改稿中☆36 デボア・バーリンガム
※現在、改稿作業を進めています。
第1話から順番に、改稿版へ差し替えております。
差し替えが完了した話から、こちらの前書きは外していく予定です。
物語の大筋に変更はありませんが、細かな描写や内容については、改稿前と改稿後で異なる部分があります。
デボア・バーリンガムは、生まれてから一度も『我慢』をしたことがなかった。
バーリンガム侯爵家は、建国以来続く由緒正しい名門である。代々、王都の街道や橋、城壁の整備などの公共事業にに深く関わり、大きな影響力を持っていた。
そんな家の一人娘として生まれたデボアは、欲しいと言えば何でも与えられた。ドレスも、宝石も、菓子も玩具も。
そして何より、デボアは美しかった。
父のボーマンは娘の美貌を大いに喜び、まだ幼いうちから着飾らせて社交の場へ連れていった。バーリンガム侯爵家へ取り入りたい者たちは、競うようにデボアを褒めそやす。
「なんてお美しい」
「きっと王都一の美女になりますわ」
誰もが自分を褒めたたえ、我が儘を言えば望みを叶えてくれる。そんな日々の中で、デボアはいつしか、この世のすべてが自分のためにあるのだと思うようになった。
美しい自分が望むなら、それは手に入って当然。誰より愛され、誰より注目されるのは自分であるべきだ。
そして迎えたデビュタントの夜も、その考えを裏切らなかった。
男たちは順番を争ってデボアにダンスを申し込み、『王都一の美女』という評判は、たった一夜で王都中へ広がった。
驚くほどのことではない。自分が一番美しいのだから、当然の話だ。
そしてデボアは、夜会の中で第一王子クロードに一目惚れをした。
(この方こそ、わたしに相応しいわ)
王都一の美女に釣り合う相手は、王国の第一王子をおいて他にない。いずれクロードに選ばれ、王妃となる。それはデボアの中で確定された未来になった。
それからというもの、クロードを見かけるたび積極的に近づいた。
最も美しく見えるドレスを選び、視線を絡ませ、甘い声で微笑みかける。これまで、それで惹きつけられなかった男はいなかった。
けれど、クロードは違った。
「クロード様。今宵もお会いできて嬉しいですわ」
「こんばんは、バーリンガム侯爵令嬢」
礼儀正しく応じるだけで、クロードがデボアに夢中になる様子はない。それでもデボアは、クロードが自分に興味がないとは考えなかった。
(第一王子ともなれば、簡単にお気持ちを表には出せないものね。だって、わたし以上に彼に相応しい女なんていないもの)
クロードのことを除けば、デボアの日々は思い描いていた以上に順調だった。
バーリンガム侯爵家に取り入りたい者や、その美貌に惹かれた男たちが常に周囲を取り囲む。
気に入らない者がいれば、不快だと口にするだけでよかった。
取り巻きが避け、バーリンガム侯爵家を恐れる者もそれに続く。逆らった者に残されるのは、デボアの機嫌が直るまで謝り続けるか、社交界で孤立するかの二択だった。
——デボア・バーリンガムには逆らわない方がいい。
それが社交界の暗黙の了解となった。
まるで女王になったような気分で、デボアは一年を過ごした。
◇◇◇
その翌年。
いつものように夜会の中心にいたデボアは、広間に現れた一人の令嬢を見て表情を失った。
淡いミルクティー色の髪に、瑠璃色の瞳。華奢な身体を包むドレスよりも、宝石よりも、何より本人そのものが目を引いた。
(——負けた)
誰かに比べられたわけではない。それでも、一目で分かってしまった。
あの女の方が美しい。
『王都一の美女』であることを自分の価値としてきたデボアにとって、生まれて初めての敗北は耐えがたい屈辱だった。
(……何なのよ、あの女)
どす黒い感情が噴き上がる。扇を握る指に力が入る。
そのとき、近くから囁き声が聞こえた。
「ねえ、あの方……リリアンナ・ルベルハルトって、あの……」
