改稿中☆48 熊男と手紙の少女
※現在、改稿作業を進めています。
第1話から順番に、改稿版へ差し替えております。
差し替えが完了した話から、こちらの前書きは外していく予定です。
物語の大筋に変更はありませんが、細かな描写や内容については、改稿前と改稿後で異なる部分があります。
「よっしゃあああ!」
地響きのような雄叫びが上がった。——バルドである。熊のような大男だ。
その手には「当たり」と書かれた紙が握られている。
「くそっ、また隊長か!」
「次こそ俺が引きますから!」
バルドは仲間たちの恨みがましい視線をものともせず、長椅子の上へ手を伸ばした。
「はっはっは! 悪いな! 今日は俺と散歩だぞ、リリィ!」
「きゃん!」
勢いよく飛び出してきたふわふわをバルドが抱き上げる。
ふわふわもといリリィは以前、ヴァルグレイブ邸に迷い込んできた子犬で、飼い主も親も見つからなかったため屋敷で引き取った。兵士たちが中心となって育てている。
その中でもリリィの散歩当番は兵士たちの間で大人気で、希望者が多すぎるのでくじ引きで当番を決めることになっていた。
見事当たりを引き当てたバルドは、上機嫌でリリィを連れて屋敷の外へ出ていった。
◇◇◇
向かったのは、王都にある大きな公園だった。
もっともバルドが歩くのは、噴水や花壇のある賑やかな一帯ではなく、その奥の遊歩道から外れた森の中である。わざわざ舗装されていない道を通る人は少ないので、リリィをのびのび歩かせられた。
「んー。天気が良くて気持ちいいなあ」
「きゃん」
木々の間を風が吹き抜ける。落ち葉を踏みしめながらゆっくりと森の中を進んでいった。
「……、すぐ……て、すみ…………」
「ん?」
風と鳥の鳴き声の中に小さい声が混じった。普通の人なら聞き流してしまうようなか細い声だったが、バルドの耳はそれをしっかり拾っていた。
「誰かいるな」
「きゃう」
声の方へ向かうと、木々の向こうの広まった空間に、小柄な少女がいた。
リリアンナより少し背が高いくらいだろうか。濃い灰色の長い髪を左右で三つ編みにして、大きめの丸眼鏡をかけている。仕立ての良いワンピースを着ているので、そこそこの家の子女なのだろう
その少女が、一通の手紙を両手で捧げ持ち、何もない空間へ向かって話しかけていた。
「あの時、会いに行けなくて、すみ……すみませんでした! また、あの、と、と、と……」
そこまで言って先が続かず、少女はやがてがっくりとうなだれる。
「……駄目。もう一度……」
誰もいない空間へ、再び手紙を構えた。
バルドは首をひねる。
どうやら、少女は誰かに謝る練習をしているようだ。一人きりだというのに、ひどくおどおどとしている。
バルドは特に忍ぶこともせずに、どすどす落ち葉を踏みしめて少女へ近づいた。
「こんにちは!」
「ぴゃああああ!」
練習に集中していた少女は、バルドの存在に気づいていなかったらしい。腹の底から響く威勢の良い挨拶に、思い切り跳ね上がった。そしてそのまま脱兎のごとく近くの木の裏へ姿を消す。
「おわ!? すんません! 驚かせるつもりはなかったんですが!」
「ひえっ……熊!」
「いやいや、人間っすよ!」
木の陰からほんの少しだけ顔を出した少女は、びくびくと分かりやすく怯えている。
「参ったなあ……」
「きゃん」
バルドが頭をかいていたら、リリィが足元で鳴いた。途端バルドの目が輝く。彼はリリィをひょいと抱き上げると、自分の顔の前へ掲げた。
「やあ、わたくしリリィだわん。たまたま声が聞こえて、気になって見に来たんだわん! お嬢さんは何をしているんだわん?」
「きゃうん」
怯えていた少女の表情に困惑が混ざる。
急に現れた熊のような大男が、子犬を掲げて裏声で話し始めた。
どう考えても正気ではない。
しかも、返事がないことに対して諦めて引くつもりもないらしい。堂々と立ったまま微動だにしない。
向き合うこと数分。少女は、このまま黙っていても埒が明かないと悟り、恐る恐るここにいる理由を話し出した。
「……れ、練習を、していました」
「何の練習だわん?」
「……謝罪の、練習です」
◇◇◇
しばらくして、バルドと少女は、少し離れた木の根元に並んで座っていた。リリィはいまだバルドの顔の前で機嫌よく尻尾を振っていた。
少女はぽつり、ぽつりと話し出した。
「……わたし、王都に大切なお友達がいたんです。けれど相手に誤解をさせてしまうことがあって、ちゃんと説明したかったんですけど。その……事情があって連絡もできないまま王都を離れることになってしまったんです」
膝の上で手紙を握りしめる。
