第36話 平成元年、決着
駅前にあるワンルームアパート。
矢田沢が借りていた部屋は、静まり返っていた。
ベージュのカーペット。
薄汚れた壁紙。
部屋の中央には、何もなかった。
アルミ製の三脚も。
ビデオカメラも。
押し入れの奥に隠されていた段ボールも。
何も残っていない。
ただ空っぽの部屋だけがあった。
管理会社の男が室内を見回す。
「急に出て行ってね。大学も辞めたとかで」
もう一人が肩をすくめた。
「期間工で遠くへか。ご苦労なこったな」
興味もなさそうな声だった。
矢田沢という男は、もうそこにはいなかった。
同じ頃。
白羽丘小学校、五年三組。
「ねえ、真佐奈……。慎太くん、ずっと男子たちと話してるよ。あのこと、聞きに行けないよ」
亜里は困惑を隠さず、小さな口を尖らせている。
「あはは、慎太くん、ゲームとアニメの話は長いからね」
苦笑する真佐奈。
「どうしよう」
「行ってみたら?『あとにしろ』とか言われちゃうかもだけど」
「えー、やっぱりこわい……。けど、勇気出して行ってみる!」
「がんばって!」
慎太たち、インドア組は会議を開いていた。
休み時間のたびに、議論が繰り返される。
「天外魔境か……」
「高えよ……PCエンジンCD-ROM」
「俺、親戚多いから、買える金はあるけど」
「預言者・慎太!頼むよ、僕はどうすればいいんだ!」
記憶を引き出すように、おもむろに口を開く慎太。
「CD-ROMか。オススメしたいが、あれは大人のゲーム機だ。オーケストラの生音と生セリフ。未来を先取りしたと言えるだろう」
「ねえ……あの」
いつの間にか、小柄な下館亜里が近くにいた。彼女に構うことなく、慎太の解説は続く。
「いずれ、俺ら男子の心を射抜く、ときめくゲームもこのハードから出る……と予想できる」
「あの?慎太くん」
「そうだ、そのときめくゲームでは、こういうふうにアニメ声の女子がしゃべってくれるわけだ。これはファミコンには不可能な芸当」
「え、私、アニメ声なの……?」
「おい、慎太。下館さん呼んでるぞ」
「ああ、どうした?」
「ここではちょっと……聞きたいことが」
「すまん、忙しい」
「えーー」
むくれる亜里。
見かねた男子がフォローする。
「慎太、行ってやれよ」
「……わかった。下館、外に出るぞ」
二人、休み時間の昇降口を出る。
「ああ、郵送されてきたやつだろ?」
「……うん、そのこと。ママ、びっくりしちゃって。あんな大金」
「あれなら、素直に受け取っておけ。今後も届くはずだ」
「そ、そんな」
「嫌か?あいつを思い出すとか、親に詮索されるとか?」
「だ……だいじょうぶ……。思い出すのは、あの、慎太くんのすごいパンチだし、ママもあまり聞かないでくれてるから……」
「なら、よかった。派手な救出劇でのトラウマ上書きは常套手段だからな」
「じゃ、……いいんだよね?」
「ああ、お前と親には受け取る権利があるし、金はいくらあっても困らない。じきにバブルも……いや、俺、戻るから」
「あ、あの!ありがとう!」
「おう」
慎太が教室へ戻っていく。
亜里は胸元のピンク色のリボンを、そっと触る。
その口元は、小さく笑っていた。




