建国大典
二〇三一年一月一日、福岡はよく晴れていた。
冬の空は高く、雲は薄く、風だけが冷たかった。こういう日の光は、何もかもをはっきり見せる。博多湾の鈍い水面も、岸壁のクレーンの骨組みも、埠頭の向こうに並んだ艦艇の灰色も、式典場へ向かう装甲車列の窓も、すべて輪郭を失わない。そのくせ温度だけがない。祝賀にふさわしい空ではなく、むしろ手術室の照明に近い。国家の誕生には案外その方が似合う、と四谷賢一は思った。暖かい光は、人を幸福に見せすぎる。今日必要なのは幸福ではない。不可逆性だった。
第二ソ連建国大典は、福岡市一帯を完全封鎖して行われた。
封鎖は数日前から始まっていた。沿岸部の道路は軍が押さえ、港湾荷役は最低限へ縮小され、周辺住民には「大規模式典に伴う特別通行規制」とだけ通知された。名目としてはまだ穏当だった。だが穏当な名目の下へ、異様な規模の警備が敷かれている。海上には日本・韓国・中華民国の艦艇が混成で並び、そのさらに外側には機雷封鎖線と哨戒艇群が置かれていた。空には早朝から警戒機が上がり、陸では対空車両が海沿いの公園を潰して陣地化していた。建国式典というより、占領地での閲兵に近かった。
だがそれでよかった。
新国家は最初から、自分が平時の合意や歓呼から生まれたのではなく、危機と軍事と再配分とテロルの総和から生まれたことを、隠す気がなかったからだ。むしろ隠さないことで、国家の性格を先に固定しようとしていた。
式典会場は、奇妙なほど美しく整えられていた。
中央の大壇上は、通常の祝典のように赤や金で飾られてはいない。基調色は黒、灰、深い赤の三色だった。黒い床、灰色の布、そして要所だけに置かれた濁った赤。血を思わせるが、血そのものを連想させすぎない色合いである。その趣味の悪さが、四谷の設計だと、知る者にはすぐ分かった。露悪は露骨すぎると安っぽい。ほんの少しだけ引くことで、かえって長く嫌な印象が残る。
壇上の背後には、ついに新しい国旗が掲げられていた。
仮の白ではない。
だが赤一色でもない。
赤地に白い太陽。それが第二ソ連の旗だった。太陽から光線が伸びる他はまるで色使いが逆になった日の丸であり、青天白日旗をも想起させるデザインだった。そして、韓国の象徴はほぼ感じられない。
意味の解説はあった。だが見た者の多くは、もっと単純に受け取った。
何か、不吉だ。普通の国旗ではない。
そこが狙いだった。
式典開始の二時間前から、会場周辺には選別された観衆が流し込まれていた。
動員は露骨だった。アルバイトの一般人、、共同住宅代表、港湾労働者、戦略工場の模範労働者、軍人家族、遺族会、学生代表、看護師団、技術者連盟。どの顔をカメラへ抜かせるかまで、既に決まっている。老けた財界人やくたびれた官僚や陰気な知識人の顔は今日いらない。必要なのは、汗を流した労働者、軍服の若者、冬の風の中でも黙って整列する女たち、つまり「人民」と呼べる顔だけだった。人民共和国でも、軍事国家でも、映るべき人民の顔は案外似ている。
だが動員だけではなかった。
本当にそこへ来たかった人間もいた。
富裕層の没落を見、共同住宅へ冷蔵庫が入り、配給が少し安定し、工場の賃金がわずかにましになり、自分たちが世界史の中心へ引きずり出されつつあると感じ始めた層。
彼らはこの新国家を愛してはいない。
だが、自分たちにとって前の世界よりはましな敵だとは思い始めていた。
その種の支持が、いま一番危険だった。
京太郎も、会場の外縁部へ動員されていた。
倉庫労働者代表、という名目だった。代表といっても、ただバスへ乗せられて、所定の位置に立たされるだけである。だがその「だけ」が、彼にとっては最悪だった。昨日まで共同住宅で隣と壁を共有していた男が、今日は新国家誕生の観衆として整列している。しかも背後では、自分の父のような人間が処刑され、没落し、その財で整えられた式典が行われている。京太郎は、自分が歴史の客席ではなく、処刑場の背景美術の一部になっていることを、嫌になるほど理解していた。
彼の周囲では、低い興奮があった。
「本当に名前、第二ソ連なんだってよ」
「やべえな」
「でも、ここまで来たら逆にそれぐらいの方がいいんじゃねえか」
「世界がビビるだろ」
「うちもとうとう大国ってことだな」
その会話を聞きながら、京太郎は吐き気に近いものを覚えた。
昔の自分なら、こういう若者の軽薄な高揚をどこかで見下していただろう。
いまは見下す立場にいない。
だからこそ、その軽薄さがいっそう恐ろしく見えた。
国家は、案外こういう雑な興奮で立ち上がる。
午前十時、軍楽が鳴った。
