改稿中☆54 舞踏会前夜
※現在、改稿作業を進めています。
第1話から順番に、改稿版へ差し替えております。
差し替えが完了した話から、こちらの前書きは外していく予定です。
物語の大筋に変更はありませんが、細かな描写や内容については、改稿前と改稿後で異なる部分があります。
王家主催の舞踏会を、いよいよ明日に控えた夜。ヴァルグレイブ邸では、いつもより遅い時間になっても人の出入りが絶えなかった。
明日のために王城へ運び込むものの確認、衣装や装飾品の最終点検、警備に入る兵士たちへの指示。二週間かけて進めてきた準備も、いよいよ大詰めを迎えている。
そんな屋敷の一室で、レオンとバルドは大きな机を挟んで向かい合っていた。机の上に広げられているのは、王城の見取り図である。
「こっちの廊下は王城の兵が担当するんだよな?」
「ええ。私たちは大広間のみで。ここで配置を変えましょう」
レオンが指先で図面をなぞる。二人は、ヴァルグレイブ家から王城警備へ加わる兵たちの配置を、最後に詰めていた。
「レオン様、バルド様」
リリアンナが声をかけると、二人はそろって顔を上げた。レオンはすぐに背筋を伸ばして、バルドは人懐こい笑みを浮かべる。
「リリアンナ様。どうしたんすか、わざわざこんなとこまで」
リリアンナは机の上へ視線を落とした。書き込みで埋まった見取り図を見れば、二人がどれだけ念入りに明日の準備をしてくれているのかが分かる。本来なら、ここまでの手間は必要なかったはずだ。
「わたくしのために、無理をお願いしてしまって申し訳ありません」
リリアンナが頭を下げると、バルドはすぐさま大きな手を振った。
「ちょ、頭なんか下げないでくださいよ! いいんすよ、これくらい。リリアンナ様はもっと俺たちを頼ってください。遠慮されるほうが、よっぽど寂しいっす」
「ご心配なく。明日は何も起こさせません」
隣で、レオンが自信満々に言い切った。
「ありがとうございます」
二人の言葉に、リリアンナの表情が和らいだ。
「まあ、リリアンナ様は閣下の傍にいれば、身の安全だけは間違いなく大丈夫っすから」
「ただ、社交のこととなると、あの方はまるで駄目ですので。申し訳ありませんが、リリアンナ様がフォローしてさしあげてください」
「ふふっ。お任せくださいませ」
思わず笑いながら頷いたリリアンナを見て、二人もどこか温かな表情を浮かべた。
「いやあ。本当に、リリアンナ様が閣下の婚約者になってくれてよかったっす」
「私も、そう思っています」
「バルドさん、レオンさん……」
「これからも、閣下をよろしくお願いいたします」
その言葉には、臣下としてだけではない思いがこもっていた。
「はい」
自然と笑みがこぼれた。
それからリリアンナは、もう一度バルドへ向き直った。
「それと、バルドさん」
「はい」
「マリアベル様のことも……明日は、どうかお願いいたします」
「任せてください。俺がちゃんと見てますんで」
バルドは迷うそぶりも見せなかった。頼まれたから引き受けるというより、はじめからそのつもりだったような返事だった。
リリアンナは嬉しそうに頷き、二人へ改めて礼を告げて部屋をあとにした。
◇◇◇
次に向かった部屋では、先ほどとは打って変わって華やかな光景が広がっていた。
「あっ、リリアンナ様、ちょうどよかったです!」
振り返ったエマが、ぱっと顔を輝かせる。
部屋には、明日のために用意された衣装や小物が整然と並べられていた。
二週間かけて何度も調整を繰り返したリリアンナのドレス。それに合わせて仕立てられたガレスの衣装。
装飾品に靴、髪を飾る小物まで、すべてが揃っている。
「最終確認も終わりました。もう手直しするところはございません」
フィーネが満足そうに言った。
リリアンナは、完成したドレスを見つめた。
深い瑠璃紺のドレスには、金糸で花や蔓草が惜しみなく描かれ、その合間には星を散らしたような細かな煌めきが広がっていた。幾重にも重なった裾が波のように広がり、その中央からは淡い色の布が覗いている。
以前よりも、はるかに美しく華やかな仕上がりになっていた。
これまで見てきたどんなドレスよりも美しいが、セシリアはこの一着について——リリアンナの美貌に負けることなく、共に輝くためのドレスなのだ、と言っていた。
ならば、その言葉を信じて、明日は胸を張ってこのドレスに袖を通そう。
そう思いながら隣へ目を向けると、そこにはガレスの衣装が用意されていた。
白を基調とした礼装に、深い瑠璃紺と金の装飾が惜しみなくあしらわれている。肩や胸元を飾る金細工と青い宝石が華やかさを添え、長い上衣の裏には、夜空を思わせる瑠璃紺が覗いていた。
