改稿中☆38 試されるリリアンナ
※現在、改稿作業を進めています。
第1話から順番に、改稿版へ差し替えております。
差し替えが完了した話から、こちらの前書きは外していく予定です。
物語の大筋に変更はありませんが、細かな描写や内容については、改稿前と改稿後で異なる部分があります。
「バーリンガム侯爵令嬢がお見えです」
深紅のドレスをひるがえし、デボアは迷いのない足取りでヴィクトワールのもとへ進んだ。
「本日はお招きくださり、ありがとうございます。ヴィクトワール様」
優雅に腰を落とす。礼の形そのものに間違いはない。声は柔らかく、微笑みも美しい。
「ようこそいらっしゃいました、バーリンガム侯爵令嬢」
ヴィクトワールも微笑みを返しながら、目の前の令嬢を観察した。
深紅のドレスは鮮やかで、細かな刺繍や宝石が惜しみなく使われている。夜会であればさぞ人目を引いただろう。けれど、昼のサロンに着てくるには少々華やかすぎる。
それだけではない。
顔を上げる角度。睫毛を伏せてから相手を見る仕草。笑うときにわずかに首を傾ける癖。どれもよく磨かれている。
ただしそれは、人と気持ちよく接するためというより、自分を美しく見せるために磨かれたものだった。
礼とは本来、相手とその場への敬意を形にするものだ。けれどデボアのそれは、自分をより魅力的に見せるための動きとして身についている。似ているようで、根本にあるものがまるで違う。
もちろん、それ自体が悪いわけではない。ただ、礼節を重んじるヴィクトワールにはどうしても目についた。
(どちらかといえば、華やかな夜会の方がお似合いの方ですわね)
とはいえ、このサロンへ足を運んだということは、何かを学ぶ意思があるのだろう。ヴィクトワールはそう受け取ることにした。
「こちらへどうぞ。皆様がお待ちですわ」
広間には、小卓がいくつか間を空けて置かれている。客たちは三人、四人ほどの小さな輪をつくり、それぞれの卓で歓談していた。
リリアンナは紹介をひととおり終え、アデル・ド・モンフェール侯爵夫人たちの卓についている。
リリアンナがデボアの姿を目にした瞬間、顔色を変えたことに、ヴィクトワールは気づいていた。ゆえに何も言わず、ごく自然にデボアをリリアンナとは離れた別の卓へ案内した。
デボアの姿が遠ざかっても、リリアンナは動けなかった。
目の前では、アデルたちが何かを話している。唇が動いているのは見えるのに、その声が耳に入ってこない。息が浅くなり、指先から感覚が遠のいていく。
「リリアンナ様」
声がした。すぐ横にフィーネが立っていた。その声に引かれるように、リリアンナの意識が広間へ戻ってくる。
フィーネは、リリアンナの顔色をひととおり確かめてから、そっと囁いた。
「……お帰りになりますか」
帰ってもいい。
体調が優れないと言えばいい。ここを出てしまえば、もうデボアの姿を見なくて済む。胸の奥に蘇った三年前の恐怖から逃げることができる。
フィーネの目は、ここで退いても構わないと告げていた。
けれど。
(……違う)
今日、自分はデボアに会うためにここへ来たのではない。シャルテンロー侯爵夫人に、自分自身を見てもらうために来た。
悪評によって閉ざされていた社交界への道を、もう一度開くために。ガレスの隣に、胸を張って立てる自分でありたいから。
「……いいえ。帰らないわ」
声は少し震えたが、迷いはなかった。
「かしこまりました」
フィーネはそれ以上何も言わず、控える位置へ戻っていく。
離れた場所から、ヴィクトワールがその一部始終を眺めていた。
リリアンナのもとに侍女が寄っていったが、どうやら持ち直したようだ。
客同士の関係や確執まで考慮し、場を整えるのも主催者の役目だ。いざとなれば少し助け舟を出そうと思っていたが、どうやらその必要はなさそうだった。
◇◇◇
一方、窓際の卓では。
(どういうこと……なんであいつがいるのよ……)
デボアは、紅茶に口をつける振りをしながら、視線だけを広間の反対側へ飛ばしていた。
リリアンナ・ルベルハルト。
三年前、自分が社交界から追い出してやった女。あれだけ惨めな思いをしたのだ。二度と社交の場には出てこないと思っていた。
それなのに、なぜここにいる。
(誰が招いたのよ。あの女が自分で頼み込んだの? それとも——)
「——デボア様はどう思います?」
「え」
顔を上げると、同じ卓の三人がこちらを見ていた。何の話をしていたのか、まったく聞いていなかった。
デボアは扇を口元へ運び、すぐに笑みを取り繕う。
「え、ええ……そうですわね。わたしも素晴らしいと思いますわ」
「そうでしょう? そのような考えは、そうそう思いつくものではございませんもの」
相手が満足げに頷いたのを見て、デボアは扇の陰で息を吐いた。
再び会話が続き、デボアも適当に相槌を打つ。けれど意識はどうしても別の卓へ向かってしまう。
(ああもう! 最悪だわ!)
