改稿中☆25 デビュタント
※現在、改稿作業を進めています。
第1話から順番に、改稿版へ差し替えております。
差し替えが完了した話から、こちらの前書きは外していく予定です。
物語の大筋に変更はありませんが、細かな描写や内容については、改稿前と改稿後で異なる部分があります。
十五歳の春。
リリアンナ・ルベルハルトは、七年ぶりに大勢の人が集まる場所へ足を踏み入れた。
王宮の大広間は、本や絵で思い描いていたものより、ずっと華やかだった。
色とりどりのドレス。胸に勲章を並べた紳士たち。楽団の音に楽しげな話し声が重なり、空間そのものがきらきらと輝いているように見えた。
(……本当に、来られたのね)
胸の奥から喜びが込み上げてくる。
ずっと憧れていた。
同じ年頃の令嬢と流行のドレスや本について話をして。素敵な殿方と踊る。
もしかすると、自分にも好きな人ができるのかもしれない。
多くの十五歳の令嬢が思い描くような未来を、リリアンナも夢見ていた。
「ずいぶん嬉しそうだね」
隣から聞こえた声に顔を上げると、父のロイドが柔らかく笑っていた。
「そんなに顔に出ていましたか」
「ああ。屋敷を出てからずっとね」
「まあ……」
恥ずかしくなって頬を押さえる。それでも、口元に浮かんだ笑みまでは隠しきれなかった。
「だって、ずっと楽しみにしていたのですもの」
「そうだったね」
歩き方も。礼の角度も。会話の作法も。ダンスも。家名を背負う令嬢として恥ずかしくないよう、七年かけて身につけてきた。
だからきっと大丈夫。リリアンナは、そう信じていた。
「ルベルハルト伯爵。ならびに、ご息女」
名を呼ばれた。
リリアンナは父とともに前へ進み出る。
練習してきた歩幅で。ドレスの裾を摘んで、優雅に膝を折った。
「ルベルハルト伯爵家長女、リリアンナ・ルベルハルトにございます」
国王からお祝いの言葉を賜り、王妃からも笑顔を向けられる。
リリアンナは、もう一度丁寧に頭を下げた。
それだけだった。
次の家の名が呼ばれ、父とともに下がる。
「よくできたね」
列から離れたところで父が褒めてくれた。
「練習した通りだったよ」
「はい」
リリアンナは左手の装飾具へそっと触れた。
(大丈夫)
今日から始まる。ずっと待っていた新しい生活が。
そのときのリリアンナは、心からそう信じていた。
◇◇◇
謁見を終えたあと、ロイドは挨拶回りへ向かった。
文官として王宮に勤める彼には、顔を出さねばならない相手も多い。
「リリアンナ。私が戻るまで、あまり遠くへ行かないようにね」
「はい、お父様」
一人になっても不安はなかった。むしろ少しだけ胸が弾んでいた。
話してみたいことは、たくさんある。
季節の花、人気の刺繍。興味のある本。
相手の家格に応じた挨拶の仕方も一通り覚えてきた。
最初に声をかけてくれたのは、同じ年頃らしい令嬢たちだった。
「まあ、素敵なドレス」
「その髪飾りも、よくお似合いですわ」
「ありがとうございます。母の形見なのです」
自然に言葉が続いた。ちゃんと話せている。相手も笑っている。
(こういうふうに、お友達ができていくのね)
思い描いていた通りだった。
リリアンナは少し緊張しながらも、教えられたとおりにドレスの裾を摘む。
「わたくし、ルベルハルト伯爵家のリリアンナと申します。以後、お見知りおきを」
——そこで、令嬢たちの表情が固まった。
「……ルベルハルト」
一人が繰り返した。
「はい。リリアンナ・ルベルハルトと申します」
何か聞き取れなかったのだろうか。そう思って、リリアンナはもう一度微笑んだ。
令嬢たちが顔を見合わせる。そのうち一人が、隣の少女へ何かを耳打ちする。
「あら。ごめんあそばせ。母を探しておりましたの」
「わたくしも、失礼いたしますわ」
二人は揃って離れていった。リリアンナだけが、その場に取り残される。
(……何か、失礼をしてしまったかしら)
先ほどの会話を思い返すが、どこで間違えたのかが分からなかった。
次に話しかけた令嬢も同じだった。その次も。
最初は笑って話してくれるのに、家名を告げた途端、態度が変わる。
もっと上手に話せばいいかもしれない。笑顔がぎこちなかったのかもしれない。
そう思って何度も声をかけた。
けれど、時間が経つにつれて、挨拶をすることさえ難しくなっていった。
