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来たるべき破滅のために  作者: Barkley
第四章 勃興
53/72

国家

 会議が終わったあと、誰もすぐには席を立たなかった。


 立てば終わるからではない。

 むしろ逆で、立った瞬間に、いま決めたことが急に現実へ変わるのが分かっていたからだ。人は重大な決断の直後に安堵するのではない。たいていは数秒だけ、机や紙や冷めた茶の匂いに身体を引き留められる。決断そのものより、その決断が自分の外へ出ていく感覚の方が怖いからだ。


 ハン・ドンギュは、目の前の紙束を見ていた。

 紙束といっても、正式な議事録ではない。あくまで要点整理に過ぎない。公印もない。署名欄もない。だが、その紙切れの中には、韓国の若い兵が六月二十五日に装甲車で切り開いたはずの未来が、いつの間にか別のかたちで折り畳まれていた。


 第二ソビエト社会主義共和国連邦。

 全連邦統裁者。

 統合最高軍事会議。

 指導戦線。

 構成国法統の暫定維持。

 年内準備、翌々年元旦建国。


 語が並ぶ。これがめちゃくちゃな妄想なら、ここで机を叩いて席を蹴れた。だが実際には、妄想の骨組みがあまりに精密に現実と噛み合っている。中国、EDF、アメリカの信用死、韓国単独の脆弱さ、日本の先行、台湾の曖昧な法統、そのどれもがこの狂気を支えている。狂っているのに、現実の支えがある。そこが最も救いがない。


 六月二十五日の明け方、国防部方面へ車列を動かした時、自分は韓国を救う側に立っていると思っていた。少なくとも、そのつもりではあった。老人たちの共和国は終わった。若年層へ兵役と競争と負債だけを押しつける国家は、いったん切られなければならない。その確信は今でも消えていない。だが、その切断の先にあるのが、韓国の再建ではなく、韓国そのものを上位国家の部材へ変える工程だったとしたら。そこまで含めて自分は六月二十五日に同意したのか。ハン・ドンギュには、その問いにだけ答えられなかった。


 ナム・テジュンは、部屋を出る前にハン・ドンギュの横顔をちらりと見た。

 疲れている。

 というより、内部で何かがきしみ始めている。

 それが分かる。

 老軍人の善意の限界だ、と南は思った。善意といっても、国民に対する優しさではない。自分がまだ国家を救済する主体だと思いたい、あの頑固な自己像のことだ。だが今日の会議で、その自己像はかなり削られた。ハンは国家の顔ではあっても、国家の設計者ではない。設計者は別にいる。四谷と、その周囲の神代や榊原のような、言葉と制度を一緒に扱う人間たちだ。その現実を、ハンはついに理解し始めている。


 理解した老人は危ない。

 怒るか、折れるか、そのどちらかへ急に傾くからだ。

 ナムは、だからこそ、この男をまだ必要としていた。完全に折れた老人は役に立たない。だが、まだ怒るだけの誇りが残っているなら、人民に対する表の顔として使える。表の顔には傷が必要だ。自分は本当はここまで来たくなかったのだ、という滲みがある方が、人民は逆に安心する。国家の全面的な狂気より、まだ少しだけ人間らしい躊躇を見せる顔を好むからだ。ナムはそのことまで計算に入れていた。


 郭承憲は、退室したあとも歩幅がうまく定まらなかった。


 廊下は長くない。

 だが、長く感じた。

 理由は分かっている。中華民国という四文字が、歩くたび少しずつ軽くなっていく感じがしたからだ。人は、国家が本当に消える時、その瞬間に爆発音を聞くわけではない。こういうふうに、まだ同じ建物の中にいるのに、自分が守ってきた名前の比重だけが微妙に減っていくのを感じる。郭にとって今日の会議は、まさにそういう時間だった。


