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来たるべき破滅のために  作者: Barkley
第四章 勃興
52/68

受諾

 国名を聞いた時、ハン・ドンギュは疲労を覚えた。


 第二ソビエト社会主義共和国連邦。


 長い。

 下品だ。

 しかも露悪的だった。

 普通の政治家なら、そこへ多少は綺麗な粉を振る。連合だの共同体だの、耳障りの良い言葉で包み、少しでも人々が飲み込みやすい形へ削る。四谷はそれをしない。むしろ逆で、一番嫌な響きをそのまま机の上に置いてみせる。その態度そのものが、ハン・ドンギュにはほとんど侮辱に見えた。韓国人が何を嫌うか、日本と何を共有していないか、そんなことは当然知った上で、それでもあえてこの名を出してくる。つまり相手は、自分たちの感情を考慮した上でなお、それを踏みつける価値があると思っている。


 ハン・ドンギュは反射的に拒絶したかった。

 こんな名前を韓国へ持ち帰れるわけがない。

 六月二十五日以来、自分たちは旧韓国を壊し、老人政治を止め、若年世代の怒りへ国家の言葉を与えてきた。だがそれは、少なくとも表向きは韓国を救うためだった。日本の軍政と台湾の改新政府と合流し、その挙句に「第二ソ連」を名乗るためではない。そこまで露骨な狂気を、国家の顔として認める義務は自分にはない。

 そう言い切れればよかった。


 だが言い切れないのは、自分がもう六月の時点へ戻れないからだった。


 韓国は、すでに壊してしまった。

 旧共和国には戻れない。

 兵役も、雇用も、住宅も、若年層の怨念も、既成政党の腐臭も、全部を一度「前の韓国」として切り離してしまった以上、もう穏当な憲政回復は夢想でしかない。

 それなら次に必要なのは、新しい国家か、少なくとも新しい国家のふりをした何かだ。

 その何かが単独の韓国軍政で足りるのかと問われれば、韓東圭は心の底ではとっくに「足りない」と知っている。

 中国がいる。

 EDFがいる。

 日本が先に国家改造へ入った。

 台湾も続いた。

 韓国だけが一国軍政として立ち尽くせるほど、世界はまだ甘くない。

 そこまで分かっているからこそ、国名だけを理由に立ち去ることができない。


 郭承憲の反応は、ハン・ドンギュとは別の苦さを持っていた。


 彼にとって「ソビエト」は、反共より先に、中華民国の死を早める語だった。

 台湾の改新政府は、辛うじて「中華民国改新」という仮面をかぶることで生きている。孫中山、未完の革命、共和国の再起。そういう語が人民をぎりぎりで繋いでいる。そこへ第二ソ連を持ち込めばどうなるか。台湾の若い将校はまだ飲めるかもしれない。だが国民は違う。親日だの売台だの、そういう単純な反発では済まない。中華民国という国家の名を、結局は橋としてしか使わなかったのか、という種類の裏切りになる。

