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男を狂わせる魅了の祝福を持つ令嬢は、野獣と恐れられる辺境伯様と三か月の仮婚約をしたら溺愛されました  作者: 紳士テニス


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改稿中☆40 王家からの報告書

※現在、改稿作業を進めています。


第1話から順番に、改稿版へ差し替えております。

差し替えが完了した話から、こちらの前書きは外していく予定です。

物語の大筋に変更はありませんが、細かな描写や内容については、改稿前と改稿後で異なる部分があります。

 翌日。リリアンナは寝台に身を起こし、安静にしていた。


 右腕は医官の指示どおり、動かさぬよう固定されている。昨日より痛みはいくらか落ち着いていたものの、少し力を入れるだけでも鈍い疼きが走った。


「リリアンナ様、お水です」

「ありがとう、エマ」


 差し出されたグラスへ左手を伸ばす。ところがエマは渡そうとせず、そのままリリアンナの口元まで運んできた。


「エマ? 自分で飲めるわ」

「駄目です! 右腕を動かしてはいけないと、お医者様がおっしゃっていました!」

「左手なら大丈夫よ」

「何かの拍子に右腕を動かしてしまったらどうするんですか!」


 泣き腫らした目で訴えられ、リリアンナは言葉に詰まる。


 エマは昨日から、ほとんどリリアンナのそばを離れていない。身じろぎしただけで飛んできて世話を焼く。


 昨日あれほど泣かせてしまった手前、強く拒むこともできなかった。


「……では、お願いするわ」

「はい!」


 リリアンナは苦笑しながら、されるがままになるしかなかった。




 ◇◇◇




 一方その頃。ガレスは使用人たちとともに、執務に必要な書類をリリアンナの部屋へ運んでいた。


 リリアンナの怪我の具合が気になって仕方がなく、以前彼女が風邪で寝込んだときと同じように、今日もリリアンナの部屋で仕事をすることにしたのだ。


 書類を抱えて廊下を進んでいると、フィーネが足早に近づいてきた。


「旦那様」

「どうしました?」

「ルベルハルト伯爵がお見えです」


 ガレスの足が止まった。


「伯爵が?」

「はい。事前のご連絡はありませんでしたが、すぐにお会いしたいとのことです」


 理由は聞かなくても分かった。昨日のうちに手紙を出している。娘の怪我を知って、居ても立ってもいられなくなったのだろう。


「分かりました。すぐに向かいます」


 ガレスは近くにいた使用人へ、抱えていた書類をまとめて預けた。


「これを」

「は、はい——っ」


 ずしり、と積み上がった書類に使用人の身体が沈む。どうにか踏ん張ったものの、結局は山になった紙束とともに崩れ落ちた。




 ◇◇◇




 玄関ホールでは、細身で小柄な一人の男性がガレスを待っていた。


「初めまして、ルベルハルト伯爵。ガレス・ヴァルグレイブです」

「ロイド・ルベルハルトです。娘がお世話になっております」


 二人が顔を合わせるのは、これが初めてだった。互いに挨拶を交わすと、ロイドはあらためて申し訳なさそうに口を開いた。


「何の連絡もなく押しかけまして、申し訳ありません。昨日の知らせを受けて、じっとしていられなくなりまして……。せめて一目だけでも、娘を見舞わせていただけないでしょうか」

「もちろんです。ですが、その前に——」


 ガレスは姿勢を正し、深く頭を下げた。


「申し訳ありませんでした。婚約者としてお預かりしていながら、あのような怪我をさせてしまいました。サロンへ行けるようにしたのは俺です。俺が送り出した以上、責任があります」


 ロイドは首を振った。


「お手紙で事情はすべて伺っております。あれは、娘自身が決め、侍女をかばった結果です。閣下が責任を感じることではありません。それよりも、娘の悪評を払拭するために力を貸していただき、怪我のあともすぐに医官へ診せてくださった。そのことに、私は感謝しております」


