! 添えてある甘酸っぱいジャムとの相性が良いからでしょうか? それに、辺境では鹿をよく召し上がるとおっしゃいましたけれど、牛や豚も育てていらっしゃるのですか」
テーブル越しに、小さな身体がぐいぐいと前のめりになってくる。その勢いに気圧されて、ガレスの大きな身体がほんの少しだけ後ろへ下がった。
「……は、はい。牛も豚も育ててはいます。ただ、冬が厳しいので、数はそれほど……」
「そうなのですね! それから、このお魚も。皮はこんなにぱりっとしているのに、身はふんわりしていて……いったい、どうやって焼いたら——」
「皮目から強火で一気に焼くんです!」
厨房から元気のいい声が飛んできた。
「おい馬鹿! 勝手に話に入るな!」
扉がばたんと閉まり、料理長のくぐもった怒鳴り声が聞こえてくる。
「まあ! 強火で一気に焼くと、皮はぱりぱりに、身はふわふわになるのですね……!」
一度あふれ出した好奇心は、もう止まらない。
食べる順番に決まりはあるのか。男女も子どもも関係なく、これほどの量を食べるのか。しっかりとした味つけや脂の多さには、どんな理由があるのか。
ひとつ尋ねては答えに声を弾ませ、すぐにまた次の質問を重ねていく。
「では、このパイの生地なのですが——」
言いかけたところで、リリアンナは食堂がやけに静かなことに気がついた。
向かいの席では、ガレスが瞬きも忘れて固まっている。壁際の使用人たちはぽかんと口を開け、その傍らに控えていたハンスまでもが目を見開いていた。
いくつもの視線がリリアンナひとりに注がれている。
ふいに、父の声が脳裏をよぎった。
『リリアンナ。好奇心旺盛なのはとても良いことだよ。けれど、夢中になると周りが見えなくなってしまうところがあるからね。外では気をつけるんだよ』
穏やかに笑う父の顔が浮かぶ。
(お、お父様……! わたくし、やってしまいました……!)
リリアンナの頬が、一気に薔薇色に染まった。
熱くなった顔を両手で包みこみ、小さな身体をきゅっと縮こまらせる。伏せられた長い睫毛が、ふるふると震えていた。
「も、申し訳ございません……。気になることがあると、つい夢中になってしまって……。はしたないところを、お見せいたしました……」
消え入りそうな声で謝りながら、リリアンナは顔を上げられずにいる。
使用人たちは、そろってぐっと胸を押さえた。
いつの間にか再び開いていた厨房の扉の隙間では、料理人たちが声もなく天を仰ぐ。
ガレスはといえば、大きな手で口元を覆ったまま微動だにしない。
リリアンナを見守る者たちの心は、ひとつだった。
(((可愛すぎる……!)))
ごほん。
わざとらしいほど大きな咳払いが沈黙を破った。ハンスだ。
何事もなかったような顔で、壁際へ目配せを送る。それでようやく使用人たちは我に返った。
「い、いえ! 謝ることなんて何もありません、リリアンナ様!」
「むしろ嬉しいです! うちの料理に、そんなに興味を持っていただけるなんて!」
頬を包んだ指の隙間から、瑠璃色の瞳がおそるおそるのぞいた。
「……本当、ですか」
使用人たちが何度も大きく頷く。
そしてリリアンナの目が、そろりと向かいの席のガレスへ向く。
ガレスは、口元を覆っていた手を下ろした。
「……はい」
短い返事は、隠しきれないほど上ずっていた。