 郭は、その裏切りを自分の名で引き受けることを想像しただけで、胃の奥が縮んだ。


 会議室の空気は、しばらくの間、本当に重かった。


 ナム・テジュンも許文哲も、すぐには口を開かなかった。

 この二人は、韓東圭や郭承憲よりずっと早く現実へ順応している。

 だからこそ、むしろ最初は黙る。

 最初に怒るのは老人の役だ。

 最初に沈黙するのは、実務を回す側の役目だった。

 四谷はそれを見ている。

 神代も、榊原も見ている。

 誰が感情で動き、誰が最初に計算へ戻るか。

 その配分だけで、その後の国家の形の半分は決まる。


 口火を切ったのは、案の定、ハン・ドンギュだった。


「その名では、我々は保たない」


 それは拒絶であり、悲鳴でもあった。

 ハン・ドンギュはそのことを自覚していない。

 だが南は理解していた。

 この老人は国名に怒っているのではない。

 自分が六月二十五日に起こした政変が、いまや韓国の再建ではなく、もっと巨大で不快な何かの前段だったと突きつけられたことに傷ついているのだ。


 四谷はすぐには答えなかった。

 沈黙は長くない。

 だが、十分だった。

 相手が自分の言葉の重みを口の中で反芻するだけの時間を与え、その後で切る。

 そういう黙り方だった。


「韓国人には最初からその名を与えられる必要はありません」


 静かな声だった。

 怒りを逆撫でするには十分で、同時に現実的でもある一文だった。


 ハンは眉を吊り上げた。


「欺くのか」

「違います」


 四谷は言う。


「先に生活を変える。名は後から追いつく」


 郭承憲は、その言い方にぞっとした。

 生活を変える。

 つまり、人民が自分で考える前に、すでに港と軍と教科書と資本の流れを新国家へ接ぎ替えてしまうということだ。

 それは詐術というより、もっと国家的な暴力だった。

 だがそれが暴力だからといって、実際に機能しないとは限らない。

 むしろ、歴史の大きい転換ほど、たいていそうやって先に生活を変え、後から理念を与える。郭はその事実をよく知っていた。知っているからこそ、嫌悪が強い。


 神代がその時、四谷の補足をする形で口を開いた。


「韓国には国号ではなく、統治原理を先に渡します」


 ハン・ドンギュが神代を見る。

 この男はいつもそうだ。

 直接の残酷さを、行政語へ翻訳してしまう。

 だから余計に始末が悪い。


「どういう意味だ」


「兵役再編、財閥の国家統制、住宅と雇用の調整、旧老人政治の停止、対中・対EDF共同防衛。この五つを先にやる」


 神代は紙も見ずに言った。

 もう頭の中で手順になっているのだ。


「韓国人民は『第二ソ連』へ忠誠を誓う前に、それらを自分たちの生存条件の改善として受け取る。受け取った後で、その体制の正式名称を知る」


 ナムは、その順番を聞きながら、ほんの少しだけ心が軽くなるのを感じた。

 そこだ。

 結局そこしかない。

 国号に賛成させる必要はない。

 国民は国家名を選びはしない。

 生活が少しでも前よりましだと感じ、しかも敵が明確に見え、軍が秩序を維持し、流通と雇用と住宅の方だけが国家の手で動き出せば、人はしだいに「その体制の正式名称」へ適応する。

