改稿中☆35 とびきりのドレスを
※現在、改稿作業を進めています。
第1話から順番に、改稿版へ差し替えております。
差し替えが完了した話から、こちらの前書きは外していく予定です。
物語の大筋に変更はありませんが、細かな描写や内容については、改稿前と改稿後で異なる部分があります。
『ドレスが必要だろう? 社交界に出るための。それも、とびきり最高のものが』
そう言ってクロードが向かうよう指示した場所に、ガレスとリリアンナ、そしてエマの三人は立っていた。
メゾン・セシリア——王都の女性なら、一度はその名を耳にしたことがある仕立て屋である。
創設者でありデザイナーでもあるマダム・セシリアが手がけるドレスは、着る者の魅力を最大限に引き出すデザインと、厳選された上質な生地を取り扱っていることで知られていた。
セシリアのドレスを着ることは、多くの女性にとっての憧れである。
一般の貴族がドレスを注文しようと思えば、何年も前から予約を取らなければならない。ただし、王家やごく一部の貴族には別の枠が設けられていた。
「本当によく予約が取れましたね……」
エマが店の看板を見ながら、しみじみ呟いた。
今回、リリアンナたちが予約を取れたのは、クロードの紹介があったからだ。
『私からの婚約祝いだと思ってくれ』
王宮を出る前、クロードは笑ってそう言った。
「殿下の好意なので、ありがたく受け取りましょう」
ガレスの言葉に、リリアンナたちが頷く。そして店内へ進んだ。
中にいた従業員に、奥へと案内される。
通された部屋には、柔らかな長椅子と卓が置かれ、壁際には大きな姿見が並んでいた。奥には試着のためだろう、厚い布で仕切られた一角もある。
部屋には一人の女性がいた。豊かな栗色の髪をきっちりと結い上げた、四十がらみの女性だ。
「ようこそおいでくださいました。メゾン・セシリアの店主、セシリアと申します」
「ガレス・ヴァルグレイブです」
「リリアンナ・ルベルハルトと申します。本日はご無理を通していただき、ありがとうございます」
「とんでもございません。殿下からの紹介ですもの」
セシリアはにっこりと笑顔を返した。
落ち着いた物腰だが、その胸中はまったく穏やかではなかった。
(なんて綺麗なお嬢様! お人形さんかしら)
リリアンナを見たセシリアは、心の中で歓喜していた。
これまで数えきれないほどの女性にドレスを仕立ててきた。もちろん美しい令嬢も大勢見てきた。
それでも、目の前の少女は別格だ。
(深い瑠璃紺なら、瞳と揃ってとっても映えるわ。けれど淡い青も捨てがたい! 絹だけじゃなくて、薄絹もレースも試さないと! ……ふふ、ふふふふふ。腕がなるわ)
セシリアは湧き上がる創作意欲を微笑みの下へ押し込め、三人に席を勧めた。
「殿下からお話は伺っております。勝負のためのドレスをお求めで。どうぞ、わたくしにお任せください!」
創作意欲が抑えられずに語尾が強くなる。
「まずはサロンへお召しになる一着。こちらは急ぎで仕上げましょう。それから、今後お使いになる夜会用を……そうですわね、三着ほどご用意するのがよろしいかと」
リリアンナは、少し考えてから頷いた。
「それでお願いいたします」
社交界から離れて三年になる。リリアンナの手持ちのドレスは、どれも流行を過ぎてしまっていた。再び社交の場に立つのに、四着という数は決して多すぎなかった。
「では、ご予算はいかほどで?」
セシリアが尋ねた瞬間。
「いくらでも出します」
「一度、父に相談しますので、まずはお見積もりを——」
二つの声がきれいに重なった。
「「……ん?」」
ガレスとリリアンナが、同時に相手を見る。エマだけが、あわあわと二人を見比べていた。
「ガレス様。今回のドレスはルベルハルト家で用意いたしますわ」
リリアンナが慌てて言った。
「……なぜですか」
「なぜ、と申されましても……。まだ正式に嫁いだわけではありませんもの。衣装代はルベルハルト家で負担するべきですわ」
リリアンナは当然のことを言ったつもりだったが、ガレスは少しも納得した顔をしていない。
「ルベルハルト家に出していただく必要はありません。俺が全部贈ります」
「そうですよ、リリアンナ様。男の甲斐性ってやつです!」
きっぱり言い切るガレス。エマまで彼の援護に回った。
「で、ですがそれでは筋が通りません。家同士のことでもございますから……」
「では、婚約者からの贈り物です。俺がリリアンナに贈りたいんです」
「うう……」
真顔で言い切られて、リリアンナは言葉に詰まる。
(贈りたいと言ってくれているものを、家同士の筋を理由に断り続けるのも失礼なのかしら……。でも、四着もまとめて負担させてしまうのは——)
リリアンナが悩んでいる間に、ガレスはすでにセシリアへ向き直っていた。
「上限はありません。最高のものをお願いします」
「かしこましました!」
セシリアの目が輝いた。
(仕立て甲斐しかないお嬢様に、予算の上限なし! ……最高だわ!)