 ガレスはしばらく頭を下げたままだったが、やがてゆっくりと身を起こした。


 ロイドがやわらかく微笑む。その目元は、リリアンナによく似ていた。




 ◇◇◇




 ガレスに案内され、ロイドはリリアンナの部屋へ入った。


「お父様!」


 寝台で休んでいたリリアンナが、ぱっと顔を明るくする。


「来てくださったのですね」

「ああ。知らせをもらったら、顔を見るまで落ち着かなくてね」


 ロイドは寝台のそばへ歩み寄り、固定された右腕へ目を落とした。まだ腫れの残る腕を目にすると、その表情が曇る。


「……痛むかい?」

「大丈夫ですわ」


 リリアンナはにっこりと笑った。


 もちろん、まったく痛くないわけではない。けれど、わざわざ見舞いに来てくれた父をこれ以上心配させたくなかった。


 だが、そう答えるだろうことはロイドにも分かっていた。彼はそれ以上追及せず、娘の頭へそっと手を置いただけだった。


 ひとしきり父娘の言葉が交わされたあと、ガレスが口を開いた。


「伯爵。ちょうど今日、リリアンナへお話ししようと思っていたことがあります」

「わたくしに、ですか」


 リリアンナがガレスを見る。


「はい。王家から、例の調査について正式な報告書が届きました」


 その言葉に、リリアンナの表情が少し引き締まった。クロードが調べると言っていた、自分の悪評が広がった原因についての調査だ。


「それは、私も同席してよろしいでしょうか」


 ロイドが尋ねる。


「もちろんです。むしろ伯爵にも聞いていただきたい内容です」


 せっかくロイドもいるのなら、改めて別の機会を設ける必要はない。レオン、ハンス、フィーネにも声をかけることになった。


 ほどなくして三人が部屋へ集まり、リリアンナの寝台の周りには椅子が用意された。エマも当然のようにリリアンナのそばに残っている。


 書類を手にしたレオンが、進行役として口火を切る。


「結論から申し上げますと、リリアンナ様の悪評は、『魅了の祝福』への恐怖や偏見だけで広がったものではありませんでした。意図的に噂を作り、それを広めていた者がいます。その中心にいたのが——デボア・バーリンガムです」


 部屋の空気がピリッと張りつめた。


「彼女は取り巻きたちを使い、リリアンナ様について事実ではない話を繰り返し広めていました」


 もともと『魅了』そのものへの恐怖があったからこそ、噂は信じられやすかった。そこへ悪意を持って作られた話が加わり、さらに別の者たちが面白半分に尾ひれをつけていった。そうして、リリアンナの悪評は本人の知らないところで膨れ上がっていったのだという。


「報告書には、もう一つ。リリアンナ様がこれまで受けてきた過去のいじめや嫌がらせの一覧も添付されています」


 リリアンナが、はっとしたように顔を上げた。


「内容は読み上げません。リリアンナ様に、もう一度お聞かせするようなものではありませんので。ただ、閣下はご覧になったあと、兵を集めてバーリンガム家を打ち滅ぼすと、それはもうお怒りでした」

「……」


 ガレスの不機嫌そうな顔を見れば、それ以上説明する必要はなかった。どれほどの内容だったのかは、それだけで十分に伝わった。


「ひどいです!」


 それまで黙って聞いていたエマが、たまらず声を上げた。


「どうしてですか! どうして誰も、リリアンナ様を助けてくれなかったんですか!」


 ロイドが答える。


「バーリンガム侯爵家は、社交界で強い力を持っていたんだ。下手に逆らえば、自分だけではなく家族や家そのものが立ち行かなくなることもある。領地を持つ者なら、領民まで巻き込むことになるかもしれない」


