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男を狂わせる魅了の祝福を持つ令嬢は、野獣と恐れられる辺境伯様と三か月の仮婚約をしたら溺愛されました  作者: 紳士テニス


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07 止まらない好奇心

 向かいの席でガレスの手が止まっていることにも気づかず、リリアンナは別のことで頭を悩ませていた。

 料理はどれも美味しい。ただ、とにかく量が多いのだ。いくら口へ運んでも、皿の上の料理は一向に減った気がしない。

 丁寧に作られたことが伝わってくる味だからこそ、残すのはどうにも申し訳ない。


(でも、この量……)


 ふと、以前に本で読んだことを思い出す。

 土地によっては、出された料理をわずかに残すのが礼儀とされるらしい。皿を空にすると、もてなしが足りなかったという意味になってしまうのだとか。


(もしかして、辺境でもそうなのかしら……?)


 確かめるように、リリアンナはちらりとガレスのほうを見た。

 その瞬間、こちらを見つめていた金色の瞳と目が合う。

 ガレスの肩が大きく跳ねた。慌てて視線を落とし、止まっていたスプーンを動かそうとした拍子に、皿の縁にかちりと当ててしまう。


(……やっぱり、何かあるのだわ)


 こちらを見ていたのに、目が合うなりあの慌てよう。

 もしかしたら、自分の食事作法が間違っていて、ガレスはどう伝えたものかと戸惑っているのかもしれない。

 無意識のうちに、指先が左手首の装飾具へ伸びる。

 リリアンナは小さく息を吸うと、フォークを置き、姿勢を正した。


「あの、辺境伯様」

「……はい」

「もしかして、わたくしに何かおっしゃりたいことがございますか? 至らない点があれば、どうぞ遠慮なくご指摘くださいませ」


 真剣な瞳に見つめ返され、ガレスは息を詰めた。

 まさか料理を食べる姿が可愛くて見とれていた——などと、言えるはずがない。


「い、いえ。指摘することなど、何も……」


 しどろもどろに答えながら、ガレスは必死に言葉を探した。ようやく、ひとつだけ口にできそうなことを思いついた。


「……その、料理の大きさが気になっていました」

「大きさ、ですか」

「はい。貴女には、ひと口が大きすぎるのではないかと。もしよければ小さく切り直させます」


 リリアンナは目を瞬かせた。

 そんなところまで見てくれていたなんて。


「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫ですわ。大きなものは、こうして自分で切り分けていただいていますから。それよりも……」


 そこまで言って、リリアンナは口を閉じた。

 その視線が皿へと落ちる。


「……リリアンナ嬢?」

「あ、いえ……」

「遠慮はいりません。気になることがあれば、何でも言ってください」


 ガレスは急かすこともなく、言葉の続きを待っている。

 リリアンナは指先を重ね合わせたまましばらく迷っていたが、やがておずおずと口を開いた。


「……実は、お料理の量が、わたくしには多くて」

「量が……」

「とても美味しいので、残してしまうのは申し訳ないのですけれど……。もしかして辺境では、少し残すのが礼儀なのかしらと思って……」


 ガレスは目を見開いた。


「そういう決まりはありません。……すみません。辺境の者は、皆よく食べるので。貴女に合う量のことまで思い至りませんでした」


 大きな身体を縮めるようにして、ガレスが頭を下げる。

 リリアンナは慌てて首を横に振った。


「い、いえ! 謝っていただくようなことでは……」

「残して構いません。無理をして食べるほうが、作った者たちも心配します」


 そう言って、ガレスはひと呼吸置いた。


「……もしよければ、どのくらいの量がちょうどいいのか教えてもらえませんか。明日から、そのように用意させます」

「ありがとうございます。そうですね……」


 リリアンナは皿の上を見つめ、少し考えた。


「スープは器の半分ほど。パイはひとつで十分です。お魚とお肉は……このお皿の三分の一くらいでしょうか」


 ガレスは一つひとつ、重々しく頷きながら耳を傾けている。その面持ちは、まるで斥候の報告でも受けているかのようだった。


 その頃、わずかに開いた厨房の扉の向こうでは——。


「半分……三分の一……」

「おい、誰か書き留めろ!」


 料理人たちが、声を殺しながら慌ただしく動き回っていた。


「……ほかに気になることはありませんか」


 食卓では、ガレスの問いかけに、リリアンナの肩が小さく揺れた。


 気になること。それはもう数えきれないほどある。けれど、今夜は余計なことを口にしないと決めているのだ。


「い、いえ……。その……」


 リリアンナはナプキンの端を何度も整え直す。視線は行き場を探すようにさまよっていた。


(だめよ、リリアンナ。お淑やかに……お淑やかに……)