「ガレス様……」
「楽しみですね」
悪びれもせず微笑まれ、リリアンナはそれ以上何も言えなくなった。
◇◇◇
サロン用の一着は、あっさり決まった。
こちらは華美になりすぎないことを第一に、品がありながら落ち着いた印象の生地と意匠を、セシリアが提案した。
リリアンナたちも異論はなく、ほどなく方向性が決まった。
「では、こちらは大急ぎで仕上げます。……さて」
セシリアが手を打つ。
「ここからが本番でございますよ」
扉が開き、店の者たちが次々と入ってきた。
色とりどりの上質な絹や薄絹、レース。さらには刺繍や装飾の見本、何枚ものデザイン画が次々と卓の上へ並べられる。
「わあ……!」
エマが感嘆の声を上げた。
「まずはお色から見てまいりましょう」
セシリアは次々と布を取り、リリアンナの肩から胸元へ当てていく。
「リリアンナ様には、こちらのお色の方がお似合いです!」
エマが楽しそうに意見を出す。
「辺境伯様はいかがですか」
「とても似合うと思います」
別の布が当てられる。
「こちらは?」
「それも似合います」
「では、こちらは?」
「似合います」
セシリアとエマが、そろってガレスを見た。
「旦那様……。それでは参考にならないですよう」
「ですが、本当にどれも似合っているので……」
どうやら本気らしい。リリアンナは思わず笑った。
その後も、生地を替え、薄絹やレースを重ね、装飾を合わせていく。
セシリアが華やかなものを勧めるたび、リリアンナは「もう少し控えめでもよろしいのでは……」と一歩引いた。
何度か繰り返すうちに、セシリアはリリアンナのその傾向に気づく。
(……このお嬢様、自分を華やかに見せることに遠慮があるのね)
あるいは、目立つことそのものに慣れていないのか。
セシリアが知る由もないが。リリアンナはかつて社交界で、悪評が立たぬよう、できるだけ目立たず過ごそうとしていた。着飾ることにも、いつの間にか遠慮が染みついていたのだ。
(なんてもったいないの! これじゃあいけないわ!)
