第19話 平成元年、北校舎三階
特別教室が並ぶ北校舎三階。
教育実習生・矢田沢と、佐々木真佐奈は人気のない廊下を並んで歩く。
矢田沢は真佐奈の横顔を盗み見るようにしながら、口を開く。
「さっき下館さんに頼まれたんだよ。先生はみんなと仲良くしたいだけなんだ。先生と下館さんの仲を勘違いしないでね」
真っ直ぐ前を見たままの真佐奈。
「……でも、くっつきすぎだと思います」
「僕からくっついたこと一度もないよ。だいたい、そんなことしたら、この学校の教頭先生、怖いでしょ?あの野太い声で怒られたら、僕でもビビっちゃうよ」
「なら、先生からも亜里に注意してください」
「そりゃ、度を越したら注意するけどさ。下館さんを傷つけたくないんだよ。今くらいなら、担任の大山先生だって注意しないでしょ?」
「それは……」
(大山先生だって、前は子ども叩いていたくらいの大人だから……!)
言いかけてやめた。この先生には、何も言っても通じない。
「ところでさ、佐々木さんって、本当に小学生に見えないくらい大人っぽいよね。髪も、顔も綺麗だし、スタイルもいい。将来はモデルさんとか目指してるの?」
「……考えたこともないです」
「佐々木さん、宮沢りえとかゴクミより可愛いと思うよ。三井のリハウスのCM、似合いそう」
「……言い過ぎです」
(なに……気持ち悪い、この人……)
「あ、資料室着いたね。さ、鍵開けるから待ってて」
「あの、私はここまでで失礼します」
本を置き、決別を図る真佐奈。
焦る矢田沢は慌てて引き留めにかかる。
「え……! 最後までやらないと、学級委員として無責任だよ。佐々木さんは、ちゃんとできると思ったから頼んだんだけどな」
詰め寄ろうとした瞬間、廊下の奥から、教頭の怒声が響き渡った。
『矢田沢先生ー!児童になにさせている!そんなの一人でやりなさい!佐々木真佐奈さん!教室に戻りなさい!早く!』
「あっ、私、帰ります!失礼します!」
渡りに船とばかりに、すぐさま立ち去る真佐奈。
「き、教頭先生?どちらに……」
『矢田沢ッ!よそ見するな!早く資料室に荷物を置いて来い!そうしたら、速やかに持ち場に戻れ!いい加減な仕事をするなッ』
姿は見えない教頭の怒鳴り声。震え上がった矢田沢は本を抱えて資料室へ逃げ込む。
危機を脱した真佐奈は、動悸が止まらない。
(こ、怖かった……)
階段前で目眩を覚える。
「おい、慌てなくていい。ゆっくり帰るぞ」
立っていたのは慎太だった。
「あ……慎太くん。なんで……ここに?」
「ああ、矢田沢と出ていったのは分かったからな。少し様子を見にきただけだ」
慎太のぶっきらぼうな声を聞いた瞬間、強張っていた真佐奈の顔からすっと力が抜け、泣き出すのを堪えるように視線を落とした。
「……私、馬鹿だ。最初から断ればよかったのに……。教頭先生に注意されちゃった」
「ん?お前には注意してないだろ?矢田沢にはしたが」
「ううん、早く戻れって……」
慎太がにやりとイタズラっぽく笑い、ゆっくりと口を開く。
『矢田沢先生ー!児童になにさせている!そんなの一人でやりなさい!佐々木真佐奈さん!教室に戻りなさい!早く!』
「え!教頭先生の声?」
目を見開き、口に手を当てる真佐奈。
「教頭の声マネ、上手かったろ?」
慎太は事も無げに言って前を歩き出す。
「本当に教頭先生かと……なんで、そんなことできるの?」
「練習した。……ああ、そうだ、お前が資料室に入らないでくれて助かった。そうしたら、ドア蹴破ってたからな」




