改稿中☆23 祝福と装飾具
※現在、改稿作業を進めています。
第1話から順番に、改稿版へ差し替えております。
差し替えが完了した話から、こちらの前書きは外していく予定です。
物語の大筋に変更はありませんが、細かな描写や内容については、改稿前と改稿後で異なる部分があります。
三日間、リリアンナは部屋から出なかった。寝台の隅で、毛布を頭から被って膝を抱える。
目を閉じると、あの時の暗く濁った目に見られている気がしてくる。だから、目は閉じない。
その手の中には、母の髪飾りがあった。誰かが拾ってきて、枕元に置いていってくれたらしい。
金細工は歪み、留め具は根元から折れていた。エメラルドの縁に、細かな傷が入っている。
もう、髪には留められない。
「リリアンナ。ご飯を持ってきたよ。少しでいいから、食べておくれ」
毛布の向こうから、父の声がした。
「……いらない」
「……そうか」
ロイドは、無理に食べさせようとはしなかった。その代わり、いつでも食べられるように、サイドテーブルには食事が置いてあった。
◇◇◇
あの夜のことを、リリアンナはひとつだけ父に話していた。
——綺麗な鐘の音が聞こえた、ということ。
高いところで、澄んだ音が一度鳴った。それからみんな、おかしくなった。
それを聞いた父は、その日のうちに教会へ書状を出した。
◇◇◇
事件から三日目の朝。
喉が渇いて、寝台を降りた。
水差しは鏡台の上にあるので、毛布を引きずって、そこまで歩いた。
——そして、足が止まった。
鏡の中に、知らない女の子がいた。
いつものリリアンナでも、ドレスを着た素敵な貴族のお嬢様でもない。
ミルクティーのような明るい髪の、綺麗なお人形さんみたいな女の子。
「……だれ」
そう言うと、鏡の中の女の子も、同じ形に口を動かす。
リリアンナは、自分の髪を掴んだ。……淡い色だった。指を通すと、するりと滑り落ちる。艶があり、ひと房ずつが、光を放っている。
(……ちがう)
わたしの髪は、こんな色じゃない。もっと茶色で、朝は絡まるから、梳いてもらうのに時間がかかる髪だ。
——お母さまと同じ色の髪なのに。
「……だれ、これ」
毛布が足元に落ちた。リリアンナは鏡へ手を伸ばす。鏡面に指先がぶつかると、鏡の中の女の子も、同じことをした。
栗色の髪の普通の女の子は、もういなかった。
「お父さま……っ!」
毛布を蹴って、リリアンナは扉に飛びついた。
「お父さま、お父さま……!」
素足のまま、廊下を走る。あの部屋には、あの鏡の前にはいられなかった。
階段の上で足が止まる。——玄関広間に、父がいた。
その向かいに、見たことのない老女が立っている。同じ服の者が、あと二人。
教会から派遣された司祭たちだった。
「……リリアンナ?」
父がこちらを見上げた。
「お父さま……っ」
声が震えて、うまく言葉にならない。
リリアンナは、手すりにしがみついたまま自分の髪を掴んだ。この色をどう説明すればいいのか分からなかった。
「……わたし、へんなの」
やっと出た言葉。
「かおも、かみも、へんになっちゃったの」
ロイドが階段を駆け上がる。娘の前に跪き、顔を、髪を見た。
「……お父さま」
「大丈夫だよ、リリアンナ」
ロイドは、娘を優しく抱き寄せた。
「何も、変じゃない。いつもの可愛いリリアンナだ」
「……伯爵」
階段の下から、老司祭の声がした。
◇◇◇
父に抱き上げられ、リリアンナは部屋に戻ってきた。そのまま寝台に座らされる。
「失礼いたします」
老司祭は寝台の前で膝を折った。八つの子どもと、目線の高さを合わせる。
「お嬢さん。少しだけ、手を貸していただけますか」
リリアンナは、父を見上げた。
ロイドが頷く。
小さな手が、皺だらけの手に包まれた。——それだけだった。
何かが光ることも、痛みが出ることもない。老司祭は目を閉じて、しばらく黙っていた。
少しして、その手が離れる。
司祭は言った。
「間違いございません。これは、まごうことなき『祝福』でございます」
(……しゅくふく?)