セシリアは、広げていた布を卓へ置いた。
「リリアンナ様。一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「はい」
「令嬢が着飾り、美しくなるのは……どうしてだと思われますか」
「え?」
リリアンナは、困ったように首を傾げた。
「そうですね……自分を魅力的に見せてアピールするためではないでしょうか」
美しいと評判になれば、良縁を得たり、人脈作りに繋がるかもしれない。
「確かにそれもございますが、その目的は今のリリアンナ様には相応しくないようですわ」
リリアンナが目を瞬く。
「真に美しい令嬢は、自分だけでなく、隣に立つ殿方を魅力的に見せますのよ」
「隣に立つ、殿方を……」
「ええ。美しく堂々とした令嬢を連れて歩く殿方が、つまらない男に見えると思いますか」
リリアンナはその問いには答えず、隣のガレスを見た。
「残念ながら、わたくしも耳にしたことがございます。辺境伯様を野獣だの、田舎者だのと呼ぶ方々がいることを」
ガレスは慣れたものだと苦笑しているが、リリアンナの眉が寄る。
「でしたら、覆してやればよろしいのです」
セシリアはきっぱりと言った。
「あなたが誰よりも美しくなって、この方の隣に堂々と立つのです。そうすれば、辺境伯様を見る周囲の目まで変わりますわ」
そして、リリアンナをまっすぐに見る。
「リリアンナ様。——辺境伯様のために着飾りなさいませ」
「ガレス様のために……」
リリアンナはその言葉を繰り返す。
自分が美しく着飾ることで、ガレスまでよく見えるのなら。彼を野獣だと言った人々に、そんな人ではないのだと示せるのなら。
「……分かりました」
顔を上げたリリアンナの瑠璃色の瞳には、先ほどまでとは違う光が宿っていた。
「それでしたら、遠慮はいたしませんわ」
「そのお言葉をお待ちしておりました!」
セシリアが満面の笑みを浮かべる。
「リリアンナ……」
自分のために着飾ろうと宣言してくれる婚約者に、ガレスの胸が熱くなった。
◇◇◇
「では、こちらはいかがでしょう?」
「もう少し深い色も見てみたいです」
そこからのリリアンナは、先ほどまでとは別人のようだった。
生地を当てられれば鏡をよく見て、色の違いを確かめる。
レースを重ねれば、こうした方がいいと自分から意見を出す。
「あの、セシリア様。一つお願いしてもよろしいでしょうか」
「なんなりと」
「三着とも、どこかに金色を入れていただきたいのです」
「金色を?」
「はい」
リリアンナはガレスを見上げて、ふんわりと微笑む。
「ガレス様の瞳の色なので」
ガレスが固まった。エマは口元を押さえて、顔が真っ赤になっている。
「まあ」
セシリアは一瞬動きを止めたが、すぐにガレスの瞳を確認する。
内から光を宿したような、鮮烈な金色。
「——決まりですわ」
セシリアが積まれた布をかき分け、中から一反を引き抜く。
そして、深い瑠璃紺の絹をリリアンナの身体へ広げた。
「ご覧くださいませ。この色なら、リリアンナ様の瞳が一等きれいに見えます。淡い髪のお色も沈みません。そして——」
セシリアは金糸の見本を布の上へ置いた。濃い青の上で、金糸が鮮やかに輝く。
「金が、これほど美しく映えます」
「本当ですわ」
「金は上へ集めず、裾から腰へ向かって蔓草のように這わせましょう。上へ行くほど細く、控えめに。そうすれば立っているときは上品に、歩いたときには金糸が燭台の光を拾います」
セシリアはもう完成したドレスが見えているかのように、よどみなく言葉を続ける。
「胸元は鎖骨と肩の線を美しく見せる形に。上半身はすっきりと仕立て、腰から下にたっぷりと布を使いましょう」
リリアンナは姿見の中の自分を見た。
まだ縫い合わされてもいない布と、わずかな刺繍見本だけ。それでも、完成した姿が想像できる。
そして何より、瑠璃紺の中で輝く金色が目に入った。
「……これがいいです。この金色なら、ガレス様の瞳のお色だと、ちゃんと分かりますもの」
リリアンナは嬉しそうに言った。
「あ……旦那様が倒れました」
ガレスは胸を押さえて卓上に突っ伏している。先ほどから立て続けに胸を射抜かれ、とうとう耐えきれずに崩れ落ちた。
◇◇◇
「では、こちらで三着とも決まりですね」
二着目には、淡いローズベージュ。柔らかく広がるスカートが、可憐な印象を添える。
三着目には、深いエメラルドグリーン。すらりと身体に沿う形で、大人びた華やかさを感じさせる一着となった。
もちろん、どちらにも金糸が入る。
その後、必要な採寸を終えると、セシリアは満足げに手元の記録を閉じた。
「サロン用の一着は最優先でお仕立ていたします。残りの三着も、順次仕上げてまいりますわ」
「よろしくお願いいたします」
「ええ。必ず、とびきりのものをお仕立ていたします」
自信に満ちた言葉に、リリアンナは自然と笑みを浮かべた。
これまでは自分を飾ることが怖かった。目立てば、また何か言われると思っていた。
けれど、着飾って人の目につくことが、ガレスのためになるのなら、綺麗なドレスを着て、誰よりも美しくなりたいと思えた。
「完成が楽しみですね、リリアンナ」
「はい」
リリアンナは迷わず頷いた。




