04 落ち着かない辺境伯
ガレスに案内され、リリアンナは用意された客間の前までやって来た。
「こちらの部屋を使ってください。中のことは、侍女のエマから説明させます」
ガレスが目で促すと、傍らに控えていたエマが元気よく一礼する。
「お部屋のことは、私にお任せください! では、リリアンナ様。こちらへどうぞ!」
「ええ、よろしくお願いいたします」
リリアンナはエマに頷いて、ガレスへと向き直る。
「それでは、辺境伯様。また後ほど」
にこりと微笑む彼女を、エマが部屋の中へと招き入れた。
やがて扉が閉まり、二人の姿が見えなくなる。
それでもガレスはその場を動かず、閉ざされた扉をじっと見つめていた。
——また後ほど。
怯えられてばかりの自分に、彼女は当たり前のようにそう言ってくれた。たったそれだけのことで、胸の奥が落ち着かなくなった。
少し離れたところに控えていたレオンが、見かねたように声をかける。
「では、我々も移動しましょうか」
「…………」
「……閣下?」
しかし、返事はなかった。
◇◇◇
リリアンナが部屋へ足を踏み入れた途端、ほっとするようなぬくもりが彼女を包み込む。
暖炉の火が赤々と燃え、外の冷気などすっかり忘れてしまいそうだった。
「……暖かい」
思わず声を漏らすと、エマがぱっと顔を輝かせた。
「お寒かったでしょうから、早めに暖炉へ火を入れておいたんです」
「ありがとうございます」
礼を言いながら、リリアンナは改めて部屋の中を見回した。
足元には、淡い色合いの花模様が織り込まれた厚手の絨毯。奥には柔らかそうな布地で飾られた天蓋付きの大きな寝台が置かれ、その横にゆったりと腰を下ろせそうな長椅子まで用意されている。
家具はどれも派手すぎないが、一目で上質なものだと分かる品ばかりだ。カーテンや寝具も優しい色合いで揃えられていて、心地よく過ごせるよう細かなところまで気を配られている。
さらに、寝台脇の小卓には小さな花まで飾られていた。
(……想像していたのと、まるで違うわ)
北方の武人が治める屋敷だ。もっと武骨で殺風景なところで過ごすのだと思っていた。
けれど実際に用意されていたのは、上品でありながら落ち着いた、いつまでもくつろいでいたくなるような部屋だった。
「お、お気に召しましたか……?」
エマが緊張した面持ちで尋ねてくる。
「ええ。とても素敵なお部屋です」
リリアンナが微笑むと、エマの強張っていた表情がたちまちほころんだ。
「良かったです! 実はこのお部屋、旦那様がいろいろ細かく指示を出していたんですよ」
「辺境伯様が……?」
「はい! 『女性は冷えやすいそうなので、部屋はしっかり暖めておいてください』とか、『クッションは多めにしましょう』とか、『毛布はもっと柔らかいものにしてください』とか……」
わざわざ声を低くし眉間に皺まで寄せているところを見ると、どうやらガレスの口真似をしているらしい。
すっかり興が乗ったのか、エマはその調子のまま楽しそうに小卓へ歩み寄った。
「それに、このお花も旦那様が用意してくださったんです! 『部屋に飾っておいてもらえますか』って」
「まあ……」
リリアンナはもう一度小卓の花へ目を落とした。
あの大きな体で、真剣な顔をして花を選ぶガレスの姿を思い浮かべる。それだけで、ふっと頬が緩んだ。
「辺境伯様は、とても思いやりのある方なのですね」
「はい! 見た目のせいで怖がられたり、誤解されたりすることが多いんですけど、本当はとっても優しい方なんです」
エマは自分のことのように、嬉しそうに笑った。けれどすぐに「あっ」と声を上げ、慌てて姿勢を正す。
「そうでした! お部屋のご説明をしないと。お荷物はすでに運び込んであります。衣装はこちらの衣装棚へ。あとは——」
弾む声のまま、エマは部屋の設備をひとつずつ案内していった。
◇◇◇
