改稿中☆15 辺境伯邸の来客
※現在、改稿作業を進めています。
第1話から順番に、改稿版へ差し替えております。
差し替えが完了した話から、こちらの前書きは外していく予定です。
物語の大筋に変更はありませんが、細かな描写や内容については、改稿前と改稿後で異なる部分があります。
時が過ぎるのは早いもので、リリアンナが屋敷へ来てから、もうひと月半になっていた。
その日、ガレスは、久方ぶりの夜会に参加していた。
◇◇◇
「ひっ……!」
若い令嬢が、肩を震わせて小さく悲鳴を漏らした。
落とした扇を拾って差し出しただけだ。それだけで、彼女は顔を強張らせ、後ずさっている。
ガレスは反射的に足を止めた。その瞬間、令嬢の父と思しき中年の男性が、血相を変えて駆け寄ってくる。
「も、申し訳ございません、ヴァルグレイブ辺境伯様!」
深々と頭を下げた男性は、娘を庇うように後ろへ押しやり、必死に言葉をつづけた。
「うちの娘には、すでに婚約者がおりますので……どうか、ご容赦を!」
「……ん?」
ガレスは、ぽかんと目を丸くした。
完全に誤解されている。
理由を説明しようと口を開いたときには、親子は頭を下げながら、人ごみの中へ逃げるように消えてしまった。
「……」
残されたガレスは、何とも言えない表情で、小さくなった背中を見送るしかなかった。
◇◇◇
「はははははっ!」
軽快な笑い声が、夜会の一角に響く。
「扇を渡そうとしただけで、怯えて逃げられたのか!」
「……はい」
「相変わらずの怖がられぶりだな」
「……そうですね」
ガレスは疲れたように、眉間を押さえた。
高い天井から下がるシャンデリアが、磨かれた床を眩しく照らしている。弦楽の音に、人の熱気と香水の匂い。
何もかもが華やかで、ガレスにはどうにも居心地が悪い。
今夜の会場は、侯爵家の大広間。王都の有力貴族が一堂に会する、社交界でも指折りの催しである。
ガレスも、『顔だけは出しておけ』と、幼馴染のクロードに半ば強引に連れ出されていた。
「リリアンナ嬢が普通に接してくれるので、久しく忘れていました」
「ほう」
クロードが、興味深そうに笑みを深める。
「そういえば、仮婚約の期間も、もう折り返しになるのか。……どうだ、彼女は」
その問いに、ガレスは一切迷わなかった。
「俺なんかには、もったいないほど素晴らしい方です」
「それほどか」
「はい」
ガレスの強面が、自然と柔らかくほどけた。
この一か月半。リリアンナは、屋敷にすっかり馴染んでいた。
厨房を覗いては料理人と笑いあい、文官には尊敬されている。使用人や侍女にも分け隔てなく声をかける彼女を、屋敷の者たちはこぞって慕っていた。
先日など、庭で兵士たちに交じって、子犬と駆け回っていた。令嬢とは思えない無邪気さで、なんともいじらしかった。
しかも彼女は、料理や算術をはじめ、さまざまなことに驚くほど通じている。知識が広いだけではなく、必要な場面でそれを役立てる頭の良さもあった。
だというのに、本人は、それを少しも誇ろうとしない。
「たまたま存じていただけですわ」と、いつも困ったように微笑むばかりで、その慎ましさが、いっそう好ましかった。
「私の言った通り、驚いただろう?」
「ええ。驚くほど優しくて優秀な方でした」
「私が言っているのは、容姿の話だったのだが」
「もちろんです。容姿も、驚くほど可憐です」
当たり前だと、真顔で言い切る。
「ですが、あの優しさや誠実さを知ってしまえば、それを語らずにはいられません」
「ずいぶんな惚気だな」
「惚気ではなく、事実です」
どうやら惚気ている自覚がないようだ。
クロードは肩を震わせた。
「この様子なら、仮婚約が終わると同時に、意気揚々と婚約発表をしていそうだな」
「俺は、そのつもりです。父上にも、正式婚約を望んでいることは伝えています」
「行動が早いな……」
あまりに迷いのない返答に、クロードは苦笑する。だがすぐに、真剣な表情へと変わった。
「ルベルハルト嬢の『事情』については、問題なかったか」
「……」
ガレスは視線を落とした。
「ん?」
「……まだ、その事情については伺っておりません」
「それは意外だな」
クロードは目を瞬かせる。
「あの義理堅い彼女のことだ。もうお前に話しているものだと思っていた」
少しの沈黙。
やがて、ガレスが探るように口を開いた。
「……殿下」
「なんだ」
「殿下は……ずいぶんとリリアンナ嬢のことにお詳しいのですね」
「ふむ」
