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来たるべき破滅のために  作者: Barkley
第四章 勃興
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地球防衛軍

 世界は長いこと、国家ではない武装勢力というものを、せいぜい国家の傷口へ寄生する存在として理解してきた。山岳に潜むゲリラ、都市へ爆弾を持ち込むテロリスト、外から支援される民兵、サイバー空間で悪ふざけの延長みたいな破壊をする連中。そのどれも厄介ではあったが、所詮は国家に対して二次的な存在だった。国家が本気を出せばいずれ潰せる。潰すのに金がかかるだけで、原理的には勝てる。そういう安心が、二十一世紀の先進国にはまだ残っていた。


 地球防衛軍は、その安心そのものを殺しに来た。


 二〇三〇年四月一日。南半球の海と空と陸で、ほとんど同時に始まったものは、もはや反政府勢力や非国家主体の攻撃と呼べる代物ではなかった。オーストラリア北岸に出現した上陸部隊は、密航船から這い出る武装集団ではない。外洋で隊列を整え、欺瞞も潜伏も半ば放棄したまま、堂々と海岸へ押し寄せてくる重装揚陸戦力だった。しかもその背後には、護衛艦隊がいた。航空部隊がいた。軌道上からの支援すら疑われるほど異様な精度で火力調整を行う観測体系があった。国家ではないものが、国家より整った統合作戦を実施していた。


 最初の数時間でオーストラリアが失ったのは、基地でも港でもない。自分たちが相手にしているものを理解するための認識だった。


 海軍は敵艦隊を確認した。だが艦隊と呼ぶにはその運動が奇妙すぎた。各艦は通常の教範から外れた間隔で動き、対艦ミサイルの想定交戦距離へ入る前に、こちらの索敵手段そのものを剥ぎ取っていった。空軍は迎撃に上がった。だが彼らを待っていたのは従来型の制空戦ではない。空の上には、英米が次世代でようやく実用化に触れかけていた種類の指向性エネルギー兵器と、高出力電磁加速砲を航空運用へ無理矢理ねじ込んだような、理屈の悪い兵器体系があった。しかもそれが机上の試作品ではなく、既に編成単位で、教範を持ち、訓練を終えた運用能力として現れていた。


 豪軍の最初の迎撃波は、戦闘の結果としてではなく、戦闘という概念そのものを奪われるかたちで消えた。


 レーダーに映る。照準を取る。撃つ。避ける。敵も撃つ。そういう近代戦の基礎手順が、一方的に破断されたのである。接敵の前段階で電子妨害に潰され、妨害を抜いた機は熱線で翼を裂かれ、さらに後方の指揮管制機が長距離貫徹弾で叩き落とされた。生き残った者の証言はどれも似ていた。敵は速い、ではない。敵は重い、でもない。敵は、こちらが一つの軍隊として成立するために必要な手順を、最初から全部知っていて、その順番通りに壊してきた、というものだった。


 同じころ、南アフリカ沖ではイギリス海軍の機動部隊が、救援と状況偵察を兼ねて南下していた。そこにはまだ、帝国の残り香のような自負があった。海軍力とは秩序であり、秩序ある海軍を持つ国は最後まで世界の中心に留まる、という古い幻想である。地球防衛軍は、その幻想もまとめて沈めた。


 最初に沈んだのは前衛の駆逐艦だった。何に撃たれたのか、最後まで確定しなかった。ただ、通常の対艦ミサイルのような接近経路も、魚雷のような航跡も、砲撃のような弾着観測もなかった。艦の中央部が内側から捩じ切れたように崩れ、数秒遅れて弾薬庫が誘爆した。その後、僚艦が対処運動へ入るより早く、二隻目、三隻目が同じように裂けた。後に分析した米軍技術者は、極超高速の運動体を複合誘導で終末補正し、水面すれすれではなく、むしろ艦の防御思想が最も薄い角度から叩き込んだ可能性を指摘した。だが、分析は後からなら何とでも言える。現場で起きたことは単純だった。英海軍は、自分たちがまだ仮想敵としてすら十分想定していない兵器によって、一個艦隊としての形を失った。