「『魅了の祝福』を持っているという……」
デボアの耳が、その言葉を拾った。
「あなたたち。今、あの方について何とおっしゃったの?」
問いただせば、令嬢たちは知っている噂を話した。
八歳のとき『魅了の祝福』で騒ぎを起こしたこと。男の理性を奪う危険な力を持つこと。そして今は教会が調査し、装飾具で力を抑えていること。
「ふうん」
教会の報告が嘘だとは思わなかった。だが、そんなことはどうでもいい。
『男を狂わせる祝福を持つ令嬢』。その言葉が手に入っただけで十分だった。
その夜、デボアは一人になったリリアンナへ近づいた。
「あなた、人をおとしめる化け物なのですって?」
わざと周囲へ届く声で言う。
リリアンナが教会の調査結果を説明すれば、「どうせ、その力で教会の方をたぶらかしたのでしょう?」と弁明そのものを疑惑へ変えた。
皆が少しでも疑えば、それでいい。
そして疑心暗鬼が広がり始めると、今度は自ら嘘を作った。
「わたしの知り合いが、あの女に婚約者を奪われたそうよ。『魅了』を使われた途端、人が変わったように夢中になったんですって」
もちろん、そんな知り合いなどいない。取り巻きたちにも、もっともらしい話を作って広めるよう命じた。
噂には次々と尾ひれがついた。
妻のいる男を誘惑した。気に入った男には片っ端から『魅了』を使っている。『魅了』で男に宝石を盗ませた——。
一度「男を惑わせる危険な女」という印象ができあがれば、リリアンナが何をしても悪く取られた。
男性と言葉を交わせば誘惑している。避ければ後ろ暗いから。着飾れば男を誘っている。控えめにすれば、か弱い女を演じている。何をしても、『魅了』と悪意に結びつけられた。
やがてデボアは、夜会でリリアンナを見つければ取り巻きと囲み、隠すことなく笑いものにするようになった。
心配そうに見つめる者はいても、止める者はいなかった。すでに誰もが、デボアの機嫌を損ねればどうなるか知っていたからだ。
リリアンナはいつも顔を伏せて謝っていた。その惨めな姿を見下ろすたび、デボアの胸はこれ以上ないほどにすくのだった。
どれほど美しかろうと、自分の前ではただの無力な化け物。ひれ伏させ、泥に塗れさせる瞬間だけが、デボアの傷ついたプライドを癒してくれた。
そんな状況で、ただ一人デボアに逆らった者がいた。リリアンナと親しくしていたマリアベル・ケージだった。
「リリアンナ・ルベルハルトとは縁を切りなさい。あなたの家までどうなってもいいの?」
そう脅しても、マリアベルは要求を拒んだ。
腹を立てたデボアは、後日の夜会で彼女を取り囲んだ。
「まあ、そのご本。お友達からお借りになったの?」
取り巻きが本を取り上げ、表紙が裂ける音が広間に響く。
「おやめください」
割って入ったのは、リリアンナだった。マリアベルを背に庇い、真正面からデボアを見上げる。
その目に、デボアの中で何かが切れた。
いつだって惨めでいるべき女が、どうしてそんな反抗的な目でわたしを見るのか。
(英雄気取りの化け物め。本性を晒してやるわ)
デボアは、取り巻きへ視線を送った。
細い腕が掴まれ、リリアンナの顔から色が引いた。
広間が混乱に落ちるまで、そう時間はかからなかった。巻き込まれたマリアベルが床へ倒れ、会場中に悲鳴が響く。
真っ青な顔をした化け物に言ってあげた。
「あなたが存在しているのが悪いのよ」
マリアベルの騒動以降、ぱったりとリリアンナは社交界に姿を現さなくなった。
デボアは歓喜した。
「私は、あの化け物の魔の手から、この社交界を守り切ってあげたのよ」
嫉妬から一人の令嬢を追い詰めたという自覚はない。危険な化け物を退けた。正義を成し遂げた。デボアの中では、そういうことになっていた。
それからしばらく、デボアの日々は変わらなかった。
相変わらずクロードを追いかけ、『王都一の美女』として人々の中心に立つ。邪魔だったリリアンナもいない。