「人となりも、まるで昔からよく知っているような口ぶりでした」
じとり、と。
ガレスが珍しく、疑うような視線を向けてくる。
(……こいつ、一丁前に嫉妬しているのか)
クロードは、吹き出しそうになるのをこらえた。
確かに、クロードはリリアンナと面識がある。理由を話してやっても構わない。だが——。
(面白そうだから、もうしばらく黙っておこう)
クロードは、口の端を吊り上げた。
「いやあ、お前が近くにいてくれると助かるよ」
「……?」
「令嬢避けになってくれるから、ゆっくり話ができる」
「……殿下」
うやむやにしようとすることへの、ガレスの抗議の目を受け流し、クロードは会場へ視線を巡らせる。
「せっかく顔を広げるために参加したんだ。私とばかり話していてどうする。他の貴族とも交流していけ」
そう言って、一人の壮年の男性を見つけ、軽く手を挙げた。
「やあ、ゴールドマン伯爵。最近、貿易の調子が良いそうじゃないか」
「これは、殿下」
伯爵は、優雅に礼を取る。
「おかげさまで、新たな取引相手が見つかりまして。これまで王国には入ってこなかった品々も、流通し始めております」
「そうだ、ちょうどいい」
クロードが、隣のガレスを示すように手を向けた。
「紹介しよう。ヴァルグレイブ辺境伯だ。北の国境の守りを担う、我が国の誇りだ」
「これは……お噂はかねがね。お会いできるとは、光栄です」
伯爵が、丁寧に頭を下げる。ガレスの強面にも臆する様子はない。さすがは、場慣れした貴族である。
「保温性の高い布や保存食など、辺境でも役に立てそうな品が数多くございます。ぜひヴァルグレイブ辺境領とも、交易を深めさせていただきたく」
その言葉に、ガレスも食いついた。辺境に役立つものなら、大いに興味がある。
「それはぜひ、拝見したいです」
「では後日、あらためてお屋敷へ伺い、ご説明の機会をいただいても?」
「お願いします」
互いに握手を交わし、今後の予定を決める。
「そういえば伯爵。ご子息は、ずいぶん楽しんでいるようだね」
「はあ」
伯爵が視線を向ける。
少し離れた場所では、若い令息が数人の令嬢に囲まれ、楽しげに談笑していた。
本来なら、父親とともに挨拶へ回る立場だというのに、どこ吹く風である。
「毎回、違う令嬢と親しくしているようだが。……あれは、止めなくていいのかい」
伯爵は、深い溜息をついた。
「今しがたも、挨拶に回るよう申しつけたばかりなのですが、ご覧の通りで。……頭の痛い話です」
息子の姿に額を押さえる伯爵に、クロードが苦笑する。
ガレスにとっても、跡取りの問題は他人事ではない。どこの家も苦労があるのだな、としみじみ思った。
◇◇◇
夜会が終わり、ガレスが屋敷へ戻る頃には、すっかり夜も更けていた。
馬車が正面に停まると、使用人たちが、ずらりと並んで出迎える。その中に——小さな影が、ひとつ。
「おかえりなさいませ、辺境伯様」
リリアンナだった。
夜も遅いというのに、わざわざこうして待っていてくれたらしい。ランプの灯りに照らされた笑顔に、ガレスの表情も緩む。
「……ただいま戻りました。こんな時間まで起きていたのですか」
「ふふ。辺境伯様のお顔を見てから、休みたかったのです」
なんでもないように言われて、ガレスは言葉に詰まった。
——こういう一言を、彼女は、いともたやすく口にする。そのたびに、胸の奥が妙に落ち着かなくなるのだ。
「……風邪を引きますよ。中へ」
照れ隠しのように、ぶっきらぼうに促す。二人は並んで屋敷へと歩き出した。
リリアンナの歩幅に合わせて、ガレスがゆっくりと足を進める。
「そういえば」
歩きながら、思い出したように口を開く。
「近いうちに、客が来ます。ゴールドマン伯爵という、他国との貿易が盛んな領地を治める貴族です。辺境で使えそうな品を、いくつか扱っているそうで。後日、この屋敷で商談をすることになりました」
「まあ。それは、楽しみですね」
「それで……申し訳ないのですが。当日は、どこか別室で待っていていただくことになります」
「もちろんですわ。どうか、お気になさらないでください」
リリアンナは、心得たように微笑んだ。
二人の仮婚約は、まだ公にはできない。婚約が成立するまでは、他家の貴族に引き合わせるわけにはいかないのだ。
それを、リリアンナもよく分かっていた。
夜の静けさの中、二人の穏やかな話し声が、屋敷の奥へと消えていく。
——数日後に訪れる騒動を、まだ、誰も知らないまま。




