責任の空席
国家というものは、崩れるときに崩れるのではない。
先に、責任だけが空になる。
二〇二七年四月二十四日。
その日付を、後に誰もが忘れられなくなる。だが、当日の日本では、それはまだ遠い外国の事件にすぎなかった。
地球防衛軍出現。
速報は昼前に流れた。南半球の複数地点――オーストラリア、南アフリカ、ブラジル、アルゼンチン――で、政府施設、港湾、送電施設、空港、通信中継所が同時多発的に襲撃され、一部地域では現地政府が数時間のうちに行政機能を失った。犯行声明は断片的で、しかも異様だった。政権交代を求めるのではない。自治権を主張するのでもない。民族自決でもなければ宗教国家でもない。彼らは、現在の世界そのものが腐敗しており、来るべき破滅を早めることが人類に対する倫理である、と宣言した。
日本のテレビは最初、それをうまく扱えなかった。
過激派。武装勢力。カルト。極左テロ。終末論的民兵。グローバルサウスの反政府連合。分類が定まらない。分類できないものに対して、メディアはたいてい急に凡庸になる。
コメンテーターは困った顔で「たいへん憂慮すべき事態です」と言い、元外交官は「国際社会の連携が重要です」と言い、軍事評論家は「従来型の非対称脅威とは明らかに異なります」とだけ言った。みな、自分が何を見ているのか本当には分かっていなかった。
政府も同じだった。関係省庁連絡会議。情報収集。在留邦人の安否確認。強い懸念。断固たる非難。国際協調。
つまり、何もしていないのとほとんど同じだった。何もしていないとまで言わずとも、ただ対症療法に徹しているだけだった。
地球防衛軍の出現は、日本そのものをその日に攻撃したわけではない。だが、その存在はただちに模倣と恐怖を生んだ。ネット上には終末論的な支持者が湧き、若者の一部は奇妙な憧れを抱き、既存社会に不満を持つ者たちは「ああいうものこそが本気だ、本物だ」と言い始めた。南半球の混乱映像は、ただの戦争映像ではなく、象徴になった。国家が壊れる光景、都市が止まる光景、政治が無力化される光景。それを見ているうちに、人々は「自分たちの国でもありえないとは言えない」と思い始める。
その時期の日本は、実際、壊れやすかった。景気は鈍い。実質賃金は伸びない、どころか下がる。出生率は落ちる。地方は痩せる。都市は疲れている。政治家はスキャンダルと内輪揉めに埋まり、官僚は制度の保守にしか力を使わず、メディアは怒りを商品化する一方で何も変えない。
腐敗、という言葉は大げさに聞こえる。だが腐敗とは、賄賂のことだけではない。誰も自分の役割を最終責任として引き受けない状態、それ自体が腐敗だ。
古国良平は、そのニュースを最初、公務として見ていた。陸上自衛軍の東部方面総監として、当然、情勢判断資料は毎日上がってくる。映像、分析、衛星写真、諸外国軍の初動、国内インフラ防護態勢の見直し。そのどれにも、彼は違和感を覚えた。
政府の反応が遅い。遅いだけではない。何をすべきか以前に、何が起きたのかを決めることに時間を使いすぎている。
政治は分類から始まる。軍は対処から始まる。その差が、古国には耐えがたかった。
彼はその夜、私的なメモに短く書いた。
『政治は事件名を欲し、軍は敵位置を欲する。この順序が逆転したとき、国家は死ぬ。』
だが、そのメモだけでは、まだ彼は反逆者ではなかった。
まだ、怒っているだけの軍人だった。
国家に失望しながら、なお国家を信じている側にいた。
転機は、その年の末に来た。
二〇二七年十一月二十七日、午後六時十四分。
横浜臨海部の変電施設で爆発が起きた。規模は限定的だったが、発火は送電切替設備へ波及し、神奈川東部から東京湾岸の一部まで断続的な停電を引き起こした。最初は老朽化による事故と報じられた。実際、施設自体は古びていた。だが、その三時間後、千葉のLNG受入基地近くで無人艇が爆発し、翌未明には埼玉の広域物流拠点で火災、翌朝には名古屋港コンテナヤードで小型ドローンによる焼夷攻撃、さらに同日夕方には福岡市内の通信中継局でサイバー障害を伴う設備停止が発生した。夜になると大阪では爆発事件が連続して五件起き、多くの死傷者が出た。東京都内では、首都高の複数個所が爆破され交通インフラが寸断された。
偶然ではありえない。
