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来たるべき破滅のために  作者: Barkley
第四章 勃興
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名前が先に歩き出す

 第二ソ連。


 その四文字が最初に外へ漏れた経路を、後になっても誰も正確には特定できなかった。会議室にいた書記官か、印刷工程に触れた技官か、あるいは四谷政権が意図的に流したか。どれでもありえたし、どれであっても大差はなかった。重要なのは、十二月半ばのある夜を境に、福岡で決まったばかりの最悪の国号が、まだ公式発表もされていないのに、人々の口の中へ入り始めたことだった。


 最初は噂だった。


 次に、匿名掲示板の書き込みになった。

 それから、港湾関係者の雑談になり、軍内部の酒席の小声になり、大学生のチャットログになり、共同住宅の食堂での与太話になった。


 「新しい国の名前、第二ソ連らしいぞ」


 人はこういう時、まず笑う。笑って距離を取る。それがあまりにも馬鹿げている時ほどそうする。日本でも、韓国でも、台湾でも、最初の反応はだいたい同じだった。


 は?

 何だそれは。

 冗談だろう。

 悪ふざけじゃないのか。


 だが、何度も同じ語が別々の口から出てくると、笑いは急速に乾き始める。しかもその名前は、あまりに四谷らしかった。露悪的で、傲慢で、世界に対する挑発と、内部への動員と、歴史の簒奪を一度にやってのける。ありそうだった。ありそうすぎた。だからこそ、人々は冗談のまま流し切れなくなった。


 日本では、最初に震えたのは新聞社だった。


 大手紙の政治部には、ほぼ同時に二種類の情報が入った。福岡で十二月の統一会議が開かれたこと。そして、その内部で決まった国号が「第二ソ連」らしいこと。裏は取りきれない。だが否定もしきれない。編集会議では、年配の論説委員が露骨に顔を歪めた。


「こんなものを見出しに出せるか」


 若い記者が言う。


「でも、もし本当なら隠す方がまずいのでは」


「本当だとしても、確認が取れん」


「確認を取りに行けばもう消されるでしょう」


 それが問題だった。現代の報道は、本来なら確認と裏取りの上に立つ。だが国家形成のような局面では、確認を待つことそれ自体が敗北になる。何しろ本物の権力は、確認可能な形に落ちてくる頃には既に一手遅れているからだ。結局、各社は同じような苦しい書き方をした。


 「新国家国号、過激名称を採用か」

 「福岡会議で革命国家的名称が浮上との情報」

 「“第二ソ連”説、政府側は否定せず」


 否定せず、というのが毒だった。


 四谷政権は、その報道に対して公式には沈黙した。沈黙はときに最悪の肯定になる。もし完全なデマなら、すぐ潰す。潰さないということは、つまりそういうことなのだと、人々は理解した。


 共同住宅では、反応はもっと直接的だった。


 食堂のテレビでその見出しを見た中年男が、汁椀を持ったまま言った。


「第二ソ連って、あのソ連か」


 隣の女が鼻で笑う。


「他にどのソ連があるのよ」


「いや、だって……本当にそんな名前つけるか普通」


「普通じゃないんでしょ、この国もう」


 その短いやり取りが、当時の日本の空気をよく表していた。怒る前に、まず呆れる。だが呆れはやがて不安へ変わる。ソ連という語は、歴史の単語ではない。敗戦、内戦、革命、粛清、配給、冷戦、赤、崩壊。そういう巨大な記憶の塊を引き連れている。人々は厳密に知っているわけではない。それでも、その名前が穏当でないことだけは分かる。新しい国が、自分からそんな名を被る。なら、その国はたぶん、まともな国家ではない。