 ナムは最初からその政治学の側にいた。

 だから彼は、四谷の狂気の中にも、使える手順だけは見出してしまう。


 韓国が折れていく第一の理由は、結局そこだった。


 理念ではない。

 生存条件だ。

 韓国の若年層が六月二十五日に軍政を支持したのは、社会主義を愛したからではない。既存社会を壊してほしかったからだ。

 なら、新国家もまた「社会主義国家」としてではなく、「旧社会を終わらせる国家」として導入すればいい。

 反共は残る。

 残っていい。

 むしろ残した方がいい。

 その反共の矛先だけを、北朝鮮や旧左派ではなく、「旧秩序そのもの」へ横滑りさせる。

 そうすれば、韓国の反共は第二ソ連への抵抗ではなく、第二ソ連を必要とする心理の一部へ変わる。

 その転倒を、四谷は最初から計算に入れていた。


 台湾が折れていく理由は、もっと静かで、もっと苦かった。


 郭承憲は、議論が進むほど自分が孤立していく感じを覚えていた。

 孤立といっても、敵に囲まれているわけではない。

 むしろ逆で、全員が同じ現実を見ている。

 中国。

 EDF。

 アメリカの信用失墜。

 海峡。

 港湾。

 半導体。

 中華民国単独の脆さ。

 そのどれもが、台湾を「単独国家の延命」から引き剥がす方向へ押している。

 問題は理屈ではない。

 中華民国の名を橋として残したまま、どこまで別の国家へ渡れるか、その限界の方だった。


 許文哲が初めて、郭の方を見ずに言った。


「台湾は単独では持ちません」


 その一文は、郭承憲にとって一種の裏切りだった。

 だが許にはそのつもりはない。

 むしろ忠誠から出ている。

 台湾を生かすために、中華民国の単独性を捨てる。

 そういう忠誠だった。

 国家への忠誠が、国家の自己同一性を壊す方向へ働く時、人間はたいてい壊れる。

 郭はその壊れ方を、今まさに自分で経験していた。


「中華民国は残すべきだ」


 郭は言った。

 その言い方の中に、自分でも気づくほど懇願が混じっていた。


 四谷は即答しなかった。

 そこは丁寧だった。

 丁寧というより、最も残酷な場所だから、あえて少しだけ間を置いたのだ。


「残せます」


 彼は言う。


「ただし、永遠には残らない」


 郭はその一言で、ほとんど全てを理解した。

 橋としては残る。

 法統の殻としては残る。

 人民が飛び移るための仮設通路としては残る。

 だが仮設通路は、渡り終えたら撤去される。

 四谷は最初から、その程度にしか中華民国を見ていない。


 普通なら、ここで席を立つべきだった。

 中華民国の上将として、ここで怒り、拒絶し、台湾単独の改新へ戻るべきだった。

 だが郭は立てなかった。

 なぜなら彼自身、台湾単独の改新が長くは持たないと知っているからだ。

 中国は待たない。

 アメリカは信用を失っている。

 海峡は狭く、島は脆く、台湾の国家名はあまりに中途半端だ。

 中華民国を守りたい。

 だが守るためには、その名前を橋として使うしかない。

 そこまで追い込まれてしまった人間は、怒りながらも席を立てない。

 郭が折れる過程とは、つまりそのことだった。


 会議はその後、国号問題から体制問題へ移った。


 ここからが、本当に激しかった。


 国の名は後からでもいい。

 だが政治体制はそうはいかない。

 誰が決めるのか。

 誰が軍を握るのか。

 地方と構成国にどこまで自治を残すのか。

 党を作るのか。

 人民代表機関を置くのか。

 首班は一人か、合議か。

 国家元首と軍統帥権を分けるのか。

 その全てが、韓国と台湾にとっては国号以上に致命的だった。


 ハン・ドンギュは、最初は穏当な案を出した。


 三国代表による連邦評議会。

 日本・韓国・台湾にそれぞれ法統上の構成共和国を残す。

 軍は共同司令部を置くが、構成国軍の輪郭は残す。

 国家元首は輪番制、あるいは三国代表による集団指導。

 議会は縮小しても廃止しない。

 非常時を理由にしても、全面的な一人独裁は避ける。


 それはハンらしい案だった。

 軍人が考える、最大限に現実的で、かつ自分がまだ道徳的に耐えられる最後の線。

 だが四谷は、それを一瞥しただけで切った。


「国家が三つ残るなら、三つともまた自分へ戻る」


 短かった。


「輪番制は責任の所在を曖昧にする。評議会は危機に遅い。軍統帥権が分散すれば、結局は共同国家ではなく共同会議にしかならない」


 ナムは、その反論に内心で頷いていた。

 ハンの案では、旧国家の延命にしかならない。

 韓国はまた韓国へ戻る。

 台湾は台湾へ戻る。

 日本は日本へ戻る。

 それぞれが旧人民に引っぱられれば、超国家体制は半年も持たない。

 南はそこまで冷たく見ていた。

 だから、彼はハンの面子を立てず、むしろ四谷寄りの修正案を出した。


「少なくとも軍は一元化すべきです」


 それを言った瞬間、ハンの顔が少し固くなる。

 ナムはそれを視界の端で見たが、もう気にしない。

 国家の顔と国家の手は、ここでついに別々の意志を持ち始めている。


 台湾側は、逆方向から抵抗した。


 郭承憲は軍統合そのものには反対しない。

 だが党国家化には強く反発した。

 第二ソ連という名で、もし単一前衛党まで置けば、それは中華人民共和国と見分けがつかなくなる。

 台湾の人民がそれを受け入れるわけがない。

 許文哲も、そこでは珍しく郭に同調した。

 軍と物流と防空は一体化できる。

 だが「党」を表へ出せば、中華民国改新政府が持っていた最後の橋まで焼ける。

 台湾では一党支配の臭いそのものが、中国への屈服と結びつきやすい。

 そこは現実だった。


 神代がそこで、ひどく嫌な妥協案を出した。


「党ではなく、指導戦線にすればいい」


 部屋が一瞬静まる。


「政党ではなく、歴史的任務を担う前衛的国家指導戦線です。構成国ごとの政治勢力や軍政派閥をその中へ吸収する。形式上は多元的に見える。だが国家の最終指導権は戦線幹部会へ集中させる」