 アメリカ軍も同じだった。


 彼らはより強大で、より経験もあり、より傲慢だった。だからなおさら敗北は深かった。米軍は南半球へ増援を送り込むにあたり、相手を「極端に高度化した非国家軍事組織」と評価した。半分は当たっていた。半分は致命的に外れていた。非国家であることは事実だ。だが高度化という言い方では足りない。EDFは、国家が兵器開発に要する長い時間を、どこかでまとめて短絡したような存在だった。研究、試験、採用、編成、訓練、実戦投入。その重たい順序を無視して、最初から完成品だけが前線へ出てきたかのようだった。


 南インド洋で米軍の長距離打撃群が接敵したとき、彼らは自分たちが主導権を握るつもりでいた。早期警戒。遠距離からの飽和攻撃。ネットワーク化された迎撃。いつものやり方だ。だが主導権を握っていたのは最初からEDFの方だった。米側がまだ敵を「どう料理するか」と考えていた段階で、EDFは既に米側の編成思想の急所を選び終えていた。通信中継、空中給油、洋上補給、警戒機、衛星補完リンク。巨大な軍隊は巨大であるがゆえに多くの便利な器官を持つ。そしてその便利さは、強さであると同時に、折られるべき骨でもある。EDFはそれを一本ずつ折った。米軍は局地ではなお強かったが、局地の強さを全体へ変換する手段を奪われた瞬間、巨人のまま溺れた。


 世界が衝撃を受けたのは、敗北そのものではない。


 敗北の仕方だった。


 もし相手が巨大国家なら、人はまだ納得できた。軍拡に失敗した、情報が漏れた、政治が誤った、そういう説明ができる。だが相手は国家ではない。徴兵制度も、議会も、産業統計も、国債市場も、国民経済も、まともな外交使節団すら持たない。軍隊維持のための最低限の行政機構しかない。にもかかわらず、その軍事力だけは、世界最上位の正規軍を正面から叩き潰した。これは単なる軍事的敗北ではなかった。近代国家が長く独占してきた「大規模で高度な暴力は国家にしか運用できない」という前提の崩壊だった。


 そして地球防衛軍は、その崩壊に何の弁明も与えなかった。


 彼らは領土要求を掲げない。民族解放も唱えない。宗教的救済も約束しない。自由も平等も繁栄も言わない。ただ、既存の世界は腐敗しきっており、この文明は滅びるべきであり、その滅亡を早めることこそ歴史への奉仕であると宣言した。彼らにとって戦争は政治の延長ではない。政治そのものを処刑するための手段だった。国家を倒したあとに国家へ成り代わるつもりが薄いからこそ、彼らは国家より苛烈になれた。守るべき有権者も、景気も、議会も、国際世論もない。あるのは破滅加速主義だけだった。価値ある次世代人類を生むために、現在の人類文明の大部分を葬るという、あまりにも明白で、あまりにも妄執的な論理だけがあった。


 だから彼らは強かった。


 国家は、勝つために戦うと同時に、勝ったあとも残らねばならない。地球防衛軍にはその制約が薄い。いや、正確には逆だ。彼らは勝利のあとに残る世界そのものを、最初から今の世界と別物にするつもりでいる。都市が焼けようが、制度が壊れようが、市場が死のうが、彼らにとっては損耗ではない。むしろ目的への接近である。ここに通常の軍隊との決定的な差があった。普通の軍隊は世界を奪うために戦う。EDFは世界を壊した上で、その廃墟から別の世界を発生させるつもりで戦っている。奪取ではない。審判だった。


 四月の終わりまでに、オーストラリアは軍事的に屈服した。南アフリカ政府は統治能力の大半を失い、アルゼンチンでも戦線は北へ押し上げられた。地図の上で南から染みが広がっていく。その光景は、二十世紀以来のどんな戦争とも違って見えた。列強の侵略でもなければ、革命の輸出でもない。文明の南端から、文明そのものを否定する軍勢が這い上がってくる。各国の首都では、ようやくそこで同じ認識が生まれた。


 これはテロではない。

 これは反乱でもない。

 これは「第三世界の混乱」などでは断じてない。

 人類文明そのものに対する、別種の総力戦である。


 その理解が固まった時には、もう遅れていた。


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