イライラが膨らんで、頭の中で叫び声を上げた。
◇◇◇
歓談がほどよく回った頃、ヴィクトワールが軽く手を打ち合わせた。
「皆様、少しだけお時間をいただけるかしら」
自然と客たちの視線が集まる。
「わたくしはこれまで、寄付や慈善市といった形で、困っている方々への支援を続けてまいりました。……けれど近頃、それとは違う、新しい形の支援もあるのではないかと思うようになりましたの。ですので、ぜひ皆様のお考えを聞かせていただきたいのです」
リリアンナは、卓の上で指を組んだ。
(……なるほど)
これは、ヴィクトワールが本気で困り事を解決しようとしての相談ではない。
彼女が出したお題について意見を出し合い、他人の考えを聞くことで、自分の見識をさらに深めるためのもの。こうして学び合うことも、このサロンの目的なのだろう。
周囲の婦人たちも心得ているらしく、すぐに意見が上がり始めた。
炊き出しを増やしてはどうか。衣類を集め、必要な家庭へ届ける仕組みを整えてはどうか。子どもたちに読み書きや計算を教える場所を作ってはどうか。
次々と意見が上がる中、ヴィクトワールは一つひとつに耳を傾け、ときおり問いを返していた。そして、まだ発言していない席へ目を向ける。
「リリアンナ様は、いかがかしら」
広間の視線が一斉に集まった。けれどリリアンナは怯まない。
「わたくしが考えましたのは、ご自分で収入を得られるようになるための支援でございますわ」
迷いのない声に、ヴィクトワールがわずかに眉を上げた。
「と、おっしゃいますと?」
「たとえば、シャルテンロー領では羊毛が多く採れると伺っています。その羊毛から作られた毛糸を使って、編み物の技術を無償で教える小さな工房を作るのです」
リリアンナは周囲を見渡しながら、できるだけ分かりやすく言葉を続けた。
「孤児院を出た若者や、貧しい家庭の方、それから、働きたくても働き口を見つけにくい女性たちを受け入れます。最初は手袋やショールなど、少ない道具で作れるものから始めるのがよいかと」
「それを売るのね?」
「はい。まずは慈善市などで販売して、どの品がどれほど売れるのかを確かめます。十分な需要があると分かれば、王都の商人にも取り扱っていただけないかお願いしてはいかがでしょうか」
「なるほど……」
ヴィクトワールの目に、はっきりと興味の色が浮かんだ。だが、すぐに褒めることはしなかった。
「面白い考えですわね。けれど、その技術は誰が教えるのかしら?」
「職人の方に、きちんと報酬をお支払いしてお願いするのがよいと思います。作った品の品質も、その方に見ていただければ安心ですわ」
「では工房を用意して道具を揃え、職人へ報酬を支払うお金は?」
「最初は、これまでの寄付や慈善市で得た収益の一部を使えないでしょうか。初めから大きく始めるのではなく、小さな工房をひとつ。そこで売れ行きや収支を確かめてから、必要であれば少しずつ広げていくのです」
ヴィクトワールは小さく頷き、さらに問いを重ねた。
「技術を身につけるまでには時間がかかるでしょう。その間、その方たちはどうやって暮らすの?」
ここが要だ、とリリアンナは思った。
「工房で学んでいる間は、食事と最低限の手当を出す必要があると思います。……その支援がなければ、その日のためのお金を稼がねばならない方は、そもそも工房へ通えません。通える方だけを助ける仕組みでは、本当に困っている方に手が届かないと思うのです」
広間が、しんと静まった。皆、リリアンナの話に聞き入っている。
「そして、一定の技術を身につけた方には、工房が完成した品を買い取って賃金をお支払いします。売り上げは次の材料や賃金、工房の運営費へ充てるのです」
「売れなければ?」
「そのときは、作る量を増やしません。何が売れて、何が売れなかったのかを記録して、次に作る品を決めます。だからこそ、最初は小さく始めるべきだと思います」
ヴィクトワールが、今度ははっきりと頷いた。
「なるほど」
「十分な技術を身につけた方の中には、新しく入った方の指導を手伝える方も出てくるでしょう。その方には指導の分も報酬をお支払いします。そうやって少しずつ、寄付は新しく学ぶ方を支えるために使い、すでに働ける方の賃金は工房の売り上げでまかなえるようにしていくのです」
その言葉に何人もの婦人が納得したように頷いた。
やがて、誰からともなく小さな拍手が起こる。それはすぐに広間へ広がっていった。ヴィクトワールも満足そうに目を細めている。
その光景が、デボアにはたまらなく気に食わなかった。
「お待ちになって」
拍手を遮るように、デボアが声を上げた。
「そんな工房で作られたものを、本当に貴族のご令嬢やご夫人たちが欲しがるかしら?」
口元には笑みを浮かべている。けれど、その声音には隠しきれない棘があった。
「同じショールを買うなら、有名な仕立屋や商会の品を選ぶでしょう? わざわざ、どこの誰が作ったとも分からないものを身につけたい方なんて、そうはいないと思いますわ」
