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来たるべき破滅のために  作者: Barkley
第四章 勃興
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東方統合参謀研究会

 何よりも先に、参謀を先に作るべきだ。


 その発想は、あまりにも四谷らしかった。


 六月会議の十日後、福岡近郊の旧自衛軍施設の一角で、「東方統合参謀研究会」の第一回会合が、極秘裏に開かれた。表向きには研究会である。実際には、それは将来の共同参謀機関の胚だった。国号も憲法もない段階で参謀本部だけが先に作られる。普通の国家形成なら順序が逆だ。だが四谷は、むしろ逆であることを好んだ。政治の美辞麗句より先に、軍事の骨を作る。骨ができれば、あとの肉はどうとでもなる。


 会場は派手さと無縁だった。古い庁舎、低い天井、磨耗した床、蛍光灯の白い光。そこに日本、韓国、中華民国の将校と文官が、合わせて四十名ほど集められた。多くは佐官級か、その補佐に付く実務者だった。参謀組織の初期はそれでいい。大人物だけ集めても会議は演技になる。必要なのは、手を動かし、図を引き、表を作り、相手の教範の嫌な癖を記憶できる種類の人間だった。


 壁面には巨大な地図が三枚あった。


 東アジア全域。

 西太平洋の海上交通路。

 そして、南極を含む南半球まで延ばされた全地球図。


 誰も南極に言及しなかったが、その存在だけで、この研究会が単なる対中・対北の枠を越えていることは明白だった。EDFの登場以後、戦略地図はもはや東アジアだけで完結しない。世界全体が戦域へ繋がり始めていた。


 初日の議題は単純で、そして危険だった。


 「三国を一個の戦域として扱う場合の前提条件」


 そこには夢も理想もなかった。あるのは輸送日数、滑走路長、燃料消費、補修能力、指揮系統の遅延、兵器規格の不一致、暗号通信の断絶、法的権限の曖昧さ。国家間統合の第一歩とは、要するに、互いの面倒くささを数値で見ることに他ならない。


 日本側の海将補が言った。


「最初に確認しておきたい。いまこの場で求めるのは友好ではない。作戦上の現実だ。感情論を入れる者は外へ出ていってほしいというのが、率直な意見だ」


 韓国側の准将が即座に返した。


「結構だ。こちらも感傷でここへ来たつもりはない」


 台湾側の空軍大佐は、それを横目で見ながら資料を開き、乾いた声で言った。


「では現実から始めましょう。現実とは、我々三国の防空システムが現時点では一個の敵航空群に対して一斉に機能しないという事実です」


 そこから始まった議論は、醜かった。


 周波数帯が合わない。IFFの互換性がない。弾薬規格が違う。洋上補給の教範が違う。統合作戦時の決裁権限はどうするか。どの国の将官が優先順位を持つのか。同じ「緊急展開」でも、日韓台で意味がずれる。


 国家が違うのだから当然である。だが当然で済ませれば研究会の意味がない。四谷はわざと、その当然を嫌なほど可視化させた。互いに何が違うかを、まず徹底的に自覚させる。違いが多いほど、人は逆に統一された枠組みの必要を認めやすくなる。


 二日目には、研究会はさらに踏み込んだ。


 『共同防空調整班』

 『海上交通路保全班』

 『産業・兵站再配置班』

 『対EDF分析班』

 『緊急時政治・法制班』


 班の名前だけ見れば、まだ研究会の範囲内に見える。だが各班へ与えられた課題は、ほとんど参謀本部の仕事だった。どこに予備燃料を置くか。どの港を第一優先で守るか。重要技術者をどの順で移送するか。共同作戦時に首脳会議の承認をどこまで省略するか。ひどく現実的で、ひどく危険な議題ばかりだった。


 最も嫌な議論は、統帥の問題で起きた。


「統合司令部を置くなら、最高指揮官は誰だ」


 韓国側が先に切り込んだ。質問は当然だった。共同参謀機関を本当に作るなら、最終的にはそこへぶつかる。


 日本側はすぐには答えなかった。答えられなかったというべきだった。この問題は技術ではなく権力だからだ。


 しばらく沈黙が続いたあと、四谷が初めて口を出した。


「名前から決める必要はない」


「しかし権限系統は必要だ」と台湾側の文官が言う。


「必要です。だからこそ段階を分ける。平時は共同参謀研究機関。有事の前段では統合調整本部。戦時のみ最高統帥権を集中する。誰が持つかは、そのときの戦域と兵力提供比率で決めればいい」


 韓国側の准将は眉を寄せた。


「可変式ですか」


「国家が未成立なのだから当然だ」と四谷は言った。「いま必要なのは永遠の憲法ではない。最初の戦争に勝つための可動構造だ」


 その一言で、部屋の空気が少しだけ変わった。


 最初の戦争。


 誰も口にはしなかったが、この研究会の参加者は、その語の中身をそれぞれ想像していた。EDFか。中国か。米軍の撤退後に生じる空白か。あるいは、もっと複合的な崩壊か。敵は定まっていなくても、敵が来ることだけは半ば前提になっている。そういう組織は、もうただの研究会ではない。


 会合の最終日、研究会は一枚の内部文書を採択した。


 表題は地味だった。

 「東アジア危機対応における三国統合運用準備の基本的な考え方」


 文面はさらに地味だった。

 相互接続性の向上。共同状況図の作成。危機時の指揮支援。兵站資源の融通。統合教範研究の継続。


 だが、その最後に一文だけ、異様に重い表現が入った。


 『三国は、個別国家の枠を超えた統合的戦域構想のもとに、将来の共同参謀機関設置を視野へ入れる』


 視野へ入れる。


 いつもの政治語だった。

 だがここでは、その政治語が実際に骨を持ち始めていた。


 研究会が終わった夜、四谷は神代と二人で、薄暗い廊下を歩いていた。


「名前にしては、だいぶ踏み込んだ文になりましたね」と神代が言った。


「名前は地味でいい」と四谷は答えた。「派手な名前は反対を育てる。地味な名前の方が、気づいたときには本物になっている」


「反対者は増えますよ」


「増えればいい」


 四谷は足を止めなかった。


「官僚は遅らせる。民族主義者は叫ぶ。論壇は危険だと書く。結構なことだ。つまり連中も、これが本気だと理解し始めている」


 彼にとって反対とは、失敗の兆候ではなかった。むしろ進行の確認だった。まだ存在しない国家が、初めて現実へ影を落とし始めた以上、当然そこには影を嫌う者も現れる。その両方が揃って初めて、構想は妄想を卒業する。


 六月が終わるころには、日本、韓国、中華民国の内部で、それぞれ別の人間が、同じ不快な実感を抱き始めていた。


 反対する者は、反対すべき対象が少しずつ大きくなっていると感じた。

 参加する者は、もう後戻りしにくい段階へ入ったと感じた。

 そして傍観していた国民は、何だか分からないまま、三つの国を別々に想像しづらくなり始めていた。


 国家はまだない。


 だがその不在は、もはや空白ではなく、準備の形を取り始めていた。


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