第20話 平成元年、渡り廊下の二人
「ドア蹴破ってたからな」
冗談でも何でもなく、本気で言った。
北校舎の木の扉なら、鍵ごとぶち抜いて一発だ。
「蹴破るって……そんなことしたら、さすがに怒られるよ」
真佐奈は呆れたように笑ったが、その声はまだ微かに震えていた。
「お前の安全が最優先だ」
つい、言葉に力を入れてしまう。
それは俺にとって、前世からの騎士として、あるいはそれ以前に当たり前の優先順位だったから。
「え……?」
真佐奈が小さく息を呑む音が聞こえた。
横を見ると、俯いていた。長めの前髪がさらりと流れて、整った横顔を隠す。耳が赤い。
瞬間、彼女は耳に手のひらを当てて塞いだ。
恐怖からの自律神経の乱れ、ありがちなことだ。
「……調子悪いのか? 教室で休もう」
「う……うん」
渡り廊下に出ると、湿り気を帯びた風が吹き抜けた。
「界王拳4倍!」
「みんなオラに力を!元気玉!」
校庭からは、昼休みを惜しんでドッジボールに興じる男子たち。投げるボールに必殺技名をつける掛け声が聞こえた。
石灰の匂いが風に乗って運ばれてくる。遠くの喧騒が、かえってこの廊下の静けさを際立たせていた。
並んで歩く真佐奈の歩幅は、いつもより少し狭い。
矢田沢に詰め寄られたショックが、まだ足元に残っているのだろう。いつも凛としている彼女の肩が、今は頼りなく見えた。
「……そういえば、慎太くん、すごく強いんだもんね。本当にドア、蹴破れちゃうかも」
少しの沈黙の後、真佐奈がぽつりと言った。
んん?そっちの話を引きずるのか。
「問題ないぞ。なんなら壊さなくても、あの程度の扉ならピッキングも余裕……いや、なんでもない」
「え?ピッキング……って?」
真佐奈が不思議そうに小首をかしげる。
「いや、大したことじゃない。とにかく、また矢田沢に何か頼まれたら、ハッキリ断れ。『学級委員は雑用係じゃない』って言ってやればいいんだよ」
「……うん。私ね、『学級委員なんだから、ちゃんとできるよね』って言われると、どうしても断りにくくて。みんなのためにやらなきゃって、思っちゃうから」
伏せられた睫毛が、彼女の健気な生真面目さを物語っている。
「わかる。俺もそうだった」
前世、真面目で成績が上位だからというだけの理由で、度々、学級委員に担ぎ上げられた。その割に、押し付けられるのは誰でもできるような雑用ばかりで、つくづく辟易したものだ。
「あれ? 慎太くん、学級委員やったことあるの? 三年からずっと同じクラスだけど、一度も見たことない気がする」
真佐奈が足を止め、真ん丸にした目で俺を見上げてくる。
あ、しまった。
今世の俺は学級委員候補にならないよう、成績をわざと上の下ほどにコントロールしていたんだ。
「あー、言い間違えた。そういう話をよく聞くからさ。俺も同意見だったなって……。さて、もうすぐ五年の廊下だ。先に行くから、お前は少し時間を空けてからこい」
足早に歩きながら、話題を強引に打ち切る。
小学五年にもなると、男女が二人きりで歩いているだけで、冷やかしや色恋沙汰の噂が教室中に広まる。それは互いに面倒なことだろう。
「う、うん……」
真佐奈の声が、一段と小さくトーンを落とした。
ん?心細いのか。だが、がんばれ。
「じゃあな」
「……また、ね。……ありがと、慎太くん」
背中でその小さな、でも確かな感謝の言葉を受け止めながら、俺は軽く後ろ手を振った。