デボアはそう言って、挑むようにリリアンナを見た。
けれど、リリアンナは気分を害した様子もなく、むしろ穏やかに微笑んだ。
「……バーリンガム侯爵令嬢のおっしゃるとおりです」
「……な」
思いがけない反応に、今度はデボアの方が言葉を失った。
「作ることばかり考えて、買う方が安心して手に取れるようにすることまで、考えが及んでおりませんでした。ご指摘ありがとうございます」
リリアンナは考えながら続ける。
「それでしたら、一流の仕立屋や商会に協力をお願いして、品質を認められた品だけを扱っていただくのはいかがでしょう。そうすれば、買う方にも安心して手に取っていただけると思います」
「店の名を借りるということ?」
「ただ名を借りるのではなく、そのお店にもきちんと利益がある形にします。売れた分に応じて手数料をお支払いすれば、協力をお願いする理由にもなるかと」
デボアの意見まで取り込み、その場で自分の案をよりよいものへ変えてみせた。
再び、誰からともなく拍手が起こる。
「皆様、ありがとうございます。大変建設的な意見をいただけましたわ」
ヴィクトワールが扇を閉じる。そして、リリアンナへ視線を向けた。
「リリアンナ様。クロード殿下がお認めになるだけはありますわね」
その一言で、広間がざわめいた。
「クロード殿下が?」
「どういうことですの」
「リリアンナ様は、クロード殿下の執務をお手伝いされていたのですよ。殿下ご自身から、とても優秀な方だと伺っていますわ」
「まあ……!」
「クロード殿下のお仕事を?」
驚きの声が上がる。壁際に控えていたフィーネは。誇らしげに口元をほころばせた。
一方で、デボアは呆然としていた。
(クロード様から仕事を任され、褒められた?)
扇を握る手がわなわなと震える。
(社交界から消えたと思ったら、クロード様に取り入っていたなんて……!)
「さて、少し難しいお話が続きましたもの。あとは皆様、ご自由にお過ごしくださいな」
ヴィクトワールの言葉を合図に、広間は再び歓談へ戻った。リリアンナの周りには、さっそく何人かの婦人が集まってくる。
「とても興味深いお話でしたわ、リリアンナ様。わたくしの領地でも取り入れようかしら」
「ありがとうございます」
「それに、バーリンガム侯爵令嬢のお話を聞いて、すぐに案を練り直されたでしょう? 機転が利いていらして感心しましたわ」
同じ卓の婦人も、それに頷く。
次々とかけられる言葉に、リリアンナは一つひとつ丁寧に礼を返していった。
(何なのよ……)
指摘したはずの言葉まで、リリアンナの評価を上げる材料にされた。
クロードのことも。ヴィクトワールのことも。何もかもが面白くない。
そこへ、アデルの明るい声が重なった。
「それにしても、本当にお美しい方ね。長く社交の場におりますけれど、これほど目を引く方は初めてお会いしましたわ」
その瞬間。デボアの中で、何かが切れた。
「……は?」
美しさ。それは、デボアが物心ついたときから、最も褒められ、最も自分の特別さを証明してくれる、自分の存在価値そのものだった。
三年前、あの女が消えて取り戻したはずの「一番美しい令嬢」という座まで、今また奪われた。
(……みんな、この女の本性を知らないから、そんなことが言えるのよ)
デボアの嫉妬に歪んだ目が、リリアンナを射抜く。
(だったら教えてあげるわ。この女がどんな女なのか――!)
あの女がどんな祝福を持ち、どのような噂を立てられていたのか。今ここですべて明かせば、この滑稽な称賛はひっくり返る。皆、青ざめてあの女から離れるはずだ。三年前と同じように。
「失礼いたします」
デボアのすぐ脇で、シャルテンロー家の侍女が声をかけた。
だが彼女は気づいていなかった。リリアンナを見たまま、何の前触れもなく勢いよく立ち上がる。その身体が、ちょうど脇を通ろうとしていた侍女の腕にぶつかった。
「あっ……!」
銀盆の上でティーカップが傾き、少量の紅茶がデボアの深紅のドレスへ飛んだ。
「熱っ……!」
「も、申し訳ございません!」
侍女が慌てて頭を下げる。
火傷をするほどではない。生地越しに、少し熱さを感じた程度だ。
だが、すでに癇癪を起こしていたデボアに、そんなことは関係がなかった。
「何をしているの、この愚図!」
怒声が広間に響き渡る。皆の視線がデボアに集まった。
青ざめ、何度も頭を下げているシャルテンロー家の侍女。
そのすぐ近くでは、デボア付きの侍女までが顔から血の気を失っていた。主人を止めようともせず、恐怖に凍りついたように手元を見つめている。
デボアの手には、閉じた扇が握られていた。白くなるほど強く握りしめられた指。
(——いけない)
考えるより先に、身体が動いていた。
「身の程をわきまえなさい!」
デボアが扇を振り上げる。広間のあちこちから悲鳴が上がった。
だがリリアンナは、すでに走り出していた。
侍女の前へ身体を滑り込ませる。
そして——。
鈍く、重い音がした。