 わずかに目を伏せる。


「正しいと思うことだけで動けないのが、貴族というものだよ。……私も、この子が苦しんでいると知りながら、止めてやることができなかった」

「だったら、リリアンナ様が嫌な思いをなさらないように、社交界から離してさしあげれば——」

「エマ」


 ハンスが、たしなめるように名を呼んだ。


 エマははっとして口をつぐみ、それからロイドを見て、みるみる顔を青くする。


「あっ……も、申し訳ございません、伯爵様。わたし……」

「いいんだよ」


 ロイドは苦笑した。責める色はどこにもない。


「エマ」


 リリアンナが口を開いた。


「お父様は、何度も逃げ道を示してくださったのよ」

「……逃げ道、ですか?」

「ええ。無理に夜会へ出なくてもいい。しばらく屋敷で静かに過ごしてもいい。……修道院という道もある、と。そのたびに、わたくしが断ったの」


 リリアンナは、固定された右腕へ視線を落とした。


「わたくしは、貴族の家に生まれました。屋根のある家で眠り、教育を受け、温かい食事をいただいて、仕えてくださる方々がいる。……それは全部、ルベルハルトという家名と、お父様たちが王家にお仕えして築いてきたもののおかげです。わたくし自身が手に入れたものは、一つもありません」


 エマが息を呑んだ。


「良い暮らしをさせていただくのなら、その分の務めを果たさなければなりません。貴族が社交界に立つというのは、着飾って楽しむことではないのです。人とつながり、家の名を保ち、必要な縁を結んでいく。……わたくしにとって、社交界に立つことは、貴族として生きるということでした」


 だから、と続ける。


「わたくしが自分で立つと決めたのです。お父様は、わたくしが決めたことを止めずにいてくださいました」

「リリアンナ……」


 ロイドの声が、わずかに掠れた。


「そのかわり、お父様はわたくしのために、たくさんのことをしてくださいました。学ぶ機会をくださったのも、わたくしがいつか自分の力で生きていけるようにするためです」


 リリアンナは父を見上げ、微笑む。


「だからエマ。お父様がわたくしを守ってくださらなかったわけではないのよ」

「……はい」


 エマはしゅんと肩を落とし、それから深く頭を下げた。


「伯爵様、失礼なことを申し上げて、本当に申し訳ございませんでした」

「気にしなくていいよ」


 ロイドは穏やかに笑った。


「この子のために怒ってくれたのだろう。それなら、父親として嬉しいくらいだ」


 エマはますます恐縮したように頭を下げた。


 その様子を見届けてから、レオンが再び報告書へ目を落とす。


「では、今後についてですが」


 話が本題へ戻り、皆の視線が集まった。


「報告書から判断する限り、悪評を意図的に作り続けていた中心人物はデボア・バーリンガム。ほかに同じ規模で工作を続けている勢力は確認されませんでした」

「つまり、警戒すべき相手は絞れたということですね」


 ハンスの言葉に、レオンが頷く。


「ええ。これからすべきことは、デボアの妨害に警戒しながら、リリアンナ様の悪評を少しずつ覆していくことです。ただ、相手は侯爵家です。いくら原因が分かったとはいえ、簡単に進む話ではありません」

「その点については、少し事情が変わっているよ」


 ロイドが口を挟む。


「バーリンガム侯爵家は一年前の公共事業の失敗で、王家からの信用を大きく落としている。それまで持っていた権限や利権も減り、以前ほど社交界で力を振るえる家ではなくなった」