「この間、ようやく王都へ戻ってこられたので……。だから、会って謝りたくて」
「なるほど。それで練習を……わん」
「はい。わたし、人とお話しするのが……得意じゃないから、いきなり会っても、絶対まともに謝れません」
力なく頷く少女。ただでさえ小さい身体が、しゅんと縮こまっていた。それを見てバルドは、なんとも言えない落ち着かない気持ちになった。
辺境の人間は、周りが大きなものばかりに囲まれて育つせいか、小さくて弱そうな命を見ると、どうしても大事にしたくなる。
(だめだ。放っておけねえ)
「よし。決めた!」
「え?」
「ここで会ったのも何かの縁。俺……わたくしを練習相手にするのはどうだわん」
「え、あの、でも、そんなご迷惑は……」
「迷惑じゃないわん。散歩のついでだわん」
「きゃん!」
リリィも同意した。
少女はしばらく迷った末、小さく頷いた。
「……で、では。お願い、します」
◇◇◇
こうして、熊男と手紙の少女の奇妙な謝罪練習が始まった。
「じゃ、わたくしがお友達役ってことで。どうぞだわん!」
「きゃん」
「はい!」
少女はすっくと立ちあがり、手紙を両手で持ち上げる。そして。
「こ、このたびは! わ、わたしの不徳のいたすところにより、た、た多大なるご迷惑とご心痛をおかけしましたことを、心より——」
「待った待った待った!」
バルドが両手を振って止めた。
「……ど、どこかおかしいところがありましたか」
「いや、おかしいっつーか……友達なんすよね?」
「はい。大切なお友達……」
そこで少女は、はっと目を見開く。次の瞬間この世の終わりのような顔でずーんと沈みこんだ。
「……もう、友達と思っているのはわたしだけなのかも……」
「いやいや! まだ会ってもいないじゃねえですか! 分かんないでしょ、そんなの!」
「きゃん、きゃん」
「でも……」
「でもじゃねえっす! こういうのはね、勝手に決めつけるのが一番よくないんすよ」
「きゃうん!」
「ううぅ……すみません」
二人の勢いに押され、少女はなんとか持ち直す。
「うし、もう一度いきましょう!」
「はい!」
こほん、と小さく咳払いをして、
「あの……ええと、その……」
「うん」
「あ……」
「うん?」
「…………」
十秒経過。
「……終わりっすか」
「す……すみません、すみません。まだ何も始まっていません」
少女は何度も何度も頭を下げた。
「いや、こういうのは練習あるのみっすよ……わん。謝りたいんでしょう? 頑張りましょうや」
「きゃう、きゃん!」
リリィがやけにきりっとした顔で吠えた。
少女も拳を握って顔を上げる。
「……はい。もう少し、頑張ってみます!」
「うし! その調子ですわん!」
「……」
「……」
沈黙。
「……あれ? 練習しないわん?」
「え? まだ手伝ってくださるのですか」
「そういう流れでしたよね」
「そ、そうなんですね……」
本人が言った通り、本当に人と話すのに慣れていないのだろう。人と話した経験が少ないから、いざとなると言葉が出てこない。そして、ときどき妙にずれた受け止め方をする。小さい頃からガレスを見てきたバルドには、そういう不器用さが手に取るように分かった。
(なんか、閣下と似てるんだよなあ)
もちろん、目の前の少女のようにおどおどしているわけではない。それでも妙に親近感が湧いて、バルドはますます放っておけなくなった。
◇◇◇
「リリィ。今日も頼むぞ」
「きゃんっ!」
次の日も、その次の日も。少女が練習するというので、バルドも森へ通った。
「ごきげんようですわん」
「あ、あの……さすがにもう、リリィさんのふりをしなくても、怖がらないです……」
「あ、そうっすか」
「きゃん」
バルドはあっさりリリィを下ろした。
少女から見たバルドは、最初こそ熊のように大きくて恐ろしく見えたが、何度か話してみれば、明るくて気さくで人懐こく、自分が変なことを言っても呆れた顔一つせず練習に付き合ってくれ、落ち込めば必ず励ましてくれた。
まるで自分とは正反対だ、と少女は思った。そんなバルドを少し羨ましくも思っていた。
何度も練習を重ねた甲斐あって、最初は一言目すら出てこなかった謝罪も、今ではつっかえながら最後まで言えるようになっている。
バルドが背中を叩く真似をした。実際に叩いたら吹き飛ぶので、真似だけである。
ところが、少女はそこで何か言いたそうにもじもじし始める。
「あの……」
「ん?」
「……ずうずうしいお願いなんですけど。謝りに行くときに、一緒についてきていただけませんか」
丸眼鏡の奥の目が、おずおずとバルドを見上げる。
