改稿中☆41 ヴィクトワールの来訪
※現在、改稿作業を進めています。
第1話から順番に、改稿版へ差し替えております。
差し替えが完了した話から、こちらの前書きは外していく予定です。
物語の大筋に変更はありませんが、細かな描写や内容については、改稿前と改稿後で異なる部分があります。
それから数日後。シャルテンロー侯爵夫人が、辺境伯邸を訪れた。
本来であれば、客人を応接室へ迎えるのが筋である。だがリリアンナの右腕はまだ固定されたまま、医官からも安静を言い渡されていた。そのため今回は、ヴィクトワールの方から彼女の部屋を訪ねることになった。
寝台に身を起こしたリリアンナのそばには、ガレスが付き添っている。
そしてヴィクトワールの後ろには、見覚えのある侍女が一人控えていた。リリアンナがかばった、シャルテンロー家の侍女だった。
「本日は、お時間をいただきありがとうございます」
ヴィクトワールが、まず挨拶を述べる。
「こちらこそ、お越しくださりありがとうございます」
リリアンナが答えると、ヴィクトワールの視線が固定された右腕へ向かった。
一瞬、その表情が険しくなる。それから改めてリリアンナへ向き直り、姿勢を正した。
「リリアンナ様。先日は、わたくしの主催する場で、あなたに怪我を負わせてしまいました。招いた者の振る舞いも、その場を治められなかったことも、すべて主催者であるわたくしの責任です」
そして、ヴィクトワールは深く頭を下げた。
「心より、お詫び申し上げます」
リリアンナは慌てて左手を上げた。
「どうか、お顔を上げてくださいませ。ヴィクトワール様がこのようなことを望まれたわけではないことは分かっております」
「望まずとも、起きたことに変わりはありません」
ヴィクトワールは身を起こしたが、その目は少しも和らいでいなかった。
「主催とは、招いた者の振る舞いまで含めて引き受けることです。わたくしはそれを果たせませんでした。……ですから、お詫びは受け取っていただけますと、ありがたく存じます」
毅然とした声だった。
リリアンナは小さく息を吸い、それからきちんと背筋を伸ばした。
「……承りました。お詫び、確かに頂戴いたします」
ヴィクトワールの肩から、わずかに力が抜けた。
続いて、後ろに控えていた侍女へ視線を向ける。促された侍女が、一歩前へ出た。
先日とは違い顔色も戻っているが、リリアンナを前にすると緊張したように両手を重ねた。
「あの……リリアンナ様」
声が震えていた。
「先日は、助けてくださって、ありがとうございました。あのときかばっていただかなければ、わたくし、どうなっていたか……」
言葉の途中で、目に涙が滲む。
「本当に、本当に、ありがとうございました」
深く、深く頭を下げる。その肩が小さく震えていた。
リリアンナは、穏やかに微笑んだ。
「顔を上げてくださいませ」
侍女がおそるおそる顔を上げる。
「ご無事で、本当によかったです」
それが、リリアンナの言葉のすべてだった。自分がどれほど痛かったかを訴えることも、自分が助けたのだと誇ることもない。
侍女はこらえきれずに袖で目元を押さえた。その一部始終を、ヴィクトワールは黙って見ていた。
侍女が落ち着き、後ろへ下がると、ヴィクトワールが話を切り出した。
「リリアンナ様。実はわたくし、クロード殿下から少しお話を伺っております」
「殿下から……」
「ええ。……あなたが悪評を覆し、もう一度、社交界へ戻ろうとしていらっしゃることを。あなたがわたくしのサロンへいらしたのも、そのためだったのでしょう?」
リリアンナはしっかり頷いた。隣にいるガレスは黙ってヴィクトワールの話を聞いている。
ヴィクトワールはひと呼吸置いた。
「リリアンナ様」
ヴィクトワールの眼差しが、まっすぐにリリアンナを射抜く。
「あなたは、なぜそこまでして、社交界に戻ろうとなさるのですか」
思いがけない問いに、リリアンナはすぐには答えなかった。
正直、社交界にいい思い出はない。
父は逃げ道を示してくれたし、ガレスも社交の場に立てなくても気にしないと言ってくれた。
それなのになぜ、あれほど傷ついた場所へもう一度戻ろうとしているのか。
改めて問われて、胸の内にあるものを一つずつ確かめる。
