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来たるべき破滅のために  作者: Barkley
第四章 勃興
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第二ソ連

 国の名は、旗より先に人を怯えさせることがある。




 福岡の本会議が終わった夜、四谷賢一は一人でメモを書いていた。


 メモといっても、官僚が回す起案文書のように整ってはいない。




 ただ、必要な語だけが並ぶ。




 『地球連邦』


 『世界統一共和国』


 『世界社会主義共和国』




 『第二ソビエト社会主義共和国連邦』




 そこまで書いたところで、彼は少しだけペンを止めた。


 止めたが、迷っているわけではない。


 むしろ逆で、決まりすぎている名前ほど、一度だけ手を止めたくなるのだ。


 人間は、本当に大きい犯罪を決める時、案外しばらく黙る。


 躊躇しているからではない。


 その語が、もう取り返しのつかない現実の入口だと分かっているからだ。




 第二ソビエト社会主義共和国連邦。




 声に出せば長い。


 長く、古く、悪趣味で、しかもひどく露骨だ。


 だからよかった。


 四谷は最初から、日本帝国のような名前を嫌っていた。あまりに分かりやすいからだ。


 日本中心主義。


 昭和の亡霊。


 近代の焼き直し。


 そんなものでは足りない。


 韓国も台湾も飲み込めないし、世界革命の名分にもならない。


 大東亜連邦も駄目だった。


 臭いが古すぎる。大東亜共栄圏と同じだ。


 東洋共和国も駄目だ。やはり東洋に収まってしまう。




 必要なのは、もっと嫌な名だった。


 聞いた瞬間に、左も右も顔をしかめる名。


 旧ソ連の記憶を引きずり出し、世界左派の幻想を踏みにじり、反共の人間の神経を逆撫でし、それでもなお「歴史の再開」を匂わせる名。


 そういう名前だけが、これから始まる国家にふさわしい。




 だから第二ソ連だった。




 神代嶺は、その名を最初に聞いた時、珍しく言葉を失った。




 福岡の第四セッションが終わったあと、夜半近くになって四谷から別室へ呼ばれた。


 榊原もいた。


 葛城はいない。


 葛城は治安と影を扱う人間であって、国家名の汚れを引き受ける役ではない。


 部屋には加湿器の音だけがある。


 神代はそこで、四谷がさらりと言った国号案を聞き、しばらく応答できなかった。




「第二ソビエト社会主義共和国連邦」




 四谷はまるで、会議の日程を告げるような温度で言った。




 神代は眉を寄せた。


 反射ではなく、身体のどこか深いところから嫌悪が上がってくる感じだった。


 これは単なる左傾や親露ではない。


 挑発だ。


 それも、歴史全体に対する。




 「ソ連は失敗した」




 彼はようやく言った。もはや冗談ではない。




 「だから第二なんだ」




 四谷は答えた。




 神代はその返しに、軽い眩暈を覚えた。彼がどういう意図でこのネーミングをするのか、薄々分かってしまったから。




 「継承するつもりか」


 「継承ではない」


 「では何だ」


 「奪還だ」




 四谷はそう言った。


 奪還。


 何を。


 その問いを、神代は口へ出す前にもう理解していた。


 世界革命の正統性。


 少数者が国家を奪い、多数者を遅れて従わせる権利。


 歴史を「まだ終わっていない」と宣言する資格。


 そういうものを、ソ連は一度持ち、腐らせ、失敗し、最後はロシアの長い内戦と崩壊へ沈めた。


 だから、その失われた正統性を東アジアから奪い返す。


 日本、韓国、台湾という、最も奇妙で、最も不似合いな三国を束ねて。


 それが四谷の論理だった。




 榊原広太は、そこで初めて小さく笑った。


 賛同ではない。驚きでもない。


 むしろ、ああやはりそこまで行くのか、という種類の乾いた笑いだった。




「韓国が認めると思いますか」


「認めさせるんだ」




 四谷は即答した。




 認めるかどうかではない。


 認めさせる。


 その一語に、神代はこの男の国家観が全部出ていると思った。


 人民は判断しない。判断の結果を生きるだけだ。


 国名も同じ。


 まず決まり、あとから理解させられる。


 理解できない者は、しばらく混乱し、そのうち新しい単語へ生活を合わせる。


 国家とは、最終的にはそういう暴力でもある。




 四谷は机上に指を置いた。


 長い指ではない。


 だが、どこに置けば相手の視線がそこへ引かれるかだけはよく知っている手つきだった。




 「日本帝国では狭い」


