第11話 平成元年、子ども会スポーツのいじめ
「どんくさ怪人!川野ー!」
「チョコ玉男!川野ー!」
汚い野次が、六月の湿った風に乗ってグラウンドに響く。
ベンチに陣取った六年生の悪ガキ四人衆は、ゲラゲラと下品な笑い声を上げていた。
狙われているのは、四年生の川野。ぽっちゃりした、おとなしい男子だ。
お世辞にも運動神経がいいとは言えない彼はエラーを連発。からかいの標的になっていた。
ただ顔を真っ赤にして、震える手でグラブを構えている。
その時、バットが乾いた音を立てた。
平凡なライトフライ。だが、川野の足はもつれ、まるで見えない壁に突き当たったかのように、その場に尻餅をついた。
ボールが無情にも頭上を越えていく。
「ぎゃははははは! 見ろよ、アイツのバンザイ!」
「最高にダセぇ! 川野、お前もう帰れよ!」
悪ガキたちの笑い声が最高潮に達した、その瞬間。
「てめえらッ!!いい加減にしろッ!!」
心臓が跳ね上がるような怒号。
ベンチの横で苦虫を噛み潰したような顔で見守っていたコーチが、鬼の形相で立ち上がった。
(……え?)
俺が事態を飲み込むより早く、コーチが猛然と詰め寄ってくる。
振り上げられる拳。
ドカッ! という、生々しい肉の音がした。
「……ぎゃっ!?」
隣に座っていた男子が、ベンチから転げ落ちる。
(な、なんで……!?)
混乱する俺の目の前に、逆光で真っ黒になった大きな拳が迫る。
避ける間もなく、脳天に下される重み。
目の前が真っ白になった。頭蓋骨まで響く衝撃に、視界がぐわんと歪む。
「野次るバカも、黙って見てるバカも同罪だ!全員、そこに並べッ!」
……俺は座っていただけだ。何一つ悪いことなんてしていないはずだ。
黙り込む六年生の声と、狂ったように怒鳴り散らすコーチの声。
どうしろというんだ。六年生四人に、小五の自分一人で注意できるわけもない。
せめて、理由を聞いて欲しかった。
小学校の教師たちや、この時にも植え付けられた「大人には案外、馬鹿もいる」という気づき。
それは、自分が大人を経験したあとも、変わることはなかった。
「慎太、子ども会の会長さんから電話きたよ」
学校から帰宅すると、台所から母さんが声をかけてきた。
「五年生が足りないから、どうしても明日の練習に来てほしいって。誘われたの三回目よ。……どうする?」
カレンダーを見る。……明日は、あの日だ。
母さんは申し訳なさそうに俺を伺っている。
前世の俺は、子ども会には当然、参加するものだと思い込んでいた。どんなに嫌な思いをしても休んだことはなかった。
だが、今世では、そもそも行っていない。わざわざ嫌な思いすることはない。
しかし、二十八歳で親より先に逝ってしまった後悔を抱える自分にとって、母さんの「困り顔」は、どんな脅しよりも断りづらい。
「……わかった。行くよ、母さん」
俺の返事に、母さんはホッとしたように眉を下げた。
「その代わり、一つ頼みがあるんだ」
「頼み? ……なに、ファミコン買ってほしいの?」
母さんが少し茶化すように笑う。当時の小学生にとって、最大の報酬はそれだと思い込んでいるから。
「いや、さすがにファミコンはいらないよ。レトロすぎる」
「レトロって……。友達の家でやりすぎてるからでしょ?」
「まあ、そんなところ。そうじゃなくてさ――」
俺は一呼吸置き、静かに、けれどはっきりと言い切った。
「俺、行ったら六年生と喧嘩するかもしれない。……もしかしたら、コーチとも」
「えっ!? ちょっと、慎太、何を言ってるの?」
母さんの顔から余裕が消える。当然だ。おとなしかった息子が、突然「喧嘩予告」をしたのだから。
「行きたくなかった理由は、それだよ。あの子ども会には、いじめがある。それも、大人が対応できていない質の悪いやつだ。……俺、もう黙ってるつもりないからさ。もし騒ぎになったら、ごめん」
「慎太……」
「それだけ。……じゃ、明日に備えて軽く自主練してくるよ」
呆然とする母さんを残し、俺は物置の奥からカビ臭いグローブを引っ張り出した。




