開戦準備
戦争というものは、宣戦布告の瞬間に現場へ届くわけではない。
先に届くのは、妙に細かい変更だ。
弾薬の受領予定が前倒しされる。
輸送訓練が実輸送みたいになる。
整備記録の提出頻度が増える。
休暇許可が渋くなる。
上級部隊の用語が、少しずつ説明を省き始める。
そして現場の人間は、まだ誰も「戦争だ」と言わない。
言わないまま、全員がそれを知り始める。
九州の砲兵部隊で最初におかしさへ気づいたのは、別に中隊長でも作戦幕僚でもなかった。弾薬庫前で受領票を見ていた准尉だった。
四月の終わり、南部九州のある駐屯地。野戦特科連隊の補給小隊に回ってきた資材受領一覧には、見慣れない符号が増えていた。二十五式高速滑空弾、その関連装置、発射機系統の保守部材、誘導補正モジュール、冷却ユニット、封印付き輸送箱。名称そのものは既に部隊内でも知られている。だが数量が違った。訓練用備蓄ではない。試験でもない。射場訓練で使う数でもない。何より、「分散保管ののち、指定日まで封緘維持」と書かれている。訓練弾でそんな書き方はしない。
准尉は紙を見て、もう一度見た。
それから黙って判を押した。
何も言わない。
何も言わないのが、この段階では最も軍人らしい反応だった。
連隊本部では、もっと前から変化が始まっていた。
作戦主任の二佐は、福岡大本営から降りてきた「対北部危機拡大事態を想定した統合火力支援演習準備」の文書を三回読み返していた。文面は穏当だった。危機拡大事態。統合火力支援。即応性確認。どれも、今の第二ソ連なら日常的に使われる語だ。だが、その文書には二つだけ、妙に嫌な箇所があった。ひとつは日付欄。六月一日を基準として逆算した細かい準備表が既に組まれている。もうひとつは、気象支援と通信冗長化と発射地点偽装に関する指定が、訓練としては過剰なほど具体的だった。
彼はその紙を閉じ、窓の外を見た。営庭では若い隊員たちが点呼へ向かっている。いつもと同じ迷彩服、いつもと同じ朝。だが上級司令部から降りてくる紙の精度だけが、急に現実味を帯びていた。これが訓練である可能性はまだある。あるが、訓練であるなら、妙に死臭が濃い。
同じころ、別の駐屯地では、観測中隊の幹部が衛星画像判読の追加教育を命じられていた。
北朝鮮西部。平壌周辺。主要鉄道結節。防空陣地。地下施設出入口。発電所。河川橋梁。いつもなら図上で流す程度の地図が、急に「誤差一キロ以内」ではなく「誤差百メートル以内」で見直され始める。地図の解像度が上がるとき、戦争は近い。敵情を学ぶこと自体は珍しくない。珍しくないが、橋の影まで気にし始めると、それはもう地理の勉強ではない。
航空科の側でも似た空気があった。
西部方面の航空部隊には、いわゆる防災訓練や島嶼防衛演習では見ない種類の要求が増えた。離陸時刻の分散。偽装駐機。整備員の夜間拘束。予備滑走路の確認。さらに、通信妨害下を想定した短時間離着陸手順の再確認。これも一つずつなら説明はつく。だが全部まとめて来ると、説明は一つしかなくなる。上が、本当に飛ばすつもりなのだ。
隊員たちは、それを言葉にしなかった。
若い一尉が整備班長へ言う。
「最近、急に細かくなりましたね」
整備班長はレンチを回したまま答える。
「上が暇なんだろ」
「暇で、ここまでやりますか」
「……暇じゃないからやってるんだろうな」
それで会話は終わる。
軍隊の現場では、こういう会話が一番正直だ。
誰も「戦争でしょう」とは言わない。
言わないが、否定もしない。
通信部隊はもっと露骨に忙しくなった。
福岡大本営と各駐屯地、港湾、航空基地、沿岸監視拠点、弾薬集積地、その全部を結ぶ回線の冗長化が、五月に入ると一気に進んだ。新しい暗号表、旧式系統との互換確認、予備回線の夜間切替、山間部中継所の警備強化。通信員たちは、自分たちが何か大きな前触れの中へいることを、通信量そのものから感じ取る。文面を見なくても分かる。平時の通信は散らばる。実戦前の通信は、静かに、しかし異様に集中する。必要なところへだけ、必要なものだけが飛ぶ。その精度が上がる時、上級司令部の頭の中ではもう戦争が半ば始まっている。
港湾では、民間人の方が早く気づいた。
北九州から博多にかけての岸壁では、軍需扱いの輸送が増えた。昼間の荷役に混ぜて運ぶと目立つため、夜に寄港し、夜明け前に消える船が増える。コンテナの印字は曖昧だ。連邦物流局、技術資材、気象観測支援機材、そんなぼかした表記ばかりで、中身の整合は取れていない。だが港で長く働いている人間は、荷姿だけでだいたい分かる。これは家電ではない。これは精密工作機械でもない。これは弾だ。しかも、普通の砲弾よりずっと神経質な扱いをされる類のものだ。
荷役の現場監督が、小声で言った。
「これ、どこへ持ってくんだ」
若い労務者が肩をすくめる。
「さあ。福岡じゃないっすか」
「福岡のどこだよ」
「大本営があるんでしょ」
口にした瞬間、二人とも少し黙った。
大本営。
その語がもう、冗談で済まなくなっている。
昔なら軍オタクか老人の嫌味にしか聞こえない言葉だった。
いまは港湾労働者ですら、半ば当たり前のように使う。
国家が本気で戦争を準備し始めると、語彙は先に民間へ漏れる。
