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男を狂わせる魅了の祝福を持つ令嬢は、野獣と恐れられる辺境伯様と三か月の仮婚約をしたら溺愛されました  作者: 紳士テニス


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改稿中☆29 自覚した朝

※現在、改稿作業を進めています。


第1話から順番に、改稿版へ差し替えております。

差し替えが完了した話から、こちらの前書きは外していく予定です。

物語の大筋に変更はありませんが、細かな描写や内容については、改稿前と改稿後で異なる部分があります。

 沈んでいた意識がゆっくりと引き上げられていく。重いまぶたが開き、明るい光を感じた。


「……朝か」


 寝起きで声が掠れていた。


 ぼんやりした頭で、今日やるべき仕事を思い浮かべようとして、違和感を覚える。


 身体が軽い。


 首も。肩も、まぶたも。ここ数日、鉛を流し込まれたように重かったものが、今はどこにもない。


 そして何より夢を見なかった。


 ただ眠って、ただ起きた。それだけのことで、世界が鮮やかに見えてくる。


 ガレスはもう一度目を閉じかけて、そこでようやく気づく。


(……ん?)


 頭の下に妙に柔らかいものがある。枕とは違う、もっと温かくて、ほどよい弾力があって……。


 鼻先を花の香りがかすめた。……覚えのある香りだ。


 正体を確かめようと慎重に頭を動かして。——瞬間、全身がびきりと固まった。


 リリアンナがいた。


 自分は今、膝枕をされている。


 昨夜の記憶が一気に押し寄せてきた。


 悪夢に精神を削られ、談話室で一人仕事をしていたこと。


 リリアンナが温かいお茶を持ってきてくれたこと。


 そして、……話す必要のない弱音を彼女に吐いて、それから——。


『……よく、頑張ってこられたのですね』

「……っ!」


 膝のぬくもり。ゆっくりと頭を撫でる手。優しく労わる声。


(俺は……そのまま寝てしまったのか!?)


