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来たるべき破滅のために  作者: Barkley
第三章 変動
42/72

接触

 同盟というものは、友好や単なる利害一致から結ばれるのではない。


 むしろ逆で、互いに十分に嫌っている者どうしが、なお手を握らざるをえない時にこそ、本当に危険な同盟が生まれる。


 九月の終わり、日本海は半分夏の色を失っていた。

 海面は暗く、風はまだ冬ほどではないが、軽く顔を刺す冷たさを持ち始めている。

 夜の海は、国家の境界が目に見えない場所だ。

 だから秘密会談には都合がいい。

 国家同士が最初に本音をやり取りする時、その多くは立派な会議室ではなく、こういう国境の曖昧な場所で行われる。


 対馬の北寄り、正式な航路から少し外れた海上で、光を抑えた巡視船型の小型艦艇が一隻、ほとんど漂うように停まっていた。外から見ればただの警備支援艇にしか見えない。だが艦内では、日本と韓国、二つの軍事政権が初めて本気で互いを値踏みするための準備が整えられていた。


 日本側から出たのは榊原広太と葛城誠司、それに外務省の名目を借りた文民が一人。

 四谷自身は来ない。

 来る必要がないからだ。

 最初の接触に首脳が出るのは、信用がある場合だけである。いまはまだない。ない以上、相手の温度、猜疑、どこまで本当に独立意思を持っているかを測るだけで十分だった。


 韓国側から来たのはナム大領と、維新軍政府の対外調整局に新しく置かれた中年の文官、それに警護を装った情報将校二名。

 ハン中将はやはり来ない。

 彼もまた、自分の権威をこういう場所へ安売りしたくない。

 しかも、それだけではない。

 韓東圭自身、まだ日本との接近を「韓国の自主再建にとって必要な現実」ではなく、「できれば避けたい依存」として見ている節がある。

 来ないという判断そのものが、彼の揺れを示していた。


 艦内の会議室は狭かった。蛍光灯は白い。机の木目は安っぽい。コーヒーは濃すぎる。空調は少し寒い。

 つまり、国家の未来を決めるにはあまりに貧相な部屋だった。


 ナム・テジュンは着席すると、最初に窓のない壁を見た。

 壁を見るのは癖ではない。

 出口と遮音を考えているのだ。

 その仕草だけで、榊原はこの男が想像以上に神経質で、しかもその神経質さを恥じない種類の実務家だと理解した。

 いい兆候でもあるし、悪い兆候でもある。慎重な相手は騙しにくい。だが一度損得が一致すると、そういう人間は情で動かないぶん長く使える。


「私は維新軍政府を代表して来たわけではない」


 ナムは最初にそう言った。


 挨拶でもなく、いきなり防壁だった。

 榊原は少しだけ口元を緩めた。


「こちらも同じです。日本政府を代表しているわけではない」


「日本政府、ですか」


 南の声は平板だった。

 だがその一言の中に、軽い嘲笑が含まれている。

 日本にいま、正当な政府があるのか。あるとして、それは四谷政権を指すのか、それともまだ別の名義を言い張るつもりなのか。

 そういう探りだった。


「名称はどうでもいいでしょう」


 葛城が口を挟んだ。


「現に統治している側が、当面の政府です」


 ナムはその答えに頷かなかった。

 頷かないのが正しい。

 自分たちもまた、同じ問題を抱えているからだ。

 韓国の維新軍政府は国家を握った。

 だが国家を握ることと、国家そのものになることは違う。

 違うからこそ、他人から「現に統治している側が政府だ」と言われると、半分は納得し、半分は苛立つ。

 その苛立ちは、ハンにもナムにも共有されていた。


 会談の前半は、互いの警戒を確認するための時間だった。


 韓国側は、日本が自分たちを属国化したいのではないかと見ている。

 日本側は、韓国が四谷の思想を都合のよいところだけ使い、必要がなくなれば背を向けるのではないかと見ている。

 どちらも正しい。

 しかも両方とも、完全には否定できない。

 だから会話は妙に乾く。


「我々はもちろん、親日派ではない」


 ナムが言った。

 その言い方には、ひどく強い自己弁護の匂いがあった。

 親日。

 その語は韓国の政治空間では、非常に危険なレッテルだ。ナムはそのことを骨身に染みて知っている。


「日本側も、そう理解しています」


 榊原は答えた。


「なら話は早い。こちらが求めているのは、感情ではなく構造です」


「構造」


「ええ。韓国は単独では保たない。日本も同じです。台湾もいずれそうなる。問題は、各国がそれをどの時点で認めるかだけでしょう」


 南はその言葉を聞きながら、胸の奥で軽い不快を覚えた。

 こいつらは平然と韓国を「保たない」と言う。

 しかも、憐れみも侮辱も混ぜずに。

 事実として言っている。

 事実として言われるのが一番腹立たしい。

 だが腹が立つということは、その通りだと自分でも分かっているということでもある。


 維新軍政府は、政変直後の熱を制度へ変換し始めている。若年層の怨念を政策語彙へ変え、老人政治への敵意を再配置へ言い換え、兵役再編と住宅秩序改造を約束し、街頭の熱を諮問会議へ吸い込んでいる。そこまではできた。

だがその先は狭い。

 韓国単独の市場、韓国単独の軍事、韓国単独の歴史意識、それだけでは長期政権の骨格が弱い。

 北朝鮮がいる。中国がいる。アメリカがいる。

 そして何より、韓国の若年層の怒りはあまりに純度が低く、長く支配理念には向かない。ナムはそこをよく知っている。知っているからこそ、「地域再編」の誘いが妄想に見えても、完全には笑えない。


