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来たるべき破滅のために  作者: Barkley
第四章 勃興
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隣で始まった社会主義

 中国は、長いこと、自分たちが社会主義国家であると口では言い続けてきた。


 言い続けてきたが、その言葉が現実のどこに残っているのかを、いちばんよく知っていたのもまた中国自身だった。口よりも国体の方が正直だからだ。

 巨大な官僚制。党の支配。監視。統制。国有企業。計画。そういう外形はある。だが都市には不動産投機があり、農村には置き去りがあり、大学には競争があり、若者には就職難があり、富裕層は国外へ資産を逃がし、地方政府は借金で膨れ、幹部の子弟は海外へ留学する。人民共和国は依然として人民共和国を名乗っていたが、その内部を動かしているのは、革命の記憶ではなく、もっと鈍く、もっと俗悪な上昇と保身の欲望だった。


 だからこそ、隣国たちが本物の社会主義めいたものを始めたことに、中国は深く苛立った。


 北京の反応は、公的には単純だった。


 日本の軍政。

 韓国の維新軍政府。

 中華民国改新政府。

 そしてその三者が進める東アジア再編と社会主義的統制。


 これを中国政府は、反動的軍事国家群による偽装社会主義だと批判した。人民日報は、「軍国主義と社会平等の語彙を混ぜ合わせた危険な詐術」と書いた。政府系の論客は、四谷を「アジア版の狂信的歴史修正主義者」に仕立て、韓国と台湾をそれに引きずられた地域的不安定化要因として叩いた。外務省報道官は、東アジアの平和と発展を損なうとして強く懸念を表明した。


 どれも予定通りの反応だった。

 だが内部は、まるで別だった。


 中南海で最初に共有された内部報告の表題は、乾いたものだった。


 「日本・韓国・台湾における急進的国家統制と青年動員の思想的波及可能性について」


 その文書の不快さは、分析対象そのものではなかった。

 分析の仕方にあった。


 報告は、四谷の社会主義を笑っていない。

 むしろ慎重に読んでいた。


 なぜ彼の言葉が、あれほど露骨に軍事的で、あれほど血に濡れているのに、若年層へ届き始めているのか。なぜ旧財界人の公開糾弾や資産没収が、恐怖であると同時に一種の快感として受け取られているのか。なぜ「人民」「配分」「寄生者」という古びた語が、再び新しさを持ち始めているのか。そこが細かく分析されていた。


 答えは、誰にとっても愉快ではなかった。


 中国共産党は長く、革命の正統を独占してきた。

 だがいまや中国の若者にとって「社会主義」は、国家公務員試験の面接で言う綺麗事か、教科書の巻末に出てくる死んだ用語に近づいていた。

 共同富裕は宣伝される。

 だが実感はない。

 搾取は否定される。

 だが残業と失業はある。

 人民は主役だと言われる。

 だが人民はローンと家賃と内定取消に追われている。


 そこへ隣国で、本当に富裕層が壇上へ引きずり出され、本当に資産が没収され、本当に工場と港が国家へ組み込まれ、本当に「寄生者」が処刑され始めた。しかもそれが、資本主義の護衛者であったはずの日本から始まった。これは中国にとって思想的な侮辱だった。自分たちが空洞化させた革命語彙を、隣の軍事国家が、もっと苛烈で、もっと剥き出しな形で再武装し始めたのである。


 ある政治局常務委員は、内部会議で露骨に苛立った。


「連中は社会主義ではない」


 誰もそれ自体には反対しなかった。

 だが問題は、その次だった。


「しかし」


 国家安全部門の幹部が低く言った。


「そう主張するだけでは足りません。青年層は、理論の正統性より、誰が本当に上層を殴っているかを見ています」


 その一言で、部屋が静かになった。


 中国の支配層は、民衆の思想を軽蔑しつつ、同時に異常なほど恐れている。とくに若者の思想はそうだ。なぜなら若者は、国家の未来ではなく、国家の可燃物だからである。彼らが出世競争へ乗っているあいだはいい。試験を受け、内定を追い、住宅の頭金を貯め、結婚に怯えながらも親の期待へ従っているあいだはいい。だがその回路が詰まり始めると、若者は急に国家にとって不気味な存在になる。無職、非婚、寝そべり、失業、大卒配達員、試験浪人、動画サイトの政治的ミーム。そういうものは、中国の都市に既に十分蓄積していた。


 四谷の思想は、そこへ直接届く構造を持っていた。


 もちろん中国国内で「レーニン=孫文主義」や「史的報復主義」という語が、そのまま流通したわけではない。そんなに素直ではない。言葉はいつも崩れる。誤読される。だが誤読された思想ほど広がりやすいことがある。


 日本で金持ちを吊るしたらしい。

 韓国で若い将校が国をひっくり返したらしい。

 台湾で技術者まで国家動員されているらしい。

 しかもそれを「人民」と「歴史」の名でやっているらしい。


 その断片だけで十分だった。


 北京の大学では、表向きは何も起きていないことになっていた。キャンパスは静かで、党支部は機能し、就職説明会は行われ、掲示板にはいつものスローガンが貼られている。だが学生寮の夜は、そんなに静かではない。VPNの向こう側から切り取られた動画、翻訳の怪しい演説文、論壇の断片、処刑の映像、糾弾会の音声、東アジア共同体とやらを論じる長文投稿。そういうものが、小さなグループの中で回り始めていた。


