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来たるべき破滅のために  作者: Barkley
第四章 勃興
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復一号作戦

 北朝鮮をどうするか、という問いは、第二ソ連成立の瞬間から既に問いではなかった。


 処理順序の問題にすぎなかった。


 日本、韓国、中華民国が一つの軍事国家へ変わり、福岡に連邦政府と統合参謀本部と大本営が置かれた以上、朝鮮半島の北側だけが旧世界のまま残るというのは、地図として気持ちが悪すぎた。国家というものは、ときに安全保障より先に、地図の不快さによって戦争を始める。四谷賢一にとって北朝鮮とは、脅威である以上に、まだ旧時代が一片だけ取り残されている場所だった。しかも中朝国境に接し、核を持ち、飢えた兵士と砲兵と収容所と奇妙な王朝趣味を抱えたまま存在している。その不快さは、彼の美意識――いや、反美意識とでも言うべきもの――にひどく合っていた。綺麗に壊すに値する対象だった。


 福岡大本営の地下、統合参謀本部第一作戦室で、その会議が始まったのは二月の終わりだった。


 春にはまだ遠い。外の海風は冷え、地下へ降りる兵士の靴底には湿った泥が少し付いていた。だが作戦室の中だけは妙に乾いている。暖房のせいではない。人間の神経が水気を失っているとき、空気はああいう乾き方をする。壁には朝鮮半島全図、東北アジアの鉄道・道路網、北朝鮮の電力系統、主要地下施設、砲兵配置、ミサイル基地、平壌市街図。さらにその奥には、中朝国境地帯、遼東半島、黄海北部、日本海側港湾の図まで並べられていた。北朝鮮だけを見ていないことが、その時点でもう明白だった。


 四谷は最初から席に着いていた。

 中央ではなく、少し奥まった位置に。

 だが全員の視線はそこを中心に流れていた。


 韓国側からは旧韓国軍系統の将官が複数出ている。北の地形と砲兵と地下施設に関しては、まだ彼らが最も詳しい。台湾側は人数が少ないが、通信、海上封鎖、精密誘導、電子戦の担当が来ていた。日本側は砲兵、航空、兵站、海運、そして福岡大本営直属の戦略特別計画局。核をまだ言葉にしない部署ほど、会議室では静かだ。


 神代が冒頭の議題を読み上げた。


 「北部朝鮮地域に対する連邦軍統合作戦の必要性と工程」


 必要性。

 そこがまず嘘だった。

 四谷にとって必要性とは、すでにあるものへ理由を後から貼る作業でしかない。戦争に理由を求めるのは広報であり、国家が本当に戦争を欲するとき、理由は工程表の一列にすぎない。


 韓国側の老将が口火を切った。


「まず確認しておきたい。これは半島統一ではない」


 声は落ち着いていたが、その一言には長い時間が詰まっていた。

 彼らにとって北朝鮮は、敵であると同時に、同胞という薄汚い言葉で必ず説明されてきた対象でもある。

 だが第二ソ連の会議室では、その種の感傷は最初から嫌われる。


「もちろんです」


 神代が答える前に、四谷が言った。


「統一などと呼ぶ必要はない。あれは解放区でも聖地でもない。作戦地域です」


 韓国側の何人かが、露骨に嫌な顔をした。

 だが反論はなかった。

 反論できないというより、その嫌悪自体が既に半分四谷の土俵に乗っている。

 第二ソ連にとって北朝鮮は、民族の傷ではなく、戦略上の未整理領域として処理される。

 その乱暴さを、彼らは受け入れ始めていた。


 会議の最初の三十分は、北朝鮮の軍事的脅威が説明された。

 長距離砲。地下施設。核関連施設の所在。特殊部隊。ミサイル。海岸砲。化学兵器。核兵器。


 だが、説明が進むほど、別のことがはっきりしてくる。

 この作戦の眼目は、北朝鮮の「脅威除去」だけではない。


 連邦軍日本方面の砲兵将校が言った。


「敵砲兵陣地を通常戦力のみで沈黙させる場合、南部都市圏への初動被害は相当出る。政治的に見て、そのコストをどう評価するか」


 政治的に見て、という言い方が妙に白々しかった。

 会議室の全員が、もう分かっている。

 通常戦力のみでやるつもりがないのだ。


 戦略特別計画局の男が、資料を一枚だけ前へ滑らせた。

 紙面上には「限定的・戦術的・先制的措置の可能性」としか書かれていない。

 核、とはまだ書かない。

 だが書かなくても分かる。


 北朝鮮征服作戦の本当の意味は三つあった。


 第一に、旧韓国軍を主力とする連邦地上軍の実戦統合。

 第二に、北朝鮮の核・ミサイル・地下施設の接収または破壊。

 第三に、中国へ向けた戦略的前進基地の形成。


 半島統一などではない。

 対中戦争準備である。その準備を、連邦軍の最初の大規模実戦でやる。

 四谷にとって、それ以上に気の利いた工程はなかった。


「平壌はどう扱う」


 台湾側の空軍大佐が、妙に事務的な声で尋ねた。


 韓国側は一瞬だけ沈黙した。

 その沈黙には、やはり国民国家の残り滓があった。

 平壌は敵首都であると同時に、半島史の中の都市でもある。

 だが四谷は、その沈黙を待たなかった。


「火の海にする」


 彼はそう言った。


 比喩ではなく、工程として。


「通常爆撃か、滑空弾か、あるいはその組み合わせかは別にして、初日で首都機能を物理的に消す。政治中枢、防空指揮、鉄道結節、通信、発電。首都を温存しても、あとで面倒になるだけだ」


