賽は転がる
「アンタ、またアタシと取引しようってのかい?」
隣国の諜報員マグノリアは、正面に座る男を胡乱気な目つきで睨んだ。
「君は優良な取引相手だよ」
一見 貴族的で寛容めいた態度の この男は、一部界隈で『紫の瞳の悪魔』と呼ばれている。彼との最初の取引は、マグノリアの無事と引き換えだった。それからもずっと駆け引きは続き、今や力量差が明白な上下関係を作り上げている。
「ふっ。亡命の約束より美味しい話なのかしらね」
彼女は悪魔を信じてない。それでも従っているのは、彼が約束を守る男だからだ。
「ああ。それは蜜が如く甘いモノ」
彼が何を言っても笑い飛ばしてやろうとしてたのに、失敗して真顔を晒す。
「……話を聞くわ」
男の蠱惑的な微笑みが恐ろしい。それなりに心の準備をしていたが……その唇から語られる取引内容は、彼女ですら話についていくのがやっとの強烈さだった。
「この作戦はスピード重視、かつシビアな行程になる」
「そんな特大の嘘がバレたら、私が殺されるだけじゃ済まなくなるわ」
男の計画を実行すれば、『全て無くす』か『全て壊す』か、駒の一ツとして結果を丸ごと受け入れる事になる。
「サポートは私が担当する。自然に見える情況も整えよう。万が一の場合は、隣国に住む君の息子を亡命させ、独り立ちまで援助する」
「……」
実に魅力的な提案だ。しかし彼女にとって、最も現実的な問題は解決してない。
「君が捕まった場合は、速やかに殺害する」
「そう。なら、これが最後よ」
嬉しくはないが、胸を撫で下ろした。男の殺意にだけは、唯一信頼が置ける。
「“本国”に復讐出来るなら、願ってもない事だわ」
「では取引成立だ」
マグノリアは差し出された男の手を握った。
(一生に一度。最初で最後の大仕事ね)
マグノリアを奴隷同然に こき使う隣国の上級諜報員も、神の教えを愚弄する革命軍も、隣国の情勢を かき回す麻薬カルテルも、全て痛い目を見ればいい。その為ならば、悪魔に魂を売ったって構わない。瞋恚の炎を身に宿したマグノリアは、己の尊厳を踏み躙った連中を決して許さない。
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爆音と共に日常が破られ、街の一部から黒い煙が上がった。フィールドグラス越しに、ソーン中央地区 唯一の刑務所から火の手が上がっている様が見える。
「アルカン様。狙撃手が配置につきました」
「うむ。おおよそ想定通りに進んでいるな」
次々と更新される情報から 作戦の進行状況を把握したアルカンは、引っ掛けていた上着を取って移動しながら袖を通す。
「どちらへ?」
「新領主の元へ。――それと、ジニィ・ブレシュの護衛は?」
「つつがなく」
「代官にコレを渡せ」
畳まれたメモを部下に渡し、再度 遣いに出す。連絡役を引き連れ、混乱を引き起こしている元凶の元へ急ぐ。
「アルカン様!」
外から戻った部下が、焦りながらも努めて声量を抑えアルカンに耳打ちする。
「暴徒と化した罪人らが、衛兵隊に打ち入りました」
「想定内だ」
冷めた返事に、部下らが一瞬 怯んだ。
「次に狙われるのは国境警備隊だ」
「ッ! 報せますか?」
「必要ない。
“連中”なら例のトンネルを使うだろう。今は一方通行だがな」
廃工場は完全閉鎖され、間もなく更地になる。だが抜け目のない敵連中は、もう一つの抜け道を用意している。アルカンが幹部の一人を拘束した、中区のパブを兼ねた宿の地下。まだ誰も知らないだろう。
(傭兵王がジニィの傍に留まっていれば)
ソーンを出るよう間接的に促したのは、他でもないアルカンだ。あの男は作戦の邪魔にしかならない。
馬に跨り、領主が滞在する借宿へと急ぐ。街の混乱はギリギリこちらに届いていない。
(若輩者を操るのは容易い。ま、次は そう楽に行かないだろう)
代官が その気になれば、手を出した時点で蜘蛛の巣にかかった餌も同然だ。
宿に着くと、使用人らが非常の来訪者の前に立ちはだかった。その見事な忠義は、果たしてどちらへのものだろう。