「一人だと、やっぱり少し心細くて……あっ、ご迷惑ですよね、すみません、今のは忘れて——」
「もちろん良いっすよ」
バルドはにかっと笑って快諾した。
「そういうのは付き合いますって。ここまで来たんだ、最後まで見届けますよ」
「……っ、ありがとうございます!」
少女が、深々と頭を下げた。
そこでバルドは、はたと思い出した。
「——あっ、やべ」
「どうされました?」
「今日、うちのご主人から大事な話があるって言われてたんすよ。そろそろ戻らないと」
空を見上げれば、日はすでに傾き始めている。
「あ、はい! 引き止めてしまってすみません!」
二人は、次に会う日時を手早く決めた。
リリィを抱え上げ、いざ帰ろうとしたところで——バルドは、ふと足を止めた。
「あー……そういや、俺、まだお嬢さんの名前聞いてなかったっすね」
「あ……」
少女が、目を丸くした。
言われてみれば、確かにそうだった。何日も一緒に練習していたのに、互いに名乗ってすらいなかった。
バルドはリリィを抱え直し、改めて少女へ向き直った。
「俺はバルドっす。ヴァルグレイブ辺境伯家で兵士をやってます」
少女は慌てて姿勢を正して、貴族令嬢らしい丁寧な礼を取る。
「わたしはマリアベル・ケージと申します。ケージ子爵家の娘です」
「マリアベルさんっすね」
「はい。……バルドさん」
初めて名前を呼ばれ、バルドはどこか照れくさそうに頬を緩めた。
こうして二人は、それぞれの帰り道へ分かれた。
◇◇◇
ヴァルグレイブ辺境伯邸の広間には、屋敷中の人間が集められていた。
使用人も、兵士も、文官も、厨房の者も。ずらりと並んだその前に、ガレスとリリアンナが立っている。
「皆に報告があります。本日、王家より正式な承認をいただき、俺とリリアンナの婚約が正式に成立しました」
一瞬の沈黙のあと。
「うおおおおおおお!」
大歓声が上がった。
「おめでとうございます、旦那様! リリアンナ様!」
「リリアンナ様のことは、奥様ってお呼びした方がいいのか」
「やったぞ! 宴だ!」
「宴はこの間やったでしょう」
すかさずレオンがぴしゃりと突っ込む。
ひとしきり騒ぎが収まったところで、ガレスが続けた。
「それから、この機会に伝えておきたいことがある」
ガレスのまとう空気が変わったことで、皆の表情も引き締まる。
「リリアンナの『事情』を——。皆にも、知っておいてもらいたい」
ガレスは、必要な範囲だけを話した。
『魅了の祝福』のこと。リリアンナに事実無根の悪評が広まっていたこと。そのために彼女はひどい目にあい、社交界から孤立していったこと。今ようやく事情が明らかになりつつあり、再び社交の場へ戻り始めていること。
聞いていた者たちの顔が、次第に険しくなっていく。
「なんだそれ……」
「王都の連中も冷てえや」
誰かが吐き捨てるように言った。
「一人くらい味方になってやろうって奴はいなかったんですか」
その言葉に、リリアンナが懐かしそうに微笑んだ。
「一人だけ、わたくしが孤立していた頃に、仲良くしてくれた方がいましたわ。とても人見知りな方でしたけれど……優しい方でした。その方のお名前は、マリアベル様とおっしゃるのですが」
「ん?」
「そんな方がいるんですね。今も王都にいるなら、うちに呼んだらどうですか」
リリアンナが首を振った。
「それが……わたくしの祝福の騒動に巻き込んで、怪我をさせてしまったのです。何度かお詫びの手紙も送ったのですが、マリアベル様のお父様から、もう関わらないでほしいと言われてしまって……それきり、一度もお会いできていません」
ガレスがリリアンナの肩を引き寄せる。しんみりとした空気が、広間に流れた。
その中で、バルドだけが微動だにせず立ち尽くしていた。
——待て。
友達と誤解が生まれた。連絡が取れないまま王都を離れた。
『わたしはマリアベル・ケージと申します。ケージ子爵家の娘です』
「ええええっ……!?」
屋敷中に、バルドの大声が響いた。全員の視線が一斉に集まる。
ガレスが怪訝そうに眉を上げた。
「どうしました?」
「あ……いや、その……」
バルドの額に汗が浮かぶ。
(なんて言えばいいんだ!?)
たぶん、きっと……リリアンナの言うマリアベルは、自分の知っているマリアベルと同一人物だ。
そしてつい先ほどまで、そのマリアベルの謝罪練習に付き合っていた。しかも、リリアンナへ謝りに行くのに、一緒についていく約束までしていたのだ。
「きゃうん……」
足元にリリィが寄ってくる。バルドは反射的にリリィを抱き上げ、自分の顔の前へ持っていった。
「何でもないですわん……」
「きゃん……」