音楽は奇妙だった。既存三国の国歌を順番に演奏するのではなく、それぞれの旋律断片を無理に接合し、さらに低い金管と打楽器で押しつぶしたような、新しい式典曲が作られていた。誰も口ずさめない。だが身体には残る。国家創設の初期に必要なのは、歌いやすさではなく、耳へ傷をつけることだと神代は考えていたし、その点でこの曲は成功していた。
最初に登壇したのは、三国の首脳ではなかった。
軍旗護衛隊だった。
日本、韓国、中華民国の旧軍旗が、それぞれ別の隊列で会場へ入り、中央壇上の前で停止する。それだけなら普通の儀礼だ。異様だったのはその後だった。三隊列は、号令とともに一歩ずつ中央へ寄り、最後には互いの旗竿が触れ合うのではないかというほど狭く並べられた。そしてその瞬間、背後の巨大掲揚塔へ、新しい国旗が上がり始めたのである。
旧旗は下げられていない。
まだ残っている。
だが視線はもう中央の新旗へ吸われる。
儀礼としては極めて露骨だった。
三国は消えていない。
しかし、それらの上に、もう一つが立つ。
人々の頭より先に、目がそれを理解する。
観衆のどこかで、拍手が始まった。
それは仕込みだったかもしれない。
だが拍手は一度起きると、すぐに自走し始める。
数秒後には、会場のかなりの部分が手を叩いていた。
叩かない者もいた。
だが叩かないという意思は、数万人の音の中では意外なほど脆い。
続いて、三国首脳が登壇した。
ハン。
郭。
四谷。
だが最後に上がった者が、最初から中央へ立つことは誰の目にも明らかだった。韓国代表も台湾代表も、もはや共同創設者であるより、移行儀礼の保証人に近い。世界はまだ三国連合としての形式を必要としている。だからそこに立つ。だがこの国家の顔が誰かは、もう隠しようがなかった。
ハンの演説は短かった。
「われわれは今日、三国の生存を、三国それぞれの枠を超えて保障する新しい国家的枠組みへ入る」
安全保障。生存。共同運命。
そういう語ばかりが並んだ。
国内向けに必要な最低限の体面を残す演説だった。
彼自身、その言葉の薄さを分かっていた。
分かっていながら、それ以外に言えなかった。
郭は、もう少し歴史を混ぜた。
「革命は、一国の記念日ではなく、時代ごとにその器を変える」
孫文の名は出さなかった。
だが出さなかったこと自体が、かえって今日の屈折を示していた。
中華民国の革命伝統は、いまや新国家の中へ吸収されようとしている。
その痛みを、代表は短い沈黙でしか表現できなかった。
そして最後に、四谷が演壇へ立った。
彼は制服を着ていた。
だが自衛軍の制服ではない。
既に数か月前から試作されていた、新国家軍の礼装だった。
黒に近い濃灰の上着。
襟章には三本線の金属章。
肩章は過度に装飾的ではないが、階級の概念そのものを少しずらして見せる新意匠。
旧軍への回帰でもなく、現代的な共和国軍でもない。
どこかで見たことがあるようで、どこにも属していない。
そこが重要だった。
彼は演説文を持っていなかった。
「諸君」
第一声は、もう聞き慣れた低さだった。
それでもこの日は、いつもより少しだけ金属的に響いた。
会場の巨大スピーカーと、背後の海の冷えた空気のせいかもしれない。
「本日ここに、日本国、大韓民国、中華民国の三国家体制は終わる」
歓声は、最初の一文で起きた。
起きたというより、起こされた。
だがそれで十分だった。
人は自分が何に喝采したのか、後から意味づけする。
「われわれは単なる地域協力体制へ入るのではない。単なる防衛同盟へ入るのでもない。東洋から、革命国家の正統を奪還する。世界が死んだ語として保存してきたものを、再び軍事と生産と配分の力として現実へ戻す」
ここで四谷は、わずかに間を置いた。
「本日ここに、第二ソヴィエト社会主義共和国連邦の成立を宣言する」
国号は、はっきりと発音された。
それがこの日、初めて公式に世界へ流れた瞬間だった。
第二ソ連。
放送車両はそのまま各国へ中継し、外電は即座に流れ、敵国の情報機関は同時に同じ語を記録した。だが会場の人間にとっては、世界の反応より先に、自分の耳でその名が国家の宣言として発せられたことの方が大きかった。噂ではない。匿名掲示板でも、新聞の観測記事でもない。国家が、自分で自分をそう呼んだ。そこまで来ると、人はもう笑えない。
四谷は続けた。
「第二ソ連は、旧ソ連の継承国家ではない。失敗した二十世紀の模倣でもない。第一の失敗を踏み台に、東洋から現れる第二の革命国家である」
「われわれは、寄生的資本の支配する市場の自由を否定する」