並べてみれば、誰が見ても一目で分かる。
リリアンナとガレスのために作られた一対の衣装だった。
明日、この二着を身にまとって舞踏会に参加する。その姿を想像しただけで、リリアンナの胸が弾んだ。
「明日はセシリア様もお支度に来てくださるそうです」
「セシリア様が?」
「はい。ご自分の手で最後まで仕上げたいとおっしゃっていました」
「ですから明日のリリアンナ様は、最高に素敵になりますよ!」
「わたしたちにお任せください。王城中の者が振り返るくらいにしてみせます」
自信に満ちた二人の顔を見ていると、不安の入り込む余地などまるでなかった。
「ええ。二人にお任せしますわ。よろしくお願いいたします」
◇◇◇
「リリアンナ様」
部屋を出て廊下を歩いていると、後ろから穏やかな声がした。
振り返れば、ハンスが立っている。
「ハンスさん」
長年ヴァルグレイブ家に仕えてきた老執事は、いつもの柔和な笑みを浮かべていた。
「いよいよ明日が、婚約発表ですね」
「……はい」
その言葉を聞いた途端、これまでの出来事が胸をよぎった。
初めてこの屋敷へ来た日。ガレスと少しずつ言葉を交わし、互いのことを知っていった日々。
そして、自分の祝福について打ち明けることを決めた夜。
「ハンスさん」
「はい」
「改めて、お礼を言わせてくださいませ」
突然の言葉に、ハンスがわずかに目を瞬く。
「わたくしが祝福のことをガレス様へお話しすると決めたとき……ハンスさんが背中を押してくださらなかったら、きっと勇気を出せなかったと思うのです」
あのときは怖かった。真実を話せば、ガレスにも拒絶されるかもしれない。
そう考えるだけで、足が竦みそうだった。
「もしハンスさんとお話しできていなかったら、わたくしは婚約すること自体を諦めていたかもしれません」
「リリアンナ様」
「ですから、本当にありがとうございました」
リリアンナが微笑む。
ハンスはしばらく彼女を見つめたあと、ゆっくりと首を振った。
「お決めになったのは、リリアンナ様ご自身です」
「でも……」
「私は、ほんの少し背中を押しただけでございます」
穏やかな声だった。
「それでも、少しでもお力になれたのでしたら、これほど嬉しいことはございません」
その笑顔を見て、リリアンナも嬉しそうに頷いた。
ハンスは廊下の先へ視線を向ける。
「実は、旦那様からリリアンナ様をお呼びするよう申しつかっておりました。少し外の空気を吸いに行くと言ってらっしゃいましたので、お呼びしてまいります」
「いえ。わたくしから参りますわ」
「かしこまりました。では、上着だけお持ちいたします」
◇◇◇
夜の空気は冷たかった。ハンスが用意してくれた上着を手に、リリアンナが庭へ出る。
雲の少ない夜だった。月が明るく、無数の星がその周囲に瞬いている。
その空を見上げる、大きな背中があった。
「ガレス様」
「……リリアンナ?」
ガレスが驚いたように振り返る。
「どうしてこちらへ」
「少し、外の空気を吸いたくなりまして」
歩み寄ったリリアンナの腕に上着が抱えられたままなのを見て、ガレスは何も言わずにそれを受け取った。広げた上着を彼女の肩へ掛け、襟元まできちんと整えてから、ようやく手を離した。
少し前までなら、この程度のことでも互いにぎこちなく目を逸らしていただろう。けれど今は、ガレスの手つきにもリリアンナの受け止め方にも、ためらいはなかった。まるでずっと前からそうしてきたかのように。
「ありがとうございます。……星を見ていらしたんですか?」
「はい。昔から、星を見るのが好きなんです」
「そういえば、辺境は空気が澄んでいるから、星が綺麗に見えるのですよね」
「ええ。王都の空も悪くはありませんが、向こうはもっと星が降るように見えます」
ガレスは遠くを見るように目を細めた。
「領地に、大きな湖があるんです」
「湖?」
「はい。空気の澄んだ夜には、満天の星がそのまま湖面に映り込んで……空と水の境目が分からなくなる。見渡す限り、星空に包まれているような場所です」
低い声が、夜の庭に静かに溶けていく。
「とても綺麗な景色です」
リリアンナは、その言葉を胸の中でゆっくりと反芻した。
綺麗な景色。
その言葉から、ふと昔のガレスの台詞を思い出す。
次の瞬間、堪えきれなくなったように、リリアンナは口元へ手を当ててくすくすと笑い始めた。
ガレスが不思議そうに彼女を見る。
「どうしました?」
「ごめんなさい。初めて一緒に夕食をいただいた日のことを、思い出してしまって……」