 彼は最初、四谷の国号案そのものに反発していた。

 第二ソ連。

 あまりに露骨で、あまりに下品で、あまりに中華民国を橋としてしか見ていない。

 だが議論が進むにつれ、郭が本当に恐れているのは国号ではないと分かった。恐ろしいのは、その国号が十分に生活へ入り込んだ後なら、台湾の人民が結局それを飲まされるかもしれないという現実の方だった。

 港湾管理が統合される。

 海上交通が一体化される。

 防空が接続される。

 教育方針が調整される。

 中国とEDFが共通の外敵として教え込まれる。

 中華民国は「構成共和国」として残る。

 そこまで進んだ時、人々はもはや「第二ソ連」という言葉そのものには全力では怒れない。怒ったところで、自分の生活の大半がすでに新国家の方へ接ぎ直されているからだ。郭は、その順番の冷酷さを理解してしまった。理解してしまったから、国号を机上で拒否しても意味がないと、嫌でも知った。


 許文哲は、自室へ戻る途中で林婉如にだけ短く言った。


「持ち帰れる」

「どこまで」

「体制は持ち帰れる。国名はまだ伏せる」


 林は頷かなかった。

 彼女は郭ほど国家へ感情的ではないが、だからといって冷徹な実務家というわけでもない。台湾の人民を本当に動かすのは理屈ではなく、もっと不規則な傷だと知っている。中華民国を愛しているわけではない。だが、それを勝手に橋扱いされると不快だ。日本へ接続するのが嫌なのではない。台湾がまた、自分で自分を名付ける機会を奪われることが嫌なのだ。だが不快であることと、拒否できることは違う。台湾は単独で中国とEDFと日韓の連結に耐えられない。その現実は、彼女にも否定できない。


「国民は国名を知った時に拒むでしょう」


 林が言うと、許は珍しくすぐには返さなかった。


「知る順番を遅らせる」


 やがて彼はそう言った。


「先に国民へ与えるのは国名じゃない。形式でもない。必要だけだ。必要は怒りより長持ちする」


 林はその言葉に軽い吐き気を覚えた。

 だが、それは間違っていない。

 間違っていないということが一番嫌だった。


 神代嶺は、会議後に四谷へ呼ばれた。


 部屋には榊原もいた。

 いつもの顔ぶれだ。

 この三人が揃うと、国家の設計はたいてい既に人間の感情から半歩外れた場所へ進んでいる。


「どう見た」


 四谷が問う。

 神代は少しだけ考えてから答えた。


「韓国はナムが飲ませます。台湾は郭が妨げても、許と林で我々の線へ戻る。人民の反発は、どちらも名称より体制の実装で鈍らせるしかない」


「日本は」


「一番簡単です」


 自分で言っておきながら、神代はその一文が気に入らなかった。

 簡単。

 人民にとっては単純ではない。

 だが設計者の目から見れば、確かにそうだった。

 日本国民は戦後の反共を理念として持っていない。生活感情として持っている。つまり、社会主義が「貧しくなること」「面倒が増えること」「自由が減ること」と結びつかない限り、思ったほど強くは拒まない。逆に言えば、安全保障と再分配と雇用安定と若年救済の包装を被せれば、相当深いところまで体制の社会主義化を進めても、「これは軍政の延長だ」としか思わない人間が大多数になる。そこがこの国の、奇妙に脆いところだった。口では反共を唱えるが、実際のところ、社会主義政策による恩恵を受ける人間が多すぎる。


