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来たるべき破滅のために  作者: Barkley
第四章 勃興
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人民の生活が第一

 最初に変わるのは、国旗でも国名でもない。


 通達の時刻だ。教材の語順だ。荷物の届く順番だ。テレビで「中国」と「地球防衛軍」が同じ段落に入る回数だ。役所の窓口で、昨日まで必要なかった確認欄が一つだけ増えることだ。

 国家というものは、人民の目の前へ完成形で現れる前に、まず生活の細部へ自分の影を流し込む。

 それも、わざと影らしく見えない形で。


 一月の東京は乾いていた。

 晴れている日ほど、街が紙みたいに見える。

 空は高い。

 光はある。

 だが湿り気がなく、ビルの角も信号も人の顔も、何もかも少しだけ薄い。

 そういう冬の朝、神代嶺は教育再編の第一次案に目を通していた。


 文部省の名をまだ使っている。

 使っているが、中身はもう違う。

 国語。公民。現代史。地理。防災教育。

 それらの中へ、それぞれほんの少しだけ別の線が引かれている。

 「東アジア危機共同体」

 「海峡安全保障」

 「生活圏防衛」

 「旧国家主義の限界」

 「若年世代の国家参与」

 児童生徒はこの文章を読んでも、「新国家の準備だ」とは思わない。

 思わないまま、世界の見方だけが少しずつ変わる。

 日本、韓国、台湾という別々の国を、まずは別々の国としてではなく、「一つの危機圏の内部差」に見せる。

 その見方の癖だけを先に植える。

 神代は、それが教育政策ではなく、ほとんど脳の整形だと思った。


 彼は、赤ペンで一つの語を消した。

 「相互扶助」

 この語はまだ早い。

 左翼が喜びすぎるし、右派が勘づく。

 代わりに「相互責任」と書く。

 責任の方がいい。

 温かくない。

 だから国家向きだ。

 彼はそこまで考えてから、ふと自分の手が止まっていることに気づいた。

 いつから自分は、どの単語なら人民が警戒せずに国家の深部へ踏み込まれるか、そういうことを考える人間になったのか。

 考えたところで意味はない。

 止める気もない。

 それでも、人は時々、自分の堕ち方を確認したくなる。


 同じころ、ソウルでは若年国家参与諮問会議の第二期招集名簿が作られていた。


 ナム・テジュンは、紙より先に顔写真を見る。

 二十代後半。

 三十代前半。

 男と女を混ぜる。

 兵役経験者と院卒失業者を混ぜる。

 地方出身とソウル育ちを混ぜる。

 企業正社員は減らし、契約職と自営業崩れを少し増やす。

 要するに、ただ怒っている若者では足りない。

 自分の人生が制度に裏切られた感触を持ちながら、しかしまだ完全には壊れていない人間だけを選ぶ。

 完全に壊れた者は使えない。既に死んでいるか、遠からず内に自らの運命を自ら決するからだ。

 逆に上手くいっている者も使えない。そういう人間は、得てして自己責任論者となっており単に有害でしかない。有害分子は始末する必要があるので、どの道、完全に壊れた者と同じ分類にできる。

