表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最強騎士、昭和に帰還。理不尽をやり返す話  作者: 水戸直樹


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/10

第3話 平成元年、もみじ体罰をやり返す

「おい、福島。無視すんなって。お前、マジで殴るぞ?」

「……」

「なんだよ、シカトかよ! ゲームボーイやらせてくれよ!」

「……っ、今、授業中だから。……後で、放課後、三角公園で……」

「はぁ? 聞こえねえよ!」


 平和なはずの教室を切り裂いたのは、チョークが黒板を削る乾いた音でも、ましてやガキどもの安っぽい怒鳴り声でもなかった。


「……そこ、五人。前に出な」


 粘りつくような、湿った声。


 大山滝子。通称「大山ババア」。


 その声が耳に届いた瞬間、教室の湿度が数パーセント上がったような気がした。


 教卓の前に並ばされたのは、いつもの救いようのない悪ガキ四人と、運悪く彼らに捕まった小動物のような福島だった。


 福島の顔色は、もはや土気色を通り越して、バケツの中で腐りかけた粘土のような色をしている。ガチガチと鳴る奥歯の音が、ここからでも聞こえてきそうだ。


「先生、一回目は口頭で許すけど、二回目は『もみじ』だって。そう約束したよな?」


 大山は、獲物をじっくりと観察するように目を細めると、ゆっくりと袖を捲り上げた。


 醜く贅肉のついた二の腕が、教室の安っぽい蛍光灯に照らされて、白く、ぬらりと光る。その光景は、どこか生理的な嫌悪感を呼び起こした。


 俺は、机のささくれだった端を爪で執拗になぞりながら、その光景を冷めた目で眺めていた。


 かつて平成の世で社畜として魂を削り、挙句の果てに異界の戦場で泥と血を啜ったこの身にとって、この教室はあまりに狭く、そして酷く臭う。


 汗の酸っぱい臭い、古い木製机の油、チョークの粉。そして何より、子供たちが無意識に放つ「排泄に近い、恐怖」が充満している。


 大山という女は、断じて教育者などではない。

 あれは、自身の肥大化した支配欲を「指導」というオブラートで包み隠した、ただの空腹な獣だ。


「ほら、背中を出しな。……楽しい『もみじ』の時間だ」


 大山の理屈では、手のひらで背中を叩いた跡が五本指の形に赤く染まるから「もみじ」なのだという。狂気の沙汰だ。


 男子たちは震える手で、汗ばんだシャツを捲り上げる。


 節くれ立った未熟な背骨、浮き出た肋骨。暴力に対してあまりに無防備な、剥き出しの皮膚が晒される。


「綺麗に紅葉の形がつかなかったら、やり直しだから。動くなよ」


 大山が、最初の標的である福島の背後で、その肉厚な右手をゆっくりと、儀式のように高く掲げた。


 彼女の瞳は愉悦を隠さない。


(……反吐が出るな。どいつもこいつも)


 俺は、組んでいた脚を解くこともなく、机の下で右手の親指を中指に掛けた。


「指弾」。


 異界で、騎士の首を紙細工みたいに飛ばしてきた不可視の弾丸。


 それを、殺さぬ程度に加減し――だが、人間が一番嫌がる場所へと照準を合わせる。


「歯を食いしばれッ!」


 大山の丸太のような腕が振り下ろされる。


 その瞬間、俺は「弾いた」。


 一発目は、右肘の神経が集中する一点。

 二発目は、踏み込んだ左足の、膝裏にある急所。

 三発目は、顔に張り付いた分厚い眼鏡のフレーム。


「いッ、あ、がふっ!?」


 空気を叩くはずだった大山の身体が、空中であり得ない方向に「くの字」に折れ曲がった。


 勢いよく振り上げた腕は、自身の制御を失って自分の後頭部を強打。軸足を失ったその巨体は、まるで肥ったカエルのような、ベチャッとした鈍い音を立てて床に叩きつけられた。


 弾け飛んだ眼鏡が、福島の足元で「カラン……」と、間の抜けた音を立てて転がった。


「あ、あ、あああ……う、ううっ!」


 大山は床に這いつくばったまま、喉の奥をヒキガエルのように鳴らしている。


 俺はさらに追い打ちをかけるように、彼女の三半規管をかすめる程度の微弱な衝撃を、断続的に叩き込んだ。


 彼女の視界は今、教室が時計回りに猛スピードで回転し、足元の床が底なしのヘドロ沼のように沈み込んでいく、地獄のような感覚に包まれているはずだ。


「え、先生……?」

「どうしたの? 急に踊ったみたいに倒れた……」


 顔面を床にこすりつけ、鼻水と脂汗を垂らしながら、大山は意味不明な呻き声を漏らしている。


 暴力を振るう側という人種は、自分が「不可解な暴力」に晒される可能性を、これっぽっちも想定していない。だからこそ、その崩壊は無様で、滑稽だ。


(人を痛めつける重さを、ちゃんと考え直すことだな)


 誰かが慌てて職員室へ走る。


 静まり返っていた教室は、次の瞬間、残酷なほど無邪気な、弱者が強者を嘲笑う、祭りみたいな空気に変わった。


「ぎゃははは! 大山のババア、自分でお手玉して転んでやんの!」

「バチが当たったんだ! そのまま消えちまえ!」


 福島だけが、その喧騒から取り残されたように、呆然と自分の白く細い手のひらを見つめていた。


 叩かれなかった自分の幸運を信じられないのか、それとも目の前の絶対的な怪物が崩壊したことに怯えているのか。


 俺はゆっくりと席を立ち、震えが止まらない福島の肩に、無造作に手を置いた。


「行こうぜ。授業、実質終わりだろう」

「あ……う、うん」


 福島がこちらを向いた。

 そして、照れくさそうに笑う。


 そうだ、こいつは気弱だが、優しいやつだったんだよな。


 俺の記憶の中の福島は、この後、中学に進学してから別の「捕食者」に心を折られ、自室の暗闇に逃げ込んで二度と出てこないはずだった。


 だが、今、俺の手の下にある彼の肩は、小刻みに震えながらも、確かに熱を持っている。


(書き換えてやるか)


 俺は誰にも見えないように少しだけ口角を上げ、歪んだ笑みを浮かべた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