「韓国国内で、日本との接近は毒です」


 ナムは言った。

 これは本音だった。


「承知しています」と榊原は答える。

「承知しているなら、なぜ。どうやって我々を説得するつもりなのか」

「説得しません」

「……」

「説得は最後です。その前に空気を変える」


 その言い方に、ナムはようやく少しだけ興味を持った。空気を変える。日本側もまた、結局そこへ来るのか。

 彼は四谷政権を、もっと露骨な命令と軍事圧力の集団だと思っていた。だが違う。少なくとも、その周辺にいる実務家たちは、世論というものを軽視していない。

 軽視していないどころか、世論は説得ではなく、先に配置を変えておいて、あとから自分で納得させるものだと理解している。

 その理解は、軍人としては不愉快で、政治家としてはおそろしく実際的だった。


 榊原はそこで、机上に一枚の紙を出した。報告書ではない。箇条書きのない、短い覚書だった。


 第一に、日韓の合邦は「友好」ではなく「非常時連結」として語ること。

 第二に、過去の歴史問題を棚上げするのではなく、「旧秩序の遺産」として上位概念へ回収すること。

 第三に、共通の敵を国家の外だけに置かず、各国内部の「腐敗した旧支配層」にも置くこと。

 第四に、両国民へいきなり統一国家を提示せず、先に軍事・物流・治安・産業連結の必要性だけを反復すること。

 第五に、人民へは夢ではなく「いまより悪い未来を避けるための現実」として語ること。


 南は読みながら、表情を変えなかった。

 だが内心でははっきりと動揺していた。

 これはただの同盟文書ではない。

 将来の合邦を、まだ合邦と名付けずに準備するための政治工学だ。

 しかも、その多くは韓国側の感情と反発を先回りしている。日本との統合を「日本への従属」と見せれば終わる。ならば、それを「旧秩序の全面戦時再編」として語る。

 歴史問題を「忘れろ」と言えば逆に燃える。ならば、老人政治と旧民主化世代の腐敗の側へまとめて押し込め。

 統一国家を夢として売るな。

 物流、半導体、海上交通、対中・対EDF安全保障、難民・治安対策、その必要だけを先に反復しろ。

 そこまで考えている。


「四谷の案ですか」


 ナムは訊いた。


「大枠は」


 榊原は答えた。

 その答え方だけで十分だった。

 四谷がここまで見ている。

 しかも、韓国を征服対象としてではなく、病気を共有するもう一つの国家として見ている。

 それがナムには一番不気味だった。確かに、陸自では韓国陸軍を撃破して韓国を占領するのは不可能だ。だから言葉による平和的な取り込みを図る、上策だ。


 会談の後半で、ようやく本題が出た。


「福岡で会議を開く用意があります」


 葛城が言った。


「非公開。首脳会談ではなく、段階的接触から。まずは軍政どうしの調整会議。その後、必要なら首脳級へ移行する」