「……わたくしは、生まれたときから、たくさんのものを受け取ってまいりました」
ゆっくりと、言葉を選ぶ。
「ルベルハルトという家名も、先代の方々が王家にお仕えする中で築いてくださった信用も、人とのご縁も。わたくしが学ぶことのできた環境も、仕えてくださる方々がいることも、すべてわたくし一人の力で得たものではありません」
それらはずっと以前から、誰かが守り、積み重ね、次の者へと渡してきたものだった。
「わたくしは、その積み重ねをとても尊いものだと思っています。ですから、わたくしも受け取るだけではなく、守って、次へつないでいきたいのです」
家名だけを残せばいいわけではない。人との縁も、信用も、何もしなければ少しずつ失われていく。
「そのためには、わたくし自身が人と関わらなければなりません。社交界からずっと背を向けたままでは、先代の方々から受け継いだものを、次へ渡していくことはできないと思っています」
そこで一度、言葉を切る。
以前のリリアンナなら、これだけを答えただろう。
けれど——。
「……そして今は、それだけではありません」
リリアンナは隣にいるガレスへ視線を向けた。
「わたくしは、ヴァルグレイブ辺境伯夫人としてガレス様のお隣に立ちたいと思っています」
ガレスが目を見開く。
「もしそうなるのなら、ガレス様とともに多くの方とお会いし、ヴァルグレイブ家の一員として人とのご縁を築いていかなければなりません」
悪評から逃げ続けたままでは、それはできない。
「わたくしのせいで、ガレス様まで悪く言われるようなことにはしたくありません。それに、守っていただくだけではなく、わたくしも彼を支えられる人間でありたいのです」
リリアンナはヴィクトワールへ向き直った。
「そのためにも、自分の足で、もう一度社交界に立ちたいと思っています」
言い切ったあと、部屋はしんと静まり返った。
ガレスは何も言わなかった。ただ、拳を握る手に力がこもっていた。
ヴィクトワールはしばらくリリアンナを見つめたあと、口を開いた。
「リリアンナ様。わたくしが王宮で礼儀作法をお教えしているのはご存知ですか」
「はい。伺っております」
ヴィクトワールは、窓の外へ目をやった。
「社交界というものは、本来、ただ着飾り、音楽や会話を楽しむためだけの場所ではありません。人と人、家と家を結びつける場でございます。そうして結ばれた縁が、やがて国を支える力となります」
視線が戻ってくる。
「そして、貴族は生まれただけで貴族になれるわけではございません。礼節も、教養も、身分に伴う責任も、誰かが伝えなければ受け継がれてはまいりません」
ヴィクトワールの声に力がこもる。
「多くを与えられた者には、その立場と力を、自分のためだけではなく、守るべき者のために使う責任もございます。わたくしは、それを忘れない者こそ、貴族の名にふさわしいと思っています。……ですからわたくしは、次の世代を担う方々へ、それをお伝えする役目を自分に課しております」
「では、サロンも」
「ええ。志のある方を見つけ、育て、その方々を互いにつなげる。同じ想いを大切にできる貴族を、少しずつでも増やしていく。……それがわたくしの仕事でございます」
そこでヴィクトワールの表情がわずかに曇った。
「ですが近頃は、家柄によって得られるものには敏感でも、その立場に何が伴うのかまで考える方が減ってきたように感じます。社交の華やかさばかりを追い、そこに何の意味があるのかを考えようとしない者もいる。……そのことを、わたくしはずっと憂えておりました。——けれど、あなたは違う」
きっぱりと言い切る。
「受け継いだものを当然とは思わず、自分も次へつないでいこうとなさっている。そして先日は、自分より立場の弱い侍女を守るために、迷わず前へ出られました。今日もまた、ご自分の怪我のことより、あの子が無事だったことを喜んでくださった」
その視線が侍女へ向く。侍女はまた目元を潤ませていた。
「立派な言葉を口にするだけなら、誰にでもできます。けれど、その人間が何を大切にしているかは、いざというときの行動に表れるものです」
ヴィクトワールの厳しかった眼差しが優しいものに変わった。
