第13話 平成元年、鋼の五年生
市民グラウンドの入り口で、俺は足を止めた。
湿った土と草の匂い。視界に飛び込んできたのは、前世の記憶をさらに醜悪にしたような光景だった。
エラーをしたのだろう、四年の川野が、地面に突っ伏して鼻をすすっている。
ベンチの長椅子では、六年の阿部たちが、ヘラヘラと歪んだ顔で野次を飛ばしていた。隣には、前世で俺と一緒に震えていたはずの二人の五年生。
「どんくさ怪人!川野ー!」
「ぎゃははははは! 見ろよ、アイツのバンザイ!」
「ジョッカーだ、あいつ!最高にダセぇ! もう帰れよ!」
六年たちの顔色を窺いながら、五年の二人が卑屈に笑って手を叩いている。自分が標的にならないために、いじめに加担しているのだ。
(前は、あいつらも俺と一緒に無実の拳骨を喰らってたはず。……今世は俺がいなかったせいで、六年に流されたのか)
だが、最悪なのはガキどもだけじゃなかった。
顔を真っ赤にして血管を浮き上がらせたコーチ。
「てめえら……いい加減にしろッ!!」
鼓膜を突き破らんばかりの怒声。ミズノの金属バットを手に、六年の一団に向かっていく。
(コーチの奴、金属バットで殴る気かよ……くにおくんか、お前は――)
間髪入れず、振り上げられるバット。狙いは六年生の頭。指導なんて言葉で誤魔化せる軌道じゃない。
次の瞬間――空気を引き裂く音が、不自然に止まる。
俺は、振り下ろされたバットの芯を素手で直接掴んでいた。
全力の縦振りからの、突然の静止。行き場を失った膨大な運動エネルギーは、どうなるか。
「……ぎ、が、ああああああッ!?」
凄まじい衝撃がコーチの腕を駆け抜けた。手首、肘、そして肩。強烈な反動に、コーチは絶叫しながら地面を転げ回る。
「自業自得だ。……ヒビは入ったろうから整形外科に行け。そして、二度と指導者面するな」
俺は、手の中に残る金属の冷たさを忌々しく感じながら、バットを地面に放り捨てた。
「……で、次はあんたたちの番だ。下級生をいじめるのは、楽しかったか」
ゆっくりと振り返る。そこには、俺に助けられたはずの六年生たちがいた。
だが、彼らの顔に安堵も感謝もない。自分たちの序列を、力ずくで踏みにじった年下への、剥き出しのプライドと殺意が混ざった表情だ。
「な、何だよ……! 急に出てきて……調子に乗ってんじゃねえぞ、五年のくせに!」
リーダー格の阿部が、俺の胸ぐらを掴もうとする。そこから膝を叩き込むのは、当時のガキがよく使う、汚い喧嘩のやり口だ。
だが、俺は溜息を吐く暇さえ与えない。
突き出された阿部の右腕を、最小限の動きで絡め取り、テコの原理でそのまま硬い地面へ叩きつけた。ほんの少し、力を入れて地面へ加速させる。
「ぎゃあああッ、痛え、鼻がァッ!」
阿部の顔面が、ぐしゃりと土にめり込む。
俺はその背中を一発、踏みつけ、加勢しようとバットを拾って突っ込んできた他の三人を冷たく見据えた。
「……子ども同士の喧嘩なら、文句言われないよな?」
俺の声は、自分でも驚くほど冷え切っていた。
「さて、四人まとめてかかってこい。その腐った根性、力ずくで叩き直してやる」
俺は自分からは攻めず、奴らの攻撃をすべて誘った。
「死ね!」「生意気なんだよ!」と喚きながら振り回されるバット。
だが、それらは止まっているも同然。空振ったバットの隙間に、掌底を叩き込む。
肺の空気をすべて引き摺り出すような、重いボディへの一撃。
空中を一回転させ、重力に従って地面に沈める投げ。
バキリ、という硬い音が響くたび、六年生たちは一人、また一人と土の上に転がされていく。
ついさっきまで、万能感に浸って下級生をゴミのように扱っていた奴らが、今は這いつくばって震えていた。
さて、ダメ押しだ。完全に心を折りにかかる。ここからは一方的な暴力を加えていく。
止まらない打撃音。倒れれば蹴り起こし、追撃を加える。
(刑務所を減らすのは簡単だ。……悪事を振るえなくしてしまえばいい)
司法を司った騎士時代の教訓。
下級生たちは呆気にとられ、コーチは痛む肘を押さえながら、茫然自失で見つめている。
いつの間にか、グラウンド脇には赤い自転車で追いついてきた優等生の佐々木真佐奈。
目を見開き、両手で頬を押さえた彼女の唇は何かを口走っている。咄嗟に読唇術が働いてしまう俺は(やばいやばい……私どうしよう)と読み取った。
そうだ、俺の容赦ない暴力に、さぞや幻滅したことだろう。
かまうものか。徹底してやりきらねば、仕返しを喰らうものだ。
俺は最後に、恐怖で腰を抜かして動けなくなっている五年生二人を一瞥し、倒れ伏す六年たちの髪を掴んで無理やり顔を上げさせた。
「川野に謝れ。今、この場で」




