第16話 平成元年、不適切な接触の時代
「えー、今日から、みんなと一緒に勉強することになった矢田沢先生です。仲良くするようにー」
担任の大山滝子がそう紹介すると、教室は一気に沸き立った。
教壇に立ったのは、スーツ姿、優男風の青年。
「矢田沢です。みんな、気軽に声かけてください。よろしくお願いします」
「ええ……、かっこいい」
「光GENJIにいそう」
「あっくんタイプかなぁ」
女子たちがはしゃぎ声を上げる。
学級委員・佐々木真佐奈は小さく溜息をついた。
(……大学生かぁ。そんな大人には感じないな……)
彼女は教壇を一瞥すると、次にチラリと窓際の席を見る。
そこには、いつもと変わらず、真っ直ぐな姿勢の慎太がいた。隣の亀井琴子に声をかけられると、サラサラとノートを書き始めた。
耳を澄ます真佐奈。
慎太は、また琴子に何かを説明していた。
「たしかに、あの新しい先生の名前、ちょっとややこしいかもな」
「……慎太くん。私、またダメだ」
「無理に読もうとしなくていい。これを見てくれ」
慎太は鉛筆を動かし、大きく文字を書く。
「……そうそう。で、真ん中が『田』。これ、そうだな、森永チョコモナカのカケラ。あるいは、田んぼの上空写真、『田』」
「ふふ、チョコモナカなら覚えられるかも。ヤ……タ……」
「大したものだ。これだけで分かるなら、上々」
慎太は学習障害のある亀井に丁寧にアドバイスしていた。
眺める真佐奈が、ついニヤけてしまう。
(いいなぁ……さりげなくて……)
前世の彼女なら、真っ先に実習生の周りを取り囲んでいただろう。
それが今は基準が変わってしまっていた。
一方の慎太は、琴子の対応をしつつも、目の端で矢田沢という男を観察していた。
生徒たちの歓声に応えながら矢田沢の視線は左右に動く。その瞳が、佐々木真佐奈や、琴子のところで、わずかに止まり、瞳孔が開くのを慎太は見逃さなかった。
(……やはり、いいとはいえない傾向があるな。……それとなく警戒しておくか)
中休み。
前世であれば、クラスの女王である真佐奈がいるはずだった教育実習生の隣。
彼女が興味を示さないために、実習生の隣という「特等席」に収まったのは、下館亜里。幼ない雰囲気の、明るい女子。
「先生、これ、私の好きなアイドルの写真。先生に似てるでしょ?」
「お、光GENJIに似てるなんて嬉しいな。でも、先生、ここまで格好よくはないだろう」
「ううん、似てるよ!先生、学校案内してあげよっか!」
「おお、よろしくな、下館さん」
「やったあ」
下館亜里は、教育実習生の肩に、当然のような顔をして手を乗せる。
矢田沢は少女の手の甲に、軽く手を重ねた。その時、亜里がくすぐったそうに身をよじると、彼女の幼い肩紐がブラウスから少しだけ覗いた。
矢田沢の視線が、一瞬だけそこへ吸い寄せられ、粘りつくように留まる。
慎太は眉をひそめる。
優しいお兄さん先生に、甘える女子児童。
この時代、よくある風景。教師が児童の頭を撫で、児童が教師の膝に乗る。誰もそれを「罪」とは呼ばない時代。
だが、危うさも否めない。
亜里の顔に浮かぶのは、自分が「特別」に扱われているという、無邪気な高揚感だ。それが食い物にされやすいものだと、幼い彼女は知らないのだろう。
前世の記憶がよぎる。教育実習、最終日だったか。あれは覚えている。
――佐々木真佐奈が騒いだお陰で。




