改稿中☆43 悪評令嬢、求婚される
※現在、改稿作業を進めています。
第1話から順番に、改稿版へ差し替えております。
差し替えが完了した話から、こちらの前書きは外していく予定です。
物語の大筋に変更はありませんが、細かな描写や内容については、改稿前と改稿後で異なる部分があります。
夜会から数日後。ヴァルグレイブ邸の前に、一台の馬車と荷台が止まった。
知らせを受けて玄関まで出てきたリリアンナは、思わず目を瞬いた。
「……お父様。これは、いったい」
「全部、うちに届いたものだよ」
荷台には花束が積み上がり、その隙間を埋めるように箱と、紐でくくった手紙の束が並んでいた。
「話は、中でしようか」
ロイドは苦笑した。
◇◇◇
運び込まれた品々で、応接室の一角がすっかり埋まっていた。
卓上には手紙の束。その周囲には花束や贈り物が並んでいる。
卓につくのは、リリアンナ、ガレス、ロイド、レオンの四人。後ろにはハンスとエマ、フィーネが控えている。
「先日の夜会の反響でしょうか。茶会や夜会のお誘いが、こんなに」
リリアンナが手紙の山を見て嬉しそうに言うと、ロイドが小さく笑った。
「それもあるんだけどね。……半分以上は、お前への縁談の申し込みだよ」
「……え」
リリアンナが絶句する。その隣で、ガレスまで固まっている。
レオンが手紙を何通か取り上げ、差出人を確認していく。
「……これはまた、条件のいいものもありますね」
その口調に、驚きの色はほとんどなかった。ハンスもフィーネも、同じような顔をしている。
リリアンナが目を引くほど美しいことも、立ち居振る舞いに品があることも、話してみれば教養と知性を備えていることも、彼らはよく知っている。そのうえシャルテンロー侯爵夫人をはじめとする高位貴族たちが、こぞって好意的に迎えたのだ。
そして表向き、彼女に婚約者はいない。
これほど条件の整った令嬢なら、いつ婚約者が決まってもおかしくない。そう考えた家々が、他に先を越される前にと一斉に動き出したのだろう。
こうなることは、ある程度予想がついていた。
「全部お断りしてください」
ガレスが即座に言った。
レオンが顔も上げずに答える。
「閣下にその権利は、まだございませんが」
「…………」
「そうですよねぇ。正式な婚約者でしたら、堂々と口を出せたのですけれど」
フィーネが後ろから、実に楽しそうに言い添えた。
「ええ、まったくです。今のところ旦那様は、表向きただの善意でリリアンナ様をお預かりしているお方ですから」
ハンスまで珍しく乗ってくる。
ガレスの巨体が、目に見えてしぼんでいった。
「当然です!」
その中で、エマだけが力強く胸を張っていた。
「リリアンナ様はとてもお優しくて、聡明で、お美しくて、こんなに素敵な方なんですから、縁談がたくさん来るのは当たり前です!」
そんなエマの熱弁をよそに、当のリリアンナはといえば、山と積まれた花と手紙を前に、ただ困惑していた。
悪評にまみれ、これまで縁談ひとつ持ち上がらなかった自分に、こんなにも多くの申し込みが来るなんて。
嬉しくないと言えば、嘘になる。悪評しか知らなかった人たちが、実際の自分を見て評価を改めてくれた。その結果が、この山なのだ。
けれど。
リリアンナは、そっと隣へ視線を向けた。ガレスは難しい顔をして黙り込んでいる。
(迷うことなど、何もありませんのに)
どれほど条件がよくても、すべてお断りする。自分が誰と生きたいのかは、もう決まっている。
その言葉を、リリアンナは胸の内に留めておいた。
◇◇◇
「縁談の話は、いったん脇へ置きましょう」
レオンが、別の束を卓の中央へ寄せた。
「こちらは招待状です。夜会、茶会、サロン。……こちらもなかなかの数ですね」
「今の流れを止めないためにも参加はしていきたいです」
リリアンナが言う。それにレオンが頷いた。
招待状の精査が始まる。
茶会やサロンは、信頼できる主催者のもので女性限定であれば積極的に参加していき、夜会は出席するものを絞ることにした。
条件は、前回リリアンナへ好意的だった有力貴族へつながっていること。主催者に信用が置けること。さらに何があっても対処できるように、ガレスも出席できるもので候補を絞っていく。
「——このあたりが妥当かな」
ロイドが一枚を選び出す。ガレスは複雑な表情で、手紙へ目を落とした。
社交を続ければ、リリアンナの評価はさらに上がるだろう。それは喜ばしい。喜ばしいのだが——同時に、あの縁談の山が、もう一回り大きくなるということでもある。
リリアンナが首を傾げる。
「ガレス様?」
「いえ。……分かりました。もちろん俺も出席します」
ガレスは、それだけを言った。
◇◇◇
それから数日後。リリアンナは、再び夜会の場に立っていた。
今夜身につけているのは、メゾン・セシリアで仕立てた二着目のドレスだ。