「なぜ福岡だ」


 ナムは問う。


「近いからです」と葛城が言う。

「そして、東京ほど象徴性が強すぎない。韓国にとっても屈服の画に見えにくい」


 そこまで考えているのか、とナム思った。

 福岡。たしかに近い。物理的にも、心理的にも。ソウルから見れば東京より低い。

 日本の中枢ではない。だが極端な地方でもない。日本へ行くことの屈辱をぎりぎりまで薄め、同時に本気の交渉に見える地点。

 名前の選び方、場所の選び方、その全部に四谷らしい冷たい配慮がある。


「承諾するかどうかは、こちらが決める」


 ナムはそう言った。

 言わなければならない一文だった。


「もちろんです」


 榊原は答える。

 だがその声音には、既に半ば決まっているものを確認しているだけだという冷静さが混じっていた。


 会談は二時間も続かなかった。だが、十分だった。互いが相手を信用していないこと。それでも、互いが単独では長く持たないと知っていること。

 合邦は感情や理想で売れるものではなく、極度に慎重な調整と、世論の迂回的操作と、共通の敵の設定なしには一歩も進まないこと。

 その三点だけは、はっきり共有された。


 艦を降りる前、ナムは海を一度だけ見た。

 暗い。

 何も書いていない。

 だが、その暗さの下で、国家の境界がもう少し薄くなった気がした。それは希望ではない。

 むしろ、ひどく嫌な種類の現実味だった。


 ソウルへ戻ったあと、ナムはハンへ報告を上げた。

 全てではない。

 全てを言う必要はない。

 まだ早いからだ。

 だが、地域再編の可能性と、福岡での非公開接触の提案だけは伝えた。


 ハン中将は、予想通り顔をしかめた。


「日本とそこまで近づくのか」


「近づく、ではありません」


 南は答える。


「先に、可能性を測るだけです」


「可能性、か」


「おそらく、我々は単独では勢力を維持できない以上」


 その一言に、ハンはしばらく黙った。

 自分でもそう思っているからだ。

 だが、そう思っていることを、他人に言われると急に腹が立つ。

 それが国家というものだった。


「国民はどうする」


 やや長い沈黙のあと、ハンが低く言った。


 ナムはその問いを待っていた。

 やはり来る。

 ハンは最後に、人民の目を気にする。

 それが弱さでもあり、まだ彼を国家の顔にしている理由でもある。


「直接は言えません」


 ナムは答えた。


「なら?」

「まず、共通の敵を先に明確にします」

「中国か」

「それだけでは足りません」


 南はそこで、少しだけ言葉を選んだ。


「旧秩序そのものです。老人政治。党争。無責任な議会。対外依存。兵役と住宅と雇用を若者にだけ押しつけてきた体制。そこへ地球防衛軍と中国の脅威を重ねる。外の敵だけでは弱い。内側にも、同じくらい明確な敵が必要です」