「われわれは、疲労しきった旧民族国家の狭い主権を否定する」
「われわれは、無責任な旧官僚制と、空洞化した議会主義と、説明だけ上手い秩序の延命を否定する」
「われわれは、労働と兵士と技術と青年を、一つの歴史過程へ統合する」
その演説は、既存の右でも左でもなかった。
軍国主義、社会主義、歴史的報復主義、世界革命、東洋主義、青年動員。
それら全部を、ほとんど暴力的に一つへ押し込んだ語りだった。
だが、もはやそれを整理して批判する余地は会場にはなかった。
人は歴史のただ中で、思想を綺麗に分類しては聞かない。
ただ、押し流されるか、酔うか、そのどちらかに近い。
観衆の一部は本気で熱狂していた。
別の一部は、周囲に合わせて拍手していた。
さらに別の一部は、黙って立っていた。
だが黙って立っていることと、否定することは違う。
今日必要なのは、全員の信仰ではない。
この儀礼が止められないという事実だけで十分だった。
演説の後半で、四谷は新しい職名を読み上げた。
全連邦統裁者。
最高元帥。
それは旧世界のどの国家にも、完全には属さない称号だった。
大統領でもない。
主席でもない。
総書記でもない。
元首と最高司令官を一体化し、しかも一回読めば権力の集中が直感できるよう、神代と四谷が何度も話し合い決めた語だった。
韓国代表と中華民国代表は、それぞれ新国家の副統裁評議会構成員として位置づけられた。
名目は共同建国者。
実態は明らかに格下だった。
だがこの段階では、それもまた必要な屈辱だった。
超国家とは、誰かが飲み込まれたと感じる程度に権力の偏りがなければ成立しない。
儀礼はそれで終わらなかった。
広場の背後の埠頭では、閲兵が始まった。
旧三国軍から抽出され、既に規格統一が進められていた混成部隊が、新国旗の下を行進する。日本式の足並みと韓国式の号令と台湾式の礼法が、まだ完全には揃っていない。その微妙なずれが、かえって本物に見えた。完成した国家の軍ではない。いま成立した国家の軍である。その不完全さごと、観衆へ見せてしまう。四谷は、そこまで計算していた。
港では艦艇が汽笛を鳴らした。
空では戦闘機が三国混成編隊で飛んだ。
上空に引かれたスモークは、白、赤、黒だった。
普通の建国式典ならもっと爽やかな色を混ぜるだろう。
だが第二ソ連は、最初から爽やかさなど欲していなかった。
会場の外では、世界が同時にこれを見ていた。
北京は怒り、ワシントンは凍り、モスクワは不快に黙り、各国市場は動揺し、メディアは「狂気」「怪物」「歴史の亡霊」「東洋の赤い軍事国家」といった語を競って使った。
だが福岡の会場にいた人間にとっては、外の罵倒はかえって燃料になった。
世界が嫌がる。
ならば本物だ。
そう感じる者が、確実にいた。
京太郎は、その全てを、冷たい柵の向こうから見ていた。
昔の彼なら、こんな国家の誕生をテレビ越しの異常事態として眺めていただけだろう。
いまは違う。
共同住宅へ帰れば、この国家の配給票があり、倉庫へ行けば、この国家の物資を運び、父はこの国家に潰され、母はこの国家の病院で順番を待つ。
第二ソ連は、理念ではない。彼の生活の壁紙だった。
式典の終盤、全会場で新しい誓詞が唱和された。
「われらは第二ソ連の人民として、」
「生産と防衛と歴史の任務を共有し、」
「寄生者と反動と敵対文明に対し、」
「配分の正義と武装の規律をもって応えることを誓う。」
唱和は揃っていなかった。
揃っていないのに、大きかった。
国家の誓詞とは、完全に揃う必要がない。
ただ、数万の口が同じ方向へ開いたという事実があればいい。
最後に、新国旗が壇上中央で再び大きく掲揚され、その下で四谷が右手を上げた。
敬礼とも、祝賀とも、宣誓ともつかない角度だった。
だがその曖昧さもまた、後に制度化される。
革命国家の儀礼は、最初の一回で既に反復の力を持つ。
二〇三一年一月一日、福岡で、第二ソ連は正式に成立した。
それは歓喜の国家ではなかった。
愛されるための国家でもない。
疲れきった東アジアの三政権が、恐怖、配分、軍事、憎悪、再編の全部を一つの器へ押し込み、世界へ向けて「これが次だ」と叩きつけた結果としての国家だった。
建国大典が終わった後も、福岡の空はただ明るいだけで、温度は最後まで上がらなかった。
観衆は解散し、車列は動き、軍楽は止み、港の風だけが残った。
だが、その寒さの中に、もう以前の三国はなかった。
残ったのは、新しい国名と、新しい旗と、新しい最高職と、そして、恐ろしく現実的な一つの事実だけだった。
第二ソ連は、ついに国家になってしまった。




