改稿中☆32 では、どうにかします
※現在、改稿作業を進めています。
第1話から順番に、改稿版へ差し替えております。
差し替えが完了した話から、こちらの前書きは外していく予定です。
物語の大筋に変更はありませんが、細かな描写や内容については、改稿前と改稿後で異なる部分があります。
一瞬どこかへ飛んでいた意識が、ふっと戻ってきた。
自分は今、祝福の話をしていたはずだ。悪評の話もして、それから——それから、何を言おうとしていたのだったか。
目の前では、やはり変わらずガレスが跪いている。
(そうだ、求婚……)
「あ、あの辺境伯様。祝福は! わたくしの祝福は、どうなさるのですか」
「問題ありません。俺が守ります」
即答だった。
「で、ですが悪評が……。わたくしと婚約なさったら、辺境伯様まで魅了されているのだといわれます。それにわたくしが何をしても悪し様に言われてしまい、お家の名に傷が……」
「俺は気にしません」
これも即答である。
気にしない……。ガレスがそう言うなら、本当に問題ないのだろうか。
リリアンナにとっては、願ってもない言葉のはずだった。祝福のことも、悪評のことも知ったうえで、それでも結婚したいと言ってくれている。ならば素直に喜んで頷けばいい。
それなのに、どうして自分はこんなにも必死になって、断る理由ばかりを並べているのだろう。
そんなリリアンナの顔を見て、ガレスが目を細めた。
「俺は気にしないですが……貴女は気になるのですね」
「それは……はい」
「分かりました。では、どうにかします」
「どうにか!?」
あまりの言い草に、思わず声が裏返った。この方の中で、いま解決すべき問題として処理されてしまったらしい。
「愛しています」
「ひぃ……」
あまりにも唐突で、まっすぐな言葉だった。
直球すぎて一瞬怯んだリリアンナだが、すぐに——ぼん、と顔中に熱が集まった。頬どころか耳まで一気に熱くなる、心臓が跳ね上がる。
「貴女の隣に立つ権利を、俺にください」
まともな言葉が出てこない口をわなわなと震わせながら、リリアンナはただガレスを見つめた。
求婚だけでも頭が追いついていないというのに、そこへ真正面からの愛の告白だ。許容量を超えていた。
そんな沈黙を、ガレスは別の意味に取った。
「……ずっと格好悪いところばかりお見せしています。……もし、俺が嫌だというのでしたら」
「ち、違——」
「時間をください」
リリアンナの否定を、ガレスの声が押し流した。
「……好きになっていただけるよう、努力しますので。誠意を見せるお時間を、いただきたく」
言葉を探して、それでも彼は目を逸らさなかった。
「貴女のことを、諦められません」
(~~~~~~~~っ!)
リリアンナの中で、何かが弾けた。半ば叫ぶように声が出る。
「そんなの、なくても!」
リリアンナは真っ赤な顔のまま、差し出された手を思い切り握った。
「わたくしも、辺境伯様が大好きです!」
ガレスの動きが止まった。
差し出した手を握られたまま、金色の目を見開いている。リリアンナがさらにぎゅうっと力を入れると、ガレスの指先がぴくりと動いた。
「……いま」
掠れた声が落ちる。
「いま、なんと」
「~~っわ、わたくしも、辺境伯様が好きだと申し上げました!」
もう一度言わされて、リリアンナの顔がさらに熱を持つ。それでも手は離さなかった。
呆然としていたガレスの顔が、少しずつ崩れていく。喉が大きく上下した。
「……リリアンナ嬢」
「はい」
「あの……抱きしめても、よろしいでしょうか」
ひどく真剣な顔で律儀に許しを求めてくる彼に、胸が甘く締めつけられた。
リリアンナは椅子から立ち上がるのももどかしく、そのまま前へ飛び出した。ちょうど届いた首筋へ両腕を回すと、勢いのついた小さな身体を、ガレスは膝をついたまま難なく受け止める。よろけもしなかった。
すぐに、たくましい腕が彼女の背へ回された。
リリアンナが首へ回した腕にもう少しだけ力を込めると。応えるように背中を抱く腕の力も強くなる。上着越しに伝わる体温と、革と鉄のかすかな匂い。それが、ガレスのそばの匂いなのだと思った。