しかも厄介なのは、どの攻撃も「単独で見れば国家非常事態と断定しづらい」規模に抑えられていたことだった。都市機能の全停止ではない。死者も少ない。現場には明確な組織標章もない。だが、電力、燃料、物流、通信が、四十八時間のうちに別々の地方で、同じ文法で傷つけられていく。
国家にとって最悪の種類の攻撃だった。大きすぎて事件とは言えず、小さすぎて戦争とも言えない。その曖昧さが、政治の判断を鈍らせた。
内閣は対策本部を立ち上げた。警察庁は連続テロの可能性に言及したが、確証に乏しいと留保をつけた。総務省は通信事業者との連携強化を表明した。経産省はエネルギー供給に重大な影響はないと強調した。官房長官は「国民生活に不安を与えないよう冷静な対応をお願いしたい」と言った。何も決まっていないときに限って、日本語は無駄に丁寧になる。
だが三日後、声明が出た。
『世界は腐敗した。資本主義は人類を腐らせた。進歩主義は腐敗を飾り立てた。来るべき破滅は不可避である。ならば、我々の世代のうちにこれを早める。廃墟から次世代人類を発生させる。』
地球防衛軍だ。
以後、この一連の攻撃は、非公式に「十一月の群発攻撃」と呼ばれるようになる。だが当時の政府は、最後まで名称を決めきれなかった。名称を決めるということは、事件の意味を決めることだ。意味を決めれば、責任も発生する。責任を負いたくない政治は、まず言葉を曖昧にする。
古国良平は、その一週間を忘れなかった。
停電が起きる。物流が乱れる。燃料供給に不安が走る。都市部で買い占めが起きる。SNSに避難デマが流れる。住民が騒ぎ、陰謀論が飛び交い、地方自治体が中央へ判断を仰ぐ。中央は会議を開く。そして最後に、自衛軍へ警護出動命令が発令された。
政治は後ろにいる。軍だけが前へ出る。だが、前へ出る軍には、決定権がない。
古国は、その構図を見て、初めて本気で軽蔑を覚えた。頭では文民統制を理解していたつもりだった。だが、現実の危機を前に、それが何らの役には立たず、むしろ足手まといになることを痛感した。
さらに悪かったのは、政府が表向きの沈静化を優先したことだった。停電は局地的、物流は回復傾向、社会不安を煽る情報に注意、過度な憶測は慎むように。たしかに全部その通りではある。だが、それは平時の言葉だった。敵が都市の機能そのものへ刃を入れてきた局面で、なお「パニックを避ける広報」が先に来る。そのことが古国にはほとんど耐えがたかった。
『日月の会』は、この事件を境に明らかに変質する。もともとは将校同士の親睦と意見交換を目的とする私的な集まりだった。有り体に言えば、飲み会をその活動の旨とするくだらない組織だった。
それが、徐々に「いざというとき、誰が本当に動けるか」を確認する場へ変わっていく。議題も変わった。
首都圏同時多発インフラ攻撃への初動。大規模停電時の治安維持。警察・公安と自衛軍の境界。通信・放送・電力・交通の押さえ方。国家非常措置の法的根拠。文民統制の一時停止条件。民間物流が崩れた場合の兵站。
会議の言葉はまだ穏当だった。だが内容は、すでにクーデターの準備教育に近かった。1等陸佐、牧野恒一は、その群発攻撃を見て、最初に政治的怒りではなく、作戦的な確信を得た。
「EDFは首都そのものを取ろうとしていない」
彼は会合でそう言った。
「首都が生きているように見える条件を、外側から順番に折っている。電力、物流、燃料、通信。中枢を直接爆破するより、都市が都市として続く条件を奪ったほうが早いと知ってる」
彼の口調に怒りはない。むしろ感心に近いものすらある。そこが危険だった。
「なら対処は単純です。こちらが先に中枢を握る。政府の反応を待たず、交通・通信・警察指揮系統を一括で確保する。それ以外にない」
牧野にとって問題は、誰が統治するかではない。危機に際して、どの手順が最短かだけだ。成功する計画なら、それでいい。その非政治性が、かえって反乱の才能になった。
榊原広太は、別の角度から同じ事件を見ていた。
彼は人間を名簿で見る。どの将校が政府への不信を口にしたか。誰が警護出動の曖昧な命令にうんざりしているか。誰が群発攻撃の最中に自治体や警察の無能を目の当たりにしたか。誰が「結局、軍しか動いていない」と言ったか。
榊原が見ていたのは、国家の制度ではなく、制度に対する忠誠の摩耗だった。
「思想はいらない」と彼はある席で言った。
「従うかどうかだけだ」
この男にとって、国家とは理念ではなく配置である。その割り切りは下品だが本質を突いている。国家を支えるのは高邁な理想ではなく、最終的には誰が命令に従うかという一点だからだ。