淡いローズベージュのふんわりとしたスカートのドレスは、前回の大人びたものに対して、小柄なリリアンナによく似合う、可憐で愛らしい一着だった。
胸元には、ガレスから送られた花の形のブローチが留められている。金細工でかたどられた花の中央には琥珀の石がはめ込まれていた。
三着目のドレスは、セシリア曰く「とびきりの傑作」にするらしく、まだ仕立ての最中だった。
会場には、幸いヴィクトワールとアデルの姿もあった。
「ごきげんよう、リリアンナ様」
「まあ、そのドレスも素敵ね! もしかしてまた、セシリアのドレスかしら」
二人への挨拶から始まり、前回知り合った貴族たちとも自然に言葉を交わしていく。けれど、前回とは明らかに違うことがあった。
「先日の夜会でお見かけしました」
「一度お話ししてみたいと思っていたのです」
ヴィクトワールから紹介されなくても、向こうから声をかけてくる場面が増えている。
リリアンナは一人一人へ丁寧に応じた。
その様子を、ヴィクトワールは離れたところから満足そうに眺めていた。
もはやこれは、シャルテンロー侯爵夫人の後ろ盾で成り立っている評価ではない。リリアンナ・ルベルハルト自身への評価が、ようやく動き始めている。
一方、少し離れた場所ではガレスがその光景を眺めていた。
彼の周囲には、軍務や外交に関係する貴族が集まっている。彼らはガレスの能力も実績も知っているから、ガレスの外見など気にしない。
けれど、それ以外はいつも通りだ。近づいてきた令嬢がガレスの顔を見るなり足を止め、そのまま引き返していく。
慣れている。慣れてはいるのだが。
ガレスの目は、広間の反対側を追っていた。
リリアンナの周囲には、常に人がいる。談笑の輪が生まれ、途切れず入れ替わっていく。三年間、誰も寄りつかなかった令嬢の周りに、だ。
それ自体は心から嬉しいと思う。
その輪の中に、若い令息が何人か混じっていることを除けば。
あそこにいるのが、本来のリリアンナなのだろう。
美しく、聡明で、誰と話しても気後れせず、自然と人が集まってくる女性。あの輪こそが、彼女が本当は立っているはずだった場所だ。
もし魅了の祝福がなければ。悪評に苦しめられることさえなければ。彼女はきっと、デビュタントの年に人が押し寄せるほどの縁談を受け、とうに誰かの妻になっていた。
そうなっていれば、自分と出会うことすらなかっただろう。
野獣と呼ばれ、顔を見ただけで令嬢に逃げられる男が、彼女の隣を歩く未来など、どう考えても存在しなかった。
——彼女は、本当に俺などでいいのだろうか。
思ってしまってから、ガレスは酒杯を傾け、その味がまるで分からないまま飲み下した。
◇◇◇
夜会も中盤に差しかかる頃には、リリアンナもさすがに少し疲れていた。
話が途切れたところで、いったん広間を離れる。廊下へ出れば、人の声も音楽も少し遠くなった。
その姿に気づいたガレスも、会話を切り上げてあとを追う。
(腕はもうだいぶよくなっているとはいえ、まだ無理はさせたくない)
声をかけようとした、そのときだった。
「ルベルハルト嬢」
一人の男性が、リリアンナへ声をかけた。
ガレスの足が止まる。
見覚えがあった。ヴィクトワールの夜会で、リリアンナが有力貴族たちと話していた輪の中にもいた男だ。
二人が何か話し始める気配を察して、ガレスは柱の陰で足を止めた。
割って入るべきではない。そう判断して、そのまま姿を見せなかった。
「お引き止めして申し訳ありません。少しだけ、よろしいでしょうか」
男は、丁寧に頭を下げた。
姿勢がよく、身なりにも所作にも育ちのよさが表れている。整った顔立ちだが、それを鼻にかけた気配はなかった。
「ミラヴェル侯爵家のビクトール・ミラヴェルと申します。先日の夜会で、モンフェール侯爵の輪でご一緒させていただきました」
「ええ、覚えております」
「実は……先日、ルベルハルト伯爵家へ縁談の申し入れを差し上げた者です」
もちろんリリアンナもその名は分かっていた。
「差し出がましいとは思いますが、直接お伝えしたくて」
ビクトールは、誠実な目でリリアンナを見た。
「正直に申し上げます。あなたのことは噂で耳にするばかりでした。ですが実際にお会いして、それが随分と一面的な話だったのだと思い知らされました。物事をよく考え、相手の話に耳を傾ける。立場の違う者にも礼を失わない。……あなたと話した時間は、とても心地よいものでした」
そこでわずかに言葉を切り、ビクトールは続けた。
「私はその時、これからもあなたとともにいたいと思いました」
ガレスは息を呑んだ。
リリアンナは黙って話を聞いている。
「ミラヴェル家は、いずれ私が継ぎます。あなたに不自由な思いをさせるつもりはありません。……祝福のことも承知しております。そのうえで申し上げます」