「リリアンナ様。あなたは、わたくしが次の世代に受け継いでほしいと願ってきたものを、すでにお持ちなのですね」
「ヴィクトワール様……」
「そのような方を、くだらない悪評のために社交界から失うわけにはまいりません」
リリアンナが目を見開く。ヴィクトワールは揺るぎない目でリリアンナを見返した。
「あなたが望むのであれば、わたくしは社交界へ戻るためのお力になりましょう」
思いもよらない言葉に、リリアンナは思わずガレスへ顔を向けた。ガレスも驚いた顔をしている。
「ありがとうございます」
リリアンナは姿勢を正し、深く一礼した。
「どうぞ、よろしくお願いいたします」
「ええ」
ヴィクトワールは頷く。
「では、早速ですが」
そのまま、具体的な話へ移る。
「わたくしが夜会を主催いたします。そこへ、あなたをお招きいたしましょう」
「夜会、を」
「ええ。ただし、勘違いなさらないでくださいませ。その場でわたくしが『リリアンナ様の悪評は嘘です』と申し上げるつもりはございません。そのようなことをすれば、必死に取り繕っていると受け取られるだけです。噂を囁く方々を説き伏せる気もございません。あの手の方々は、説かれて意見を変えたりはなさいませんもの」
ヴィクトワールは優雅に微笑む。
「わたくしがするのは、ただ一つ。あなたを笑顔でお迎えして、親しくお話しし、わたくしが信頼する方々へ、直接ご紹介するだけです」
リリアンナは目を瞬かせた。
「先日のサロンで、あなたを実際にご覧になった方々もいらっしゃいます。その方々ともおつなぎいたしましょう。……そうすれば、周りは嫌でも見ることになります」
「見る……」
「ええ。あれほど悪評を囁かれていたリリアンナ・ルベルハルト様が、わたくしや、わたくしの信頼する方々に受け入れられている。その光景を、です」
反論はしない。ただ、噂とは異なる現実を見せる。それは、社交界で長く信用を積み上げてきた者にしかできないやり方だった。
「なるほど」
初めて、ガレスが口を開いた。
「噂を否定するのではなく、噂とは違う現実を見せるのですね」
「その通りです、閣下。人は、人から聞いた話より、自分の目で見たものを信じますもの。それに、噂話を好むような方々ほど、家の力や人とのつながりには敏感です。誰が誰と親しくしているのか、誰が誰を認めているのか。そういうことを、よく見ております」
だからこそ、ヴィクトワールがリリアンナを迎え入れ、有力な貴族たちへ紹介する意味は大きい。
「わたくしたちがあなたを受け入れていると分かれば、これまでと同じように噂を信じ続けてよいものか、考える者も出てくるでしょう」
ヴィクトワールはそう答えてから、少し声を落とした。
「それから、一つ確認させてくださいませ。リリアンナ様と閣下のご婚約は、まだ社交界へ正式には公表されておりませんね」
「はい」
ガレスが頷く。
「でしたら、この夜会へは、ヴァルグレイブ辺境伯の婚約者としてではなく、ルベルハルト伯爵令嬢としてご出席いただきたいのです。お父君と、ご一緒に」
「父と……」
「ええ。今回覆すべきは、リリアンナ・ルベルハルト様ご自身への評価です。婚約の話が先に出てしまえば、周りはそちらばかりに気を取られます。辺境伯家の後ろ盾があるから受け入れられたのだ、と言う者も必ず出てまいりましょう」
それでは意味がない、とヴィクトワールは言った。
「まずは辺境伯の婚約者としてではなく、一人の貴族令嬢として、リリアンナ様を社交界へ戻します」
「……感謝いたします、夫人」
「お礼を言われることではございません。次代を担うにふさわしい方を社交界へ戻すことは、わたくしの役目でもあります」
迷いのない返事だった。
「そのための場は、わたくしがご用意いたします」
悪評によって閉ざされていた社交界への道。リリアンナ一人ではどうしても開けられなかったその扉を、今度はヴィクトワールが向こう側から開こうとしてくれている。
リリアンナは胸の奥に込み上げるものを感じながら、しっかりと頷いた。
「はい。ぜひ、お願いいたします」
「では、決まりですね」
ヴィクトワールも満足そうに頷く。
「夜会を開きましょう。リリアンナ様がもう一度、社交界へ立つために」