ガレスが不思議そうに首を傾げる。
「覚えていらっしゃいますか? わたくしが辺境についてお尋ねしたとき、ガレス様が景色が綺麗だとおっしゃったでしょう?」
「ああ……」
ガレスにも心当たりがあったらしい。その顔に、何とも言えない表情が浮かぶ。
リリアンナは楽しそうに笑いながら、あの夜と同じ言葉を、あの夜と同じ調子でなぞった。
「いつか、その綺麗な景色を見てみたいです」
あのときガレスは、真面目な顔でこう答えたのだ。
『……魔物が出ますので、一人で見に行くのは危険です。おやめください』
それを覚えているリリアンナは、期待に満ちた目でガレスを見上げていた。同じ返事が来るのを、今か今かと待っている顔だ。
何を求められているのか、ガレスにもすぐに分かった。
少しばつが悪そうに視線をさまよわせてから、彼は律儀に口を開く。
「……魔物が出ますので」
あのときと一言一句違わない。リリアンナの目がいっそう輝き、続きを待つように身を乗り出す。
その顔を見下ろして、ガレスは内心で思った。
(可愛いな……)
あの日と同じ言葉を返せば、きっと彼女は嬉しそうに笑うのだろう。
けれど。
「一緒に見に行きましょう」
「……え?」
「俺が連れていきます」
リリアンナの目が、丸く見開かれた。
予想していた言葉とはまるで違う。楽しげに待ち構えていた表情がぽかんとしたものに変わるのを見て、ガレスはこらえきれずに笑った。
強面の辺境伯とは思えないほど、屈託のない笑顔だった。ちょっとした意趣返しに成功した少年のような——いや、年相応の青年らしい顔だ。
「……ずるいです、ガレス様」
「すみません」
謝りながらも、ガレスの口元はまだ緩んでいる。リリアンナも、頬を膨らませてみせたのはほんの一瞬で、すぐに笑い出してしまった。
危ないから行かないでくださいと言われたあの夜から、どれほどの時間が経ったのだろう。きっとガレスは宣言通り、リリアンナに綺麗な景色を見せてくれる。
それはもう、遠い未来の話ではなかった。
笑い声が夜気に消えてしばらくしてから、ガレスが改まったように口を開いた。
「……実は、あなたに用があったんです」
懐へ手を入れ、小さな箱を取り出す。
リリアンナは目を瞬いた。
大きな手のひらに載ると、その箱はいっそう小さく見える。ガレスは一度だけ息を整え、蓋を開いた。
月明かりが、中のものを照らし出した。
白銀色の、細身の指輪だった。
中央には、夜空を閉じ込めたような深い青の宝石が輝き、その周囲には小さな透明の石が控えめに添えられている。宝石を支える台座には、繊細な細工でヴァルグレイブ家の家紋が組み込まれていた。
「これは……」
「婚約指輪です。ぎりぎりになってしまいましたが、婚約発表までに間に合ってよかった」
リリアンナは、言葉もなく指輪を見つめていた。驚きのあとから、胸いっぱいに嬉しさが込み上げてくる。
ガレスが箱から指輪をつまみ上げた。武骨な指先には似合わないほど、慎重な手つきだった。
「……はめても?」
問う声が、わずかに硬い。
リリアンナは返事の代わりに、こくりと頷いた。
ガレスがそっとその手を取る。大きな手のひらに包まれると、リリアンナの手はすっかり隠れてしまいそうだった。
壊れ物を扱うような慎重さで、指輪がゆっくりと指へ通されていく。白銀の輪は、薬指の付け根でぴたりと止まった。
リリアンナは手を目の高さまで持ち上げ、月光にかざした。月明かりを受け、深い青の宝石が静かに煌めいている。
胸の奥がいっぱいになって、上手く言葉にならない。ただ、どうしようもなく幸せだった。
「リリアンナ」
リリアンナは顔を上げた。見上げた先で、ガレスの金色の瞳がまっすぐに自分を映している。
「一生かけて、あなたをお守りします」
迷いも飾りもない、ガレスらしい言葉だと思った。
リリアンナは返事を探すより先に、ただ幸せそうに微笑んでいた。
どちらからともなく、二人の距離が縮まる。ガレスが身を屈め、リリアンナがそっと目を閉じる。
月明かりの下で、二人の唇が重なった。
やがて離れたあとも、二人はしばらく互いを見つめていた。
ガレスの手の中に、まだリリアンナの手がある。その指には、深い青の婚約指輪が輝いている。
長かったようで、振り返ればあっという間の日々だった。
仮の婚約から始まった二人は、少しずつ互いを知り、想いを重ね、今では正式な婚約者となった。
そして明日の舞踏会で、二人が選んだ未来を王国中へ披露する——。
大変申し訳ないのですが、改稿に集中するため、一度更新をストップします。