 京太郎は、倉庫の休憩室でその報道を見た。


 誰かが笑っていた。

 誰かが「いいじゃん、上の連中が震えるなら」と言った。

 別の誰かは黙っていた。


 京太郎は笑えなかった。彼にはもう、名前の悪趣味さをネタとして消費する余裕がない。第二ソ連という名は、彼にとっては、ただ自分を落とした国家が、さらに戻れないところまで行くのだという宣告に等しかった。昔の彼なら、そういうニュースを「物騒だな」で済ませていたかもしれない。今は違う。国号は遠くの政治ではなく、自分の配給票と労働割当と居住区分に直結している。その恐怖を、彼はもう知っていた。


 韓国では、反応は爆発的だった。


 維新軍政府は、日本接近を「共同主導」と言い換え、統合を「新秩序」と言い換え、従属ではないと言い張ってきた。だが第二ソ連という名は、その言い換えの努力を一発で踏み潰すだけの暴力を持っていた。ソウルの市街では、その語が一晩でミームになり、翌日には政治的な裂け目になった。


 「やっぱり四谷は狂ってた」

 「いや、狂ってるからいいんだろ」

 「韓国をソ連の二号機にするのか」

 「むしろアメリカの属国よりマシだ」

 「日本に食われるぞ」


 若者たちは、恐怖と興奮を同時に示した。そこが危険だった。第二ソ連という名は、穏当な支持を集めるための名前ではない。世界と自国の双方に対して、「ここから先は普通ではない」と宣告するための名前だ。だから嫌悪も熱狂も、同時に起こる。とくにユギオ動乱を支持した層の一部は、その語の中に、自分たちがずっと欲してきた過激主義を見た。まともな国名ではない。だからこそよい。そう感じる若者は、確実にいた。


 その一方で、民族主義者たちはほとんど発狂した。


 「韓国革命をロシアの亡霊へ売るな」

 「日本の妄想へ国名まで奪われるのか」

 「こんなものは屈辱だ」


 デモは起きた。小規模だが、明らかに怒気が強かった。だが維新軍政府は、その怒りさえ利用した。国営放送は翌晩、「新国家国号に関する悪質な流言飛語に注意」と報じつつ、同時に、旧民族主義の狭さでは東アジアの生存は守れない、という論評を流した。否定しながら否定しない。これもまた肯定の一種だった。


 台湾では、反応はもっと陰湿だった。


 台北の知識人層は、第二ソ連という語にまず侮蔑を示した。下品だ。歴史的洗練がない。孫文の革命伝統を踏みにじっている。そういう言い方だ。だがその侮蔑の中に、隠しきれない不安が混じっていた。中華民国改新政府は、ついにそこまで飲んだのか。国民党的な正統性を捨てて、そんな凶悪な看板の下へ入るつもりなのか。もしそうなら、もはやこの国は「中国の正統」でいることより、東アジアの革命軍事国家の一部になることを選んだのではないか。そういう疑念が、台湾の保守派を震え上がらせた。


 だが若い技術者層や一部の学生は、別の意味でざわついた。


 第二ソ連。

 その名は不快だ。

 だが、今の時代にそこまで言い切る国家が、本当に現れるのか。

 もし現れるなら、自分たちはその内部でどこへ置かれるのか。


 嫌悪と同時に、引力が働く。

 名が悪いほど、運命を感じる人間がいる。

 革命国家とは、だいたいそういう連中によって支えられる。


 そして敵国は、もっと露骨に震えた。


 北京では、外務省が最初に報道を「根拠なき誇張」と呼んだ。国営メディアは、第二ソ連説を西側と日本軍部が結託して流す心理戦だと片付けた。だが軍と国家安全部門は、片付けなかった。彼らはその語を、そのまま脅威評価文書の表題へ入れた。


 「仮称『第二ソ連』体制の対中戦略的含意」


 仮称、と付けたところで意味は薄い。文書に載せた瞬間、敵はもう半分現実だ。会議室でその紙を見た幹部たちは、みな同じ不快を覚えた。ソ連。あまりにも古く、あまりにも重い名前である。だが古いからこそ、逆に効く。中国共産党は、長く自分たちを革命の継承者として位置づけてきた。そこへ東アジアの隣国群が、より剥き出しで、より軍事的で、より露骨な革命国家を名乗る。しかも「第二」と来る。これは単なる国号ではない。もはや中国への思想的戦争だった。


