実戦対抗勢力
東アジアでは、その報せは「衝撃」として受け止められたのではなかった。
もっと不快な形で受け止められた。
先に見せられた、という感覚だった。
オーストラリアが落ち、南アフリカが立っている意味を失い、アルゼンチンが南から食い破られていく映像は、東京でもソウルでも台北でも、ただの海外ニュースとしては処理されなかった。そこに映っていたのは、既存の国際秩序が壊れていく光景であると同時に、自分たちがこれからやろうとしていることの、別の完成形でもあったからだ。しかも、より剥き出しで、より大規模で、より容赦のない完成形だった。
四谷賢一は、最初の統合報告を最後まで黙って読んだ。
執務室には誰も余計なことを言わなかった。壁際の地図、並んだ端末、海上交通路の表示、英語の速報、日本語に訳された交信断片、撃沈艦のシルエット。どれも現実離れしているのに、数字だけは嫌に具体的だった。撃墜。沈没。通信途絶。制圧。各国軍の後退。米英救援軍の損害見積もり。世界最上位の軍隊が、相手の正体を定義し終える前に殴り倒されていた。
四谷は報告書を机へ置き、ようやく口を開いた。
「国家を持たない連中が、国家より先に現代総力戦を完成させた」
神代は何も答えなかった。答えられなかったというべきだった。四谷の声には、恐怖よりも、むしろ苛立ちに近いものが混じっていたからである。
彼はEDFを侮らなかった。最初からしていない。破滅加速主義という語の内部にある毒を、四谷は他の誰よりよく理解していた。世界を憎悪し、既存秩序を焼き払い、その廃墟の上に別の人間を立ち上がらせる。その論理の運びは、自分の思想と近い。近いからこそ、彼にははっきり分かる。あれは同類だ。だが、同類であることは安心の理由にはならない。むしろ逆だ。共通点が多い相手ほど、差異は殺意になる。
四谷が求めているのは、破滅のあとに建つ国家だった。世界革命を僭称し、歴史的報復を制度へ変え、軍と官僚制と教育を通じて恒久化される秩序だった。だがEDFは違う。あれは国家という形式そのものに、最後まで忠誠を持たない。国家を使うことはあっても、国家へ住むつもりがない。そこが気に食わなかった。破壊だけで満足する手合いは、権力の重みを引き受けない。そのくせ、破壊の規模だけは世界最大級になる。四谷にとって、それは思想的な侮辱に近かった。後に両者のあいだに同族嫌悪が育つのは自然なことだったが、その芽はこの時点でも既にあった。
「前倒ししろ」
四谷は地図から目を離さずに言った。
「何を、でしょうか」と神代が尋ねた。
「全部だ。軍の統合作業、教範の共通化、対外宣伝、産業動員、海運統制、士官交流。建国日が紙の上で決まっているだけでは遅い。国家は名称より先に骨格で存在しなければならない」
その判断は、半ば理性的で、半ば嫉妬だった。
南半球で起きたことは、四谷に二つのことを同時に悟らせた。ひとつは、米英ですら既存秩序を守れないということ。もうひとつは、守れない世界では、より速く、より大きく、より露悪的に国家化した者が勝つということだった。EDFは国家ではない。だからこそ四谷は、逆に自分の側が一日でも早く「まだ存在しない超国家」を実体化しなければならないと理解した。福岡で決めた建国日は、もはや儀式の日取りでしかない。本体はそれ以前に作らねばならない。彼はそう考えた。
ソウルでは、反応はもう少し分裂していた。
大韓民国維新軍政府の若い将校たちは、最初の映像を見たとき、半ば熱に浮かされたような興奮を隠せなかった。英語圏の海軍が沈み、オーストラリアが崩れ、アングロサクソンの海上秩序が南から切り裂かれていく。その光景は、彼らの世代に染みついた敗北感や窒息感を、乱暴な形で慰撫した。努力しても報われず、受験と就職と兵役と住宅価格の奴隷として老いていくしかないという感覚。それを永久に破壊してくれる何かが、海の向こうから現れたように見えた。
ユギオ動乱を支持した韓国の若年層には、既にその種の心理があった。既存社会の徹底的かつ永久完全な破壊への期待。それがあの政変を支えた一因でもあった。
だが維新軍政府の上層部は、もう少し冷たかった。
彼らはEDFに喝采したのではない。警戒した。