デボアは満ち足りた日々を送っていた。
◇◇◇
風向きが変わったのは、それから一年ほど経った頃だった。
バーリンガム侯爵家が数年前から強引に進めていた王都の大規模再開発で、工事の遅れが目立ち始めたのだ。
そしてついに事故が起きた。王都の交通に長く支障が出たことで王家の調査が入り、ずさんな事業運営まで明るみに出る。
王家はバーリンガム侯爵家から公共事業の権限を取り上げ、信頼できる他家や王家の組織へと移してしまった。
すると、それまでボーマンの周囲に群がっていた者たちは、驚くほどあっさりと離れていった。
もちろん、建国以来続く侯爵家の威光まで失われたわけではない。だからこそ、その威光まで鈍る前に復権の一手が必要だった。
ボーマンが目をつけたのは、娘の婚姻である。
「デボア。クロード殿下のことは、もう諦めろ」
「嫌よ! わたしが嫁ぐのは殿下です。他の誰でもありませんわ!」
デボアは金切り声を上げて花瓶を叩き落とした。
以前のボーマンであれば、ここで引いた。デボアが癇癪を起こせば、たいていの話は流れていった。
だが今回は引かない。クロードが娘を恋愛の相手としてまったく見ていないことは、ボーマンの目にははっきりと見えている。そしてデボアは、もう二十歳だ。若さと美貌という商品価値があるうちに、有力な家との婚姻をまとめなければならない。
ところが、ここで新しい問題が顔を出す。
格式ある家ほど、美貌だけを求めなかった。教養、礼儀、品性。そして将来、夫人として家を支えられるだけの能力。
それに対してデボアが磨いてきたのは、身なりや男を惹きつける仕草ばかり。礼儀作法や教養は「退屈」と避け続け、我が儘で傲慢、品位にも欠けた『ハリボテの女王』に育っていた。
焦ったボーマンは、今さらながら娘に令嬢教育を施そうとした。
「こんなもの、何の役に立つというの!」
机の上の本を、デボアが床へ叩き落とす。
歴史も政治も、礼儀作法も。これまで退屈だと避けてきたものを、今になって毎日のように押しつけられる。
「黙ってやれ! お前が今まで何も学んでこなかったから、こうなっているんだ!」
「お父様が好きにしていいと言ったのでしょう!」
それでもボーマンは折れない。腕を掴んででも椅子へ戻す。
だが、二十年近く『退屈だから』と避けてきたものが、数か月で身につくはずもなかった。そもそも本人に学ぶ気がない。
父と娘の言い争いは、日に日に増えていった。
業を煮やしたボーマンは、さらに強い手へ出る。
「シャルテンロー侯爵夫人のサロンへ行け」
「……は?」
王族や高位貴族の令嬢たちへ礼儀作法を教えるヴィクトワール・ド・シャルテンロー。そのサロンへデボアを放り込み、実地で学ばせ、夫人に磨いてもらうことにしたのだ。
「嫌よ。どうしてわたしがそんなところへ!」
「決定だ。お前に拒否権はない」
家では癇癪ばかり起こす娘だが、人前ではそれなりに外面を取り繕える。まして相手はシャルテンロー侯爵夫人だ。さすがのデボアも問題など起こさないだろう。
ボーマンは、そう高を括っていた。
念のため、サロンへの同行が許されている侍女にも厳命した。
「何があってもデボアに問題を起こさせるな。いいな」
「は、はい……!」
その侍女は、デボアからも釘を刺されていた。余計なことを父へ報告するな、と。
どちらへ転んでも、自分の首が飛ぶ。侍女はすっかり怯えきってしまった。
◇◇◇
そして現在。
車輪が石畳を叩き、馬車は王都の大通りを進んでいく。
馬車の中で、デボアは苛立たしげに扇を鳴らしていた。
「まったく……どうしてわたしがこんな目に遭わなくてはいけないのよ」
「…………」
向かいの席では、侍女が膝の上で指を固く握り合わせ、主人の顔色をうかがって縮こまっている。
行き先は——シャルテンロー侯爵夫人のサロンだった。