 「……」


 「大東亜共栄圏は古い。地球連邦は理想的すぎる。第二ソ連だけが、我々のしていることの露悪性と普遍性を同時に示せる」




 神代は黙って聞いていた。


 露悪性。


 普遍性。


 その二つを国家名へ同時に入れようとする男は、たぶんそう多くない。


 普通はどちらかを隠す。


 だが四谷は隠さない。


 隠さないどころか、むしろ敵に「これはお前たちが一番嫌う名前だ」と見せることで、最初から国家へ戦争の輪郭を刻もうとしている。




 「韓国、台湾はともに反共が国是です」




 神代は言った。


 それは単なる一般論ではない。


 若年層の既存社会への怨念が、左翼への信仰とは全く別物であることも知っている。


 その上で、なお「ソビエト」を飲ませるのか。


 神代には、その作業の醜さがよく分かった。




 「だからこそいい」




 四谷は答えた。




 神代はほとんど反射的に顔を上げた。


 四谷の目は静かだった。


 狂信者の熱ではない。


 もっと嫌な静けさだ。


 自分の答えが相手を不快にすること、その不快さも含めて既に組み込んでいる人間の目だった。




「必要なのは、共産主義への愛ではない。反共の再定義だ」




 四谷は言う。




「韓国と台湾が憎んできたのは、実のところマルクス主義ではない。北朝鮮、中国と、と、反共を口実に老人政治を延命させた旧秩序だ。なら、第二ソ連は北朝鮮的な全体主義の再来ではなく、『反共すら旧秩序の道具として使い切った後の新しい国家』として提示できる」




 神代は、その言い換えの巧さにむしろ寒気を覚えた。


 韓国の反共を否定しない。


 むしろ反共の歴史そのものを「古い秩序が若者を縛るための装置」として回収し、その上で「第二ソ連はあれとは違う」と言う。


 そうすれば韓国の若年層や若手将校は、反共であることを捨てずに、なお第二ソ連へ入れる。


 それは論理ではなく、心理の操作だった。




 榊原がそこで補った。




 「韓国向けには『第二ソ連』を先に見せない方がいいでしょう」




 四谷は頷く。




「言うまでもなく、人民には後から与える」




 神代は、その「言うまでもなく」にまた嫌悪した。


 すべてが後から与えられる。


 人民は最後だ。


 最後に名前を知らされ、最後に旗を見せられ、最後に教科書で理由を教わる。


 だが、だからこそ国家改造は進む。


 その事実を、自分が今や制度設計の側で知ってしまっていることもまた苦かった。




 四谷は韓国向けの工程を、もうかなり先まで考えていた。




 まず国名ではなく、共同統治機構を前へ出す。


 EDF、中国、旧老人政治、既成政党、対米従属、対中恐怖、そうした敵を一つの「旧秩序」へまとめる。


 その上で、新しい体制を社会主義とは呼ばず、「若年世代を国家へ再配置する統治原理」として売る。


 兵役再編。住宅と雇用の国家調整。財閥支配の破壊。議会政治の停止。


 それらを「救国」として先に実施し、あとから「その体制の正式名称」として第二ソ連を出す。


 その時、韓国人民はソ連という言葉自体には嫌悪する。


 だがすでに、その体制の半分を自分たちの生活改善や敵への報復として受け取ってしまっている。


 受け取った後では、名前への反発はかなり削がれる。


 国家の名前は、最初に聞いた時より、実体が先に生活へ入り込んだ後の方がずっと飲み込みやすい。




 「つまり、韓国には最初から嘘をつく」




 神代が言った。




 四谷は少しだけ首を傾けた。




「嘘ではない。段階分けだ」




 そう言うだろうと思った。


 神代は反論しなかった。


 反論しても意味がないからだ。


 この男は、段階という語で、かなり多くの醜さを整理してしまう。




 台湾については、もっと厄介だった。




 台湾は韓国のように露骨な反共の国ではない。


 だがソ連という語に、別の悪さがある。


 台湾の政変は、改新政府であり、中華民国の未完を埋めるという顔で辛うじて人民へ耐えられている。


 そこへ第二ソ連などという国名を持ち込めば、中華民国の法統を橋として残すどころではなく、最初から橋を焼き払ったように見える。


 郭承憲がそれを受け入れるはずがない。


 許文哲ですら、実務上は賛成しても、台湾人民の神経を考えれば表では激しく抵抗するだろう。




 四谷はそこも見ていた。




「台湾にはソビエトを革命語彙としてではなく、共和国連邦の形式として見せる」




 彼は言った。




「向こうに必要なのはマルクスでも、レーニンでもない。孫文の延長だ。なら、レーニン=孫文主義の孫文の部分を前面に出し、ソビエトは『人民主権の上位組織形態』としてだけ説明する」




