改稿中☆26 美しい侯爵令嬢
※現在、改稿作業を進めています。
第1話から順番に、改稿版へ差し替えております。
差し替えが完了した話から、こちらの前書きは外していく予定です。
物語の大筋に変更はありませんが、細かな描写や内容については、改稿前と改稿後で異なる部分があります。
それは何度目かの夜会の時のこと——。
その令嬢は、ざわめきを割って歩いてきた。
艶やかな黒髪。深紅のドレス。深く開いた胸元と、腰から裾へ流れる曲線が、歩くたびに揺れる。
男たちの目が、その動きを追っていた。
(……綺麗な方)
リリアンナは、素直にそう思った。
近くで誰かがささやいている。
「バーリンガム侯爵令嬢よ」
「王都一の美女だという——」
令嬢は、リリアンナの正面で足を止めた。それから、ゆっくりと扇を開く。
「まあ、あなたが噂の」
蜜のように甘い声。
「ずっと、お会いしたいと思っておりましたの」
「は、初めてお目にかかります」
リリアンナは腰を落として礼をした。
ぱちり。扇の閉じられる音がする。
「あなた、人をおとしめる化け物なのですって?」
広間の音が遠のいた。
周りに聞こえるような大きな声。周囲の視線が二人に集まった。
みんな、リリアンナの返事を待っている。
「……ち、違います」
声が掠れた。
「わたくしの力は、この装飾具で完全に抑えられております。教会が調べてくださいました。報告書も王家に提出されて——」
「まあ。教会のお墨付きまでいただいていらっしゃるの」
令嬢は扇の向こうで笑った。
「ずいぶん周到ですこと」
「……え?」
「いいえ。怖いと思っただけですわ。そこまでして皆様に近づこうとなさるなんて」
「それは……どういう意味ですか」
「どうせ、その力で教会の方をたぶらかしたのでしょう?」
「そんなっ……!」
彼女はリリアンナの弁明も聞かず、そしてそのまま踵を返した。
名乗りもしないまま。深紅のドレスは人垣の向こうへ消えていった。
その人の名は、デボア・バーリンガム。
バーリンガム侯爵家の令嬢だった。
◇◇◇
その日から、風向きが変わった。
これまでは、家名を告げた途端に離れていかれるだけだった。
しかし。
ある夜会の会場。リリアンナは、デボアと取り巻きの女性に囲まれて、逃げ道を塞がれている。
「リリアンナ様。今日もお美しいこと」
「怖いくらいですわ」
「……不快な思いをさせてしまったのでしたら、申し訳ございません」
何もしていなくても謝る。
リリアンナは、微笑みを顔に貼り付けていた。
「ねえ、教えて下さらない?」
「殿方を狂わせるのって、どんな心地ですの?」
リリアンナは何も言い返さない。言い返せば、話が大きくなるのは分かり切っているからだ。
デボアは取り巻きからワインを受け取ると、杯を傾けた。リリアンナの淡い水色のドレスに、赤い染みが広がっていく。
「ごめんあそばせ。手が滑ってしまいましたわ」
濡れた布が、肌に張りついて冷たい。
周囲の視線が集まってくる。
心配そうにこちらを見る者はいた。けれど、デボアと目が合うと、誰もが気まずそうに視線を伏せる。
結局、誰も止めには入らなかった。
「……お気になさらないでください。わたくしが近くに立ちすぎておりました」
「本当にごめんなさい。でも、ちょうどよかったのでは? だって、化け物には綺麗すぎるドレスですもの」
くすくすと複数人の笑い声が重なる。
それでもリリアンナは微笑みを崩さなかった。
汚れた裾を押さえて、丁寧に礼をする。
「失礼いたします」
誰も追ってこなかった。
◇◇◇
デボアがいる日はいつも笑いものにされた。
いない日は誰にも話しかけられず、ダンスにも誘われない。
(……どうして)
流行を、貴族名鑑の内容を頭に入れても、所作に磨きをかけても。
それでも、輪の中には入れない。
自分に何かが足りないのだと思った。だから埋めようとした。
埋めても、埋めても、届かなかった。
半年も経つ頃には、リリアンナは壁際に立つことに慣れていた。
ダンスカードは、もう開かない。
◇◇◇
その頃、父も動いてくれていた。
伝手をたどり、頭を下げて、娘の縁談を探してくれていた。
けれど結果は芳しくなかった。
社交界でのリリアンナの様子は、どの家にも伝わっている。あの令嬢を嫁に迎えようと考える家は、一つもなかった。
届くのは、断りの手紙ばかり。
時折、別の手紙が届くこともあった。
妻にではない。そばに置いておきたい、という申し出だ。
顔しか見ていない者たちからのそれは、驚くほど熱心で、丁寧で——どれも中身が同じだった。
◇◇◇
その夜も、リリアンナは壁際にいた。
ダンスカードは白紙のままだ。
(……少し、休みましょう)
廊下に出る。
王宮の奥には休憩用の小部屋がいくつかある。その一つの扉が半分ほど開いていた。
中を覗いて、リリアンナは足を止めた。
窓辺の椅子に、ひとりの令嬢が座っている。膝の上に、本を広げて。夜会の最中に、本を読んでいる。
その姿に、思わず頬が緩んだ。
邪魔をしないようにそっと下がろうとして——本の背表紙が目に入ってしまった。
「……『エディス・ポーの生涯』」
声に出したつもりはなかった。
令嬢がはじかれたように顔を上げる。
「あ、あの、これは、その」
慌てて本を閉じようとして、しおりを落とす。丸い眼鏡の奥で、目が泳いでいた。
「ご、ごめんなさい。わたし、その、こういうところが苦手で、それで」
「いいえ」
リリアンナは首を振った。
「わたくしも、同じですから」
そして、少し迷ってから言った。
「……中巻の、誰にも読まれないと分かっていながら、記録を書き続けた主人公の場面……あそこが、好きです」
令嬢の動きが止まった。眼鏡の奥の目が、まっすぐこちらを向く。
「……お読みになったのですか」
「はい」
「中巻を」
「ええ」
次の瞬間。
「あそこは、本当に素晴らしいですよね!」
令嬢が、身を乗り出した。
「エディスは、皆に馬鹿にされた薬の生成方法を、何度も試して全部そのまま書いて残しました。……でも、エディスの作り方は間違っていなくて。後の人が同じ失敗をしなくて済んだのは記録のおかげです。ですから、あの方が四十年かけて書いたものは、失敗の記録であっても——あ」
そこで、我に返ったらしい。顔がみるみる赤くなった。
「……申し訳ございません。わたし、その、本の話になると」
「ふふふ」
リリアンナは笑っていた。久しぶりに、作った笑顔ではなかった。
「……もっと、聞かせてください」
令嬢が、瞬きをした。それから恐る恐るといった様子で、隣の椅子を示す。
「……よ、よろしければ」
リリアンナは、そこへ腰を下ろした。
◇◇◇
彼女はマリアベル・ケージ。
父親は王立図書館に勤める文官で、本人もまた無類の本好きの子爵令嬢だ。
そして、リリアンナの社交界でできた初めての友達だった。