 レオンが驚いたようにロイドを見る。


「そうなのですか」

「ああ。それに、今回のサロンでの一件もある。デボア・バーリンガムがシャルテンロー侯爵夫人のサロンであれほどの問題を起こしたとなれば、さらに立場は悪くなるだろう」

「それはありがたい話ですね」


 レオンがそう言って、報告書を閉じた。


「デボア自身が以前ほど周囲を動かせない今なら、リリアンナ様の悪評を覆していく機会は十分にあります」

「そのためにも、シャルテンロー侯爵夫人のお力をお借りできれば、大きいですね」


 フィーネの意見に、レオンも同意する。


「侯爵夫人ご自身から、リリアンナ様を社交界の方々へ紹介していただく。それができれば、ただ噂を否定するより、ずっと強い意味を持ちます」


 ヴィクトワールは王家から信頼され、良識ある高位貴族からの信用も厚い。そのヴィクトワールが自ら紹介するという事実は、どんな弁明よりも雄弁だった。


「ただ、まだ正式なお返事はいただいておりません。昨日の件もあります。まずは、あちらからのご連絡を待ちましょう」


 話がまとまりかけたところで、ガレスがリリアンナへ向き直った。


「——ですが、どちらにせよ怪我が治るまでは、絶対に安静です」

「ガレス様」

「社交界へどう出るかは、その後の話です。今は腕を治すことだけを考えてください」

「まだ何も申しておりませんわ」

「貴女は平気な顔で無理をしそうなので、先に言っています」

「まあ……」


 少し不満そうな声を出したものの、確かに無理をしかねないという自覚はある。


「……分かりました」

「本当に?」

「分かりましたわ」


 二度念を押され、今度は少し頬を膨らませながら答える。その様子を、ロイドは目を見開いて見つめていた。


 リリアンナは昔から、どれほど痛くても苦しくても、周囲に心配をかけまいと笑う子だった。それは父であるロイドに対しても変わらない。


 そんな娘が、ガレスにはこうして不満を見せ、言い返している。それだけ気を許しているのだろう。


 そう気づくと、ロイドの目元がやわらかく和らいだ。




 ◇◇◇




 今後の方針も決まり、話し合いはそこでいったんお開きとなった。急な訪問だったこともあり、ロイドは長居をせず、そのまま帰ることになった。


 ガレスは自ら、馬車まで見送りに出た。


 馬車の前まで来たところで、ロイドが足を止める。


「閣下。一つだけ、お願いしてもよろしいでしょうか」

「何でしょう?」

「あの子にとって、努力することは前を向いて生きることなのです。私にできたのは、知識という武器を与えることくらいでしたが……それを使って、自分にできることを探し続けてきました」


 その声には、娘を見守ってきた父親の思いが滲んでいた。


「可能であれば。あの子が頑張っているときは、応援してやってください」

「はい」


 ガレスは迷わず頷いた。


「ですが——」


 ロイドは少しだけ困ったように笑う。


「あの子は、無理をしてでも頑張ってしまう子です。自分のことは顧みず、誰かのために動いてしまう。……昨日のことも、そうでしょう」


 その場にいなかった父親の目にも、腕を差し出した娘の姿は、はっきりと浮かんでいるようだった。


「ですから閣下。やりすぎているときは、どうか、止めてやってください」


 背中を押すことと、引き止めること。その両方を、ロイドはガレスへ託そうとしていた。——それはつまり、父親として守ってきた娘のこれからを、その未来ごとガレスへ託すということだった。


 ガレスは姿勢を正し、まっすぐにロイドの目を見返す。


「伯爵がリリアンナに与えた知識は、とても素晴らしいものです。彼女の考える力も、これまで積み重ねてきた努力も、すべて今のリリアンナを作っている大切なものだと思っています」


 一度言葉を切る。


「リリアンナは、俺にとってかけがえのない存在です。頑張りたいときは支えますし、無理をしているときは俺が止めます」


 そして、はっきりと告げた。


「これからは、俺が一生をかけて大切にします」


 ロイドはしばらく、ガレスを見上げていた。


 やがて目元をやわらかく細め、深く頭を下げる。


「……よろしくお願いいたします」


 ガレスもまた頭を下げ、走り去っていく馬車を見送った。




 ◇◇◇




 その日、ヴァルグレイブ辺境伯邸へ一通の手紙が届いた。


 差出人は、ヴィクトワール・ド・シャルテンロー侯爵夫人。


 昨日の件についてのお詫びと説明のため、訪問したいという申し出だった。

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