リリアンナは顔を上げた。この言葉なら知っていた。
絵本で読んだことがある。神さまが、選んだ人にだけ贈ってくれる力のことだ。絵本の中で、その力を授かった人たちは、みんな誰かを助けていた。だからみんなに感謝されて、幸せそうに笑っていた。
(よかった。悪いものじゃ、なかったんだ)
ほっとして、リリアンナは父を見た。
——大人たちは、誰も笑っていなかった。
◇◇◇
祝福——それは、ごく限られた者だけに宿る奇跡の力。
豊穣をもたらした聖女や、雷を操り大軍を退けた英雄。
神から授かった贈り物として、その物語は今も絵本や伝記に語り継がれている。
◇◇◇
「……娘の力は、何なのですか」
老司祭は、目を伏せて静かに答えた。
「ご息女の祝福は……魅了。目にした男は、ご息女を欲しいと願うようになります。魅了が強くなると、理性を失います」
「……男」
「女性は対象になりません」
「で、ですが……私は娘に近づけました」
「それがこの力の逃げ道でございます」
老司祭は、リリアンナの方へ向き直った。
「どうやらこの力は、ご息女への愛情が強い者ほど影響を受けにくいようでございます。親愛。友愛。慈愛。恋愛。……形は問いません」
「……」
「伯爵が無事であったのは、そういうことでございます」
「……この子の髪と顔は」
「……それも、祝福の力によるものかと」
二人の目がリリアンナへ向いた。父も、老司祭も同じ顔をしていた。
困っているような、痛そうな、うまく説明できない顔だった。
当時のリリアンナには、半分も話が理解できていなかった。だが、それでも二人が自分のことを話していて、それが良くない話だということは、なんとなく分かった。
——のちにリリアンナは知ることになる。この老司祭の鑑定の力もまた『祝福』のひとつなのだと。
「伯爵」
老司祭がロイドに向き直った。
「ご息女の力は危険すぎる。抑えるものを、ご用意いたします」
◇◇◇
数日が過ぎた。
その朝、老司祭はふたたび屋敷を訪れた。
リリアンナの前に差し出されたのは、銀色の腕輪だった。
蔦が絡むような細工が彫り込まれている。磨かれているのに光を跳ね返さない。鈍い色をしていた。
「リリアンナ」
父が床に膝をついた。目の高さを合わせて、両手をリリアンナの背に回す。
「少しの間、こうしているからな」
「……どうして?」
その意味が、リリアンナには分からなかった。ただ、父の腕が強張っていた。
「装着します」
老司祭が、リリアンナの左手を持ち上げた。
銀の輪が手首に嵌まる。
「あつ——」
声にならない。骨の内側から炙られているような痛みだった。皮膚ではない、もっと奥。腕の芯が鉄で焼かれているような——。
「いやっ! あついっ、あついよ!」
リリアンナは暴れた。右手で腕輪を掴もうとするが、父に押さえられる。
「お父さま、はずして……!」
「……すまない!」
「はずして、おねがい、はずしてぇ——!」
「我慢してくれ……頼む、リリアンナ」
「っ、ああああぁぁぁぁ!」
幼い悲鳴が響く。それでも、父の腕は離れなかった。
「初めがもっとも強く痛みます。魔力が馴染めば、多少は和らぎますが……残念ながら、痛みがなくなることはございません……」
「いやっ、いたい……!」
小さな身体が跳ねるたび、ロイドは何度も背中を撫でた。
理解できなかった。
どうして自分がこんな目にあうのか。
どうしてこんなにも痛いのか。
どうして誰も助けてくれないのか。
「わたし、いい子にします」
しゃくりあげながら、少女は言う。
「もう、よふかししません。おかしも、たべません。ちゃんとお勉強します」
小さな指が、父の服を掴む。
「たすけて」
誰も、何も言えなかった。
◇◇◇
「……これが、わたくしの祝福でございます」
リリアンナの声で、昔話から空気が戻る。
「わたくしを目にした殿方は、わたくしを欲しいと願うようになります。力が強く働けば、理性を失って……あの夜のように」
「……」
ハンスは、何も言わなかった。膝の上で組んだ手が、いつのまにか固く握られている。
「父が無事だったのは、わたくしを愛していたからだそうです」
リリアンナは、装飾具に指を這わせた。
「セラフも、護衛の者も。……二人とも、わたくしが生まれた頃から屋敷におりました。わたくしを、可愛がってくれておりましたので」
だから、助かった。
「……そして、教会からいただいたのが、これでございます」
リリアンナは、左の袖を少し上げた。鈍く光る、銀の輪。
「この装飾具が、祝福の力を抑えてくれます」
ハンスの肩から力が抜けた。それを見て、リリアンナは目を伏せる。
「ですが、抑えているだけなのです」
顔を上げる。
「消えたわけではありません。……この輪が外れれば、力は元通り働きます。先日の、ジョルジュ様の時のように」
ハンスの目が、わずかに開いた。
あの日、食堂で何が起きたのか。バルドがなぜジョルジュを押さえつけたのか、そのすべてが繋がったのだろう。
「……あれは」
老執事の声が、掠れた。
「あれは、リリアンナ様のせいではございません」
だが、リリアンナは首を振る。
「いいえ」
装飾具の上で、指が止まる。
「……わたくしがいなければ、起きなかったことです」
ハンスが、何か言おうとした。その前に、リリアンナが微笑む。
「ハンスさん。先ほど、わたくしの噂はどれもひどいものだとおっしゃいましたね」
「……はい」
「……どうしてそうなったのか、お話しいたします」