「……夢では、ないですよね」
耳元でガレスが呟いた。
「もちろんですわ」
「……そうですか」
大切なものを確かめるように、ガレスはリリアンナを腕の中に抱き込んだ。
怖がられると言っていた大きな身体も、傷だらけの腕も。リリアンナにはやはりまったく怖くない。むしろこの腕の中が、どこよりも安心できる場所のように思える。
「……まだ、こうしていたいです」
「ぜひ……そうしてくださいませ」
「では……もう少しだけ」
卓の上の茶がすっかり冷めてしまったあとも、二人が離れることはなかった。
◇◇◇
どれくらい、そうしていたのだろう。
リリアンナはガレスの肩口に頬を預けたまま、背中へ回された腕のぬくもりを感じていた。先ほどまで激しく鳴っていた鼓動も、少しずつ落ち着きを取り戻している。
「なかなか離れがたいですね……辺境伯様」
「……リリアンナ嬢」
「はい」
「俺のことはガレスと、名前で呼んでいただけませんか」
「……!」
いざ本人からそう望まれると、急に特別な関係になった実感が湧いてくる。
「……ガレス、様」
「はい、リリアンナ」
ふいうちの呼ばれ方に、リリアンナは顔から火が出そうになった。ガレスもまた、自分で呼んでおきながら照れてしまい、互いに顔を赤くしたまま見つめ合い、どちらともなく視線を逸らした。
しばらくして、ガレスが大げさに咳ばらいをする。
「正式な婚約については、王家とルベルハルト伯爵にすぐに連絡を入れます」
「ええ。父もきっと喜びます」
「ですが、その前に……屋敷の者たちに先に報告をしたいのですが。構いませんか」
その言葉に、リリアンナの顔もほころぶ。
自分を温かく迎えてくれた、大好きな屋敷のみんなに最初に伝える。異論などあるわけがなかった。
「もちろんですわ」
「ありがとうございます」
隠しきれない喜色が、ガレスの顔に滲んだ。そして次の瞬間、リリアンナの身体がふわりと宙に浮く。
「きゃっ! ……ガレス様?」
気づけば、リリアンナはガレスの腕の中に抱き上げられていた。片腕は背へ、もう片腕は膝の裏へ。あまりにも軽々と持ち上げられたものだから、一瞬何が起きたのか分からなかった。
「では、行きましょう」
「まあ、今からですか? もう皆さま、お休みになるお時間では……」
「まだ起きている者も多いでしょう」
「このまま報告に行くおつもりで!?」
「はい」
またしても即答だった。
「早く皆に言いたいです」
いつも眉間に皺を寄せて、難しい顔をしている人が——子どものように嬉しそうに笑っていた。そんな顔で言われてしまえば、リリアンナに止められるはずもない。
「……分かりました」
リリアンナが笑うと、ガレスの表情がさらに明るくなった。
「では、行きます」
言うが早いか、ガレスはリリアンナを抱いたまま談話室を出て、廊下を駆け出す。
「は、速いです! ガレス様、速すぎますわ!」
「すみません」
「謝りながら、さらに速度を上げないでくださいませ!」
慌てて首へしがみつくリリアンナに口元を緩め、ガレスは普段では考えられないほど浮き立った足取りで屋敷を進んでいった。
「ハンス!」
廊下の角で、燭台を手にした執事長が振り返る。
「婚約が決まった!」
よく通る、低くて大きな声が屋敷に響いた。
「おお! ほっほっほ。おめでとうございます、お二人とも」
「ハンスさん。ありがとうございます」
ハンスは目尻に深い皺を刻み、二人を見つめた。
「本当に……ようございました」
噛みしめるような言葉に、二人はそろって頷く。けれど、しみじみと余韻に浸っていられたのは、ほんのわずかな時間だけだった。
「おい、今……婚約って言ってなかったか」
「俺もそう聞こえたぞ!」
どたどたと廊下を走る音がする。
ガレスはリリアンナを抱えたまま、大きく息を吸った。
「正式に婚約することになりました!」
屋敷の端まで届きそうな声だった。近くの部屋にいた者まで聞きつけたらしい。扉が勢いよく開く音がする。