革命政権にとって最も危険なのは、旧体制の残党だけではない。自分たちより徹底した革命が外から現れ、自国の若者たちの憧れを奪うことだ。韓国の新政権は、親四谷的ではあったが、別に自殺願望の集団ではない。権力を取った以上、税も取らねばならず、兵も維持せねばならず、治安も管理せねばならない。国家の破壊を叫ぶのは簡単だが、実際に権力を握った人間は、翌日の配電や配給に責任を持たされる。そこにEDFとの決定的な差があった。
青瓦台を接収した政庁の会議室で、ある若い准将が吐き捨てるように言った。
「連中は革命ではない。災害だ」
別の将校はそれに反発した。
「しかし英米を叩きのめした。あれを見た若者は、我々の漸進的な再編など待てなくなります」
「だからこそだ。国家なき破壊へ酔わせるな。あれを羨望の対象にした瞬間、我々の軍政は自分で自分の土台を食う」
韓国政府はその日のうちに対外声明を出した。文言は硬かった。既存国際秩序の無力を批判しつつ、EDFを「反文明的虚無主義の軍事化」と呼び、維新国家はそれとは異なると強調した。つまり、世界秩序の破綻は歓迎するが、世界そのものを灰にするつもりはない、と弁明したのである。その弁明は誰に向けたものか。米国ではない。国連でもない。自国の若者へ向けたものだった。お前たちの欲望は理解する。だが、あの方向へは行かせない。そういう牽制だった。
同時に、韓国軍では日本との統合作戦研究が一気に前倒しされた。対北ではない。対EDFでもない。もっと抽象的な意味での国家生存計画として、である。世界の海が米英によって守られないのなら、自分たちで守るしかない。あるいは奪うしかない。維新軍政府はそこで、さらに四谷への依存を深めていった。
台北の反応は、韓国とは別のねじれ方をした。
中華民国改新政府の幹部たちは、南半球の崩壊を見てまず海図を開いた。港がいくつ落ちたか、航路がどう迂回するか、豪州産資源の流れがどこで詰まるか、米英の艦隊運用が今後どう変わるか。台湾は島であり、島である以上、海上秩序の破綻はただちに抽象ではなくなる。新聞の一面に載る以前に、輸入価格と保険料と動員計画へ跳ね返る。
だが、台北の反応でより根深かったのは思想の側だった。
台湾政変は四谷の影響下にあったが、同時に台湾固有の正統性を捨ててはいなかった。孫中山を国父とし、中国革命の正統を自称するあの政体にとって、国家とはまだ歴史の継承装置である。レーニン=孫文主義が台湾で独特な受容をされたのも、そのためだった。大陸の中共よりも、自分たちこそ革命の本流でありうるという倒錯した優越感が、そこには混じっていた。
だからEDFは、台北にとって魅力より先に不快だった。
国家を継承しない。革命の系譜を語らない。孫文もマルクスも名乗らない。民族も文明も政治形態も、最後には全部焼き払う。そのくせ軍事力だけは超一流で、米英を屠る。そんなものは、台湾の改新政府にとっては匪賊の最終進化形でしかなかった。強すぎる匪賊。正統性を持たないまま世界を揺るがす暴力。それは自分たちが最も嫌うものだった。なぜなら、自分たちは正統性を装うことでしか大陸にも世界にも対抗できないからである。
台北のある会議で、老いた文官が低く言った。
「国家なき革命は、結局、天下を取れぬ」
すると若い軍人が答えた。
「しかし天下を焼くことはできる」
そのやり取りが、この時期の台湾をよく表していた。
改新政府はEDFを嫌悪した。だが同時に、その圧倒的な軍事的現実から目を逸らせなかった。海上交通の再編、資源備蓄、艦艇調達、沿岸防空、対中抑止の再構築。その全てが、南半球の戦争によって前提から書き換えられた。米国は守ってくれないかもしれない。英国はもう海を支配していないかもしれない。その事実は、台湾をいっそう日本と韓国の側へ押しやった。理念ではなく、恐怖によって。
こうして、東京、ソウル、台北は、それぞれ違う言葉で同じものを見た。
四谷は、EDFを「国家を持たぬままここまで来た敵」として見た。
韓国の維新軍政府は、「若者の破壊欲を自分たちから奪いかねない災害」として見た。
台湾の改新政府は、「正統性を踏み越えてくる、国家なき超暴力」として見た。
まだ第二ソ連は存在していなかった。
存在していたのは、三つの別々の政権と、福岡で決められただけの未来の国号と、その未来をいきなり薄く見せてしまうほど巨大な、南から来た敵だけだった。
だが、その夜を境に、三つの政権は同じ結論へ近づいた。
建国を待っている暇はない。
世界の方が、こちらの予定表より先に壊れ始めている。