砲兵連隊の営内では、もっと静かな変化が進んでいた。
休暇の取り消し。
外出許可の圧縮。
私有スマートフォンの持込管理強化。
酒気を伴う外泊の自粛指導。
病休者の再確認。
家族持ち隊員への「突発的長期勤務可能性」に関する説明。
これも一つずつなら大したことはない。
だが全部が同時に来ると、隊員たちは嫌でも理解する。
これは災害派遣ではない。
災害派遣の前には、もっと「人命救助」という綺麗な語が飛ぶ。
今回は、語が妙に乾いている。
しかも上官たちが、質問に対して「説明は追ってある」としか言わない。
ある若い二曹が、煙草を吸いながら呟いた。
「何か始まるんですかね」
先任の一曹は、しばらく黙ってから言った。
「始まる時は、だいたいそんな言い方はされん」
「じゃあ違うんですか」
「違うとは言ってない」
夜風は湿っていた。
九州の春の夜は、妙に体温を奪う。
誰も声を荒げない。
それでも、その短いやり取りの中で、もう十分に空気は伝わる。
上は言わない。
だが言わないということは、もう相当本気だ。
医務室にも異変は来ていた。
救急搬送計画の見直し。
広域火傷症例の対処確認。
放射線防護器材の点検。
野戦輸血の在庫補正。
衛生隊の移動訓練。
特に「広域火傷」と「放射線防護」が並んだ時点で、医官たちは顔を見合わせた。誰も露骨には言わない。だが砲兵・滑空弾・平壌・放射線防護。この四つを同じ月に触らされて、「偶然だ」と思えるほど鈍い人間は、もう軍医として残っていない。医療計画が嫌な方向へ具体化するとき、現場はもっとも早く「本当にやるのだ」と知る。
気象隊も例外ではなかった。
風向、上空気流、雲量、海霧、春先の偏西風の乱れ。平時の気象支援では、ここまでしつこく同じ区域を追わない。だが五月中旬以降、平壌周辺から黄海北部、日本海側への気象観測要求が不自然に増えた。しかも一日単位ではなく、時間単位で細かい。気象は軍隊の良心ではない。ただの条件だ。条件がここまで精密に欲しがられる時、兵器はもう図上から現実へ降りる準備を終えている。
福岡大本営から降りてくる命令も、徐々に書き方が変わった。
最初は「対北部危機拡大事態」。
次に「統合火力即応」。
その次に「指定日基準準備」。
そして五月の終わりには、「D-7」「D-5」「D-3」という書式が、ついに文面へ現れた。
日付は書かれない。
だが逆算で誰でも分かる。
六月一日だ。
そこに向けて全部が動いている。
隊員たちは、その頃にはもう、何も確認しなくなっていた。確認しなくても分かることを、わざわざ口に出すと、逆に現実味が増してしまうからだ。現実味が増せば、家族の顔が浮かぶ。平壌という地名が、ただの地図上の赤点から、実際に自分たちが撃つ場所として立ち上がる。そうなると、まだ始まっていない戦争に、先に心だけが消耗する。現場の人間は、そういう消耗の避け方を知っている。だから黙る。
黙ったまま、手だけが忙しくなる。
発射機の油を差す。
車両のボルトを締め直す。
射表を再確認する。
予備部品を揃える。
暗号表を古いものから新しいものへ差し替える。
携行食を詰める。
迷彩網を畳み直す。
その一つ一つが、何でもない準備の顔をしている。
だが全部合わせると、もう訓練ではない。
戦争前夜の雑務とは、たいていそういう顔をしてやって来る。
六月一日が近づくにつれ、九州の駐屯地には妙な静けさが広がった。
騒がしくない。
高揚もない。
むしろ逆だ。
皆、少しだけ声を落とすようになる。
廊下を歩く靴音が控えめになる。
営内班の冗談が短くなる。
喫煙所での愚痴も、途中で終わる。
これは勇敢さではない。
ただ、人間が本当に大きなものの前で、余計な音を立てたくなくなるだけだ。
撃つ前の砲兵とは、たいていそういう生き物である。
ある夜、連隊長が中隊長級だけを集めて短い説明をした。
言葉は最後まで曖昧だった。
国際情勢。
北部不安定化。
連邦軍の共同対処。
火力支援任務。
即応性の担保。
だが説明の末尾に、たった一つだけ、異様に明確な文があった。
「今後の命令は、訓練としてではなく、現実の結果を前提に実施すること」
それだけで十分だった。
中隊長たちは何も質問しなかった。
できなかったというより、質問する意味がなかった。
現実の結果を前提にする。
軍隊でその言い方が出た時、もう大半は決まっている。
会議のあと、若い大尉が営庭の暗がりで空を見た。
晴れていた。
星が少しだけ見える。
九州から平壌まで、空はつながっている。
当たり前のことだ。
だがその当たり前が、この夜だけは妙に嫌だった。
彼は煙草を取り出しかけて、やめた。
何となく喉が乾いていた。
遠くで発射機のエンジン点検の音がした。
低く、長い音だった。
それが、まだ始まっていない戦争の心音みたいに聞こえた。
九州の砲兵部隊や、その周辺の輸送、通信、防空、気象、衛生、港湾に関わる人間たちは、その頃にはもう、誰も「これは実戦ではない」とは思っていなかった。
ただ、まだ誰も「実戦だ」と口にしていなかっただけである。
その口にされなさが、かえって場の緊張を濃くしていた。
戦争が来る時、人はしばしば砲声より前に、そういう沈黙でそれを知る。