一方その頃、客間の前では——。
ガレスが大柄な体を持て余し、廊下を行ったり来たりしていた。
(部屋は十分に暖まっているだろうか)
(毛布は、もっと柔らかいものを用意した方がよかったかもしれない)
クッションは足りているだろうか。寝台は固くないだろうか。花は気に入ってもらえただろうか。
一つ考え始めると、心配の種が次から次へと湧いてくる。
少しでも快適に過ごしてほしい。
彼女の好みに合う部屋にちゃんと仕上がっていただろうか——それが気になって、ガレスはどうしても客間の前から離れられなかった。
「閣下。そんなに歩き回っていたら、床板がすり減ってしまいます。いい加減、落ち着いてください」
様子を眺めていたレオンが、呆れたように眼鏡を押し上げる。
声をかけられたガレスは一度足を止めたものの、数秒もしないうちに、またそわそわと歩き出した。
そうしているうちに、廊下の向こうから一人の侍女が歩いてきた。
「あら? 旦那様、レオン様。このようなところで、いかがなさいましたか」
声の主は、フィーネだった。
「さあ……私が知りたいくらいです。フィーネこそ、何か用ですか」
レオンが尋ねると、フィーネは客間の扉へ目を向けた。
「リリアンナ様をお呼びしに参りました。夕食の支度が整いましたので、エマの説明が済みましたら、ご案内しようと思いまして。それに、エマがきちんとご説明できているか、少々気がかりでしたので確認を」
「なるほど」
レオンが頷く。
その隣でガレスが足を止めた。
「……もう、夕食にできるんですか」
「はい。いつでもお召し上がりいただけます。旦那様は、先に食堂でお待ちになりますか」
フィーネに尋ねられ、ガレスの視線が客間へ向く。
その様子を見たレオンが、思いついたように口を開いた。
「いっそ閣下が、リリアンナ様を食堂までご案内して差し上げればよろしいのでは?」
ガレスが勢いよく振り返った。
「……俺がですか」
「どのみち、ご一緒に夕食を召し上がるのでしょう? ちょうどいいではありませんか」
「…………」
ガレスはさっと軍服の襟元を整え、乱れてもいない髪へ手をやった。さらに一度深く息を吸い、今度は客間の扉と自分の服装を交互に確認し始める。
「……この格好で問題ないでしょうか」
「お出迎えのために、わざわざ正装までなさったんです。問題ありません」
「顔は……怖くありませんか」
「いつも通りです」
「それでは駄目なのでは?」
「リリアンナ様は、いつも通りの閣下に微笑んでくださいましたよ」
ガレスの全身が、がちんと固まった。
扉の前で向けられた、あの柔らかな微笑み。それを思い出したとたん、首筋から耳の先まで、みるみる赤く染まっていく。
レオンとフィーネは、そろって顔を見合わせた。
わざわざ言葉にするまでもない。二人の考えは同じだった。
——これは、惚れたな。
レオンは口元を緩めると、フィーネにだけ聞こえる声でささやいた。
「……ここは、本腰を入れてお支えしなければなりませんね」
「ええ。精一杯、お力添えいたしましょう」
フィーネも頬に手を添えて、ふふ、と目を細める。
女性に縁のなかった主人が、ようやく誰かに心を動かされたのだ。弟の初恋を見守るような気持ちで、二人はしっかりと頷き合った。
「……何の話ですか」
怪訝そうに眉を寄せるガレスに、レオンはすました顔で首を振る。
「いえ、こちらの話です。それより閣下、リリアンナ様をお待たせしてはいけませんよ」
「…………」
ガレスはレオンから視線を外し、客間の扉へ向き直った。その前まで進み出て、もう一度だけ襟元に手をやる。
やがて覚悟を決めたのか、ガレスはノックしようと大きな手を持ち上げた。
そのとき、扉の向こうから、ばたばたと切羽詰まった足音が一直線に駆けてきた。ガレスの手が宙でぴたりと止まる。
次の瞬間、勢いよく扉が開き、エマが飛び出してきた。