 最初は冗談だった。


 「見ろよ、日本が先に本物の共産主義やってるぞ」

 「人民共和国より人民っぽいじゃないか」

 「上級国民を本当に吊るしてて笑う」

 「うちもやれ」


 そういう言い方から始まる。

 中国の若者は、真面目な思想より先に、だいたいミームで政治へ触れる。

 だがミームは、時に思想の入口になる。


 上海では、不動産不況で内定を失った建築学科の学生たちが、半ば冗談で「共同住宅配分モデル」の比較表を作り始めた。もちろん最初は日本と韓国を馬鹿にするつもりだった。だが比較してみると、自国の住宅市場の方がよほど絶望的であることが、数字で見えてしまう。そこから笑いが止まり、会話が変わる。


 「もし本当に上の連中の家を接収したら、何人住めると思う」

 「いや、問題は住宅だけじゃない。就職もだ」

 「結局この国は、社会主義主義市場経済って言いながら競争だけ残してるんじゃないか」

 「じゃあ、隣の連中の方がまだ一貫してる」


 それは四谷の思想を正確に理解した結果ではない。

 だが彼の思想が芽吹くとき、最初から正確である必要はない。

 重要なのは、既存秩序への不快と、暴力的な再配分への想像力が、同じ若者の中で結びつき始めることだ。


 広州の物流倉庫では、別の回路で似たことが起きた。


 配送、荷役、夜勤。

 低賃金。

 住宅の遠さ。

 昇進のなさ。

 党のスローガンと現場の乖離。


 そういう環境では、思想は論文としてではなく、悪口として育つ。


 「党は人民のためとか言うけど、人民って誰だよ」

 「上のやつらだろ」

 「日本じゃ金持ちを引きずり出してるのに、うちは引きずり出されるの俺らだけじゃん」

 「こっちも一回やり直した方がよくない?」


 やり直す。

 その言葉が危険だった。

 中国共産党が最も嫌うのは、自由主義より、しばしば「第二の革命」である。

 なぜなら自由主義は外から来る。なんとかできる。外から来るものはシャットアウトしやすいからだ。

 第二の革命は内側から生える。密閉され、湿った暗い部屋からカビを根絶するのは難しい。


 四谷の思想は、まさにその「内側からの再革命」の種として作用し始めた。

 日本の軍政が本当に社会主義なのか。

 韓国や台湾がどこまで本気なのか。

 そんなことは、若者にとって二の次だった。

 重要なのは、隣国では既存の上層が殴られ、国家が再編され、歴史が再開しているように見えることだった。

 中国だけが、巨大で、疲れていて、説明ばかり上手く、そして何も本当には変えない。

 その認識が、毒のように広がった。


 内戦は、いきなり銃声の形では来ない。


 先に、言葉の秩序が割れる。


 中国の官製言語では、「成長」が最上位に置かれている。発展。調和。秩序。中華民族の偉大な復興。だが、そのどれもが若者の中で急速に空洞化していた。代わりに、別の語が地下で出回り始める。


 浄化。

 やり直し。

 第二革命。

 人民の再武装。

 寄生者の清算。

 南から来る真実。


 これらは、まだ政党綱領ではない。

 ただの危険な囁きにすぎない。

 だが内戦の前夜とは、だいたいそういうものだ。

 誰もまだ軍を持たない。

 誰もまだ旗を決めていない。

 それでも、既存国家の言葉ではもう自分の苛立ちを表現できなくなった若者たちが、別の語を探し始める。

 その時点で、国家の内部には既に戦線が引かれ始めている。


 中国政府は、それを当然察知した。


 サイバー監視は強化され、大学の討論会は締められ、寮の党支部には「境外極端思想への注意」が回り、SNSでは「日本式軍事偽社会主義」を笑う投稿だけが妙に増えた。つまり、恐れているということだった。恐れているがゆえに、先回りして笑いものにする。だが国家が本当に恐れているときの嘲笑ほど、たいてい薄っぺらい。


 ある地方党委員会の非公開会議で、若い幹部が思わず本音を漏らした。


「もし学生と失業青年が、あの語彙を本気で使い始めたらどうなります」


 年長の幹部は即答しなかった。

 答えたくなかったのだ。

 だが沈黙は、ときに答えより雄弁である。


 どうなるか。

 分かっていた。

 都市ごとに違う旗が立ち、地方党組織は割れ、軍は忠誠を選び直し、沿海の富裕都市と内陸の疲弊地帯で別々の革命が始まり、人民共和国は再び、その自称する革命の名のもとで、自分自身へ噛みつくかもしれない。


 つまり内戦である。


 まだその日は来ていない。

 だが二〇三〇年の秋、中国の若者の心の中には、既に小さな内戦が始まっていた。


 親の期待に従うか。国家の言葉を信じるか。

 寝そべり続けるか。逃げるか。

 それとも本当に一度、全部ひっくり返す想像をしてしまうか。


 四谷賢一は、その全てを直接見てはいなかった。

 だが彼の思想は、もう国境を越えていた。

 正確な教義としてではない。

 むしろ不正確で、雑で、危険な欲望の形で。


 中国の青年たちは、まだ彼の名を口にしない。

 口にしたところで、半分は罵倒だろう。

 だが罵倒と憧憬は、時に驚くほど近い。


 隣国たちが本物の社会主義をやり始めた。

 少なくとも、そう見える。

 しかも金持ちを吊るし、国家を作り替え、若者へ役割を与えている。

 それに比べて自分たちの国は何だ。

 党はある。

 旗もある。

 革命の歴史もある。

 なのに、今を生きる若者には、ただ競争と失業と監視しかない。


 その比較が、一度でも心へ入れば、もう元には戻りにくい。


 内戦の火種は、しばしば武器庫ではなく、比較の中から生まれる。


 人民共和国の若者たちは、この秋、初めて自分たちの国を、革命国家としてではなく、革命を忘れた巨大な老衰国家として見始めていた。


 その視線の先に、血と配給と処刑と再編の匂いをまとった隣国たちがある。


 それだけで、十分に不吉だった。


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