 榊原が小さく息を吐いた。

 嫌な案だ。

 だが使える。

 四谷は何も言わず、神代を見た。

 その視線だけで、神代は自分の案が採用線へ入ったと理解する。

 彼は時々、自分がやっていることの巨大さに目眩を覚える。

 違法でも正当なら合法だ。

 かつてそう思っていた。

 だが今や、自分は国家の常態として違法を制度化する言葉を平然と作っている。

 それでも仕事を止めないのは、もう自分もこの国家の一部だからだった。


 政治体制の議論はそこからさらに荒れた。


 四谷は国家元首と軍統帥権を分ける案を嫌った。

 ハン・ドンギュと郭承憲は、一人への権力集中を嫌った。

 ナムは軍統合と危機即応を理由に四谷寄りへ傾いた。

 許は表の政体を曖昧にし、実際の権力だけを中枢へ集中させる構えを取った。

 神代はその全部を文章へ整えていく。

 結局、議論は理念ではなく恐怖の配分で決まっていった。

 誰が何を最も恐れるか。

 ハン・ドンギュは軍事独裁の露骨さを恐れる。

 郭承憲は中国型党国家への"誤認"を恐れる。

 ナムは分権が国家を殺すことを恐れる。

 四谷は曖昧な権力を最も嫌う。

 その違いの総和として、ようやく形が見え始める。


 最終的に、暫定案はこうなった。


 国家元首は一人。名目は「全連邦統裁者」。

 軍全権は同一人物に集中する。

 ただし補佐機関として三国軍出身者からなる統合最高軍事会議を置く。

 構成国は日本国・大韓民国・中華民国の名を当面残す。

 だが外交・軍事・安全保障・主要産業・通貨調整・教育方針は連邦中枢へ帰属させる。

 議会は各構成国に形式上残すが、連邦指導戦線の上位承認なしには主要法案を通せない。

 政党は段階的に解体し、指導戦線へ吸収する。


 つまり、表では連邦。中身は独裁。

 しかも、独裁を「歴史的非常体制の暫定」として包む。

 韓国と台湾がこの案を飲んだのは、納得したからではない。

 他に、自分たちの国家が生き残る形がもう見えなかったからだ。


 会議の終わり近く、ハン・ドンギュはひどく疲れた顔で言った。


「人民は、これを理解しない」


 四谷は答えた。


「最初から理解する必要はありません」


 その返答は、前にも何度も聞いた。

 だが今は、もう単なる言い回しではない。

 国号も。

 体制も。

 国家の上位機構も。

 全部がその論理で進む。

 先に決まり、後から理解させられる。

 これほどまで露骨に少数支配を原理化した体制を、韓国と台湾が受け入れざるをえなくなったこと自体が、すでに旧世界の敗北だった。


 郭承憲は、席を立つ前に一度だけ窓の外を見た。

 冬の福岡は曇っている。

 海は見えない。

 ただ薄い光が、遠くの建物の縁だけを白くしている。

 彼はその光景の中で、中華民国という名がまだ残るのか、それとも自分が生きているうちにただの橋として忘れられるのかを考えた。

 考えたが、答えは出なかった。

 答えが出ないままでも、国家は進む。

 それが一番嫌だった。


 ナムは逆に、かなり静かな満足を覚えていた。

 国名は狂っている。

 体制も危険だ。

 だが危険だからといって、国家が成り立たないわけではない。

 むしろ危機の時代には、これくらい剥き出しの集権の方が長持ちする。

 そういう現実感が、彼を完全に四谷側へ引き寄せつつあった。


 四谷は最後まで、ほとんど表情を変えなかった。


 韓国も台湾も、理念ではなく必要によって屈した。

 そのことを、彼は最初から知っていた。

 だから勝利の感慨もない。

 ただ、次の工程へ移るだけだ。

 国名が決まり、体制の骨格が決まれば、あとは人民の生活をそれに合わせて変えるだけだった。

 国家とは、結局そういうものだと、彼は信じて疑わない。


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