 四谷は机上の紙を神代へ滑らせた。

 そこには、三国内部向けの移行措置の線表が引かれていた。


 韓国向け。

 若年世代再配置基本法。

 財閥統制臨時令。

 兵役国家化再編。

 旧政党整理。

 国家参与戦線準備会。


 台湾向け。

 中華民国改新基本章程。

 海峡防衛統合協約。

 港湾・半導体共同管理。

 国父理念再解釈委員会。

 改新政府超国家接続覚書。


 日本向け。

 国家再編非常措置法。

 主要産業統制法。

 戦時雇用・住宅再配置法。

 国民教育総合改編。

 連邦準備指導戦線。


 神代は、その並びを見ながら、自分が何に手を貸しているのかを改めて思い知った。

 これは法ではない。

 国家の骨格そのものを別の生き物へ作り替える工程表だ。

 しかも、それぞれの国へ別の顔をして入っていく。

 韓国には若年国家として。

 台湾には未完の共和国の完成として。

 日本には戦後体制と新自由主義の終末処理として。

 そのどれもが、最後には第二ソ連という同じ出口へ繋がる。


「反発が強いのは最初だけだ」


 四谷が言う。

 神代は、その一文に異様な冷たさを感じた。

 反発。

 つまり人民の怒りや困惑を、時間で摩耗するものとしか見ていない。

 だが実際、設計の側から見ればその通りなのだ。

 港が変わる。

 学校が変わる。

 兵役と雇用と住宅が変わる。

 テレビの言葉が変わる。

 そうすれば、人民は国号を憎みながらも、その国号で生きる訓練を先に終えてしまう。

 四谷はそこまで見ている。

 見ているだけで、何の感慨も持たない。

 それが神代をいちばん疲れさせた。


 韓国では、その直後から微細な調整が始まった。


 ナムはソウルへ戻ると、若年世代再配置の語を少しだけ増やした。

 兵役改革を「連邦標準化」のように聞こえない形で再定義し、財閥統制を「国家生存圏の再設計」と呼び、旧政党の整理を「戦時秩序への移行」として押し込む。

 第二ソ連という名はどこにも出ない。

 だが、体制の中身だけは着々とそちらへ寄っていく。

 ハンはその変化を、もう半ば止められないものとして見ていた。

 彼はまだ、人民へ直接「第二ソ連」の名を持ち込む日を想像すると胃が痛んだ。

 だが、人民がその日までに別の現実へ慣らされるなら、最後に残る反発は管理可能かもしれない。

 その希望のようなものへ、自分でも少しだけ寄りかかっていることが、ひどく嫌だった。


 台湾でも、同じことが起きる。

 ただしもっと遅く、もっと静かに。

 許文哲は「国父理念再解釈」の作業を始め、孫中山を議会制自由主義ではなく、未完の革命国家の創設者として読み替え始める。

 林婉如は、それを人民がそのまま飲むとは思っていない。

 だからこそ教育とメディアの速度を慎重に遅らせる。

 先に国号の暴力を見せれば燃える。

 だが先に港湾・防空・海峡安全保障・共同経済圏の必要だけを見せれば、人は「いまの中華民国だけでは持たないのかもしれない」と先に思い始める。

 そこまで来れば、国号はまだ遠い。

 遠いが、もう完全な異物ではなくなる。


 問題は、新国家の政治体制そのものだった。


 ハン・ドンギュは、やがて必ず四谷の一人権力集中へ反発する。

 郭承憲もまた、中華民国の名が橋として使い潰されるだけでなく、党国家的な上位機構に吸われることへ、本能的な拒絶を持っている。

 ナムと許は、実務上は集権が必要だと分かっている。

 だが、人々へ見せる顔としては、それをむき出しにはできない。

 だから今後の激論は、国名よりむしろそちらへ向かう。

 連邦なのか。

 指導戦線国家なのか。

 一人の統裁者なのか。

 三国均衡の評議制なのか。

 軍統帥権はどこまで一元化されるのか。

 人民代表機関は飾りとして残すのか、それとも本当に切るのか。

 ここで争われるのは制度の細目ではない。

 誰が新国家の「本当の主人」になるのか、その一点だった。


 そして、四谷はそこでも譲らない。

 彼にとって第二ソ連は、世界へ対する仮面であると同時に、自己の権力装置でもあるからだ。

 韓国と台湾は、それを理解しながらも、まだ離脱できない。

 国名の狂気も。

 体制の露骨さも。

 全部見えている。

 見えているのに、それでも「単独では持たない」という現実の方が重い。

 国家は、しばしばそうやって狂気を飲み込む。

 信じたからではない。

 他に生き延びる形がないと知ったからだ。


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