 ハンは何も言わなかった。

 だが、その沈黙だけで十分だった。

 彼もまた理解している。

 合邦は友好の夢では売れない。

 恐怖と必要と怒り、その三つを編んで初めて、人民は自分から「やむをえない」と言い始める。

 そこまで行ってようやく、国家どうしの融合は政治になる。


 ナムは最後に言った。


「福岡へ行くべきです」


 ハンは顔を上げた。


「承諾したのか」


「もちろん閣下の裁可を得ていないので、返答はまだです」


 ナムは答える。


「ですが、承諾しなければ我々は韓国の一時的な軍政で終わります。このままでは」


 その言い方は、ほとんど脅しだった。

 だが脅しであると同時に、現実でもあった。


 ハンは、ひどくゆっくり息を吐いた。

 国家を救ったつもりで始めた政変が、いまや国家を越える話へ繋がろうとしている。

 そのことに恐怖を覚える。

 だが、その恐怖の中に、どうしようもなく引かれる感覚もある。

 自分たちは単なる韓国の暫定軍政府ではないのかもしれない。

 東アジアそのものを組み替える世代の中にいるのかもしれない。

 そういう毒が、老人にも効く。

 その毒の配り方だけは、四谷の方が一枚も二枚もうまかった。


 数日後、東京へ短い返答が送られた。


 『福岡での調整会議を承諾する』

 『ただし首脳会談ではなく、第一段階は限定接触とする』


 文字だけ見ればそっけない。

 だがその一文の裏では、二つの軍事政権が、恐ろしいほど慎重な計算のうえで、ようやく同じ未来の匂いを嗅ぎ始めていた。


必要な敵


 合邦は、愛で作るものではない。


 愛で作られた国家は、たいてい現実の最初の痛みで壊れる。

 本当に長持ちする国家は、もっと暗い材料で組まれる。

 恐怖。

 必要。

 疲労。

 そして、共通の敵。


 福岡で会うことが決まってからの数週間、東京とソウルでは、露骨な共同声明ひとつ出さないまま、空気だけがじわじわ変えられていった。


 それは命令ではない。

 むしろ、命令に見えないものの集積だった。


 ニュース番組で、韓国の若い軍政が「反日」ではなく「旧秩序への反乱」として説明される。

 韓国側の談話で、日本の四谷政権が「侵略的軍政」ではなく「先行的国家改造」として、嫌悪とともに妙な現実味をもって語られる。

 政策論評の中で、海上交通、物流、半導体、防空、対中国抑止、地球防衛軍への共同対応、その必要性だけが先に強調される。

 つまり、人々の頭の中で、日韓合邦という醜悪な語が出る前に、日韓は敵対している場合ではないのではないか、という鈍い感覚だけを育てていく。


 東京では、榊原広太が世論操作の設計をしていた。


 彼は プロパガンダという語を嫌う。下品だからではない。単に古いからだ。現代において世論を動かすのは、統一された一枚の宣伝ポスターではない。論説、切り抜き、政策討論、専門家コメント、地方紙、ネットの煽り、災害対応記事、経済解説、匿名動画、生活情報、その全ての配置である。人間は今や、ひとつの大きい物語に動員されるのではなく、同じ結論へ向かう小さい断片を何度も見ることで、自分でそう考えたつもりになる。榊原は、その現代的な散布の形をよく理解していた。


「反韓世論を一気に消す必要はない」


 彼は会議で言った。


「むしろ残せ」


 若い官僚上がりの文民が驚いた顔をする。


「残すんですか」


「全部消すと不自然だ。日韓の歴史的嫌悪は、消すべき雑音ではない。利用すべき地熱だ」


 榊原は淡々と続けた。


「重要なのは、嫌悪の対象を『韓国そのもの』から、『旧秩序にしがみつく韓国の老人政治』へずらすことだ。日本国内の嫌韓感情を、そのまま韓国維新軍政府批判へ流させるな。旧民主化世代、党争、既得権、対日歴史カード、そのあたりへまとめて押し込め」


 それはひどく悪辣だった。

 だがよくできていた。

 韓国という国家そのものを敵に据える限り、合邦は永遠に売れない。

 ならば、韓国の中にも「こちらと同じく旧秩序に傷つけられた側」がいるのだと、日本人へ思わせるしかない。

 四谷政権は、韓国の若年層や若手将校を「情緒的に理解すべき同胞」として売るつもりはない。

 そんなぬるい物語はすぐ壊れる。

 必要なのは、同じ敵を持つ別系統の病人として認識させることだった。


 一方ソウルでは、南泰俊が似たような、しかし逆向きの作業を進めていた。


 韓国側にとって最大の障害は、もちろん反日感情だった。

 それは歴史であり、家庭であり、学校教育であり、老人の記憶であり、若者にとっては半分は空気だ。

 その全部を消すことはできない。

 できないなら、消すのではなく、上書きするしかない。


「日本を許せ、と言うな」


 南は広報担当へ言った。


「そんなことを言った瞬間に終わる」


「では何を」


「時代が変わったと言え」


 それだけだった。

 時代が変わった。

 旧韓国の敵意もまた旧秩序の遺産だ。

 いま必要なのは感情の解決ではなく、若い世代の生存条件を確保することだ。

 そのために、日本との連携は道徳ではなく現実だ。

 そういう枠へ押し込む。


 韓国のテレビでは、兵役、住宅、老人政治、就職競争、学歴地獄を扱う番組の中に、少しずつ「日本はすでに国家改造へ入っている」「台湾も同様だ」「東アジア全体の再編が始まっている」という語が混ざり始める。