 韓国側の准将が顔をしかめる。


「民族感情への反発は相当なものになります」


「民族感情は戦後に宣伝で処理できる」


 四谷は即答した。


「だが地下施設と砲兵指揮系統は、戦後に処理できない」


 その一言で、大半は決まった。

 会議とは、全員が同意する場ではない。

 誰が何を優先するかを一度はっきりさせ、全員に諦めさせる場だ。

 この作戦では、民族感情より、砲兵沈黙と中枢破壊が上に置かれる。

 それが連邦軍の論理だと確認された瞬間、韓国側はもう半分飲み込むしかなくなった。


 作戦名の議論は、最後の方で出た。


 事務方の案は無難だった。

 半島北部安定化作戦。

 北部地域武装解除行動。

 北部朝鮮危機終結作戦。


 どれも嘘ではない。

 そしてどれも弱い。

 弱い名前は、戦後の文書には向いている。

 だが四谷は、最初の実戦へそんな名を与えるつもりはなかった。


「復一号作戦」


 彼が口にしたとき、神代だけはすぐ意味を理解していた。


「復、ですか」


 韓国側の将官が問う。


「復讐の復。あるいは恢復の復。どう取ってもいい」


 四谷はそう言ったが、全員が、本当はどちらでもないと分かっていた。

 その「復」は、もっと下品で、もっと私的なものだった。

 戻す。

 奪い返す。

 ひっくり返す。

 世界へ、東洋からの主導権を取り戻す。

 そういう全部が、あの一字には詰め込まれている。


 作戦名としては、ひどく政治的だった。

 だからこそ採用された。

 第二ソ連の最初の対外大戦争に、ただの地理名称など似合わない。


 会議が深夜へずれ込むころには、もう作戦の骨格は見えていた。


 旧韓国軍を主力とする連邦地上軍が、三十八度線全域で一斉に越境する。

 主軸は西部。平壌へ向かう。

 副軸は東部山岳地帯を固定しつつ、敵の戦略機動を阻害する。

 海軍は西岸・東岸の港湾封鎖。

 空軍は制空より先に、敵防空の眼を潰す。

 特殊部隊は核関連施設と地下司令所の所在確認。

 そして九州の野戦砲兵科は、初日の火力投射で政治的中枢を焼く。


 九州。

 そこが象徴的だった。

 朝鮮半島の戦争を、福岡大本営が撃つ。

 日本本土の砲兵が、半島の首都を焼く。

 旧世界の軍事バランスから見れば、ひどく悪趣味な構図だ。

 だが四谷は、その悪趣味さを好んだ。

 歴史を本当に動かす作戦とは、たいてい少し悪趣味でなければならない。


 砲兵中将が、最後に淡々と言った。


「二五式高速滑空弾の実戦投入は、ここで行うのが最も合理的です」


 誰も驚かなかった。

 この会議に出ている時点で、彼らはもうその言葉を待っていたからだ。

 高速滑空弾。

 発射地点は九州。

 目標は平壌。

 通常戦力の延長として説明しうるが、実態としては、連邦軍が朝鮮戦争再開と同時に「新しい速度」を世界へ見せつけることになる。

 第二ソ連は、戦争そのものだけでなく、戦争の見え方まで支配したがっていた。

 平壌を焼くことは軍事的必要だ。

 同時に、それは建国後最初の大戦争にふさわしい演出でもあった。

 そこが、いかにも四谷らしかった。


 神代が最後の議事録確認をしているあいだ、会議室の奥では誰もほとんど喋らなかった。

 喋る段階を越えたからだ。

 もうこれは、議論ではない。

 工程になった。


 四谷は地図の前へ立った。

 三十八度線。

 平壌。

 寧辺。

 咸興。

 元山。

 新義州。

 鴨緑江。


 彼の視線は、北朝鮮国内だけで止まらなかった。

 もっと北。

 中国国境。

 遼東方面。

 満洲への入口。


 北朝鮮征服は、彼にとって戦争の終わりではない。

 中国への序章だ。

 半島を取れば、砲も、港も、鉄道も、飛行場も、一段北へ出る。

 核関連施設を押さえれば、核武装にも使える。

 三つの軍隊を血で統合できれば、連邦軍は初めて本当に一つの軍になる。

 そして何より、世界へ「第二ソ連は建国しただけではない。もう戦争を始めている」と見せられる。


 それだけで十分に価値があった。


「いつやる」


 韓国側の将官が、ようやく尋ねた。


 四谷は振り返らなかった。


「六月一日」


 その日付は、ほとんど無造作に置かれた。

 だが無造作な日付ほど、後から年表で異様に太く見える。

 二〇三一年六月一日。

 第二ソ連、北朝鮮に宣戦布告。

 朝鮮戦争再開。

 復一号作戦。


 その語の並びを、四谷は既に頭の中で見ていた。

 歴史とは、起きる前に年表として見える人間によって、かなりの部分が決まる。

 彼は、そういう種類の人間だった。


 会議の最後、統合参謀本部の書記官が起立し、確認した。


「本計画は、連邦軍統合先制作戦案『復一号作戦』として、全連邦統裁者の裁可を待つ」


 四谷は短く頷いた。

 それだけだった。

 拍手もない。

 歓声もない。

 国家が戦争を決める場とは、本来その程度に乾いている。


 だが、乾いているからこそ、恐ろしかった。


 会議室の外へ出ると、福岡の夜はまだ冷たかった。

 港の向こうで、警戒艦の灯が小さく動いている。

 地下では、作戦名と日付と射表が、すでに実務へ変わり始めている。

 朝鮮半島の北は、まだ静かだ。

 だがその静けさの上に、もう九州の砲兵の赤鉛筆が引かれている。


 北朝鮮征服は、この瞬間、戦争ではなく、福岡の一室で承認された行政工程になった。

 それが復一号作戦の本当の始まりだった。


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