 しかも少し眠ったどころではない。窓の外には、とうに朝日が昇っている。


 ガレスはそろりとリリアンナを見上げた。


 彼女は長椅子の背に寄りかかるようにして眠っていた。クッションは敷いているが、それでも楽な姿勢ではない。


 その状態で、膝を完全に埋めてしまう大きさの頭を、一晩ずっと受け止め続けていたことになる。


 きっと、起こさないようにしてくれたのだ。自分がようやく眠れたから。無理に頭をどかすこともせず、何時間も。


 ——思えば、この人はいつもそうだ。




 ◇◇◇




 一度だけ、直接尋ねたことがあった。


『俺のことを、怖いと思いませんか』


 談話室の長椅子に並んで腰かけていた。


 彼女は書庫から持ってきた本について楽しげに話していて、それがひと区切りついたとき、ふいに口から出た言葉だった。


 彼女は、きょとんとこちらを見上げていた。


『社交の場では散々です。俺が声をかけると令嬢は悲鳴を上げる。子どもにも泣かれます。……部下にすら怖がられるときがある』


 ガレスは片手を目の前まで持ち上げた。


 剣を握り続けて筋くれだった大きな手のひら。古傷が幾筋も皮膚の上を走っている。まるで自分という人間を、そのまま形にしたような無骨な手だった。


『俺は、怖いでしょう』


 自嘲するように呟いて手のひらを眺めていたら、リリアンナの両手が伸びてきた。


『怖くないですよ』


 彼女はためらいもせずにガレスの傷だらけの手を包み込んだ。両手でもガレスの手を覆い切れない小さな手で、それでもしっかりと握ったまま顔を上げた。


『辺境伯様のことを怖いと思ったことはございません。この手は……誰かを守ってきた、優しくて安心できる手に見えます』


 揺らぎのない瑠璃色の瞳が、優しくガレスを見つめていた。




◇◇◇




 会話をしているときもそうだ。


 口下手な自分が言葉を探して黙り込んでも、彼女は急かさない。


 どう返せばいいのか分からず、言葉足らずな返事になったこともあっただろう。あとから思い返して頭を抱えるような、妙なことを口走ったことも一度や二度ではない。


 それでも彼女は呆れた顔ひとつしなかった。


 自分が絞り出した言葉をいつも嬉しそうに受け取って、会話を繋いでくれた。——当たり前のように、自分の側で。


 隣を歩き。向かいに座り。廊下で顔を合わせれば、こちらへ笑顔で歩み寄って。


 ガレスから逃げずに近づいてきてくれることが、どれほど嬉しかったか。


 そもそも、この縁談は王家の仲介だ。


 王都を離れ、寒く荒れた土地へ嫁ぐ話など、本当は望んでいなかったかもしれない。ずっと申し訳なく思っていた。


 それなのに、彼女は嫌な顔ひとつ見せなかった。


 それどころか、辺境の話を聞きたがった。ガレスが慣れない会話の中でぽつぽつと語る領地の話を、瞳を輝かせて聞いていた。


 屋敷の者たちに対してもそうだ。


 困っている者がいれば当たり前のように手を貸し、寒い中働く兵士たちへ温かい飲み物を配って回っていた。


 ひと月半しか経っていないのに、屋敷のほとんどの者の名前を、もう覚えている。


(……どうしてこの人は、誰にでも当たり前のように手を差しだせるのだろう)


 出会って、まだひと月半。


 けれど——リリアンナという人を知るには、それだけでも十分すぎるほどだった。




◇◇◇




 そのとき、リリアンナが小さく身じろぎした。


「……ん」


 まつげが震え、まぶたがゆっくりと持ち上がった。


 瑠璃色の瞳に、朝の光が差し込む。焦点の合わない視線がふらりと動いて——ガレスを捉えた。


 そして——。


「おはようございます」


 ふわりと微笑んだ。


 朝の光が、彼女の周りに弾けて広がる。


 ミルクティー色の髪が透けて、眠そうに緩んだ目元も、赤くなった頬も、何もかもが光に溶けて輪郭も定かではない。


(……眩しい)


 それなのに目が離せない。


 喉が動かない。心臓が壊れたかのようにうるさく響く。魔物の群れに囲まれたって、こんなふうにはならない。


 こんなに苦しいのに心地よくて、ずっと彼女の笑顔だけ見ていたい。


 なぜだか、泣きたくなった。


(……ああ)


 きっと一目惚れだった。馬車から降りてきた彼女を初めて見た、あの瞬間に。


 けれど、今はそれ以上に——。


 好きだ。どうしようもなく、この人が。


(この笑顔を、俺が守りたい)


 三か月などでは到底足りない。この先のすべてを、俺に——。

 

 ガレス・ヴァルグレイブは、狂おしいほどの恋を自覚した。


「よく眠れましたか」


 リリアンナの問いに、ガレスはすぐには答えられなかった。胸がいっぱいで言葉が出ない。


 それでも何とか絞り出した。


「はい。驚くほど……」


 頭も身体も軽い。だが心は甘く苦しい。リリアンナが嬉しそうに目を細めると、鼓動はさらに高鳴る。


 名残惜しいが、ガレスは身体を起こす。


「……ありがとうございます。俺のために、朝まで」

「どうぞ気になさらないでください。貴方が休めたなら、それで十分です」


 そう言ってリリアンナが身体を動かそうとした、そのとき。


「う……」


 彼女が小さくうめき声を上げた。


「どうしました」

「……あ、足がしびれてしまいました」

「………………」


 気まずそうにするリリアンナ。


 ガレスの思考が止まり、——次の瞬間、弾けた。


「な、なぜ起こしてくれなかったのですか!」


 普段の落ち着いた彼の姿からは想像できないほどの慌てぶりに、リリアンナは目を丸くする。


「えっと……」

「そんなになる前に起こしてください!」

「その……よく眠っていらっしゃったので……」

「それでも!」


 本気で動揺して心配する声に、リリアンナは思わず吹き出してしまう。


「ふふっ……」

「笑いごとではありません!」

「あははっ……ごめんなさい……!」

「リリアンナ嬢……」


 困り果てたガレスの声に、リリアンナはますます楽しそうに笑った。


 朝の談話室には、しばらく二人の声が響いていた。

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