 露骨な統一宣伝はない。

 だが、視聴者は気づく。

 韓国一国の軍政では、この先の安全保障も経済も持たないのではないか。

 中国、地球防衛軍、物流、半導体、海峡、海運、その全部を考えれば、隣国との再編はもう「売国」か「民族自立」かの二択では済まないのではないか。

 その迷いが生まれた時点で、軍政府の半分は勝っている。


 共通の敵は、慎重に組み立てられた。


 中国。

 これは分かりやすい。

 だが中国だけでは弱い。

 外の敵だけで結ばれた連合は、外圧が一段下がるとすぐに内部対立へ戻るからだ。


 地球防衛軍。

 これも強い。

 南半球から来た破滅加速主義の武装勢力。日本の十一月群発攻撃を経て、すでに日本人にとっても韓国人にとっても、遠い世界のテロではなくなっている。

 だがEDFだけでも足りない。

 EDFは脅威ではあるが、人々の生活苦や国家疲労の直接の原因ではないからだ。


 だから本当に必要だった敵は、もっと曖昧で、もっと粘ついたものだった。

 旧秩序そのものである。


 老人票にぶら下がる政党政治。

 若者へだけ兵役と競争を課し、果実を返さない国家。

 住宅を資産として神聖化し、生活の基盤としては崩壊させた市場。

 中国の圧力へ怯えながらアメリカの保護へ甘え、なお自立を語る空虚。

 歴史を記憶ではなく票田に変えた政治家。

 メディア。

 大学。

 既得権。

 議会。

 そして、「いままでのままで何とかなる」という惰性。


 それら全部を、日韓双方で少しずつ同じ敵の名前へ寄せていく。

 そうすると、感情はまだ和解していなくても、怒りの方向だけが揃う。

 国家連合というものは、まずそこからしか始まらない。


 福岡の調整会議の直前、四谷賢一は珍しく長い文書を読んでいた。

 日本側の世論変化、韓国側の抵抗線、共同広報で使える語、禁句、経済連結を先行させる順番、軍制のすり合わせ、法統の問題、共同敵認識の形成、統一会議までに必要な段階目標。

 紙にすると理性の仕事に見える。

 だが、その実態はもっと原始的だった。

 どうすれば人々に、「嫌だが仕方ない」と言わせられるか。

 それだけである。


 四谷は、そこに妙な満足を覚えていた。

 愛国でもない。

 友好でもない。

 理想の東アジアでもない。

 ただ、旧秩序への疲労と、外敵への恐怖と、若年層の怨念を材料に、日韓を縫い合わせる。

 それは汚い。

 だが国家は、たいていそういう汚さの上にしか建たない。

 建国神話とは、後から与えられる香水にすぎない。


 ハンは依然として迷っていた。


 ナムから上がってくる報告は理屈としてはよく分かる。

 中国は脅威だ。

 地球防衛軍も脅威だ。

 旧共和国へ戻れば、韓国はまた老人政治と既成政党の腐臭へ沈む。

 日本との限定的連携は現実として必要だ。

 そのどれもが間違っていない。

 だが、間違っていないからといって、韓国の首脳が日本の軍政と福岡で向かい合う、その絵の持つ重さまで軽くはならない。

 彼はそこに、自分が歴史を動かす側へ来てしまった感覚と、歴史に対して取り返しのつかない裏切りをしようとしている感覚を同時に覚えていた。

 その二つが同時にあるからこそ、彼はまだ「国家の顔」でいられた。

 完全に吹っ切れた人間なら、もっと先へ行ける。

 だが顔にはなれない。


 ナムは、その揺れを理解していた。

 理解しながら、切り捨ても視野に入れていた。

 ハンは必要だ。

 だが必要なのは、福岡までだ。

 その先、東アジア統一会議が本当に国家連合の骨格を定める段に入れば、感情へ傷つきすぎる老人は邪魔になる。

 ナムはそこまで考えている。

 考えているが、まだ表へ出さない。

 時期があるからだ。


 福岡前夜、日韓双方の広報空間では、奇妙に似た語が増えていた。


 旧秩序の限界。東アジア安全保障の新段階。若年世代の生存条件の再編。中国・地球防衛軍・国内腐敗勢力への同時対応。国家を守るのではなく、国家を作り替える責任。


 それらは、まだ合邦とは言わない。

 言わないが、合邦の心理的前提だけは一つずつ作っていく。

 国民がそれを「同盟の深化」と読むか、「やむをえない再編」と読むか、「売国と簒奪の前段」と読むかはまだ割れている。

 だが大事なのは、完全な拒絶ではなく、意味が分からないが無視もできない状態へ持ち込むことだった。

 人間は意味が分からないものを嫌う。

 だが、それが何度も繰り返されると、やがて自分の方で意味を作り始める。

 世論操作とは、結局その程度のものだ。

 押しつけるのではなく、相手に自分で納得させる。


 そして、その準備がようやく整った時、福岡で会う理由は、友好でも理想でもなくなっていた。

 会わなければ、それぞれが単独で崩れる。

 会えば、もっと大きく崩れるかもしれない。

 だが、その崩れの方がまだ使い道がある。

 そこまで追い込まれた者どうしが、同じ机に着く。


 それが、福岡の始まりだった。


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