神代嶺は、その群発攻撃以降、法理をひたすら磨いた。非常措置。国家代行。実体的合法性。国家存立に対する現実的危険。違法でも正当なら合法だ。文言としては詭弁だが、国家非常時において詭弁はしばしば制度の先に立つ。
彼は憲法を守るためではなく、憲法を停止する論理のほうへ異様な情熱を注いだ。
これも一種の病気だった。
だが病んだ理性ほど、体制転覆の際には役に立つ。
その全員の上に古国がいた。
彼は、自分が野心家ではないと思っていた。それはある意味では本当だ。彼は権力それ自体に酔うタイプではない。だが、もっと危険な酔い方をする。自分は権力を欲しているのではなく、責任を引き受けようとしているだけだ、と信じる人間である。
この種の人間は厄介だ。
権力欲に駆られる者より、自分を義務の執行者だと思っている者のほうが、しばしば残酷になる。
群発攻撃の数日後、古国は、自衛軍側の合同調整会議で、閣僚の一人がこう言うのを聞いた。
「自衛軍の動きが過剰に見えないよう、国民に対する配慮をお願いしたい」
その瞬間、彼の中で何かが切れた。
電力と物流が同時に傷つけられ、敵の存在が公然と示され、社会が怯えている局面で、なお政治は「見え方」を気にしている。国民生活を支えているのは映りの良い会見ではなく、実際に武器を持って施設を守り、道路を確保し、拠点を押さえる人間たちなのに、その人間たちは最後まで命令権を持たない。
国家の最後の責任者は誰か。
政治家ではない。
官僚でもない。
企業でもない。
警察ですらない。
最後に物理的な責任を取るのは、武器を持つ者しかいない。ならば、それに見合うだけの決定権も持つべきではないか。
この問いは、民主主義国家の軍人が一度本気で抱いたら危険だった。
なぜなら、その問い自体がクーデターの原型だからだ。
日月の会の会合は、そこから一段深くなる。
もはや「もしもの話」ではない。危機時の国家代行。首都圏機能の一時保全。文民統制の一時停止。必要最小限の非常措置。
言葉はまだ穏当だった。だが、穏当な言葉ほど現実の刃を隠す。
その頃、日月の会の一人である3等陸佐、四谷賢一は、その変質を静かに観察していた。
彼は最初から古国の義務感を信じていなかった。
いや、信じていないというより、便利だと思っていた。地球防衛軍の出現。国内インフラへの攻撃。政治腐敗。制度の摩耗。治安不安。若年層の倦怠。
それら全部が、日月の会を「まだ反乱ではない」と思い込ませたまま、反乱へ押しやっていく。
古国は「国家を守るために」立つつもりでいる。
牧野は「成功する計画」を立てる。
榊原は「従う人間」を集める。
神代は「正当化の言葉」を用意する。
誰もが、自分は国家崩壊への対処をしているだけだと思っている。
だが四谷だけは違った。
彼はそれを、歴史の乗っ取りに使えると最初から理解している。
だから彼は焦らなかった。世界が狂ってくれるほど、こちらの仕事は減る。その程度のこととして、四谷は状況を見ていた。
二○二七年の末、古国はついに確信する。
この国家は、政治の手では持たない。その確信は、怒りから生まれたわけではない。むしろ逆だ。怒る段階を過ぎた人間だけが持つ、乾いた諦めから生まれた。
政治家は責任を取らない。官僚は手続きを守る。国民は不満を言う。メディアは煽る。そして最後に、自衛軍だけが呼ばれる。ならば最初から、自衛軍が国家を保全するしかない。
この論理は狂っている。だが一度整えば、整い方だけは妙に美しい。危険な思想ほど、内部では筋が通って見えるものだ。
日月の会の中心部が、陸上自衛軍によるクーデター計画である三矢作戦を本気で検討し始めたのは、そのころだった。
それは野望の発火ではなかった。彼ら自身の認識の中では、あくまで責任の空席を埋めるための代行にすぎない。
そこが最も危険だった。
反逆者が自分を反逆者だと思っているうちは、まだ制御が利く。だが、自分を最後の保全者だと思い込んだ軍人は、自分のしていることを止められない。なぜなら、それを止めることが、国家への裏切りになってしまうからだ。
こうして、日月の会はクーデター集団になった。野心からではない。少なくとも、本人たちはそう信じていた。
義務からである。責任からである。国家のためである。
その自己欺瞞が、のちに日本国を一度殺す。