 榊原が苦笑した。




「かなり無理があります」




「無理は承知」




 四谷は言った。




「だが台湾人民が納得すべきなのは、名称の起源ではなく、名称が自分たちを中国へ売り渡すものではないという一点だけだ」




 そこが肝だった。


 台湾で最大の拒絶反応は、共産主義より「中国化」への恐怖から来る。


 ならば第二ソ連は「中華人民共和国への屈服ではなく、むしろその対抗概念である」と押し通す。


 中華民国、韓国、日本を束ねた反中国・反西洋・反旧秩序の革命連邦。


 そう置けば、ソ連という名称の嫌悪は、少なくとも中国へ呑まれる恐怖よりはましだと思わせられる。


 人民は理論で受け入れるのではない。


 いつも、もっと嫌な未来を避けるために、二番目に嫌なものを飲むだけだ。




 神代は、そこまで聞いてようやく口を開いた。




「日本は」




 短い問いだった。


 だが重かった。


 結局一番問題なのはそこだ。


 日本国民は、国家改造と軍政の継続には慣らされつつある。


 だが社会主義となれば話は別だ。


 冷戦後の日本で、社会主義は敗者の言葉であり、左翼の夢想であり、貧しさと統制の象徴にすぎない。


 そこへ四谷が「第二ソ連」を持ってくる。


 普通なら自殺行為だ。




 だが四谷は、そこで初めて少しだけ笑った。




 「日本が一番簡単です」




 神代は眉を寄せた。


 簡単。


 その言い方が気に食わない。




 「なぜ」


 「日本人民は、社会主義を嫌っているのではない」




 四谷は言った。




 「理想主義的な平和主義者、性的少数者、自分が貧しくなる社会主義を嫌っているだけです」




 その一文は、嫌になるほど正確だった。


 日本の反共は、理念への深い憎悪というより、生活の悪化への恐怖に近い。


 だから逆に、社会主義を「強い国家」「再分配」「若年世代の救済」「安全保障の統合」「無責任な議会の停止」として見せれば、驚くほど多くの人間がそれを社会主義だと思わずに受け入れる。


 年金不安。


 住宅負債。


 就活地獄。


 人口減少。


 治安。


 中国とEDFの脅威。


 そうしたものの前では、人民は「自由市場」や「議会制」そのものに強い信仰を持っていない。


 持っていないからこそ、逆に危ない。


 名前だけを少し遅らせれば、かなり深いところまで制度の方を先に入れられる。




 四谷は机の上へ、もう一枚の紙を出した。


 日本人民向けの工程表だった。




 第一段階。


 戦時・準戦時統治の恒常化。


 第二段階。


 若年雇用・住宅・兵役・教育の一体再配置。


 第三段階。


 議会政治の機能停止を「混乱回避」として正当化。


 第四段階。


 資本の国家管理を「安全保障上の必要」として導入。


 第五段階。


 ここまで来て初めて、名称としての第二ソ連を出す。




「人は、名を聞いて思想へ入るのではない」




 四谷は静かに言った。




「先に生活が変わり、その生活を説明する名が後から与えられる」




 神代は、そこでふと自分が目眩を覚えていることに気づいた。


 この男は、社会主義を信じているのではない。


 社会主義という語の、人々の神経への刺さり方まで含めて、ただ利用している。


 ソ連という名前が何を呼び起こすかも知っている。


 だが知った上で、なおその名が最も便利だと判断している。


 思想家ですらない。


 思想を国家命名規則として使っているだけだ。


 そこまで来ると、もはや狂気と合理の区別がつかなくなる。




 数日後、四谷は福岡会議後の最初の内部会議で、この国号案を限定的に提示した。




 韓国側は即座に嫌悪した。


 南泰俊でさえ一瞬だけ黙った。


 韓東圭はもっと露骨だった。


 「韓国人民にそれは飲めない」と言った。


 郭承憲は、表情を崩さなかった。


 だが沈黙そのものが、ほとんど拒否の表現だった。




 四谷はその反応を予測していた。


 予測していたから、反論の順番も決まっていた。




 第一に、名称は直ちに人民へ開示しない。


 第二に、新国家はソ連の継承国家ではなく、世界革命の正統性を奪還する東アジア連邦である。


 第三に、韓国にとっては北朝鮮型共産主義とも旧左派とも異なる「若年国家」を意味し、台湾にとっては中国共産党の中華独占に対する対抗中華である。


 第四に、日本にとっては敗戦後秩序と新自由主義を同時に終わらせる、国家改造の到達点である。




 つまり第二ソ連とは、三国に同じ意味で飲ませる名前ではない。


 『三国それぞれに別の毒として飲ませる名前』だった。




 韓国には、反共を越えた救国の器として。


 台湾には、中華の正統を奪い返す仮面として。


 日本には、戦後秩序そのものを終わらせる最終形として。


 同じ国名が、三つの国民に三通りの意味で差し出される。


 そこまでねじれていて初めて、四谷の国家らしかった。




 会議が終わった後、神代はひどく疲れていた。


 榊原はまだ平気な顔をしていたが、神代にはその平気さもまた気味が悪かった。


 四谷は最後に、ほんの少しだけ機嫌がよさそうだった。


 国名が決まるというのは、国家がようやく自分の姿を持つことだからだろう。


 それは普通なら祝祭の前触れだ。


 だがこの男にとっては、もっと別の意味がある。


 世界征服のための建前が、ついに一語へ圧縮されたということだ。




 第二ソビエト社会主義共和国連邦。


 その名を人民が知るのは、まだ先になる。


 だがその日が来た時、多くの人間は怒り、戸惑い、拒絶し、あるいは笑うだろう。


 だがその時には、もう遅い。


 港も、回線も、軍制も、教育も、資本も、生活も、かなりの部分が先に新しい国家へ接ぎ直されている。


 名前は後から与えられる。


 それが四谷のやり方だった。




 そして彼は知っている。


 人は、名前そのものにではなく、名前が付く前に変えられてしまった生活に、最後には従う。



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