 ある老幹部が吐き捨てた。


「連中は世界革命の死体を掘り返したいらしい」


 若い将官が低く言う。


「問題は、若者がその死体を新しいものだと思うかもしれない点です」


 その通りだった。中国の若者は、もはやソ連を自分の失敗としては記憶していない。遠い失敗だ。だからこそ、第二ソ連という語は、新鮮な毒として入り得る。北京が本当に震えたのは、軍事的脅威だけではない。自国の青年層の一部が、その名に不気味な魅力を感じ始める可能性だった。


 モスクワでも、この漏洩は嫌な顔で受け止められた。


 ロシア連邦は旧ソ連の継承国家を自認しながら、その実、革命国家の看板などとっくに捨てて久しい。軍閥化と内戦を経たこの世界のロシアにとって、ソ連の記憶は誇りというより、破断した帝国の傷だ。その傷を、東の狂った軍政国家群が勝手に「第二」と名乗って再利用する。これもまた侮辱だった。外務官僚は無礼だと怒り、軍人は不快な沈黙を守り、情報機関は項目を一つ増やした。


 アメリカの反応は、また別の意味で深刻だった。


 ワシントンの政策コミュニティは、最初この名前をあまりに下品だとして笑った。だが数日もすると、笑いは止んだ。なぜなら、そういう名前を本当に採る国家は、こちらが想定している抑止や交渉の枠外へ踏み出してくる可能性が高いからだ。第二ソ連とは、過去の再現ではない。むしろ過去の恐怖を、自分からブランド化して利用する国家だ。そういうものは、従来の意味での国際承認や投資安心感を最初から主要目的にしていない。つまり経済制裁や外交的孤立が、どこまで効くか怪しい。そこが怖かった。


 そして一番深く震えたのは、たぶん世論そのものだった。


 各国の大衆は、軍事戦略や思想史を知らない。

 だが国号だけは分かる。

 名前は、国家の人格だからだ。


 第二ソ連という名が漏れた瞬間、人々は初めて、新しく生まれようとしているものが、自分たちを守るための普通の連合体ではなく、もっと巨大で、もっと粗暴で、もっと歴史へ噛みつく種類の国家かもしれないと感づいた。


 日本では、「まさか」という不安が広がった。

 韓国では、「そこまで行くのか」という興奮と恐怖が割れた。

 台湾では、「本当に戻れなくなる」という不快な予感が走った。

 中国では、「隣で革命の名が再武装された」という政治的悪寒が生まれた。

 米露では、「常識の外にある国家が東アジアで成立するかもしれない」という戦略的寒気が広がった。


 まだ公式発表はない。

 だが、もう十分だった。


 国家とは、しばしば発表される前に、人々の恐怖の中で先に成立する。

 第二ソ連は、そういう形でまず生まれ始めていた。


 十二月末、福岡の街にはまだ正月飾りが出始めた程度だった。普通の商店は普通の年越しを装い、配給所には列があり、駅前には風が吹き、港のクレーンは鈍く軋んでいた。だがその町の奥で、まだ公表されていない国号が、既に諸外国の報告書や市井の雑談や若者のミームの中で歩き始めている。そういう状態は、不気味だった。世界はまだそれを正式には知らない。知らないが、もう半分は知っている。


 名前だけが先に漏れ、世論と敵国が先に震える。

 それは国家誕生の前兆としては、かなり出来の悪い部類に入る。

 だが四谷にとっては、むしろ理想に近かった。


 好かれて生まれる国家など、どうせ弱い。

 先に嫌われ、先に恐れられ、先に「そんなものが本当にできるのか」と世界に言わせる方がよい。

 そういう悪趣味な信念が、とうとう現実へなり始めていた。


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