ビクトールは姿勢を正した。
「リリアンナ様。どうか、私と結婚していただけませんか」
柱の陰で、ガレスは動けずにいた。
——申し分のない男だ。
家柄も申し分なく、若く、姿もよく、礼儀も弁えている。あの男が近づいても、令嬢たちが顔を強張らせて逃げることはないだろう。侯爵家の跡取りとして、将来も約束されている。
条件を並べれば、自分よりずっと優れている。彼女があの男を選ぶ理由なら、いくらでもあった。
「ありがとうございます」
その返事を聞いた瞬間、ガレスの中で何かが音もなく崩れた。彼女は、あの男を受け入れたのだと思った。
「わたくしのような者へ、そのようなお言葉をくださったこと。それも、祝福のことまでご承知のうえでとおっしゃっていただいたこと。心より、嬉しく存じます」
「では——」
「ですが、お受けすることはできません」
その言葉に、迷いはなかった。
「わたくしには、心に決めている方がおります。その方以外との結婚は、考えられません」
リリアンナは、まっすぐに相手を見て言った。
ビクトールはしばらくリリアンナを見つめ、それから小さく笑った。
「なるほど。……そこまで想われている方がおられるのでしたら、私に勝ち目はありませんね」
「申し訳ございません」
「いいえ。むしろ、はっきりお答えいただけてよかった」
ビクトールは、もう一度きちんと頭を下げた。
「不躾なことを申しました。……どうか、お幸せに」
それ以上何も求めず、彼は広間へと戻っていった。
その背が見えなくなると、リリアンナは詰めていた息をゆっくりと吐き出した。
誠実な人だった。だからこそ、はっきりと断らなければならなかった。
ようやく肩の力が抜ける。
「……リリアンナ」
「きゃっ」
突然聞こえた声に、リリアンナが飛び上がる。振り返ると、柱の陰からガレスが出てくるところだった。
なぜここに、と思ってから、リリアンナは自分の顔がみるみる熱くなるのを感じた。
「あの、もしかして」
「すみません。盗み聞きするつもりはなかったのですが」
「……聞いていらしたのですね」
「はい」
ガレスは気まずそうに視線を逸らした。
「声をかけようとしたところで、あの方が先に貴女へ話しかけたので」
「そ、そうでしたか」
二人のあいだに、妙な沈黙が落ちる。
「……あの」
「はい」
「先ほど仰っていた……心に決めている方、というのは」
リリアンナの頬はリンゴのように真っ赤だった。
「もちろん、ガレス様のことですわ」
「……そう、ですか」
「はい」
「……ありがとうございます」
絞り出すような声だった。
ガレスがそれ以上何も言えずにいるので、リリアンナの方が耐えきれなくなって、そっと顔を伏せる。
廊下の静けさに、広間の音楽だけが遠く響いていた。
しばしの沈黙のあと、ガレスがもう一度口を開いた。
「……リリアンナ」
「はい」
「俺たちの婚約を正式に発表しませんか」
リリアンナが、驚いて顔を上げる。
「悪評を覆すために、貴女自身を見てもらうことを優先してきました。俺の名を先に出せば、辺境伯家の後ろ盾があるからだと言う者が必ず出る。……夫人の言ったとおりでした」
ガレスは、広間の方へ目をやった。
「ですが、その成果はもう十分に出ています。……そして俺は、これ以上、貴女を曖昧な立場に置いておきたくありません」
視線が戻ってくる。
「今夜、貴女の隣に立てないことが、俺は嫌でした。……今度こそ、皆の前で、婚約者として隣に立ちたいのです」
リリアンナは、ふんわりと微笑んだ。
「……わたくしも、同じことを申し上げようと思っておりました」
その言葉を聞いた瞬間、先ほどまでガレスの胸の奥に巣食っていた不安が、一気に押し流されていく。
たまらず腕を伸ばし、リリアンナを抱き寄せた。
「あ……」
小さな声が漏れる。
「……リリアンナ」
低く呼ばれた名前に、リリアンナの胸が震える。顔を上げると、すぐそこに、切実な色を宿したガレスの金の瞳があった。
リリアンナは逃げなかった。むしろ、わずかに顔を上向ける。
どちらからともなく距離が縮まり、唇が重なった。
触れるだけの、ぎこちない口づけだった。すぐに離れようとしたガレスの上着を、リリアンナの左手がきゅっと握る。
すぐにガレスの腕が彼女を力強く引き寄せた。
再び重なった唇は、先ほどとはまるで違う。ためらいを振り切った口づけに、リリアンナは息をすることさえ忘れる。
胸元を掴んだ指先に、思わず力がこもった。
それでも、離れてほしいとは少しも思わなかった。
その気持ちが伝わったのか、ガレスの腕が背へ回り、逃がすまいとするようにさらに力が入る。リリアンナはただ彼に身を預けた。
触れる唇も、抱きしめる腕も、痛いほどまっすぐに彼の想いを伝えてくる。
胸の奥まで、ガレスでいっぱいになっていくようだった。