 そう言い聞かせながらも、ガレスのほうをちらちらとうかがってしまう。

 ガレスは変わらずこちらを見つめて待っていた。急かす気配のないその眼差しに、迷っていた気持ちがほどけていく。


「では……」と、リリアンナは小さな声で切り出した。


「このパイの中に入っているのは何ですか? これまでいただいたことのない味わいでしたので、気になってしまって」

「麦の粥です。ミルクで炊いてあります」


 ガレスが短く答える。毎日のように口にしている料理だけに迷いはない。


「麦のお粥……。ミルクのやさしい甘みがあって、とても美味しいですわ。こちらのお肉は何のお肉ですか」

「……鹿です。辺境では、よく食べます」


 リリアンナの瑠璃色の瞳がきらめいた。


「鹿肉……! わたくし、初めていただきました。とても食べやすいのですね! 添えてある甘酸っぱいジャムとの相性が良いからでしょうか? それに、辺境では鹿をよく召し上がるとおっしゃいましたけれど、牛や豚も育てていらっしゃるのですか」


 テーブル越しに、小さな身体がぐいぐいと前のめりになってくる。その勢いに気圧されて、ガレスの大きな身体がほんの少しだけ後ろへ下がった。


「……は、はい。牛も豚も育ててはいます。ただ、冬が厳しいので、数はそれほど……」

「そうなのですね! それから、このお魚も。皮はこんなにぱりっとしているのに、身はふんわりしていて……いったい、どうやって焼いたら——」

「皮目から強火で一気に焼くんです!」


 厨房から元気のいい声が飛んできた。


「おい馬鹿! 勝手に話に入るな!」


 扉がばたんと閉まり、料理長のくぐもった怒鳴り声が聞こえてくる。


「まあ! 強火で一気に焼くと、皮はぱりぱりに、身はふわふわになるのですね……!」


 一度あふれ出した好奇心は、もう止まらない。

 食べる順番に決まりはあるのか。男女も子どもも関係なく、これほどの量を食べるのか。しっかりとした味つけや脂の多さには、どんな理由があるのか。

 ひとつ尋ねては答えに声を弾ませ、すぐにまた次の質問を重ねていく。


「では、このパイの生地なのですが——」


 言いかけたところで、リリアンナは食堂がやけに静かなことに気がついた。


 向かいの席では、ガレスが瞬きも忘れて固まっている。壁際の使用人たちはぽかんと口を開け、その傍らに控えていたハンスまでもが目を見開いていた。

 いくつもの視線がリリアンナひとりに注がれている。


 ふいに、父の声が脳裏をよぎった。


『リリアンナ。好奇心旺盛なのはとても良いことだよ。けれど、夢中になると周りが見えなくなってしまうところがあるからね。外では気をつけるんだよ』


 穏やかに笑う父の顔が浮かぶ。


(お、お父様……! わたくし、やってしまいました……!)


 リリアンナの頬が、一気に薔薇色に染まった。

 熱くなった顔を両手で包みこみ、小さな身体をきゅっと縮こまらせる。伏せられた長い睫毛が、ふるふると震えていた。


「も、申し訳ございません……。気になることがあると、つい夢中になってしまって……。はしたないところを、お見せいたしました……」


 消え入りそうな声で謝りながら、リリアンナは顔を上げられずにいる。


 使用人たちは、そろってぐっと胸を押さえた。

 いつの間にか再び開いていた厨房の扉の隙間では、料理人たちが声もなく天を仰ぐ。

 ガレスはといえば、大きな手で口元を覆ったまま微動だにしない。


 リリアンナを見守る者たちの心は、ひとつだった。


(((可愛すぎる……!)))


 ごほん。


 わざとらしいほど大きな咳払いが沈黙を破った。ハンスだ。

 何事もなかったような顔で、壁際へ目配せを送る。それでようやく使用人たちは我に返った。


「い、いえ! 謝ることなんて何もありません、リリアンナ様!」

「むしろ嬉しいです! うちの料理に、そんなに興味を持っていただけるなんて!」


 頬を包んだ指の隙間から、瑠璃色の瞳がおそるおそるのぞいた。


「……本当、ですか」


 使用人たちが何度も大きく頷く。

 そしてリリアンナの目が、そろりと向かいの席のガレスへ向く。


 ガレスは、口元を覆っていた手を下ろした。


「……はい」


 短い返事は、隠しきれないほど上ずっていた。

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