改稿中☆53 それぞれの思惑
※現在、改稿作業を進めています。
第1話から順番に、改稿版へ差し替えております。
差し替えが完了した話から、こちらの前書きは外していく予定です。
物語の大筋に変更はありませんが、細かな描写や内容については、改稿前と改稿後で異なる部分があります。
三人の声が、ぴたりと止まった。
「……王宮?」
ボーマンが勢いよく立ち上がる。
封蝋には、間違いなく王家の紋章が刻まれていた。急いで封を切り、中身へ目を走らせる。
「……舞踏会だ」
「まあ!」
妻の顔が一瞬で明るくなった。
「それなら、やっぱり新しいドレスが必要ですわね!」
「もう買っただろう!」
ボーマンは怒鳴ったものの、その口元には久しぶりに笑みが浮かんでいた。
王宮から招待された。
つまり、王家はまだバーリンガム侯爵家を見限ってはいない。ここで王族や有力貴族との繋がりを取り戻せれば、まだ家を立て直せるかもしれない。
招待状の文面は短い定型のものだった。
バーリンガム家だけに宛てられた言葉は一つもない。他の貴族へ送られたものと何ら変わらない、ごく普通の招待状である。
しかしボーマンは、その扱いが意味するところにすら気づいていなかった。
「デボア」
「……何ですの」
「招待客の名簿に、お前の名前もある」
「当然でしょう」
「いいか。今度こそ、絶対に問題を起こすなよ」
低い声だった。
「余計なことは言うな。誰かに何を言われても笑っていろ。あとルベルハルト伯爵令嬢にも近づくな。分かったな」
その名を聞いた途端、デボアの顔が露骨に歪んだ。だが、招待状へ目を落としているボーマンは、その変化に気づかなかった。
「今回の舞踏会は……ヴァルグレイブ辺境伯と、ルベルハルト伯爵令嬢の正式婚約を披露する場でもあるらしい」
「……は?」
デボアの手から、フォークが落ちた。硬い音が、食堂に響く。
「誰と、誰ですって?」
「ヴァルグレイブ辺境伯と、ルベルハルト伯爵令嬢だ」
「ヴァル……誰ですの?」
ボーマンは呆れたように眉をひそめた。
「一度、ヴァルグレイブ辺境伯家で顔合わせをしただろう」
「……?」
「出された料理を『家畜の餌の方がマシ』と散々なことを言っていたではないか」
そこまで言われて、ようやくデボアの記憶が繋がったらしい。
「ああ……あの、野蛮な顔をした田舎貴族ですのね」
まるで今思い出したと言わんばかりに、どうでもよさそうに言う。自分で縁談を台無しにしておきながら、相手の名前すらまともに覚えていなかった。
デボアにとって、ヴァルグレイブ辺境伯などどうでもよかった。
問題なのは、その男と結ばれるのが——リリアンナだということだ。
王家が主催する舞踏会で正式婚約を披露し、大勢の貴族たちの前で祝福される。デボアには、それがまるで、あの女のために王家が舞台を用意したかのように思えた。
そんなもの——。
(許せるわけがないでしょう!)
信じられなかった。
あの女だ。——三年前、自分が社交界から追い出したはずの女が。
もう二度と戻ってこられないと思っていた。それなのに、何食わぬ顔で社交界へ戻ってきた。
シャルテンロー侯爵夫人に認められ、クロードからも能力を評価され、今度は王家主催の舞踏会で正式婚約まで披露するという。
自分が追い落としたはずの女が、以前よりもずっと華やかな場所に立っている。
その事実が、デボアにはどうしても許せなかった。
「——デボア」
父の声が、遠くから聞こえた気がした。
「聞いているのか。今度こそ大人しくしていろと言っているんだ」
デボアはゆっくりと顔を上げた。
「……ええ、お父様」
あまりにも素直な返事に、ボーマンはわずかに目を見開いた。
「分かりましたわ。わたし、大人しくしております」
そして、にっこりと笑う。
非の打ちどころのない、美しい侯爵令嬢の笑みだった。
ボーマンは一瞬、妙な違和感を覚えた。
これまで何かを禁じれば、デボアは必ずと言っていいほど反発してきた。それが今日は、あっさりと頷いている。
だが、深く考えるより先に、ボーマンは自分にとって都合のいい答えへ飛びついた。
——さすがに娘も、家の状況を理解したのだろう。
ボーマンは満足げに息を吐き、招待状を懐へ収めた。
◇◇◇
自室へ戻ったデボアは、扉を閉めるなり鏡台の前へ座った。
鏡の中の自分は、今日も美しい。
何一つ欠けていない。
それなのに、デボアへの招待状は減り、取り巻きは去り、縁談は途絶え、父は毎日わめき散らす。
なぜ。
(あの女が、戻ってきたからだわ)
デボアは、迷うことなくそう結論づけた。
そして、その答えを疑おうとはしなかった。自分がここまで追い詰められた理由が、本当にすべてリリアンナにあるのか——そんなことは、考えもしない。