「ええええええっ!?」
「おめでとうございます、お二人とも!」
「やったぞーー!」
屋敷が一気に騒がしくなる。ガレスはそのままリリアンナを抱え、出会う者すべてに婚約の報告をしながら、屋敷中を回っていった。
「おめでとうございます!」
「閣下がついに結婚かあ……」
リリアンナは恥ずかしくて仕方がないが、下してほしいと言う暇もない。
婚約の知らせは瞬く間に広がっていき、次々と人が集まってくる。気づけばガレスとリリアンナの周りには、大きな人の輪ができていた。
その中から、ひときわ大きな声が上がる。
「こんなの寝てる場合じゃねえ! 宴だ、宴!」
バルドだった。
「酒も料理も持ってこい!」
「厨房にあるだけじゃ足りねえぞ!」
「よし、今すぐ鹿を狩ってきますよ!」
兵士の一人が勢いよく名乗りを上げると、ガレスは迷うことなく頷いた。
「お願いします。とびきり上等なやつを」
兵士が数名、歓声を上げて外へ飛び出していった。止める者は誰もいない。
樽が転がされ、竈に火が入り、食堂の長机が引きずり出された。肉の焼ける匂いと、樽の栓を抜く音。あっという間に祝いの支度で沸き返っている。
「おやおや、閣下。ずいぶんと大事に抱えておりますね」
人垣の中から顔を出したレオンが、にやりと笑った。
「これだけ仲がよろしければ、跡取りもすぐに見せていただけるでしょう。ヴァルグレイブ領も安泰でございます」
「……!」
レオンの後ろからどっと笑いが起こる。リリアンナの顔が真っ赤に茹で上がり、堪えきれずガレスの胸元へ顔を隠した。
「が、ガレス様……そろそろ自分で歩きますわ」
「俺はもう少し、このままでいたいです」
その返事に周囲がさらに沸いた。
「いやはや、これは大変ですね、リリアンナ様」
レオンが肩をすくめながら、どこか楽しそうに言う。
「閣下は何事も加減と言うものが苦手でして。一度振り切れてしまえば、もう戻りませんよ。おそらくこの先、一生こんな調子でしょう」
「一生……」
「どうぞ覚悟なさってください」
愛していると言われただけでも、心臓がどうにかなりそうだったというのに。これが、この先ずっと続くというのだろうか。
「そ、それは……わたくしの心臓がもたないかもしれませんわ……」
思わず本音がこぼれる。すると、頭上からガレスの低い声が落ちてきた。
「……慣れてほしいです」
「えっ」
見上げると、ガレスは至極真面目な顔をしていた。
「これからも、こうしていたいので」
「ガレス様……っ!」
追い打ちだった。リリアンナは撃沈して、両手で顔を覆った。
「ひゃああっ! 旦那様、押せ押せです」
「リリアンナ様、頑張ってください!」
「こりゃ先が楽しみだ」
「もう……皆さまったら!」
抗議する声も、笑いの中へ溶けていった。
調理場から次々と料理が運ばれていく。狩りに行っていた兵士たちも鹿を担いで戻ってきた。
誰かが歌い出せば、別の誰かが杯を掲げる。
「お二人の婚約に!」
「「「乾杯!」」」
大きな声とともに杯が打ち合わされ、急に始まった祝いの宴は夜が明けるまで続いた。
◇◇◇
空が白みはじめる頃、宴の熱もようやく引いていった。
食堂のあちこちで、兵士も文官も使用人も関係なく、酔い潰れた者たちが幸せそうな顔で伸びている。リリアンナは早々にエマとフィーネに連れていかれ、今頃は眠っているだろう。
ガレスは、誰もいなくなった食堂の窓辺に立っていた。
傾いた杯を片づける気にもならず、白んでいく空をしばらく眺める。それから、背後の気配へ振り返らずに言った。
「レオン」
「はい、閣下」
いつからそこにいたのか。眼鏡を押し上げる音がした。
「明日……いや、今日がいいです。時間をください」
「かしこまりました。何のご用件で」
ガレスは、窓の外へ目を戻す。
昨夜、彼女は言った。何をしても悪く言われる、と。祝福のことは自分が守ればいい。だが、噂は剣で斬れない。
——では、どうにかします。
自分でそう言ったのだ。ならば、やるだけだった。
「リリアンナの悪評を、覆します」