リリアンナが近づけば、出来ていた輪がほどけていく。目が合えば、逸らされる。
そして、とうとう。
聞こえた。
「あれが、そうなのですって」
「殿方を何人も狂わせたという……」
「魅了の祝福でしょう?」
リリアンナの足が止まった。
「父から近づかないよう言われたわ」
「まあ、怖いわ……そんなの、化け物みたい」
心臓が、どくん、と嫌な音を立てた。
化け物。
その言葉とともに、かつての記憶が引きずり出される。
押し寄せる人の波。伸びてくる何本もの腕。濁った目。
リリアンナは反射的に左手を握りしめた。手のひらに硬い感触が食い込む。
(……違います)
これは、ちゃんと働いている。教会が七年かけて調べてくれた。
言わなければ。
リリアンナは勇気を振り絞り、声のした方へ歩み寄った。
「失礼いたします。あの、誤解がございます」
「……っ」
令嬢たちが一斉に振り向いた。
「わたくしの祝福は、この装飾具で抑えられております。安全性については教会の報告書も王家へ提出されておりますので……どうか、ご心配なさらないでください」
言い終えると、一人が半歩下がった。
その顔に浮かんでいるのは、安心ではなく——恐怖だった。
「……ご自分から、そのお話をなさるのね」
「え……?」
「いいえ。何でもありませんわ」
三人は足早に去っていく。
『ルベルハルト伯爵令嬢は、自らの魅了の力を語って相手を脅したらしい』
新しい噂が一つ生まれた。
リリアンナがそれを知るのは、もう少し後のことだった。
◇◇◇
ダンスの時間になった。
楽団が曲を奏で始めると、若い令嬢たちのもとへ次々と令息が訪れる。
差し出された手に、嬉しそうに手が重なる。
色鮮やかなドレスがダンスホールへ集まり、花が咲くように舞い始めた。
リリアンナは、自分のダンスカードを開いた。
何も書かれていなかった。
二曲目が始まった。三曲目。四曲目。
……カードには最後まで、一つの名前も書かれなかった。
(次は、もっと頑張りましょう)
まだ、そう思えていた。
◇◇◇
——それからも、状況は変わらなかった。
季節が変わっても、リリアンナは夜会や茶会に出続けた。
怖がられているなら、安心してもらえばいい。誤解されているのなら、自分のことを知ってもらえればいい。
リリアンナは、そう考えた。
まず、男性へ自分から話しかけるのをやめた。魅了しようとしていると思われないように。
代わりに令嬢たちと話せるよう、王都で流行しているものを調べた。
「最近は、小花の刺繍が人気なのよね?」
「はい。お嬢様くらいのお年の方には、特に好まれているようです」
侍女からそう教えられれば、自分でも刺繍を習った。
「その刺繍、とても素敵ですわ」
「……ありがとうございます」
「わたくしも最近、同じ花の刺繍を練習して——」
「申し訳ございません。友人を待たせておりますので」
「……そうですか」
会話は続かなかった。
ならば、もっと中身を知ってもらおうと思った。
貴族名鑑を読み直す。各家の縁戚。今年の作柄。王都の物価。各領地の特産品。
誰と話しても困らないように、たくさん覚えた。
「まあ、ずいぶんお詳しいこと」
「殿方がお好きになる話題ばかり、よくご存じなのね」
今度は、男性に取り入るために勉強しているのだとささやかれた。
笑えば、媚びていると言われる。
黙れば、不気味だと言われる。
近づけば、企んでいると言われる。
離れていれば、気取っていると言われた。
何をしても。何もしなくても、駄目だった。
悲しかった。悔しくないわけでもなかった。どうして自分ばかり、と思った夜だってある。
それでもリリアンナは、誰かを傷つけ返すことだけはしなかった。
——人をおとしめたりする人間になってはいけない。
父の教えを、破りたくなかったからだ。
嫌なことがあった日ほど、リリアンナは机へ向かった。
本当は、自分だけが悪いわけではないのかもしれない。
それでも、自分にできることがあるのなら、やってみたかった。足りないところがあるなら、埋めればいい。もっと知れば、もっとできるようになれば。
いつかきっと。
誰か一人くらい、自分を普通の令嬢として見てくれる。
そう信じたかった。
◇◇◇
——だが、そのささやかな願いさえ、やがて一人の令嬢によって踏みにじられることになる。
王都で一番美しいと謳われる、ひとりの令嬢によって。