アルカン――黒い騎士は、彼らへ冷淡に命じる。
「退け。街で何が起きているか知らぬ訳でもあるまい」
それでも難色を示す執事を押し退け、直接 執務室へ赴く。突然 現れた黒い騎士に、青年らの間で緊張が走った。
「このような行い、余りにも無礼ではないか!」
敵の接近を許すまじと、若鹿を思わせる男子が雄々しく威嚇する。
「よい。下がれ」
畏れを押して壁になろうとする忠臣を止めたのも、これまた若く二十歳にも満たない青年。
「私に何の用だ、モーリア卿。こちらは少々忙しい」
新領主は淡々と黒い騎士に応対する。少々 肩に力が入っているが、同年代と比べれば胆力がある方だ。
「伯爵、こんな時だからです。ひとまず人払いを」
騎士の強引さに気色ばむ側近を制し、彼は全員の退出を命じた。騎士の部下も同じく従う。
二人きりになると、新領主は険しい眼差しで黒い騎士を咎める。
「これはどういう事だ。私に“首領”の密入国を報せたのは貴殿であろう」
「私は『慎重な対応を』とお願いしました。デューガルド殿と連携し、段階を踏んで捕らえるべきだとも」
新領主は表情を大きく歪ませると、拳で力任せにデスクを叩いた。
「愚鈍で やる気のない、口煩いだけの男に何が出来る!!?」
新領主の恫喝が、さほど広くない執務室に強く反響する。
「貴殿は理解しておられないようだ」
「なっ、私を馬鹿にしているのか!?」
黒い騎士はシニカルな笑みを浮かべ、新領主の怒りを柳に風と受け流した。
(こういう所が青二才だと言うのだ)
とはいえ、疑似餌を用意して新領主を釣ったのは彼である。
「あの男を信じろなどとっ。デューガルドは『傭兵王』の存在を私に黙っていたのに!」
「それは当然です」
情報の奥行きを読む技は、まだ見識の浅い領主には難しい。それでも黒い騎士は、容赦なく言の刃を返す。
「“戦乱の英雄”がコチラに渡ったとあらば、隣国は今まで以上の危機感を我が国に抱くでしょう。ゆえに帰郷を望む彼を、国境警備隊の査察に紛れて密かに入国させたのです。いざ出国の情報が漏れても、表向きは不法入国で処理できる。それ以降は外交官が表に立てばよい」
「……馬鹿な」
新領主にとっては裏切りだった。例え国益が理由だとしても、代官が裏で勝手に動いた事実は消えない。事が終わる時が“最後”だとすら考えている。
「隣国は現在、反政府軍の規模が急速に膨れ上がり、非常に不安定な情勢です。悪政も原因の一ツだが、傭兵王への期待も高まっている。隣国で内乱が勃発すれば、我が国にも火の粉が飛びかねないのです」
「馬鹿な。傭兵如きに、情勢を一変させる力なぞあるわけがない!」
「爆発の切っ掛けにはなりますよ」
一介の傭兵が“王”と呼ばれる所以となった決起は、悪政に苦しむ民の心を確かに掴んだ。本人にその気が無かったとしても、民が望んだ結果なのだ。
「私を責めに来た理由はそれか? 敵に恐れをなしたのか。ハッ。紫の瞳の悪魔が!
よいか、賽は投げられた。我々は最後まで突き進むのみだ!」
青年は面と向かって黒い騎士を誹る。それは恐れ知らずというより、愚直なまでの使命感だった。
「さようですか。確かに、麻薬カルテルの総帥がお父上の仇でなくとも、手遅れだ」
新領主の時が止まった。ようやく口を開くが、舌がもつれる。
「な、なん、だと?」
「貴殿はお父上が狙われた原因をご存知か?」
「それは……父上が、連中の敵だから。だがっ、麻薬カルテルはそもそも!」
生徒が答えを得るまでダンマリする教師のように、黒い騎士は口を開かない。
「たかが違法薬物の取り締まりでっ。奴らは犯罪者、単なる逆恨みだ!」
口にして初めて自覚する。青年領主による敵の理解度は“そこまで”なのだと。それ以上が、あると言うのか――
「……“実行犯”はカルテルの暗殺部隊でしょう。しかし“依頼人”が別にいるとしたら?」
黒い騎士は言った。本当の敵は、今も昔も変わらず国境の向こうに在ると。