デボアは引き出しを開け、奥にしまってあった扇を取り出した。金属の仕込まれた、あの重い扇だ。
開いて、閉じる。
ぱちん、と乾いた音が、静まり返った部屋に響く。
(王家が舞台を用意してくださるなんて、本当に運がいいこと)
王族が並び、高位貴族が集う。王国中の視線が、一つの場所へ注がれる。
そこでリリアンナは、ヴァルグレイブ辺境伯の婚約者として祝福される。
ならば——。
デボアは再び扇を開いた。
その最も華やかな瞬間を、最も惨めなものに変えてやればいい。
開いた扇の向こうで、デボアの唇がじわりと歪んだ。美しい顔立ちには似つかわしくない、悪意に満ちた笑みだった。
——三年前と同じように、皆の前で、あの女の化けの皮を剥がす。
誰にも庇えない場所で。誰にも言い逃れのできない場所で。
今度こそ、二度と立ち上がれないように。
ぱちん。
扇が閉じる。
鏡の中には、美しく微笑む侯爵令嬢がいた。その自信に満ちた表情には、自分が負ける未来など存在していないようだった。
デボアはリリアンナへ語りかけるように、囁いた。
「楽しみにしていなさい、リリアンナ・ルベルハルト。今度こそ、すべて終わらせてあげるわ」
◇◇◇
同じ頃。
ヴァルグレイブ邸の一室では、リリアンナが一枚の紙へ目を落としていた。
王家との調整を終え、ようやく確定した舞踏会の招待客一覧である。
王族と縁の深い高位貴族、今回の婚約に関わった者たち、社交界で影響力を持つ家々。そして、その中には——。
バーリンガム侯爵家。
さらに、その名の下にはデボア・バーリンガムの名も記されていた。
その名を見つめながら、リリアンナの指先は、自然と左腕の装飾具へ触れていた。
じつは、招待客の中にデボアの名を加えてほしいと言ったのは、リリアンナ自身だった。
シャルテンロー侯爵夫人のサロンで、デボアがリリアンナに怪我を負わせた一件。その後も、バーリンガム侯爵家から正式な謝罪は一度もなかった。
だからこそ、大勢の貴族が見守る前で、デボア・バーリンガム本人から正式に謝罪を受け、そのうえでガレスとの婚約を祝福してもらう。
それをもって、彼女とのことに一つの区切りをつけるつもりだった。
正直なところ、恨み言ならいくらでもある。できることなら、同じだけ痛い目を見せてやりたい。そう思ったことだって、一度や二度ではない。
デボアのしたことで、リリアンナ自身がどれほど傷ついたか分からない。それだけではなく、家族や友人をはじめ、自分の周囲にいる大切な人たちまで巻き込み、迷惑をかけることになった。
それを、なかったことにできるほど、リリアンナは寛大ではなかった。
けれど、もう過ぎたことだ。どれほど思い返したところで、時間が戻るわけではない。
デボアへの怒りや恨みに時間を費やすくらいなら、その時間を、自分の大切な人たちのために使いたかった。
だから、少なくともシャルテンロー侯爵夫人のサロンでの一件について、デボアが自分の非を認めて謝罪するのなら、それでいい。
三年前のことまで蒸し返すつもりはなかった。
その謝罪を受け入れ、それをもって彼女とのことは終わりにする。
リリアンナは、そう決めていた。
けれど——。
三年前、デボアはリリアンナの装飾具を外し、夜会の広間を混乱に陥れた。
その混乱の中でマリアベルが傷つき、人々が我先にとリリアンナへ殺到する惨状を目の前にしても、デボアは笑っていた。
そして先日のサロンでは、招かれた客人の身でありながら、主催者の侍女を重い扇で殴ろうとし、止めに入ったリリアンナにまでその扇を振り上げた。
これまでのことを思えば、今度は何もしないだろうと楽観してはいられない。
もしも、また同じようなことをするつもりなら。自分を傷つけるだけではなく、自分の祝福を利用して、大勢の人まで巻き込もうとするのなら。
(許すことはできない)
リリアンナの瞳に、強い意志の光が宿った。
三年前とは違う。
リリアンナ自身には、誰かを力ずくで取り押さえるような力はない。けれど、非力であることと、無力であることは違う。
もしまた、誰かが傷つくような振る舞いを見せるのなら——。
今度はこちらが、何をされても対処できるよう準備を整えて待てばいい。
リリアンナは左腕の装飾具から手を離した。頭の中には、すでに一つの考えが形になり始めていた。
それを実行するには、どうしてもガレスの力が必要になる。
リリアンナは立ち上がった。そのままガレスのいる部屋へ向かい、扉を開く。
「ガレス様」
ガレスが顔を上げる。金色の瞳が、リリアンナを捉えた。
リリアンナはその目を、まっすぐに見返した。
「お願いがございます」
こうして、二人の令嬢はそれぞれの思惑を胸に、舞踏会へ向けて動き出した。