 半端に傷つき、半端に理屈を持ち、半端にまだ国家へ期待してしまう人間。

 そういう層が一番扱いやすい。


 ナムは、ある女の写真で手を止めた。

 二十七歳。

 住宅ローン破綻した父の代わりに働き、兄は徴兵で人生をずらし、本人は院を出たのに非正規広報職を転々としている。

 面談記録にはこうあった。

 「軍政は好きではない。でも前の社会が死んでいいとは思っている」

 それで十分だった。

 好きではない。

 だが死んでいい。

 この二つを同時に持てる人間だけが、軍政府のよい人民になれる。

 ナムはそのことを、もはや悪いとも思わなかった。

 国家は好かれる必要はない。

 旧秩序よりまだましだと思わせれば足りる。

 その割り切りが、彼を六月よりさらに先へ進めていた。


 ハンは、その名簿を後から見て、不快を隠せなかった。


「こんな連中は国民の代表ではない」


 彼は言った。

 ナムは答える。


「代表にする必要がないからです」


 それが正しい。

 正しいが、ハンはその正しさが嫌だった。

 若年国家参与諮問会議。

 聞こえはいい。

 だが実態は違う。

 人民の声を聴くのではない。

 新国家に最も都合よく順応する若年層の傷のタイプを抽出し、その言葉だけを制度に流し込む装置だ。

 ハンには、その作業があまりに品のないものに見えた。

 だがナムから見れば、品位のある国家など六月二十五日にもう死んでいる。

 いま必要なのは速度と適応だ。

 それだけだった。


 台北では、もっと静かな変化が始まっていた。


 教育部に近い委員会で、「国父思想と現代安全保障」の補助教材案が回される。

 孫中山先生。

 民族。

 民権。

 民生。

 そこへ「東アジア共同防衛」や「海峡物流秩序」や「共和国の継続性」という言葉が、ごく薄く重ねられていく。

 露骨に新国家を教えない。

 代わりに、今の中華民国が自分だけでは立てないこと、その事実だけを何度も別の単語で見せる。

 台湾の人民は名称に敏感だ。

 なら名称は最後だ。

 だが必要には敏感でもある。

 必要の方から先に囲う。


 林婉如は、その教材案の三ページ目で、紙を閉じた。


 窓の外は曇っている。

 台北の冬は日本ほど乾かない。

 空気にはまだ湿気が残り、建物の角も人の声も、ほんの少しだけ柔らかい。

 その柔らかさが、彼女には時々この島の弱さに見えた。

 中国の圧力。

 日本との接続。

 韓国軍政の粗さ。

 アメリカの信用失墜。

 その全部のあいだで、台湾だけがまだ「自分は何者か」を丁寧に考えていられるほど世界は優しくない。

 それを彼女は理解している。

 理解しているから、こういう教材案へ手を入れる。

 だが手を入れながら、同時に自分が何を薄めているのかも分かっている。

 台湾人が、自分で自分の国名と国家像を考える余地。

 それを少しずつ削っている。

 削っているのは中国ではなく、自分たち自身だ。

 そこが最悪だった。


 許文哲は、彼女のそういう沈黙を見抜いていた。

 見抜いた上で、あえて慰めない。

 慰めれば、仕事が遅くなるからだ。


「国民は、最初に国名へ怒るわけじゃない」


 彼は言った。

 林は顔を上げない。

 聞き飽きた論理だ。

 だが聞き飽きたということは、それだけ頻繁に現実に使われているということでもある。


「最初に怒るのは、仕事、教科書、兵役、物流、物価、そのへんだ」


「分かってる」


「分かってるなら、それを先に取らせないことだ」


 林はそこでようやく彼を見た。

 先に取らせない。

 誰に。

 中国にか。

 アメリカにか。

 日本にか。

 それとも、自分たちが作ろうとしているまだ存在しない国家にか。

 その境界がもう曖昧だった。

 曖昧だと分かっていながら、誰もそこを口にしない。

 口にすれば、もう戻れなくなるからだ。


 日本では、人民の変化はもっと鈍く、もっと危険だった。


 新聞は社説の端で「東アジア危機秩序」という語を使い始める。

 テレビは中国とEDFと海峡と物流を、同じ危機の図として一つのフリップへ並べる。

 高校の公民では「国家主権の再定義」と「生活圏防衛」という単元が増える。

 大学では東アジア共同防衛論の講座が急に予算を得る。

 港では、韓国と台湾向け優先荷役の非公開基準が運用され始める。

 企業は「危機共同市場対応」の名目で、国外部門を整理し、提携先を変える。

 全部が別々に見える。

 別々に見えるようにしてある。

 だが別々のふりをしたものが積み上がると、人の頭の中ではやがて一つの現実になる。

 日本、韓国、台湾は、いずれ一つの危機圏として振る舞うべきなのかもしれない。

 そういう、まだ言葉にならない感触だけが先に広がる。


 三角京太郎は、大学の図書館でその変化に気づいた。


 気づいた、というより、違和感が積み重なりすぎて無視できなくなった。

 政治思想史の講義で、ソ連や冷戦が妙に現在形で語られる。

 メディア論の授業で、韓国維新軍政府と台湾改新政府が「近代国家の未完」に接続される。

 就活支援の掲示板には、軍需・物流・危機管理・港湾政策の合同説明会が急に増える。

 図書館の新着図書に、東アジア共同安全保障や戦時統治論が不自然なほど並ぶ。

 それ自体は一つ一つバラバラだ。

 だが、全部を同じ月に見ると、誰かが後ろで世界の見え方を少しだけ傾けている感じがする。


 京太郎は、その感覚を嫌だと思った。

 だが、その嫌さの奥で、別の自分が静かに納得しているのも感じていた。

 世界はもう前のままじゃない。

 中国も、EDFも、アメリカも、韓国も台湾も、日本も。

 全部ばらばらのニュースとして処理する方がむしろ嘘なのかもしれない。

 そう思い始めた時点で、彼はすでに新しい国家の入り口に片足を入れられている。

 入れられているのに、そのことをまだ「自分で考えた現実感覚」だと思っている。

 国家が人民へ勝つ時というのは、たいていそういう形だ。


 四谷は、その種の変化を数字で見ていた。


 世論調査ではなく、もっと別の数字だ。

 どの語が新聞に増えたか。

 教材改訂の進捗。

 港湾の優先設定率。

 韓国・台湾との非公開共同規格化。

 大学予算の流れ。

 若年層向け諮問会議の満足度。

 人民が何を信じているかそのものより、人民が何を既に日常として受け入れ始めているか。

 その方が国家には重要だった。


 彼は神代へ、短い指示を出した。


「三月中に、構成国という語を使い始めろ」


 神代は顔を上げた。

 少し早い。

 だが遅すぎもしない。

 構成国。

 それは国民国家の終わりを、まだ国民国家の顔をしたまま告げる語だ。


「どこから」


「新聞ではなく、専門家会議と教育から」


 四谷は言う。


「国民は最初、専門語だと思って聞き流す。聞き流した語の方が、あとで国家になる」


 神代は返答せず、メモだけ取った。

 それが恐ろしいほど正しいと分かってしまう自分もまた、ひどく嫌だった。


 国家はまだ存在しない。

 だが韓国では、若年層の傷が再配置され始めている。

 台湾では、中華民国が橋として使われ始めている。

 日本では、東アジア危機共同体の語が学校と港から滲み始めている。

 存在しない国家の都合で、人民の朝と夕方だけが少しずつ変わる。

 それが続けば、やがて人民の方が「もう前のままではない」と言い始める。

 その瞬間が来れば、国名は最後に置いても間に合う。

 間に合うどころか、その方がよく効く。


 まだ存在しない国家が、先に生活を持つ。

 国家の誕生とは、つまるところそういう順番だった。


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